だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

一 千之助

文字の大きさ
上 下
21 / 23

 運命の日 5

しおりを挟む

《……生まれた》

『え……?』

 気がつくとラナリアは真っ白な空間に座り込んでいる。そこには幾つかの光。
 掌サイズの光は楽しそうに舞い踊り、おしゃべりした。

《生まれたね。揺り籠だ》

《揺り籠だ。立派に成長して飛び立っておくれな》

 その光が与えたものが、文字としてラナリアの目に映る。

『《巣》……? え、どういうこと?』

 真ん丸なポンポンに記された文字。それはふわふわと下に落ちてゆき消え失せた。
 呆然と見送っていた彼女の耳に、どこからか涼やかな声が聞こえる。

《これは自然の摂理。スキルの理ですよ?》

 ……スキルの理。貴方は誰?

《私は人を見守る者。数多の世界の過酷な大地に生きる、か弱い子供達を導く者》

 ……過酷な大地。

 それは物理的なモノだけではない。社会風潮や風刺、その都度訪れる時代の変換。
 人間としての矜持を保ち、健やかに暮らせるよう、この何かは人々にスキルの種を与えてきたという。

 ……スキルの種?

《そう…… それが必要で、真摯に事にあたれる人間を選び、種は芽吹きます。適材適所。スキルは優越感を満たす飾りではないのです》

 ……そうね。分かる気がするわ。……あ、だから、王都貴族よりも辺境貴族の方がスキルを発現させやすいのかしら?

 見えない誰かが微笑んだような気がした。

《幸せで満足のゆく生活をしていたり、窮地を知らぬ者には発現しにくいです。あなたのように》

 ラナリアは厳しくも優しい両親の元、過酷な大地にあって幸せな暮らしをしていた。苦労は沢山あったと思うが、それを苦労とも思わない充実した生活を。

《……でも貴女の人生には深い翳りが見えた。ゆえに残しました。《巣》を……》

 本来、スキルの種を秘めた《巣》を誰もが持っている。それが芽吹くかどうかは賭けだが、芽吹かずに洗礼を受けた時、発現する者は誰かの力を借りて発現し、しない者からは《巣》が回収されるという。
 
 ……そんな仕組みだったのね。

 なるほどと納得するラナリア。

《わたくし達には愛し子の行く末が、ぼんやりとですが見えます。翳りも多少であれば黙認します。人の生き様はその人のモノです。干渉はしません。……ですが。あなたからは、《巣》を回収した場合、恐ろしい惨劇が起きると予想出来る程の翳りが見えたのです。なので残した《巣》を、貴女の窮地で《ホーム》というスキルに変換しました》

 ……ホーム。ジョウの言っていた?

 誰かの頷く気配がする。

『ジョウは、こことは違う別世界の人間。全てを恐れ、己の殻に閉じこもり、世界を拒絶しました。そんな彼に与えられたスキルが《ホーム》です』

 誰かは説明する。

 ジョウという青年の半生を。

 若くして巨万の富を継承した彼の周りには、敵しかいなかった。誰もが彼に媚を売り、少しでもおこぼれにあずかろうとむらがる。
 そんな中でジョウの恋人も変わってゆき、二人は酷い疑心暗鬼に陥った。

 信じられない。騙しているんだろう。寄るな、触るな、顔を見せるな。

 数多の人々らに悪辣な罠を仕掛けられ続けたジョウの心は酷く荒み、最愛だったはずの恋人すら信じられなくなってしまった。

『金が欲しけりゃくれてやるからっ! そんな憐れむような眼で俺を見るなぁぁーっ!!』

 信じては裏切られ、騙され、恐ろしいほどの自己嫌悪と猜疑心に蝕まれるジョウ。それを見ておれなくなり、彼の恋人はジョウの元を去ってしまった。
 独り歩きする妄想を自らの手で大きく育てて、自戒の檻にこもる青年。

 そんな彼が、ふと手に入れた《ホーム》

 ここで周囲と隔絶した暮らしを長く続け、ジョウの精神は回復していく。少しずつ接がれる砕けた心。
 それが、誰かの存在を求めた時、《ホーム》は進化した。絶対遮断の砦から、ジョウが望む者だけを招ける自宅にと。
 
 ……招ける。それが、あのポンポンなの?

《そう。自らこもった者が誰かの存在を求めた時。《巣》は進化を遂げます。繭は守り。中にある者が巣立つまでの揺り籠なのですよ》

 己の行いを恥じて悔い改めたジョウは、恋人に復縁を求め、真摯に謝罪した。大まかな経緯を知る恋人は、自分こそ力になれず申し訳なかったと、二人して号泣する。

『騙されたって良いじゃない。私は、ずっとアンタの側にいるからさ』

 にっと笑う恋人の笑顔におされ、ジョウは社会復帰した。そして、それを待っていたかのように突然起きる前代未聞の大地震。
 焼けつく業火や黒煙に巻かれる人々を、ラナリアと同じ様に救助しまくって、彼は一躍、時の人となったらしい。



『幸せになれたのね。良かったわ』

 穣の顔も知らないラナリアは、最後の一行に込められた万感の想いを理解した。

《君の未来に光射しそむることを切に願う。~穰~》

 これは彼の経験に基づく言葉だったのだろう。

 その後穣のホームが消え去り、残された二つずつの綿ぽこを使って、自身のスキルは《転移》なのだと周りを騙くらかしたとか。

 ……ホームが消える?

