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銀色
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パソコンをシャットダウンして、春樹は少しため息をついた。公募していた新人賞は、結局該当者なしで掲載したのが批判を受けていたのだ。
時点に挙げた作家の作品は倫子の影響を受けているように思えたが、影響も受けすぎると模倣になると思う。だがましなものはこれくらいしかなかったのだ。
掲載はするが、仕事は持ち込まないだろう。春樹はそう思いながらカップに入っているコーヒーを飲み干した。
「編集長。まだ仕事があるんですか?」
加藤絵里子が、気を使って声をかける。
「ううん。もう帰るよ。」
「新人賞は気にしなくていいと思いますよ。該当者なしだったのは、そのレベルの人しかいなかったわけだし。」
「そうだね。」
絵里子から慰められると思っていなかった。春樹はそう思いながらカップを手にして席を立つ。
「じゃあ、お疲れさまです。」
「お疲れさま。」
絵里子はそういってオフィスを出ていく。今日、絵里子はきっとデートをするのだろう。相手は同じオフィスの若い男だ。絵里子に言わせると「そんなんじゃないです」と言うに決まっているが、少なくとも絵里子は少しずつ意識しているようだった。
給湯室でカップを洗い、ポケットに手を入れてハンカチを探る。するとハンカチと一緒にネックレスが出てきた。
それは十字架のモチーフがついているシルバーのネックレスで、倫子の部屋にあったものだった。結局持ってきてしまったと、春樹はそれを手にする。
倫子は装飾品が嫌いだった。クリスマスに指輪をプレゼントしたいと指の太さを聞こうと思ったとき、倫子は首を横に振って言った。
「指輪って書くのに邪魔だわ。ブレスレットもそう。」
「ネックレスは?」
「いつの間にかどっかいっているし、ピアスもそう。もっと実用的なものがいいわ。ほら、プリンターのインク切れかけてるし。」
さすがにクリスマスプレゼントがプリンターのインクというのは、あまりにも色気がない。なので春樹はいつも首もとが寒そうだと思っていた倫子に、肌触りのいいマフラーをプレゼントしたのだ。すると倫子は思いの外喜んでくれて、外に出るときはいつもそのマフラーをしているようだ。
それなのにどうしてネックレスなんかを持っていたのだろう。誰かのプレゼントなのだろうか。それとも持っていたのだろうか。大事に取っておかないといけない人がいるのだろうか。
疑問が浮かんで自分がどす黒くなりそうだと思う。
「藤枝編集長。」
向こうから夏川英吾がやってきた。英吾のところは、先週校了だったため、今は割と余裕があるようだ。
「夏川編集長。お帰りですか。」
「えぇ。藤枝編集長のところは、来週あたりですかね。」
「校了ですか。えぇ。」
「そっちもバックナンバーが欲しいと言われているんでしょう?」
「小泉先生ですか。」
「えぇ。ちょっと異常な感じでしたね。今は漫画雑誌の方がね。」
浜田のところはまだてんやわんやしている。増刷が追いついていないのだ。
「上からは小泉先生に連載を頼めないのかと言われてますけどね。」
「無理でしょう。漫画雑誌の方の連載も決まっているし、俺のところもまだ辞めれない。これ以上はオーバーワークですよ。」
「だと思いました。なので、折を見て短編を頼めないかと思って。つまりですね。そちらの作品の番外編的な感じで、官能を書いてもらえないかと。」
「短編なら、良いというかもしれませんね。話をしておきます。」
掲載中の「夢見」がおそらく夏頃に終わる。そしてその次を書きたいと、倫子はいくつかプロットを用意しているようだ。その中のものはいずれも濡れ場がある。官能のジャンルを書くというのは、難しくはないだろう。
「それから……ちょっと話があるんですけどね。」
「個人的な?」
「えぇ。後で駅まで一緒できます?」
「かまいませんよ。」
「じゃ、後で。」
夏川はそういって行ってしまった。女関係のことではないだろう。夏川の方がそういったところの経験値は高い。ただ女関係にだらしないだけだ。
「模倣?」
コンビニの灰皿の前で、夏川はため息をついていった。
「えぇ。先月号が小泉先生のおかげで爆発的に売れた。その分、他の作家のものも多くの人が手にすることになったんですよ。それが徒になったようです。」
「隠微小説」は「月刊ミステリー」のように新人のための小説対象などを用意していない。だが小説を書いて送ってくれた人の中で良いというものがあれば、巻末あたりに載せることもあるのだ。
だがその中の一つに、有名な官能小説家に酷似した作品が載っていると言われているらしい。
「内容はそれほど似ていると思わなかったんです。でも言い回しとか、設定とかは酷似している。」
