205 / 226
:第10章 「贋金事件・解決編」
・10-9 第205話:「アルクス伯爵:1」
しおりを挟む
・10-9 第205話:「アルクス伯爵:1」
ここまで来ると、もう、シュリュード男爵の追手を気にする必要もなさそうだった。
すでに領地の区分としては、ケストバレーではなくアルクス伯爵領なのだ。勝手に侵入して捜索しようとすれば、伯爵の権限を犯したことになり、大きな問題に発展しかねない。
動く者は、自分たち以外にはない。
フィーナを背負ったセシリアは黙々と歩き続け、やがて、右手の方から夜空が白み始めた。
もうすぐ、朝が来る。
「見えましたわ! 」
視界が開け、前方に城館の姿が見えると、お姫様は疲れ切った顔に笑みを浮かべていた。
基本的に王都で育った彼女は、外の世界のことをあまり知らない。当然、アルクス伯爵の城館がどのような姿をしているのかも、直接自身の目で見たこともない。
だがそれが、一晩中必死で目指し続けてきた場所であると、確信する。
ほぼ平坦な田園風景の中に、少しだけ盛り上がった丘があって、その上に石造りの大きな建物と、それを取り巻くように丘のふもとにかけて街が広がっている。街の周囲はぐるっと城壁と水堀で囲まれ、数か所に城門が設けられている。
城塞、と呼べるほどではないが、一応の籠城戦が可能なように作られた城館にはいくつかの尖塔があり、その頂点でひるがえっている旗に描かれた紋章に見覚えがあった。
赤ワイン色の布に、金の糸で刺繍された、砦を模した紋章。
それがアルクス伯爵家のものであることを、セシリアは知っていた。
自国に仕えている諸侯にはどんな家があるのか。それは、幼い頃から度々、家庭教師たちによって教え込まれてきた、王族である彼女にとっては知っていて当然の知識であったからだ。
「けんど、おねーさん。大丈夫なんだべか? 」
「なにがですの? 」
すでにつま先の感覚が鈍くなるほどに疲労が蓄積していたが、それでも目的地が見えたことで前に進む力を取り戻して突き進むお姫様に、元村娘が少し不安そうにたずねる。
「シュリュード男爵、悪者だったんだっぺ? アルクス伯爵さまも、悪者だったりしねぇべか? それに、もし、おらたちの格好を見て、おねーさんがお姫さまだって気づいてもらえなかったら……」
「大丈夫ですわ! それは、絶対にありません! 」
セシリアはフィーナの懸念を、力強く否定した。
それは、心細そうにしているのを励ますための空元気などではなかった。
自信があるのだ。
「アルクス伯爵は、お父様の良きご友人なのです。私(わたくし)も小さなころから何度もお会いしておりますが、シュリュードのように強欲で悪辣な性格などしておりません。伯爵は誠実で、なにより正義を愛し、民も大切になさっておられるお方ですわ。決して裏切ったりなさいませんし、どのような身なりであろうとも、私(わたくし)を見間違ったりするはずがありませんわ! 」
アルクス伯爵は、メイファ王国の王家からの信頼が厚い人物だった。
古くから続く名門で、かつて何度か王族との縁戚関係が持たれていた関係の深い一族である、というのもあるし、現在の当主と国王とは個人的に親しい間柄。
セシリアも何度か、遊び相手になってもらったり、先生になってもらったりして、いろいろなことを学ばせてもらい、世話を焼いてもらった記憶がある。
だからこそ、次善の策を考えている最中に真っ先に浮かんできた存在なのだ。
もし、彼にまで裏切られるようなことがあれば、完全にお手上げ、と言うほかないほどの存在だった。
「けんど、おねーさん」
これほど強く保証されたのにも関わらず、なおもフィーナは不安を消せないでいるらしかった。
「なんだかお城の方、騒がしくねーだか? まるで、戦(いくさ)の準備でもしてるみてーだべ」
「……えっ? 」
辛く苦しい旅路を乗り越え、ようやく目的地にまで到着することができる。
これで、源九郎や珠穂、ラウルを救いにケストバレーに戻り、反逆を企てた奸臣を征伐することができる。