《繭は羽化し、子供は巣立つものでしょう? 今の貴女に《巣》が必要ですか?》

 問いかけられて彼女も納得した。

 ……そうね。もう要らないわ。わたくしには旦那様がおりますもの。

《それを聞けて安心いたしました。不断の香を醸す貴女に、私からの贈り物です》

 ラナリアの両手に落ちてきたのは小さな色違いの綿ぽこ。

《今後これを使えるのは、貴女と貴方の番のみ。貴女の人生の終焉には、共に風に通わせましょう。天へとね》

 ……ありがとうございます。え……、そうじゃないっ! ここは? そしてあなたは? わたくし、死んでしまったのですか?

 突然あわあわしだしたラナリアの周りで、ふわりと風が起きた。真っ白な空間と思っていたのは巨大な羽に包まれていたからだったらしい。
 あんぐりと口をあけて見上げた彼女の視界に映るのは大きな蚕。ひるるとも呼ばれる美しい蛾だ。神秘的な純白の肢体に真っ黒な瞳。
 本来、飛べないはずの巨大な蚕は、ばさっと羽を広げて鱗粉を撒き散らしながら空にはばたく。その鱗粉一つ一つが光の玉となり、《巣》の文字を点滅させながら下に零れていった。

《わたくしは泡沫の夢。貴女は死んでなどおりませんよ? ただ、深く眠っているだけ。さあ、お戻りなさい、番の元へ》

 そう言われたラナリアの身体が、すこっと下に落ちていく。声もなく落下した彼女は無窮の星に眼を奪われた。
 美麗な蚕の背後に広がる深く広大な世界。

 ……ああ、そうか。貴女は……

 そこでラナリアの意識が途切れる。

 そして再び眼を覚ました時、彼女は居並ぶ人々の心配げな顔に囲まれていた。



「旦那様…… けふっ!」

 ガラガラに嗄れた喉。思わず咳き込んだラナリアを見て、誰もが喜色満面な笑みで涙した。

 うおおおおおぉぉっと雄叫びのようにあがる大絶叫。

 思わず眼を見張る彼女に説明してくれたのはウォルター。

 彼の話によれば、ラナリアは三日も昏睡状態だったとのこと。



「いや、もうね…… 旦那様は暴れるわ、医師に診せないわ、半狂乱になって繭にこもるわ…… 大変でした」

 胡乱な眼差しを遠くに馳せる執事様。唯一、レオンに対抗出来る彼が、なんとか旦那様を引っ剥がして、ラナリアに医師の治療を受けさせてくれたらしい。

「なんでか分からないんですが、繭が消えてしまったんですよ。それで、まあ、出てきた旦那様を奥方様から引っ剥がせたわけですが。幸い深刻な重傷でもなかったので助かりました…… でも、眠りから覚めなくて、気が気じゃなかったです」

 珍しく、悲痛に歪められる執事様の顔。

 ……そんな顔も出来ますのね。

 ……と、どこかで似たようなことを考えた気がするラナリアに、ずっとへばりついているレオン。

「ラナ…… ラナ……」

 ベッドで横になるラナリアの背中越しにしがみつき、ずびずび鼻をすすって、彼は言葉も紡げないようだ。

 ……怖かった。死んでしまうかと…… もう二度とあの愛らしい瞳を見られないんじゃないかと。ああ、こんなに痩せて。傷も痛むだろう? 二度と外には出さないからな? ずっと、こうして俺の胸に抱かれてろっ!!

 ……あいも変わらずな寡黙っぷり。言いたいことを脳内に飛び回らせ、奥方様から離れない旦那様。

 その背に滲む温みが嬉しくて、ついつい甘やかしてしまうラナリア。

 こうして前代未聞な新年パーティは幕を閉じ、王国は新たな転換期を迎えた。
 当事者でありながら、傷病を理由に長々と引きこもる子爵夫妻。

 焦れた王宮からの招喚状が届くまで、ラナリアとレオンは子爵邸で甘々といちゃついた。

 終わり良ければ、全て善し。喉元を過ぎればを全身で体現する二人である。
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。

ふまさ
恋愛
 伯爵令嬢のリネットは、婚約者のハワードを、盲目的に愛していた。友人に、他の令嬢と親しげに歩いていたと言われても信じず、暴言を吐かれても、彼は子どものように純粋無垢だから仕方ないと自分を納得させていた。  けれど。 「──なんか、こうして改めて見ると猿みたいだし、不細工だなあ。本当に、ぼくときみの子?」  他でもない。二人の子ども──ルシアンへの暴言をきっかけに、ハワードへの絶対的な愛が、リネットの中で確かに崩れていく音がした。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る

金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。 ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの? お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。 ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。 少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。 どうしてくれるのよ。 ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ! 腹立つわ〜。 舞台は独自の世界です。 ご都合主義です。 緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください

シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。 国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。 溺愛する女性がいるとの噂も! それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。 それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから! そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー 最後まで書きあがっていますので、随時更新します。 表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。 婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。 美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。 そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……? ――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

処理中です...