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同居
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四人で住むようにになって一ヶ月が過ぎようとしていた。その間、お盆がやってきて四人が実家へ帰ったりする用事がない限り、四人はここで生活をする。
泉はここ最近夜が遅い。終電ぎりぎりにならないと帰れないらしく、夕食はもっぱら伊織の仕事になっていた。どうやらクリスマスに向けたデザートの案が採用されたらしく、その関係で本社に行くことが多いらしい。
今日も終電だった。口の中が甘い。泉はそう思いながら、自転車置き場へ向かった。すると後ろから声をかけられる。
「泉さん。」
振り向くとそこには春樹の姿があった。
「春樹さん。」
「ずいぶん遅かったんだね。」
「春樹さんこそ。」
当初は「春樹さん」と呼ぶのも抵抗があった。何せ憧れの春樹なのだから。だがその憧れは自分の作り上げた幻想だと、最近になって思うようになった。
家の中で遠慮をしない春樹は、暑いからと言ってハーフパンツ一枚で家をうろうろしていることも多い。中年だが中年太りしていないし、むしろがっちりした春樹の体は当初こそ照れたが今は空気の一部のようだ。
「俺のところ、明日から校了でね。」
「あぁ……だったら、夜いらないよね。伊織に言っとかないと。」
「二人はもう食事を済ませたのかな。」
「たぶんね。」
食事もなるべく塩辛いモノが良い。口の中がチョコレートとコーヒーで気分が悪くなりそうだ。
「泉さんはクリスマスのスイーツだっけ。」
「うん。うちそんなにスイーツに力を入れてなかったのになぁ。」
「ただの珈琲屋では、誰も寄ってこないって事かもね。何かしらの変化がないと。」
雑誌もそうだ。何かしらの注目されているモノがない限り、読者は手に取ってくれないのだ。その点では、倫子や他の作家には感謝をしないといけないだろう。
「先月号売れてたみたい。」
「うちの雑誌?」
「手にしてコーヒーを飲みに来る人が多かったから。」
「活字離れって言われているみたいだけど、そんな話を聞くとそうでもないのかなって思えるよ。」
「その……倫子の作ったモノも良いみたいだけど、最近、売れてる作家がいるでしょう?男性の……ほら、パソコンのCMに出てる……。」
「荒田先生かな。あぁ。そうだった。今度、倫子さんに確認しないといけなかった。」
来月出るものではなく再来月に出る雑誌の目玉企画として、倫子と荒田夕の対談を載せるのだ。倫子は渋っていたようだが、夕は乗り気だという。
倫子はあんな軽薄そうな男が好きだとは思えないが。
「倫子。大丈夫かなぁ。」
「え?」
自転車を引きながら、泉は不安そうに言う。
「倫子って、あぁいう性格でしょう?気に入った人とは一緒に住んでも良いけれど、気に入らない人はすぐに切り捨てるから。」
「そうだね。だから「淫靡小説」の話は断ったみたいだ。」
「今書いてるのの、番外編を書いて欲しいって言ってたヤツ?」
「そう。とりつくしまもないくらいにね。」
夏川英吾が直接倫子に連絡をしたらしい。だが倫子は「書きません」と言って、それ以降連絡を取りたがらないのだという。よっぽど嫌われたのだろう。
「でも……うちのSNSのアカウントには、せっかくの遊郭の話なんだから官能の部分でも読んでみたいという声はあがっている。」
「倫子は、書けないの?」
「そうでもないよ。一度書いてもらったモノを読んだことはある。だけどね……。」
あの性趣向では、きっと読む人も限られるだろう。それこそ、特殊な性癖のある人であれば飛びつくかもしれないが。
「でも倫子の文章って、とても読みやすくなったわ。昔とは違う。」
「昔?」
「大学の時、文芸部に入ってたの。私、そこで倫子と知り合ったんだけど。そこで文化祭の時同人誌を発行したことがあるの。」
「泉さんも書いたの?」
「そうね。」
「それは読んでみたいな。」
「やめてよ。なんか恥をさらすみたい。」
泉はそう言って少し笑う。
「難しい表現ばかり使ってた。当時の部長が、もっとわかりやすく書いた方が良いって言ってたけれど、倫子は折れなかったもんね。」
「……。」
「芸術性を求めてたみたい。文章と芸術って相反するみたいに思えるけれど、実はとてもよく似てる。」
すると春樹は少し笑っていった。
「泉さんも感受性は強いね。」
「え?」