そんな嬉しさでいっぱいになっていたお姫さまはすっかり見落としていたのだが、元村娘が言うように、確かにアルクス伯爵の城館は騒々しい様子だった。
まず、まだ日が地平線から顔を出す前だというのに、あちこちに明かりがついている。
どこだってそうなのだが、夜間は、高価な燃料を節約するために必要最小限の照明しか確保されることはない。アルクス伯爵の城館なら警備のために欠かせない明かりは夜でも灯っていておかしくはなかったが、今見えている松明やランプの光の数は、異常なほどに多かった。
まるでこれから出陣するために、急いで臨戦態勢を整えようとしているかのように。
招集が命じられ、城館や城下町で眠りについていた兵士たちが叩き起こされて、慌ただしく出撃しようとしているとしか思えない様子だった。
ちらり、と、嫌な想像が頭をよぎる。
実はアルクス伯爵もシュリュード男爵と手を組んでいて、セシリアが逃げて来るのを見越して、男爵からの要請でこちらを捕えるために兵を動かそうとしているのか。
あるいは、手は組んでいなくとも、シュリュードから嘘の連絡を入れられ、やはり逃げている二人の少女を捕まえようとしているのか。
もはや、足はふらふら。
逃げようと思っても、とても逃げ出せない。
隠れてやり過ごすという最後の選択肢は残っているが、そんなことをしたら、仲間たちは救うことができないし、悪辣(あくらつ)な奸臣に逃げられてしまう。
絶望で心が塗りつぶされそうになる。
自然と呼吸が速く、浅くなり、動揺から焦点が合わなくなって視界がぼやけて来る。
「……私(わたくし)は、伯爵を信じます」
だが、セシリアはそう決めた。
この上、アルクス伯爵にまで裏切られていたら、もはやどうすることもできないという状況なのだ。
だとすると、一か八か、乗りこんでみるしかない。
自分は王女だ、などと言ってみたところで、結局は臣下の力を得られなければ大きなことは何もできない、せいぜい大切な仲間を背負って一晩中逃げ続けることくらいしかできない、か弱い少女に過ぎないのだから。
とにかく、やってみるしかないのだ。
そう覚悟を決めると、彼女は元村娘の背負う位置を調整し直し、もはや気力だけで動かしている脚を前へ、前へと進め続けた。
ここまで来ると、もう、シュリュード男爵の追手を気にする必要もなさそうだった。
すでに領地の区分としては、ケストバレーではなくアルクス伯爵領なのだ。勝手に侵入して捜索しようとすれば、伯爵の権限を犯したことになり、大きな問題に発展しかねない。
動く者は、自分たち以外にはない。
フィーナを背負ったセシリアは黙々と歩き続け、やがて、右手の方から夜空が白み始めた。
もうすぐ、朝が来る。
「見えましたわ! 」
視界が開け、前方に城館の姿が見えると、お姫様は疲れ切った顔に笑みを浮かべていた。
基本的に王都で育った彼女は、外の世界のことをあまり知らない。当然、アルクス伯爵の城館がどのような姿をしているのかも、直接自身の目で見たこともない。
だがそれが、一晩中必死で目指し続けてきた場所であると、確信する。
ほぼ平坦な田園風景の中に、少しだけ盛り上がった丘があって、その上に石造りの大きな建物と、それを取り巻くように丘のふもとにかけて街が広がっている。街の周囲はぐるっと城壁と水堀で囲まれ、数か所に城門が設けられている。
城塞、と呼べるほどではないが、一応の籠城戦が可能なように作られた城館にはいくつかの尖塔があり、その頂点でひるがえっている旗に描かれた紋章に見覚えがあった。
赤ワイン色の布に、金の糸で刺繍された、砦を模した紋章。
それがアルクス伯爵家のものであることを、セシリアは知っていた。
自国に仕えている諸侯にはどんな家があるのか。それは、幼い頃から度々、家庭教師たちによって教え込まれてきた、王族である彼女にとっては知っていて当然の知識であったからだ。
「けんど、おねーさん。大丈夫なんだべか? 」
「なにがですの? 」
