だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

一 千之助

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 運命の日 3

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「なん……だ? あれは……?」

「きゃぁぁーっ!!」

 どよめく人々と顔を凍りつかせる国王陛下。それでも国王は、咄嗟に身を捩り王妃をかばって床に転がった。
 王太子も狼狽しつつ妃を抱きしめて中央から離れる。

 そこに突然現れたのは巨大な《歪》による亀裂だった。まるで空間を引き裂くように不気味な裂け目が、ぽっかりと口を空けている。ざっと見、長さ十メートル以上。

「デカい……っ! こんな大きさの亀裂は見たことがないぞっ?!」

 通常の亀裂ならば一メートルからニメートル。どんなに大きくても三メートルはいかない。
 そして亀裂は必ず屋内に生まれる。床から天井までを境とし、ざくっと切れたように縦長な裂け目が宙に出来るのだ。
 なので発見が早くば魔獣を押し込めやすい。中には犬小屋の内部に出来た例もある。
 しかしそれは逆を言えば、巨大な《亀裂》は巨大な空間にしか出てこれないということ。
 高さ十メートル以上もある屋内といえば場所は限られてくるが、よりにもよって王宮に出てしまうとは……

 ぱっくり開いた薄暗い内部。
 
 そこにギラつく眼光を見て、王都貴族達は震え上がった。ひとつ、ふたつと増えていく不気味な光芒。
 それが続々数を増し、その姿を現した。

 巨大な狼やヘビ、熊のようなものから、ムカデや小鬼のようなもの。姿形は通常の動物に似ているものの、まとう雰囲気や大きさが全く違う魔獣達。
 身の丈二メートルもあるムカデが頭を持ち上げた途端、広間中に阿鼻叫喚が沸き起こった。

「た…っ、助けてくれぇぇーっ!」

「逃げろっ! 早くっ!」

「きゃーっ!! 誰かーっ!!」

 一斉に逃げ惑う人々の絶叫。それが合図だったかのように、魑魅魍魎達は広間の人間に襲いかかる。

 ……が、そこにはレオンがいた。

「させるかあっ!!」

 どんっと噴き上がる彼の闘気。びりびり波打つ憤怒に煽られ、一瞬、魔獣たちの動きが止まる。
 その隙を見逃さず、ラナリアも声を上げた。

「辺境のっ! まさかパーティだからといって、手抜かりはあるまいなっ!!」

 逃げ惑う貴族達のなかで、微動だにせず仁王立ちする人々。彼らは面白そうに口角を上げ、爛々と眼を輝かせている。

「当たり前だ、メインの小娘っ! 俺達が抜かるわけあるまいがっ!!」

 彼女の声に応えるのは辺境貴族達。彼らはどこに居ても常在戦場。紳士淑女の装いの下にすら、必ず武器を携帯していた。それを両手に持ち、それぞれが魔獣を相手取って戦い始める。
 暗器の類はもちろんのこと、どこから出したのか弓や槍を手にする御夫人もいる。驚くラナリアの視界でそれらを配っているのは彼女の母親だった。
 
 したり顔でサムズアップする母親に、呆れ顔で笑うラナリア。

「御母様、さすがです」

 ラナリアの母親のスキルは《収納》。常時大量の武器防具を携帯している母親は、周りの辺境貴族から通称火薬庫と呼ばれている。
 武器庫でなく火薬庫。彼女の立つ戦場は、数多の武器防具供給を受けて爆発的に火力が増すため付けられた渾名だった。
 他にもスキル持ちが多い辺境貴族達。彼等の反撃により、広間の戦況が優位に傾く。

 まだ出てきたのは数匹だ。亀裂は発生したばかり。このままレオンが亀裂の前を陣取り、盾となってヘイトを集め、辺境貴族らが遊撃に回れば押さえられないことはない。

 ……すぐに騎士団も駆けつけるだろう。それまで時間を稼げれば……っ!

 ある意味、戦える者で溢れていたここに亀裂が開いたのは僥倖である。

 しかし辺境貴族と違い、王都貴族らは戦いを知らない。ガキィン、ドオンっと響く轟音や、切り裂かれた魔獣が暴れて飛び散る血飛沫など、眼の前の凄まじい光景に、あらゆる所から絶叫が迸った。
 その都度、魔獣の標的が変わるため、レオンはヘイトを集めきれずにいる。
 魔獣にとって、か細い獲物の悲鳴など彼等の嗜虐心を煽る燃料でしかない。ぞろりと蠢く、ケダモノじみた真っ赤な眼球。

「くっそ……っ! こちらを向けぇぇっ!!」

 闘気だけで魔獣のヘイトを集めるには限界があった。
 そこへすかさず、ラナリアの母親から大剣を受け取ったウォルターが、レオンに向かって投げ飛ばす。

「受け取れ、レオンっ!!」

 自分の背丈ほどもありそうな大剣を容易く投げる執事様に、辺境貴族らの口から、ぴゅぅっと口笛が聞こえた。

「やるなあ、スキル持ちか? 《剛腕》? なんで執事なんてやってんだよっ!」

 ……至極当然な疑問だが、今聞くことか?

