守るべきモノ

神崎

文字の大きさ
上 下
46 / 384
同居

46

しおりを挟む
 雨の音が心地よく、倫子は少しその音を聞きながら眠っていたようだ。目を開けると、つっと自分の目の端から涙がこぼれていることに気が付く。それを拭って倫子は起きあがる。
 時計を見ると、数時間は眠っていたようだ。ぐっと延びをして、先ほどよりもすっきりした頭のまま布団を片づける。
 そして資料を整理した後、軽く部屋の掃除をした。
 それから部屋を出ると、台所へ向かった。他の三人はいない。雨がやんできているので、帰っているとか仕事へいったとかだろう。
 倫子はお茶を入れると、そのカップを手にして部屋へまた戻ろうとした。そのとき、居間に伊織が入ってきた。
「起きた?」
「少し眠ってたみたい。二人は?」
「藤枝さんは帰ったし、泉は仕事へ行ったよ。電車がもう動き出したみたいだ。」
「そう……。」
 家に二人だ。倫子はきっと夕べのことを無かったことにしようと思っているのかもしれない。自然にその横を行こうとしていた。
「倫子。」
「何?」
「……借りた小説の続き、借りに行ってもいい?」
「どうぞ。」
 倫子はそういうと部屋へ向かう。その後を伊織もついて行った。
 部屋の中は相変わらず煙草と本の少しかび臭い匂いがする。棚や資料のせいか、この部屋は他の部屋よりも少し広めに作っている割には狭く感じる。
 置いているパソコンやテーブルのせいもあるのかもしれない。
「面白かった?」
「あぁ。どうしてこの小説、売れないんだろうね。」
「いい小説が売れるとは限らないのよ。担当編集者や販売元がしっかり売り込んでくれないと。」
 その面では春樹に感謝している。倫子のデビュー作である「白夜」のプロモーションは、抜かりがなかったからだ。今はあまりすることはないが、サイン会や対談をすることもあったりして徐々に売れていったのだ。そのおかげもあって、他の出版社から出す本は名前だけで売れているような気がする。
「藤枝さんに感謝しないとね。」
「そうね。そうじゃなきゃ、こんな家に住むこともなかったでしょう。」
 春樹が倫子の小説を書籍化するという話を持ちかけたとき、上層部からは反対の声があがったらしい。それは倫子の小説が一部の層にしか受け入れられないのではないかということだった。
 「白夜」の表記は、殺人のシーンも、犯人が自白するシーンも、どことなく生々しく、心が摘まれるようだと思ったからだ。しかし上層部の反対の声とは裏腹に、倫子の小説はとても売れた。一部の層から火がついたようなものだったが、きっかけはテレビのタレントがおすすめの本と言って進めたからだ。
 伊織は本を手にして、そしてその「白夜」も手にしてみる。ハードカバーの本の帯には、そのタレントの顔写真が載っている。
「これ、映像化したんだっけ。」
「えぇ。映画になった。今度ソフト化するらしいわ。」
「観た?」
「試写会の時にね。人によっていろんな捉え方があるなぁって思ったけど……。」
 その表情は不満だったらしい。
「イヤだった?」
「正直ね。」
 倫子らしい言葉だ。おそらくどんな映像にしても倫子は納得しないだろう。倫子の頭の中を写すことは出来ないのだから。
「あなたの表紙もよかったのね。あなたの表紙が一番私の頭の中のイメージを映し出してる。」
 倫子も立ち上がって、伊織が持っている本に手を伸ばした。
「俺はこの本を読んで、一番印象的だったところをイメージして描いただけだよ。」
「ってことは……逃亡先の国をイメージして?」
「そういうこと。」
 この話は最終的に犯人が逃亡する。その国は氷と雪で覆われているのだ。そこに冬眠するように、犯人は自ら命を絶つ。雪と氷日が飛び散るその白と赤をイメージしたのだろう。
「どうしてあなたは私の思い入れがあるところがわかるのかしら。」
「え?」
「出してくるデザインは、いつも私が気に入っているシーンをイメージして作ってくれてる。きっと……一緒なのね。感覚が似ているんだわ。」
「……。」
「それは感謝してる。」
 倫子はそういって本をしまった。それ以上の感情はないといわれているようで、伊織は持っている本を握った。
「……倫子。」
「でもそれ以上の感情はないの。藤枝さんにしてもそう。私は本が作りたい。それだけしかないの。」
「だったらどうして藤枝さんと……。」
「全ては嘘だから。」
「嘘?」
「私の気持ちは変わらない。藤枝さんも奥さんしか見てない。ただ疑似で言葉にしている。そうすれば何か変わるかもしれないから。」
 自暴自棄になっている。そう思えた。二人がそんな感覚でセックスをしたのだろうか。
「本当に好きな人としないと意味はないよ。」
「他人を好きだと思ったことはないの。それに好きだと思われてもその人が迷惑になる。私は欠陥品だから。」
 ずっとそう言われてきた。だからずっとあの建物の中に籠もっていた。本特有の匂いと、目が覚めるようなコーヒーの匂いのするあの場所に。
「俺は……好きだよ。」
「私じゃない。」
「倫子。」
「私じゃない人を見て。」
 そのとき伊織は倫子を棚に押しつけた。衝撃で本が数冊床に落ちる。戸惑っている倫子が伊織から顔を背けた。こんな時、男が何をするのかわかるからそれを拒否したのだ。
「やだ……。」
 すると伊織はその倫子の頬を流れている涙を拭う。だが倫子はうつむいて拒否しようとしている。だがその伊織の手の先を見た。わずかに震えている。そうだ。伊織もまた傷を負っていて、その一歩が踏み出せないのだ。
「伊織。やめて。」
 それでも抵抗して、その手を離そうとした。だが伊織はその手のふるえを押さえて、倫子の頬に手を添える。そして少しかがむと、その頬にキスをする。
「や……。」
 首を横に振って、倫子は拒否しようとした。だが伊織はその頬を支えると、ぐっと近づいていく。
「ん……。」
 軽く触れた。それだけで伊織の頬が赤く染まっている。そして倫子も諦めたように伊織をじっと見ていた。そして再び伊織が倫子の唇にキスをする。唇を割り、舌を求める。それでも倫子の手が伊織に回ることはなかった。
「倫子……。」
 抱きしめようと手を伸ばしたときだった。仕事机の上に置いておいた倫子の携帯電話が鳴る。倫子はすぐに伊織から離れると、涙を拭ってその電話をとる。
「はい……。はい。見ました。どこまで出来るかはわかりませんが……えっと……今度、プロットを見てもらっても……。」
 もう仕事になっている。伊織のことなど目に入っていないようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
恋愛
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...