すでにつま先の感覚が鈍くなるほどに疲労が蓄積していたが、それでも目的地が見えたことで前に進む力を取り戻して突き進むお姫様に、元村娘が少し不安そうにたずねる。
「シュリュード男爵、悪者だったんだっぺ? アルクス伯爵さまも、悪者だったりしねぇべか? それに、もし、おらたちの格好を見て、おねーさんがお姫さまだって気づいてもらえなかったら……」
「大丈夫ですわ! それは、絶対にありません! 」
セシリアはフィーナの懸念を、力強く否定した。
それは、心細そうにしているのを励ますための空元気などではなかった。
自信があるのだ。
「アルクス伯爵は、お父様の良きご友人なのです。私(わたくし)も小さなころから何度もお会いしておりますが、シュリュードのように強欲で悪辣な性格などしておりません。伯爵は誠実で、なにより正義を愛し、民も大切になさっておられるお方ですわ。決して裏切ったりなさいませんし、どのような身なりであろうとも、私(わたくし)を見間違ったりするはずがありませんわ! 」
アルクス伯爵は、メイファ王国の王家からの信頼が厚い人物だった。
古くから続く名門で、かつて何度か王族との縁戚関係が持たれていた関係の深い一族である、というのもあるし、現在の当主と国王とは個人的に親しい間柄。
セシリアも何度か、遊び相手になってもらったり、先生になってもらったりして、いろいろなことを学ばせてもらい、世話を焼いてもらった記憶がある。
だからこそ、次善の策を考えている最中に真っ先に浮かんできた存在なのだ。
もし、彼にまで裏切られるようなことがあれば、完全にお手上げ、と言うほかないほどの存在だった。
「けんど、おねーさん」
これほど強く保証されたのにも関わらず、なおもフィーナは不安を消せないでいるらしかった。
「なんだかお城の方、騒がしくねーだか? まるで、戦(いくさ)の準備でもしてるみてーだべ」
「……えっ? 」
辛く苦しい旅路を乗り越え、ようやく目的地にまで到着することができる。
これで、源九郎や珠穂、ラウルを救いにケストバレーに戻り、反逆を企てた奸臣を征伐することができる。
そんな嬉しさでいっぱいになっていたお姫さまはすっかり見落としていたのだが、元村娘が言うように、確かにアルクス伯爵の城館は騒々しい様子だった。
まず、まだ日が地平線から顔を出す前だというのに、あちこちに明かりがついている。
どこだってそうなのだが、夜間は、高価な燃料を節約するために必要最小限の照明しか確保されることはない。アルクス伯爵の城館なら警備のために欠かせない明かりは夜でも灯っていておかしくはなかったが、今見えている松明やランプの光の数は、異常なほどに多かった。
まるでこれから出陣するために、急いで臨戦態勢を整えようとしているかのように。
招集が命じられ、城館や城下町で眠りについていた兵士たちが叩き起こされて、慌ただしく出撃しようとしているとしか思えない様子だった。
ちらり、と、嫌な想像が頭をよぎる。
実はアルクス伯爵もシュリュード男爵と手を組んでいて、セシリアが逃げて来るのを見越して、男爵からの要請でこちらを捕えるために兵を動かそうとしているのか。
あるいは、手は組んでいなくとも、シュリュードから嘘の連絡を入れられ、やはり逃げている二人の少女を捕まえようとしているのか。
もはや、足はふらふら。
逃げようと思っても、とても逃げ出せない。
隠れてやり過ごすという最後の選択肢は残っているが、そんなことをしたら、仲間たちは救うことができないし、悪辣(あくらつ)な奸臣に逃げられてしまう。
絶望で心が塗りつぶされそうになる。
自然と呼吸が速く、浅くなり、動揺から焦点が合わなくなって視界がぼやけて来る。
「……私(わたくし)は、伯爵を信じます」
だが、セシリアはそう決めた。
この上、アルクス伯爵にまで裏切られていたら、もはやどうすることもできないという状況なのだ。
だとすると、一か八か、乗りこんでみるしかない。