コンビニの明かりだけで「隠微小説」を開く。確かにどこかで見たことのあるような言い回しだ。だが生徒と教師が教室でセックスをするなんていうシチュエーションはありふれていて、使い回されている気がする。
「上は何と?」
「増刷をしているから今更回収はできない。今発刊しているものは、削除をしていますけどね。」
「……しかし……これでパクリなんて言われたら、本当に何も出来ませんよ。」
「小泉先生のものは、言われませんか。」
夏川はそういって灰皿に煙草の灰を落とす。
「無いですね。言われたこともないですし、他社のものも聞いたことはないです。」
倫子は本をよく読むようだが、それに影響されることはない。執筆をしているときは本を読まないし、読むときは酒のアテにしていることもあるのだ。
春樹はその逆でよく本を読んでいる。似たようなものがないのかとチェックの意味もあるのだがそれはただのいいわけで、本当は自分が読みたいだけなのだ。
「順調なんですね。」
「え?」
「そっちの方です。」
「えぇ。」
最近は忙しくてキスすら出来ていない。セックスはおそらく今年に入ってしていない。それでも順調だと思う。
ダブルサイズの布団に入り、朝になると倫子が横で眠っている。それだけで十分だった。
「……この間……たまたま大学の時の後輩に会ってですね。」
「あぁ……。」
「独身でした。ずっと一人だったと。結婚を意識した人は居たが、お互いに別の道を歩いた。結婚する気も、男とつきあう気もない。セックスをする意味も分からない。一人で生きていきたいと言われてですね。」
「そういう人も居ますね。」
女がひっきりなしの夏川にとってはそういうタイプの女は未知の人だろう。だから意識し始めたのかもしれない。
「戸惑いますよ。そんな人もいるのかと思ってね。」
「しなかったらしなくて良いという人は居ますよ。夫婦になってもセックスレスという人も居て、それでもお互いが満足できているのですから。」
「そんなもんなんですかね。藤枝編集長は、しなくて良いと思いますか。昔はずいぶん淡泊だって、奥さんから相談されたこともあるんですけどね。」
「そんな相談をしていたんですか。」
驚いて夏川をみる。すると夏川は、苦笑いをした。
「昔のことですよ。時効です。」
参ったな。そう思いながら、春樹は煙草を灰皿に捨てる。そのとき、春樹の携帯電話がなった。取り出して相手を見ると、メッセージのようでそれを開くと店名と地図が載っている。
「あぁ……。」
今朝、たまたま芦刈真矢と一緒になったのだ。文芸バーの話に花が咲き、その店のことを教えて欲しいと言ったのを思い出した。倫子がこういう空間が好きだろう。今度連れて行きたいと思う。
そしてポケットに入っているネックレスの真意を聞きたい。
時点に挙げた作家の作品は倫子の影響を受けているように思えたが、影響も受けすぎると模倣になると思う。だがましなものはこれくらいしかなかったのだ。
掲載はするが、仕事は持ち込まないだろう。春樹はそう思いながらカップに入っているコーヒーを飲み干した。
「編集長。まだ仕事があるんですか?」
加藤絵里子が、気を使って声をかける。
「ううん。もう帰るよ。」
「新人賞は気にしなくていいと思いますよ。該当者なしだったのは、そのレベルの人しかいなかったわけだし。」
「そうだね。」
絵里子から慰められると思っていなかった。春樹はそう思いながらカップを手にして席を立つ。
「じゃあ、お疲れさまです。」
「お疲れさま。」
絵里子はそういってオフィスを出ていく。今日、絵里子はきっとデートをするのだろう。相手は同じオフィスの若い男だ。絵里子に言わせると「そんなんじゃないです」と言うに決まっているが、少なくとも絵里子は少しずつ意識しているようだった。
給湯室でカップを洗い、ポケットに手を入れてハンカチを探る。するとハンカチと一緒にネックレスが出てきた。
それは十字架のモチーフがついているシルバーのネックレスで、倫子の部屋にあったものだった。結局持ってきてしまったと、春樹はそれを手にする。
倫子は装飾品が嫌いだった。クリスマスに指輪をプレゼントしたいと指の太さを聞こうと思ったとき、倫子は首を横に振って言った。
「指輪って書くのに邪魔だわ。ブレスレットもそう。」
「ネックレスは?」
「いつの間にかどっかいっているし、ピアスもそう。もっと実用的なものがいいわ。ほら、プリンターのインク切れかけてるし。」
さすがにクリスマスプレゼントがプリンターのインクというのは、あまりにも色気がない。なので春樹はいつも首もとが寒そうだと思っていた倫子に、肌触りのいいマフラーをプレゼントしたのだ。すると倫子は思いの外喜んでくれて、外に出るときはいつもそのマフラーをしているようだ。
それなのにどうしてネックレスなんかを持っていたのだろう。誰かのプレゼントなのだろうか。それとも持っていたのだろうか。大事に取っておかないといけない人がいるのだろうか。
疑問が浮かんで自分がどす黒くなりそうだと思う。
「藤枝編集長。」