 常にレオンと共にあるウォルターは、こういった荒事に慣れている。一瞬で戦闘態勢に入る冴えた緊張感。騎士団が闘気を奮わせる刹那を何度も垣間見てきた。
 そんな彼ですら、今の辺境貴族らの泰然とした雰囲気は信じられない。
 容易く魔獣を斬り伏せ、弾き飛ばし、獰猛な笑みを浮かべつつ雑談を交わせる胆力が。

「辺境向きな殿方ね。うちの娘などいかがかしら?」

 女性にあるまじき位置までドレスのスカートを切り裂いて、艶めかしい大腿部のガーターベルトを披露する貴婦人。
 その手に握られた槍が、真一文字に蝙蝠の魔獣を串刺しにする。

 これだけの魔獣に囲まれていて軽口を叩ける余裕綽々な態度。これでは、どちらがケダモノか分からない。
 折り重なるよう積まれていく魔獣の屍に、ウォルターは同情すら覚えた。

 ……奥方様が普通じゃないわけだよ。辺境貴族は、貴族という名の別の生き物だな。

 今さらながら、とんでもない御仁に喧嘩を売ったものだと彼は自嘲する。
 
 そんなウォルターに投げられた大剣をこともなく受け取り、レオンはスキルを爆発させた。そして大きく振りかぶって凶刃を一閃させる。
 引き裂かれる魔獣達。旦那様の反撃が、一瞬で魔獣の怒りを収束した。

「我の背には守るべき最愛がいるっ、負けてたまるかあぁぁっ!!」

 レオンの背後に揺らめく陽炎。いつもより五割増しなソレを見て、思わず周囲は凍りついた。
 ただでさえガタイのデカい強面様だ。それが闘気に彩られて血煙に染まる様は、獰猛な鬼神のようにしか見えない。
 魔獣より鬼気迫るレオンの方が万倍怖く、おかげで喉まで凍りついたらしい王都貴族らが静かになってレオンも戦いやすくなる。

 王宮の侍従らが婦女子を優先して随時避難させているようだが、数が数だ。しかもどっしりと重い正装姿。牛の歩みしか出来ない貴婦人等の移動は非常に遅い。
 我先にと出入り口へ殺到するような愚か者がいないあたりは救いだったが、多くの非戦闘員がいる戦場で、辺境貴族達も戦いにくそうだ。
 
 ……と、レオンの視界の端にラナリアがみえる。

 彼女はウォルターに詰め寄り、アンナに何かを渡すと、次の瞬間、ふっと二人で姿を消した。

 ……子爵家に戻ったのか? 良かった。

 安堵に顔を緩めるレオン。

 しかしそれは、彼のスキルの増幅を著しく削る。最愛が背にあるのとないのとでは大違いなのだ。

 結果、次々と出てくる魔獣が強くなるにつれ、レオンは苦戦を強いられることとなる。



「アンナっ! 話したとおり、ここで籠に集めてねっ?」

「承知しました、奥方様っ!」

 白い綿ぽこで子爵家に戻った二人は、アンナを繭内部の一階のホールに配置して、ラナリアは綿ぽこの入った籠を抱える。
 そして子爵家の侍女らに説明し、王都貴族達の避難誘導を頼んだ。
 この綿ぽこを使い、繭を経由させて広間の人々を安全圏に逃がす作戦だ。

 ……なんのための綿ぽこかは分からないけど、使えるモノは何でも使わなきゃねっ!!

 そう脳裏で呟いて、彼女は桃色の綿ぽこを握りしめる。最愛の旦那様のところへ導いてくれる綿ぽこを。



「うおおぉぉっ! 怯むなっ! 押し返せぇぇっ!」

 騎士団も加わり、激戦区と化した王宮広間。いたるところで悲鳴が上がり、多くの騎士や辺境貴族が斃れていく。
 前代未聞な大きさの亀裂から出てくる魔獣だ。そのサイズもどんどん大きくなり、今、レオンの目の前に出ている狼は頭だけで二メートル近くある。
 これが完全に出てきてしまったら目も当てられないと、彼はその狼につきっきりで攻撃していた。
 
 ……こんなモノが広間に出たら…… 王宮など粉微塵にされてしまうっ! 逃そうものなら、国中が蹂躙されるっ! なんとしても、ここで押さえておかねばっ!!

 亀裂は一定時間で消える。それまで抑え込めたら、こちらの勝ち。
 だが、その超巨大な狼の隙間をぬって入り込む魔獣達。それが一斉にレオン目掛けて牙を剥く。

「させるかよっ! こっち来いっ!!」

 ラナリアの母親から貸してもらった大槌を振り回して、ウォルターは片っ端から魔獣を叩きまくった。他の者らも切りかかったり射かけたりして、出てくる魔獣らの怒りをレオンから逸らそうと必死だ。
 あの巨大な狼の相手はレオンにしか出来ない。ならば少しでも彼の負担を軽くせねばと、騎士団や辺境貴族らは力を合わせて戦う。

 緊張と混乱の渦巻く王宮広間。そんなレオンの目の前に、ふっとラナリアが現れた。

「ラナっ?! なぜ戻ってきたっ? 逃げよっ! 早くっ!」

 半狂乱になって叫ぶ旦那様に微笑み、彼女は綿ぽこの入った籠を抱えて疾走する。
 中央が激戦区となってしまったため、奥に位置する者達は完全に逃げ遅れていた。そこに居る国王夫妻や王太子夫妻。
 颯爽と駆け寄ったラナリアは、逃げ遅れた人々に綿ぽこを渡す。

 彼女が何をしようとしているのか悟り、レオンが絶叫した。

「ラナっ?! 馬鹿な真似はやめろっ! 君のスキルがーーーーーーっ!」

 ……バレてしまうっ! こんな特殊で飛び抜けたスキルがバレようものなら、ただでは済まないっ! お願いだ、やめてくれぇぇーっ!!

 それは切れるように切なく、やるせない叫びだった。
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