守るべきモノ

神崎

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同居

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 無事だった本や身の回りのモノをトランクルームに入れた。それを手伝ったのは伊織や倫子だった。当初、保証が利かないと言っていた管理会社の女性も、結局敷金の一部を差し引いたモノを返還されるという話でまとまる。言い負かしたのは倫子だったかもしれない。こう言うときは強いと思う。そうではないと、一人で作家などやっていられないのだ。
 泉のいる「book cafe」でコーヒーを三人は飲みながら、ため息を付く。いろいろな手続きをしたり、荷物を運んでいたらもう夕方になっていたのだ。
「明日からホテル暮らしですか?」
 伊織はそう聞くと、春樹は少し苦笑いをして言う。
「そうだね。良い部屋があるといいんだけど。」
「会社の近くに住めばいいのに。」
「家賃が高くてね。」
 ビジネスマンが多いこの街の家賃は、1Kの部屋でも驚くほど高い。大学の近くだったし、築年数が相当経っていたので相当安かった部屋から考えると、家賃にこんな金額を払うのはたまらないだろう。
「藤枝さん。大変でしたね。」
 ほかのテーブルを片づけたカップを手にした泉も、同情するように春樹に声をかける。
「今まで楽したツケかな。」
「あのアパートは取り壊されるんですね。」
 倫子はそう言ってコーヒーを口にする。そして泉を見上げた。
「泉。うちに藤枝さんが来てもらうって言うのは有りかしら。」
 その言葉に伊織も泉も驚いたように倫子を見る。
「え?藤枝さんが?」
 倫子の言葉に一番驚いていたのは、春樹本人だった。思わずコーヒーを噴きそうになった。せき込んで、おしぼりで口を押さえる。
「倫子。俺には聞かないの?」
 不満そうに伊織が言うと、倫子は少し笑って言う。
「あなたにも聞いた方が良いの?あなたは聞かなくても良いよって言うかと思って。不満なの?」
「いいや。そうじゃないよ。ただ……同居している身としては、他の住人が来るのに一言相談してほしいなと思ったんだ。」
「そうね……それはそうね。伊織は有りと思う?」
「……俺は良いよ。」
「私も別に異存はないわ。でも、藤枝さん自体はどうなの?こんな年下ばかりのところにいてもいいの?」
 望んでもないことだ。昨日、倫子からここに住まないかと言われた。それに乗ってみようと思ったのは事実なのだから。
「歳の差は感じない。ただ……。」
「何ですか?」
「みんな平口だったら、もっとやりやすいと思って。あぁ、小泉先生は、仕事の時は平口はしないけど。」
「仕事は仕事でしょ?家に帰ってまで先生なんて呼ばれたくない。」
 そんな大それた人間じゃない。倫子はずっとそう思っていたのだ。
「阿川さん。オーダー詰まってるよ。」
 カウンターの向こうで礼二が、泉に声をかける。立ち話をしすぎた。そう思いながら泉は、カウンターへ向かう。そして少し期待をした。これから春樹が一緒に住むのだ。
 春樹には奥さんがいる。倫子に手を出すことはない。それくらい誠実な人なのだから。自分の母親とは違うのだ。そう思っていた。
「家賃なんだけど……。」
 倫子はそう言って春樹に話を始めた。

