20 / 23
運命の日 4
しおりを挟む「人命には代えられませんっ! わたくしは貴族です、民を慈しみ守る者です。それに優劣はございませんっ!」
顔面蒼白なレオンにそう答えながら、彼女はそこら中の王都貴族達に綿ぽこを投げていく。
「これを、ぎゅっと手の中で握り込んでください。安全地帯に飛べますから。あとは、子爵家の者たちが誘導してくれますわ」
必死に寄り添っていた国王らや貴族達は、渡された綿ぽこを不審げに見つめつつも握りしめた。途端に掻き消える人々を見て、周囲にいた貴族らが眼を見張る。
「ごらんになりまして? さあ、皆様もっ! 急いでお逃げくださいっ!」
何がなにやら皆目見当もつかないが、この凄まじい戦場よりはマシだろうと、次々消える人々。
手渡すうちに空になってしまった籠に気づき、ラナリアは自分用に取っておいた白い綿ぽこを握りしめる。
「奥方様っ! これを!」
巣に戻ったラナリアは、アンナに回収してもらった綿ぽこの籠を受け取り、自分の持つ空の籠を渡した。
繭に飛んできた人々から綿ぽこを集め、繭の外に出すよう予め頼んでいたのだ。
その籠を受け取り、再び消えたラナリアを見て、王都貴族達は、ある予想を脳裏に過ぎらせる。
……サルバトーレ子爵が後天的に《転移》のスキルを覚醒させたとの噂があったが。
……ひょっとして、それを持つのは夫人なのではないか?
……触れてさえいれば、繋がるもの全てを運べる稀有なスキルだ。軍隊すら瞬時に移動可能。なんてこった。
当たらずしも遠からず。
白日の下に晒されてしまったラナリアのスキル。
多くの人々から浴びせられる不躾な視線をものともせず、ラナリアは愛しい旦那様の元へと飛んだ。
「ラナぁぁ~~っ、もう、やめてくれぇぇ~~っ」
「ほらほら、旦那様。手元がお留守でしてよ? しっかり抑えていてくださいませね」
激戦区真っ只中に飛んできては、ちょろちょろ駆け回る奥方様。彼女のおかげで、あらかたの非戦闘員らは安全圏に避難した。
ようよう力を発揮出来ると喜ぶ辺境貴族達。
「王宮、ぶっ壊しても良いよなあ? 非常事態だし?」
「それ、私怨が混じってね? 程々にしとけよ? そのせいで税金上がったら、今後、お前んとこに援軍送ってやらねぇぞ?」
「うひゃ、やぶ蛇っ」
からから笑いつつ、平民のような口調で話す辺境貴族らに、王都の騎士団は眼を皿のようにして驚いていた。
民の暮らしに密着して暮らす人々だ。荒事に身を投じている時に、ご丁寧な言葉など使わない。戦いの中にこそ彼等の本音がまろびでる。
……非常に物騒な本音だが。
「……普段と随分違いますね?」
「我らは滅多に辺境へはゆかぬからな。辺境伯らはよくゆかれるようだが……」
ちらっと各地の辺境伯達に視線を向ける王宮騎士団。それに胡乱な眼差しを返し、辺境伯と呼ばれる人々は弱々しく首を振った。
「……我らとて頭数でしかない。辺境は、獰猛な狂戦士の巣窟だ。ついてゆくだけで精一杯であるよ」
そうでなくては暮らせない過酷な土地。
そこを統治する辺境貴族は人の皮を被った人外だと、彼らをよく知る辺境伯らは宣った。
思わず顎を落として唖然と聞き入る王宮騎士団。そんな猛者共が勢揃いしていたことに、心から感謝しつつ、彼らは未だにわちゃわちゃしているサルバトーレ子爵と夫人を見つめる。
「もう良いっ、もう良いから下がりなさい、ラナリアーっ!!」
レオンと共に巨大な狼を攻撃している奥方様。弓の遠隔攻撃が通るよう、程よく間を空けて戦う姿を、信じられない面持ちで凝視する王国騎士達。
辺境貴族は横の繋がりが強い。共に困難を乗り越えて国境の盾となる一族だ。持ちつ持たれつ、同じ戦場を駆け抜けてきた。
その呼吸を知るラナリアの舞うような攻撃をぬって射かけられる矢は、綺麗なくらい見事に急所を直撃する。
……押せるぞ? このまま終われそうだ。
誰もが、そう思った。
轟く剣撃、吠える魔獣、打ちてしやまんと猛攻撃を続ける辺境貴族や騎士達。それに顔面をズタズタにされながら、巨大な狼が凶暴な口を大きく広げるまでは。
「しまっ……っ!」
切羽詰まった魔獣の叫びが波動となり、周囲の全てを吹き飛ばした。通常サイズの魔獣のそれと違う凄絶な音の攻撃。
これがあると知っていたのに、レオンは失念していた。サイズが違えば、その威力も段違いだということに思い至らなかった。
普段はどんなに大きくても精々身の丈五メートルほどな狼の魔獣。それの咆哮と、この身の丈十メートルを超えるだろうと思うほどの魔獣では、比べ物にならない差があったのに。
空気を激しく震わせる波動を叩きつけられ、見るも無残に吹き飛ぶ人々。その中には当然だが、身体の軽いラナリアも含まれていた。
「ラナあぁぁーーーーっ!!」
まるで紙くずのように宙を舞う最愛。
視界に映るそれが、レオンのスキルのリミッターを外す。どんっと汚泥のような深みが、広間の空気を上から押しつぶすように圧した。
途端に硬直する魔獣と人間達。