「どうして泉さんは小説を書こうと思わなかったの?」
すると泉は少しため息を付いていった。
「文章は書くより読む方が好きってわかったから。ほら、映画好きな人が役者にはならないって言うのと同じようなもの。」
「なるほどね。」
「春樹さんは?」
「俺は、ただ本が好きなだけだよ。本をもっと見直に感じて欲しいと思うから。」
「春樹さんらしい。」
やがて家にたどり着いて、泉は自転車を停める。そして家の中に入り、お互いの荷物を部屋に置くと居間を通って台所へ向かう。
「やった。今日塩鯖だ。」
醤油を追加して食べたい。泉はそう思いながらそれを取り出す。
「良いねぇ。お浸しと……。」
そのとき後ろから声がした。
「お帰り。」
倫子がぼさぼさの頭のまま、台所へやってきた。手にはコップが握られている。おそらく、今日は一歩も家から出ていないのだろう。
「ただいま。」
「今日の塩鯖は、塩が利いてたわよ。」
「ますます良いねぇ。口の中がチョコレートだらけで甘くってさ。」
「あぁ。クリスマススイーツだっけ。」
倫子はそう言ってコップにお茶を注ぐ。
「他社の締め切りだっけ?」
「そう。やっと納品できたわ。でも三日後にはまた違うところの締め切り。」
「ゲームのヤツはどう?」
「とりあえず今日、プロットを送ってこのまま進めて欲しいって来た。」
「クローズド・サークルに?」
「えぇ。孤島にしたの。」
しかし少し情報が足りない。そもそも島へなど行ったことがないのだ。
「……仕事の合間を見て、取材へ行きたい。」
お茶をコップに入れると、倫子は居間へ戻って座り込む。そして携帯電話でウェブ情報を調べ始めた。
「クローズド・サークルなら、島設定じゃなくても良かったんじゃない?」
春樹はそう言って塩鯖の載った皿をテーブルに運ぶ。
「後は雪山とか、密室とか。」
「最初、家の中だけと思ってたんだけど、それだと世界が小さすぎるんだって。」
「携帯だとそうなのかな。」
春樹もゲームをしたりする方ではない。こう言うことは伊織の方が詳しいはずだが、今日は伊織は出てこない。
「伊織君は?」
「食事をしたら今日は出て行ったわね。」
「珍しい。飲みに行ったりあまりしないのに。」
温めなおした味噌汁を置いて、二人は席に着くとその食事を口にし始めた。そのときだった。
「ただいま。」
伊織の声がした。だがその口調は少し暗い。
泉はここ最近夜が遅い。終電ぎりぎりにならないと帰れないらしく、夕食はもっぱら伊織の仕事になっていた。どうやらクリスマスに向けたデザートの案が採用されたらしく、その関係で本社に行くことが多いらしい。
今日も終電だった。口の中が甘い。泉はそう思いながら、自転車置き場へ向かった。すると後ろから声をかけられる。
「泉さん。」
振り向くとそこには春樹の姿があった。
「春樹さん。」
「ずいぶん遅かったんだね。」
「春樹さんこそ。」
当初は「春樹さん」と呼ぶのも抵抗があった。何せ憧れの春樹なのだから。だがその憧れは自分の作り上げた幻想だと、最近になって思うようになった。
家の中で遠慮をしない春樹は、暑いからと言ってハーフパンツ一枚で家をうろうろしていることも多い。中年だが中年太りしていないし、むしろがっちりした春樹の体は当初こそ照れたが今は空気の一部のようだ。
「俺のところ、明日から校了でね。」
「あぁ……だったら、夜いらないよね。伊織に言っとかないと。」
「二人はもう食事を済ませたのかな。」
「たぶんね。」
食事もなるべく塩辛いモノが良い。口の中がチョコレートとコーヒーで気分が悪くなりそうだ。
「泉さんはクリスマスのスイーツだっけ。」
「うん。うちそんなにスイーツに力を入れてなかったのになぁ。」
「ただの珈琲屋では、誰も寄ってこないって事かもね。何かしらの変化がないと。」
雑誌もそうだ。何かしらの注目されているモノがない限り、読者は手に取ってくれないのだ。その点では、倫子や他の作家には感謝をしないといけないだろう。
「先月号売れてたみたい。」
「うちの雑誌?」
「手にしてコーヒーを飲みに来る人が多かったから。」
「活字離れって言われているみたいだけど、そんな話を聞くとそうでもないのかなって思えるよ。」
「その……倫子の作ったモノも良いみたいだけど、最近、売れてる作家がいるでしょう?男性の……ほら、パソコンのCMに出てる……。」
「荒田先生かな。あぁ。そうだった。今度、倫子さんに確認しないといけなかった。」