 次の日から春樹は、倫子の家に間借りすることになった。住所の変更を役所にして各手続きを済ませたり、トランクルームから本を運び出したり、身の回りのモノを運んだりして結局落ち着いたのはそれから一週間後のことだった。
 基本、春樹の帰りは遅い。校了前は帰れないこともあるがそんなときは連絡を一つ入れておけば夕食は用意しないし、帰れば洗濯物が畳んで部屋に置いてある。悪くない同居生活だ。
 ただ一つ不満があるとすれば、倫子と触れ合えないことだろうか。倫子はあれからずっと仕事の遅れを取り戻そうと部屋に閉じこもっていた。春樹が帰ってくると、夕食は済ませているが気を使ってお茶を向かい合っての見ながら雑談をすることもあるが、ほとんど顔を合わせなかった。
 それに伊織の目も厳しい。伊織は倫子に気があるのだ。手を出したことを知っている春樹に、もう二度と手を出されたくないとでも思っているのだろう。
 春樹は募集していた小説を読みながらため息を付く。誤字や脱字が多い。もっと読み直してから送って欲しいと思う。手書きではない今の小説を書く手法は、ほとんど誤字がないはずなのに使う表現が違ったりするといらっとする。もっと国語を勉強して欲しいと思っていた。
「あー。何これ。」
 隣で同じ作業をしている絵里子も、同じことを思ったのかもしれない。
「ったく。これで小説家になろうと思ってんのかしら。」
「そう言わない。みんな、誰でも一年生だ。」
 春樹はそう言って、コーヒーを口にする。
「トリックは悪くないけれど、表現が稚拙で伝わってこない人なんかもいますね。」
「そういう人は別にしておいて。」
「え?」
「浜田さんからメッセージが来てるから。」
「浜田って……青年向けのマンガ雑誌の?」
「そう。原作者を捜しているみたいだ。」
 マンガ雑誌の編集者が、推理モノの漫画を連載させたいと言ってきているのだ。本当だったら倫子に頼みたいと言っていたのだが、倫子は今忙しすぎる。頼めばやってくれるかもしれないが、倫子のことだ。きっと無理をしてでもやろうとするだろう。
「小泉先生を押さないんですか?」
 絵里子から言われると思ってなかった。春樹は少し笑うと、首を横に振る。
「小泉先生は忙しそうだ。他社の依頼も断らないみたいだし。」
「映画がヒットしたのが大きいですよね。あぁ……噂で聞いたんですけど、スマホ向けのゲームアプリの原作をするとか。」
「そうらしいよ。」
「……そんなに稼いでどうするんだか。」
 家のためにしていることだ。なぜあの家にこだわるのかはわからないし、どうして自分を住まわせようと思ったのかもわからない。
 そのときだった。春樹のパソコンに社内メールが来た。それを開くと、企画書が出てくる。
「マンガ雑誌か……。」
 浜田という担当者はしぶとい。どうしても倫子に仕事をさせたいらしいのだ。読み切りの話を一話描いて欲しいと春樹に申し出てきた。
「……一応話をしてみるか。」
 一話短編だったら良いというかもしれないし、その見返りにもよるだろう。そう思って浜田にメッセージを送っておいた。
「浜田さんですか?」
「うん……あいつもしつこいものだ。」
 後輩の浜田高臣は、おそらく倫子が一番嫌がるタイプだろう。だが仕事となれば、倫子に話をしないといけない。倫子にメッセージを送っておこう。そう思って携帯電話を取り出す。
 そのときだった。
「お疲れさん。」
 オフィスに入ってきた男に目を留める。それは同じ出版社の官能小説の担当をしている夏川英吾だった。相変わらずちゃらいと思いながら、メッセージを送る。
「藤枝編集長。」
「どうしました。」
 メッセージを送り終えて、春樹は英吾の方を見る。
「今度、小泉先生に短編を書いてもらいたいって言っておいてくださいよ。」
「短編?」
 この間、使えないと言ってリジェクトしたばかりなのに、何の風の吹き回しだろう。
「この間、連載始まった「花柳」ですけど。」
「はぁ……。」
 遊郭の話だった。だから濡れ場は多いが、それに惹かれたのだろうか。
「番外編みたいな感じで書いてもらえないかと。」
「無理ですね。」
 春樹はそう言って首を横に振る。
「どうして。」
「この間、夏川さんは先生に「使えない」と言ったばかりですから。」
 その言葉に絵里子は驚いたように英吾を見た。まさか作家にそんな軽率なことを言うと思っていなかったからだ。
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