向こうから夏川英吾がやってきた。英吾のところは、先週校了だったため、今は割と余裕があるようだ。
「夏川編集長。お帰りですか。」
「えぇ。藤枝編集長のところは、来週あたりですかね。」
「校了ですか。えぇ。」
「そっちもバックナンバーが欲しいと言われているんでしょう?」
「小泉先生ですか。」
「えぇ。ちょっと異常な感じでしたね。今は漫画雑誌の方がね。」
浜田のところはまだてんやわんやしている。増刷が追いついていないのだ。
「上からは小泉先生に連載を頼めないのかと言われてますけどね。」
「無理でしょう。漫画雑誌の方の連載も決まっているし、俺のところもまだ辞めれない。これ以上はオーバーワークですよ。」
「だと思いました。なので、折を見て短編を頼めないかと思って。つまりですね。そちらの作品の番外編的な感じで、官能を書いてもらえないかと。」
「短編なら、良いというかもしれませんね。話をしておきます。」
掲載中の「夢見」がおそらく夏頃に終わる。そしてその次を書きたいと、倫子はいくつかプロットを用意しているようだ。その中のものはいずれも濡れ場がある。官能のジャンルを書くというのは、難しくはないだろう。
「それから……ちょっと話があるんですけどね。」
「個人的な?」
「えぇ。後で駅まで一緒できます?」
「かまいませんよ。」
「じゃ、後で。」
夏川はそういって行ってしまった。女関係のことではないだろう。夏川の方がそういったところの経験値は高い。ただ女関係にだらしないだけだ。
「模倣?」
コンビニの灰皿の前で、夏川はため息をついていった。
「えぇ。先月号が小泉先生のおかげで爆発的に売れた。その分、他の作家のものも多くの人が手にすることになったんですよ。それが徒になったようです。」
「隠微小説」は「月刊ミステリー」のように新人のための小説対象などを用意していない。だが小説を書いて送ってくれた人の中で良いというものがあれば、巻末あたりに載せることもあるのだ。
だがその中の一つに、有名な官能小説家に酷似した作品が載っていると言われているらしい。
「内容はそれほど似ていると思わなかったんです。でも言い回しとか、設定とかは酷似している。」
コンビニの明かりだけで「隠微小説」を開く。確かにどこかで見たことのあるような言い回しだ。だが生徒と教師が教室でセックスをするなんていうシチュエーションはありふれていて、使い回されている気がする。
「上は何と?」
「増刷をしているから今更回収はできない。今発刊しているものは、削除をしていますけどね。」
「……しかし……これでパクリなんて言われたら、本当に何も出来ませんよ。」
「小泉先生のものは、言われませんか。」
夏川はそういって灰皿に煙草の灰を落とす。
「無いですね。言われたこともないですし、他社のものも聞いたことはないです。」
倫子は本をよく読むようだが、それに影響されることはない。執筆をしているときは本を読まないし、読むときは酒のアテにしていることもあるのだ。
春樹はその逆でよく本を読んでいる。似たようなものがないのかとチェックの意味もあるのだがそれはただのいいわけで、本当は自分が読みたいだけなのだ。
「順調なんですね。」
「え?」
「そっちの方です。」
「えぇ。」
最近は忙しくてキスすら出来ていない。セックスはおそらく今年に入ってしていない。それでも順調だと思う。
ダブルサイズの布団に入り、朝になると倫子が横で眠っている。それだけで十分だった。
「……この間……たまたま大学の時の後輩に会ってですね。」
「あぁ……。」
「独身でした。ずっと一人だったと。結婚を意識した人は居たが、お互いに別の道を歩いた。結婚する気も、男とつきあう気もない。セックスをする意味も分からない。一人で生きていきたいと言われてですね。」
「そういう人も居ますね。」
女がひっきりなしの夏川にとってはそういうタイプの女は未知の人だろう。だから意識し始めたのかもしれない。
「戸惑いますよ。そんな人もいるのかと思ってね。」
「しなかったらしなくて良いという人は居ますよ。夫婦になってもセックスレスという人も居て、それでもお互いが満足できているのですから。」
「そんなもんなんですかね。藤枝編集長は、しなくて良いと思いますか。昔はずいぶん淡泊だって、奥さんから相談されたこともあるんですけどね。」
「そんな相談をしていたんですか。」
驚いて夏川をみる。すると夏川は、苦笑いをした。
「昔のことですよ。時効です。」
参ったな。そう思いながら、春樹は煙草を灰皿に捨てる。そのとき、春樹の携帯電話がなった。取り出して相手を見ると、メッセージのようでそれを開くと店名と地図が載っている。
「あぁ……。」
今朝、たまたま芦刈真矢と一緒になったのだ。文芸バーの話に花が咲き、その店のことを教えて欲しいと言ったのを思い出した。倫子がこういう空間が好きだろう。今度連れて行きたいと思う。
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