「う……っ、がああぁぁぁーーーーっ!!」
気狂いじみた雄叫びをあげ、ぎろりと眼球だけを動かしてレオンが魔獣を睨めつける。
その目に宿った冷たい焔。それが巨大な魔獣を恐怖に陥れた。切れるように冴え冴えしく揺れる光芒。その不気味な光が、人智を越えた異形さえをも怯えさせる。
「お……まえ…、……がぁぁーっ!!」
残像を残しつつ移動する澱んだ光。それの帯に背筋を震わせた瞬間、狼の頭は真っ二つに割れていた。
その死を実感する暇もなかったのだろう。きょとんと見開かれた眼のまま、左右に割れる巨大な頭。
まるでタイミングを計ってでもいたかのように亀裂が閉じ、ばつんっとけたたましい音をたてて、それは床に転げた。
タイムアップ。人間対魔獣の攻防は人間の勝利で幕を降ろす。
残されたのは夥しい血の海と山のような魔獣達の屍。
ふーっ、ふーっと煙が立つほど呼吸を荒らげ、レオンは吹き飛ばされた最愛を眼で探した。ぎょろりと蠢く血走った眼。
それを見たウォルターが、咄嗟に駆け寄り、レオンの身体を死に物狂いで押さえつける。
「……落ち着けっ! 今、探してるからっ! すぐに見つかるからっ!!」
吹き飛ばされた者の多くは瓦礫の下敷きになっていた。壁や天井が崩れ、追い打ちを食らってしまったのだ。
リミッターの外れたレオンに、悲痛なウォルターの叫びは届かない。
「らな…… らな…… どこだ、らなりあぁぁ……っ」
……やっべっ! 完全に飛んでるぞ、こいつっ!
瞳の色を失い、真っ白なレオンの眼球。ウォルターは過去に一度だけ、この眼を見たことがあった。
『ウォルターを離せぇぇえーっ!!』
当時、十歳だったレオンとウォルター。
生まれ歳も同じで兄弟のように育ってきた二人と、子爵家を襲った悲劇。
《背水》のスキルを持つレオンを手に入れんがため、他国によって送られた刺客が子爵一家の馬車を襲ったのだ。
安全だと思われていた王都で起きた襲撃。不意打ちを食らった護衛達らは尽く斃され、我が子を守ろうと身を挺して庇った子爵夫妻も殺される。
そして思い余ったウォルターは、レオンの身代わりになろうと馬車から飛び出した。
レオンの専属執事として常に一緒だったことが功を奏する。ウォルターはそう思った。
しかしレオンと勘違いされ、ウォルターが連れ去られようとした、その時。
馬車の中のレオンはスキルのリミッターを外す。
スキルで己を壊さないため、誰もが過剰な力を使わぬよう無意識に制限をかけているが、それを意識的に外すなど不可能だ。
だが両親を目の前で殺され、さらには己の半身ともいえる幼馴染みを失うという恐怖が、レオンのリミッターを外した。
……結果、レオンの壮絶な闘気に当てられた賊は失神。駆けつけた騎士団が捕縛したものの、リミッターが外れて狂気に陥るレオンに近づけない。
『……ころす、……ころす、……ころ…… とうさま……? かあさま……? うぉる……? どこ……? ねぇ……』
ふうぅぅっと煙をたてるように獰猛な息を荒らげ、馬車を破壊するレオン。その手が馬に伸びた瞬間、咄嗟に飛びついたウォルターが渾身の力で抱きしめた。
このままではレオンが壊れてしまう。それだけ、《背水》というスキルは凄まじい力を持つ。
『レオンっ! ここだっ! 俺はここにいるっ! ありがとうなっ!!』
『……うぉる? いた…… いたぁ……』
通常であれば、スキル《背水》を発動するレオンを押さえられる者などいない。大人であろうが吹き飛ばされ近づけもしない。
ウォルターの持つスキル《剛腕》が、それを何とか可能とした。
ウォルターの必死の呼びかけで正気に戻ったレオン。お互いに抱き合い、泣き崩れる二人。
ここより、ウォルターはレオンの幸せのみを追求する生き物となる。欠片でも苦労はさせない。全力で守ってみせると誓って生きてきた。
レオンも、唯一の寄す処となったウォルターに深く依存していた。側に居させるため専属執事にし、危険な目に遭わせぬよう騎士団の勧誘を片っ端から握り潰すほど。
超不器用な執着騎士と明後日な方向に狡猾な執事様。未だに癒えぬ傷痕を舐め合うよう、二人は肩を寄せ合って生きてきた。
そんな二人の目の前に現れた少女。その全てを包みこんで、二人の心の傷を理解しなくとも、レオンを抱きしめ温めてくれた。
何よりも大切なウォルターの幼馴染み。その幸福を約束してくれる彼女は、同時に最悪をも約束する存在なことに、ウォルターはやっと気づく。
ラナリアに万一があったら、とてもレオンは正気でおられまい。両親を失った過去の再現だ。いや、それより質が悪い。
……無事でいてくださいよ、奥方様っ! こんなんなったレオンを鎮められるのは、貴女しかいないんですからっ!!
瓦礫を撤去する人々を邪魔させさないよう、レオンを押さえつけるウォルター。今のレオンが突っ込んでいったら新たな瓦礫が量産され、ラナリアにトドメを刺しかねない。
渾身の力でレオンをとどめ、彼女の無事を心の底から神に祈るウォルターだった。