自分は王女だ、などと言ってみたところで、結局は臣下の力を得られなければ大きなことは何もできない、せいぜい大切な仲間を背負って一晩中逃げ続けることくらいしかできない、か弱い少女に過ぎないのだから。
とにかく、やってみるしかないのだ。
そう覚悟を決めると、彼女は元村娘の背負う位置を調整し直し、もはや気力だけで動かしている脚を前へ、前へと進め続けた。
0
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
前世の記憶で異世界を発展させます!~のんびり開発で世界最強~
櫻木零
ファンタジー
20XX年。特にこれといった長所もない主人公『朝比奈陽翔』は二人の幼なじみと充実した毎日をおくっていた。しかしある日、朝起きてみるとそこは異世界だった!?異世界アリストタパスでは陽翔はグランと名付けられ、生活をおくっていた。陽翔として住んでいた日本より生活水準が低く、人々は充実した生活をおくっていたが元の日本の暮らしを知っている陽翔は耐えられなかった。「生活水準が低いなら前世の知識で発展させよう!」グランは異世界にはなかったものをチートともいえる能力をつかい世に送り出していく。そんなこの物語はまあまあ地頭のいい少年グランの異世界建国?冒険譚である。小説家になろう様、カクヨム様、ノベマ様、ツギクル様でも掲載させていただいております。そちらもよろしくお願いします。
転生した体のスペックがチート
モカ・ナト
ファンタジー
とある高校生が不注意でトラックに轢かれ死んでしまう。
目覚めたら自称神様がいてどうやら異世界に転生させてくれるらしい
このサイトでは10話まで投稿しています。
続きは小説投稿サイト「小説家になろう」で連載していますので、是非見に来てください!
令和日本では五十代、異世界では十代、この二つの人生を生きていきます。
越路遼介
ファンタジー
篠永俊樹、五十四歳は三十年以上務めた消防士を早期退職し、日本一周の旅に出た。失敗の人生を振り返っていた彼は東尋坊で不思議な老爺と出会い、歳の離れた友人となる。老爺はその後に他界するも、俊樹に手紙を残してあった。老爺は言った。『儂はセイラシアという世界で魔王で、勇者に討たれたあと魔王の記憶を持ったまま日本に転生した』と。信じがたい思いを秘めつつ俊樹は手紙にあった通り、老爺の自宅物置の扉に合言葉と同時に開けると、そこには見たこともない大草原が広がっていた。
日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。
スキル【アイテムコピー】を駆使して金貨のお風呂に入りたい
兎屋亀吉
ファンタジー
異世界転生にあたって、神様から提示されたスキルは4つ。1.【剣術】2.【火魔法】3.【アイテムボックス】4.【アイテムコピー】。これらのスキルの中から、選ぶことのできるスキルは一つだけ。さて、僕は何を選ぶべきか。タイトルで答え出てた。
墓守の荷物持ち 遺体を回収したら世界が変わりました
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はアレア・バリスタ
ポーターとしてパーティーメンバーと一緒にダンジョンに潜っていた
いつも通りの階層まで潜るといつもとは違う魔物とあってしまう
その魔物は僕らでは勝てない魔物、逃げるために必死に走った
だけど仲間に裏切られてしまった
生き残るのに必死なのはわかるけど、僕をおとりにするなんてひどい
そんな僕は何とか生き残ってあることに気づくこととなりました
若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双
たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。
ゲームの知識を活かして成り上がります。
圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる