守るべきモノ

神崎

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露呈

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 そのカーディガンを脱がせて、すぐにわかった。セーターが広く襟刳りがあいている。そこを引くとすぐに入れ墨とともに夕べの情事の跡が残っていた。これも春樹が付けたと思うと腹が立つ。
 だが今はそれだけではない。八つ離れた妹が行方不明になり、やっと見つかったと思ったら殺人罪で逮捕された。
 正当防衛が認められた上、直接の殺人に関わっていないとわかっても、妹は精神がぎりぎりだった。一時期病院へ入院したこともある。やっと忘れられて、やっとまともに大学へ行くことも出来た。恋人だっているときいている。全ては過去で、全て忘れる日がやってくると思っていた。
 だが倫子の文章で嫌でも思い出させる。その怒りを倫子にぶつけるしかなかった。
 セーターの下から手を入れて、乱暴に胸に触れた。下着のカップから乳首を出して、それを乱暴に引っ張る。
「や……。ちょっと……。」
「何だよ。その赤い顔。夕べさんざんセックスしてんだろ。足りないのか?あぁそうだったな。お前も一度に何人も相手してんだもんな。藤枝さんだけで足りないのか。」
「バカにしないでよ。」
 そう言って倫子はその手を引き離した。
「好きでしたんじゃないわ。」
「お前にもその証拠がないんだろ?妹にも言われたよ。男を誘ったんじゃないかって。母親が残した遺書に「こんな子供に育てた覚えはなかった」って言われた娘の気持ちなんかわからないんだろう。」
「同じことを私も言われたわ。でも私には何もなかった。そしてあなたの妹のように、誰もかばってくれなかったのよ。だから……一人で何とかしようとしたの。その方法をあなたに何も言われる筋合いはない。」
「そのために忘れようとしたことを思い出させるような真似しやがって。それでも人間か。」
 倫子の目からは涙がこぼれていた。どうしてこんな人が自分の周りにはいなかったのだろう。何があっても自分を信じてくれる人がいなかったのだろう。
 その事件の資料を読んだとき、倫子はうらやましいと思ったのだ。きっとこの少女を信じてくれる人が周りにいたのだろう。親が信じなくても、信じてくれる人がいる。
 倫子は顔を押さえて、絞り出すように政近に言う。
「弟が……あなたの妹とつきあっていると言っていた。」
「……優しい奴だな。お前と違って。」
「弟は何も知らないから……。けれどあなたの妹のことは知ってた。だから弟があの本を見つけたとき、あなたと同じような反応をした。人の過去すらネタなのかって……。」
「……。」
「この話を書いたのは……私の嫉妬もあった。それと同時に、声を上げなければ何もかもがなかったことにされてしまう。被害者が黙ってしまっていては、次の被害者がでるから。」
「……。」
「無かったことにしてはいけないの。」
 妹に言い聞かせるように、そして自分に言い聞かせるような口調だった。
 その様子に政近は頭をかくと、灰皿で煙を立てている煙草を消す。そして倫子を引き寄せるとその胸に抱きしめた。そして後ろ頭をなでる。
「俺がいるから。」
「……あなたじゃない。」
 口ではそう言うのに、倫子はその温もりを心地良いと思ってしまった。春樹ではなくこの細い体が、全てを包み込んでくれていると思う。
 震えている倫子の体を少し離すと、倫子はまだうつむいていた。だがその頬を持ち上げると、倫子はまだ泣いているように目が潤んでいる。そっとその涙を拭くと、倫子の広角が少し上がった。
「何だよ。」
「切れてる。」
 口の端が切れて血がにじんでいる。倫子が噛んだのだ。
「お前が噛んだんだろう?」
 口元にあいているピアスの横が切れていて、もう一つピアスをあけたように見えた。
「舐めれば治りが早いんだろう。舐めろよ。」
「嫌よ。」
 倫子はそう言って体を避けようとした。だが政近がそれを止める。
「何?」
「ここのシーツも洗うか。」
 その意味がわかり倫子は首を横に振る。
「嫌。仕事をしたい。」
 パソコンをせっかく開いたのに自動でスリープ状態になっている。修正を求められている仕事を、今日中に終わらせたい。

 やっと昼休みになって、春樹はため息をついた。そして携帯電話のメッセージをチェックする。政近は確かに倫子の所へ来たそうだが、少し家事の手伝いをしたあとすぐに帰って行ったらしい。
 それを信じていいのかわからないが、確かめることも出来ない。何せ、仕事が山積みだ。出版する本のチェック、新人賞の選考、雑誌の打ち合わせ、それに加えて担当作家の作品のチェック。倫子のことを考える暇も与えられなかった。
「編集長。今日、飯行きません?」
「昼?」
「ちょっと相談したいこともあって。」
 ライターの男だった。小説家にはなれなかったが、文章力はあるのでここのライターとして籍を置いたらしい。
「良いよ。社食で良い?」
 社員食堂が地下にある。日替わりで二種類しかない食堂だが、毎日違うメニューなので飽きることはないのだ。
「うーん。ちょっと社食じゃ……。すぐそこのラーメン屋さん行きませんか。」
 徹夜にラーメンはきついな。出来ればもっとさっぱりしたモノが良い。
「若いねぇ。ラーメンはもう胃にもたれてきてね。」
「あ、そうなんですか。じゃあ……定食屋に行きましょうか。」
 会社の中では話したくないことなのだろうか。そう思いながら春樹は、コートを羽織る。

 カウンターに並んでメニューを頼むと、男は出された温かいおしぼりで手を拭く。春樹もそれで手を拭いた。
「何か相談があるの?」
 春樹はこの性格で、よく相談事を持ちかけられる。あまりにも持ちかけられたときは、自分が何の職業をしているのかわからなくなることもあるが。
「……この間、他の会社から話が来て。」
「ヘッドハンティングされたってこと?」
 確かにこの男の文章は目を見張るモノがある。慎重な男で、確認に確認を重ねるので遅くなるだけだ。だがそんな人の方が使えるのは、春樹もわかっている。だから信用できるのだ。
「えぇ。で……給料面も良いし……子供もそろそろ金がかかる時期になるし、奥さんも乗ってみればいいのにって言ってきてて。」
 春樹もそんな話がなかったわけではない。だが未来のことも倫子のこともあり、その話に乗らなかっただけだ。もし何も考えずに背負うモノがなければ、自分もそうしていたかもしれない。
 しかしこの男がいなければ、次が簡単に見つかるというわけではない。
「どこの会社?」
「西島出版が無くなったじゃないですか。そこを買い取ったところがあって、そこに入らないかと。」
 その言葉に春樹は少し言葉を失った。青柳が手を下そうとしているのだ。春樹から力を削いでいこうとでもしているのだろうか。
「……はっきり会社の名前がわかる?」
「それは……。」
「どこに誘われているのかわかっているの?」
 その言葉に男が声を詰まらせる。給料面と待遇だけで目がくらんだのだろうか。
「……胡散臭いとは思ってます。でもこのままじゃ、子供の一人も育てられないんです。」
 春樹は少しため息をついて、店員が前から定食を運んできたのを見ていた。
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