守るべきモノ

神崎

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銀色

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 外に出るともう日が暮れている。冬の日暮れはとても早い。マフラー代わりにしているショールは、首のあたりでもこもこするがとても暖かかった。泉はそう思いながら、マンションを出ていく。このマンションは、以前礼二が住んでいたところだ。家族で住んでいて、幸せだったのだろうと思う。だがそれは作られたもので、礼二は奥さんの手の平で遊ばれていただけだ。そう思いながら、泉は駅の方へ歩いていく。
 途中に小さな本屋があった。「book cafe」などの大型の書店が多い中で、個人がしている本屋は今は厳しいだろう。中から痩せた老人がシャッターを下ろそうとしている。どれくらいの売り上げが上がったのかはわからない。
 そのときバイクが店先に止まった。
「お帰り。」
「ただいま。あぁ。疲れたな。」
 ヘルメットを外したら、長い髪の男が背中のリュックを下ろす。
「おや、深川医院は休みだったのか。」
「あぁ。なんか今日は休診になってたよ。手術でも入ったんじゃないのかな。」
「明日届けてあげればいい。さぁ、食事にしようか。」
 そういって男を店の中に入れる。息子か何かが宅配をしているのだろう。個人商店ならそれが可能だ。
「テイクアウトしてないんですか?」
 店でよく言われることだった。タンブラーなどを持ってくればそれは可能だと話はしているが、紙コップなどで提供はしていない。話はあったのだが、その後に書籍コーナーへ行って本を汚されでもしたら大変だという見解らしい。
 こう言うところは大きな会社では不便だと思う。あまり柔軟なことをすれば、礼二のクビも危ないのだ。だから礼二は割と保守的なのだと思う。
 だがおそらく鈴音の店であれば、声を上げることは可能だろう。鈴音が割と聞く耳を持っているからだ。
「いけない。」
 少しつぶやいて、泉はまた駅の方へ足を運ぶ。どちらの店に行くかなどまだ考えられないが、どちらにもメリット、デメリットがある。どちらを選んでも自分の道だ。
 大通りに出て駅へ向かっていると、不意に声をかけられた。
「泉さん。」
 声をかけられて、泉は振り返る。そこには春樹の姿があった。
「春樹さん。もう仕事が終わったの?」
「うん。久しぶりに定時で帰れたよ。」
 来週からは修羅場になる。校了になるのだ。そうなれば家に帰れない日もあるかもしれない。
「今日は休みだったんだろう?どこかへ行っていた?」
「高柳さんの所に話を聞きに行ってたの。」
「あぁ。その話か。」
 春樹は少し笑って、泉をみる。順風満帆な話し合いとはいかなかったようだ。
「高柳さんって、とてもちゃらそうに見えるけれどとても仕事熱心ね。」
「そうじゃないと出来ない仕事なんだろうね。そうだ。来月号の料理雑誌に、高柳さんのレシピが載るんだ。チョコレートケーキがあっという間に出来るって。」
「バレンタインデーだものね。」
 毎年そんなモノに興味はなかったが、一応、礼二だけには用意をしていた。礼二は他の女性社員からもらうこともあったようだが、イヤな顔一つしないで受け取っていたようだ。
 今年は意味合いが違う。何か付け加えた方がいいのだろうか。
「ねぇ。春樹さん。」
「ん?」
「男の人って何をあげたら喜ぶの?」
 すると春樹は少し笑って泉を見下ろす。
「前にも同じ質問されたね。」
「そうだったっけ?」
「あのときは伊織君に向けてあげるモノって思っていたけれど、今は礼二さんか。」
「やだ。尻軽みたいなことを言わないで。」
 春樹は少し笑って、礼二を思い浮かべた。背が高くて細身で、おそらく女にもてるのだろう。
「礼二さんは、お酒が好きだからね。倫子と同じくらい飲めるみたいだ。良いワインでも送ればいいのに。」
「私が飲めないもの。」
「そうだね。二人で飲みたいか。そしたら、いつか泉さんのために勝ってきていたブドウジュースはどうかな。」
「あぁ、あれ美味しかったの。どこで買ったの?」
「そこの酒屋。」
 そういって指さしたのは、小さな酒屋だった。これでも繁華街に酒を卸しているらしい。夜中中宅配のバイクがここから出ているのだ。
「今度のぞいてみるわ。」
「そうしなよ。」
「春樹さんは期待してる?」
 倫子からもらうことだろう。すると春樹は少し笑っていった。
「あまり期待はしていないよ。彼女は、あまりこういったイベントは苦手にしているみたいだ。」
「そうね。クリスマスやら記念日やらうっとうしいっていっていたわ。」
 そのときその酒屋から一人の女性が出てくるのをみた。見覚えのある女性だった。思わず春樹は声をかける。
「芦刈さん。」
 すると芦刈真矢も春樹の方をみる。
「藤枝さん。今お帰りなの?」
「あぁ。今日は久しぶりに定時で帰れるよ。」
「いつも残業しているみたいね。」
 飾り気のない女性だ。黒縁の眼鏡と、伸ばしっぱなしの髪。黒いコートはシンプルで、トレンチコートにも見える。OLにしては飾り気がなさすぎるようだ。
「今晩は。」
「今晩は。初めまして。阿川泉と言います。あの……藤枝さんの同居人の一人です。」
「あぁ。年下ばかりと言っていたものね。芦刈真矢です。初めまして。」
 真矢はそういって名刺を取り出して、泉に手渡した。その指先もあまり飾っていない。短い爪だし逆剥けが各所に見える。
「芦刈さん。何かお酒を買ったの?」
「えぇ。お気に入りのお酒がここでしか売っていなくて。」
「家でも飲むとは思わなかったな。」
「藤枝さんは飲まないの?」
「家では同居人と飲むくらいで、一人の時は飲みたいときは出てたけどね。一人で家飲みはほとんどしなかったな。」
 すると真矢は少し笑う。あまり若くはない。春樹と同じくらいの歳だろうか。だが笑うと美人だと思った。どこか倫子に似ていると思う。
「あぁ、泉さん。彼女はね、地元の同級生なんだ。」
「そうだったんですか。親しそうだったから……何だろうって思って。」
 春樹はその言葉に驚いたように言った。
「誤解させるようなことを。」
「ごめん。ごめん。思ってもないことだったわ。」
 泉はそういって少し笑う。
「仲が本当にいいのね。春樹さんが楽しそうだわ。」
 こんな笑顔を地元にいたときに見たことがあるだろうか。本を読んでいるか泳いでいるかの姿しか見たことはなかったし、それ意外はとても無気力そうだった。
 周りの環境が人を変えるのだろう。
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