来月出るものではなく再来月に出る雑誌の目玉企画として、倫子と荒田夕の対談を載せるのだ。倫子は渋っていたようだが、夕は乗り気だという。
倫子はあんな軽薄そうな男が好きだとは思えないが。
「倫子。大丈夫かなぁ。」
「え?」
自転車を引きながら、泉は不安そうに言う。
「倫子って、あぁいう性格でしょう?気に入った人とは一緒に住んでも良いけれど、気に入らない人はすぐに切り捨てるから。」
「そうだね。だから「淫靡小説」の話は断ったみたいだ。」
「今書いてるのの、番外編を書いて欲しいって言ってたヤツ?」
「そう。とりつくしまもないくらいにね。」
夏川英吾が直接倫子に連絡をしたらしい。だが倫子は「書きません」と言って、それ以降連絡を取りたがらないのだという。よっぽど嫌われたのだろう。
「でも……うちのSNSのアカウントには、せっかくの遊郭の話なんだから官能の部分でも読んでみたいという声はあがっている。」
「倫子は、書けないの?」
「そうでもないよ。一度書いてもらったモノを読んだことはある。だけどね……。」
あの性趣向では、きっと読む人も限られるだろう。それこそ、特殊な性癖のある人であれば飛びつくかもしれないが。
「でも倫子の文章って、とても読みやすくなったわ。昔とは違う。」
「昔?」
「大学の時、文芸部に入ってたの。私、そこで倫子と知り合ったんだけど。そこで文化祭の時同人誌を発行したことがあるの。」
「泉さんも書いたの?」
「そうね。」
「それは読んでみたいな。」
「やめてよ。なんか恥をさらすみたい。」
泉はそう言って少し笑う。
「難しい表現ばかり使ってた。当時の部長が、もっとわかりやすく書いた方が良いって言ってたけれど、倫子は折れなかったもんね。」
「……。」
「芸術性を求めてたみたい。文章と芸術って相反するみたいに思えるけれど、実はとてもよく似てる。」
すると春樹は少し笑っていった。
「泉さんも感受性は強いね。」
「え?」
「どうして泉さんは小説を書こうと思わなかったの?」
すると泉は少しため息を付いていった。
「文章は書くより読む方が好きってわかったから。ほら、映画好きな人が役者にはならないって言うのと同じようなもの。」
「なるほどね。」
「春樹さんは?」
「俺は、ただ本が好きなだけだよ。本をもっと見直に感じて欲しいと思うから。」
「春樹さんらしい。」
やがて家にたどり着いて、泉は自転車を停める。そして家の中に入り、お互いの荷物を部屋に置くと居間を通って台所へ向かう。
「やった。今日塩鯖だ。」
醤油を追加して食べたい。泉はそう思いながらそれを取り出す。
「良いねぇ。お浸しと……。」
そのとき後ろから声がした。
「お帰り。」
倫子がぼさぼさの頭のまま、台所へやってきた。手にはコップが握られている。おそらく、今日は一歩も家から出ていないのだろう。
「ただいま。」
「今日の塩鯖は、塩が利いてたわよ。」
「ますます良いねぇ。口の中がチョコレートだらけで甘くってさ。」
「あぁ。クリスマススイーツだっけ。」
倫子はそう言ってコップにお茶を注ぐ。
「他社の締め切りだっけ?」
「そう。やっと納品できたわ。でも三日後にはまた違うところの締め切り。」
「ゲームのヤツはどう?」
「とりあえず今日、プロットを送ってこのまま進めて欲しいって来た。」
「クローズド・サークルに?」
「えぇ。孤島にしたの。」
しかし少し情報が足りない。そもそも島へなど行ったことがないのだ。
「……仕事の合間を見て、取材へ行きたい。」
お茶をコップに入れると、倫子は居間へ戻って座り込む。そして携帯電話でウェブ情報を調べ始めた。
「クローズド・サークルなら、島設定じゃなくても良かったんじゃない?」
春樹はそう言って塩鯖の載った皿をテーブルに運ぶ。
「後は雪山とか、密室とか。」
「最初、家の中だけと思ってたんだけど、それだと世界が小さすぎるんだって。」
「携帯だとそうなのかな。」
春樹もゲームをしたりする方ではない。こう言うことは伊織の方が詳しいはずだが、今日は伊織は出てこない。
「伊織君は?」
「食事をしたら今日は出て行ったわね。」
「珍しい。飲みに行ったりあまりしないのに。」
温めなおした味噌汁を置いて、二人は席に着くとその食事を口にし始めた。そのときだった。
「ただいま。」
伊織の声がした。だがその口調は少し暗い。
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