979
お気に入りに追加
2,236
あなたにおすすめの小説
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中

わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。
ふまさ
恋愛
伯爵令嬢のリネットは、婚約者のハワードを、盲目的に愛していた。友人に、他の令嬢と親しげに歩いていたと言われても信じず、暴言を吐かれても、彼は子どものように純粋無垢だから仕方ないと自分を納得させていた。
けれど。
「──なんか、こうして改めて見ると猿みたいだし、不細工だなあ。本当に、ぼくときみの子?」
他でもない。二人の子ども──ルシアンへの暴言をきっかけに、ハワードへの絶対的な愛が、リネットの中で確かに崩れていく音がした。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。
藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。
何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。
同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。
もうやめる。
カイン様との婚約は解消する。
でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。
愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません!
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る
金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。
ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの?
お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。
ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。
少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。
どうしてくれるのよ。
ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ!
腹立つわ〜。
舞台は独自の世界です。
ご都合主義です。
緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ
曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。
婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。
美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。
そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……?
――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。

【完結】「君を手に入れるためなら、何でもするよ?」――冷徹公爵の執着愛から逃げられません」
21時完結
恋愛
「君との婚約はなかったことにしよう」
そう言い放ったのは、幼い頃から婚約者だった第一王子アレクシス。
理由は簡単――新たな愛を見つけたから。
(まあ、よくある話よね)
私は王子の愛を信じていたわけでもないし、泣き喚くつもりもない。
むしろ、自由になれてラッキー! これで平穏な人生を――
そう思っていたのに。
「お前が王子との婚約を解消したと聞いた時、心が震えたよ」
「これで、ようやく君を手に入れられる」
王都一の冷徹貴族と恐れられる公爵・レオンハルトが、なぜか私に異常な執着を見せ始めた。
それどころか、王子が私に未練がましく接しようとすると――
「君を奪う者は、例外なく排除する」
と、不穏な笑みを浮かべながら告げてきて――!?
(ちょっと待って、これって普通の求愛じゃない!)
冷酷無慈悲と噂される公爵様は、どうやら私のためなら何でもするらしい。
……って、私の周りから次々と邪魔者が消えていくのは気のせいですか!?
自由を手に入れるはずが、今度は公爵様の異常な愛から逃げられなくなってしまいました――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる