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六、番鳥
(三)
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「――陛下。ジェスさまが無事に僧院に到着されたと、報告がありました」
「そうか。ご苦労」
それだけ言って、また元の書面に目を戻す。
執務用に整えられた机の上には、目を通さなければいけない報告書、奏上書、新たな法の草案などさまざまな書が積み上がってる。ザッと目を通すだけで良いもの、ジックリ考えねばならぬもの。終わりのない執務のなか、そんな一私事に関わっている暇はない。ない――が。
(無事……か)
心の中、ホッと胸をなでおろす。
異母弟ジェスが向かったのは、皇都から北西にある僧院。馬でも一ヶ月かかる距離にあるその場所に彼を送った。わずか十三歳の異母弟。その長旅による疲労と重なる心労に体調を崩していないか、気にしてなかったと言えば嘘になる。
――皇后、ならびに皇弟ジェス、汝らを謀反の嫌疑により捕らえる。
そう発したのは自分だ。
父帝の薨去から一ヶ月後。
父の皇后、異母弟、皇后の一族を謀反の罪で捕らえた。罪状は、前皇后、皇太后、そして皇帝の弑逆。重ねて行われた皇太子の暗殺未遂。
母も祖母も父も、表向き病死とされたが実際は違う。立后するために邪魔だった母を殺し、遺児となった皇子を皇太子に据えた祖母も排除し、長く傀儡として操った父は、不要とみなされ毒を盛られた。
じわじわと命を削られ、長く床についていた父が亡くなった時が、政変の合図。
政治を専横していた皇后派か。それとも雌伏の皇太子か。
先んじたのは、こちら側だった。
皇后とその父、丞相による政治の専横に不満を抱いていた者たちを味方につけ、皇后の一族を大逆の罪で捕らえた。すべての罪を明るみにし、それから処刑した方がいいと言う者もいたが、捕らえた者たちは、その翌日には刑に処した。皇后と丞相を始めとする一族は斬首。丞相の一派で事件に関わっていた者は絞首。
ただ、ジェスだけは、まだ十三歳の子どもであること、皇帝に即位した自分の唯一の弟であることに温情をかけ、皇位剥奪の上、僧院幽閉とした。
あの異母弟が、自分の母と祖父の罪をどこまで理解していたのか知らない。だがジェスは、こちらが行った捕縛処刑に対して異を唱えることもなく、従容としてそれを受け入れた。
出立の時も、「遠く地の果てにて僧形となり、陛下の御世の永久弥栄を祈念いたします」と静かに頭を下げた。こちらを見つめる真紅の眼差しに怒りの炎はなく、静かな湖面のように凪いでいた。
母を亡くした彼は、これから何を思い、何のために生きていくのだろうか。唯一の兄弟なのに、共に暮らせないこと、扶けあっていけないこと。それがとても辛く胸を押しつぶした。
(リュカが知ったら、どう思うんだろうな)
ジェスの母親を奪ったこと。醜い政争を繰り広げた僕のことを。
帝室とはそういうものだと、僕を慰めるのだろうか。それとも、なんでそんなことしたんだよと泣いて僕を叱りつけるのだろうか。
想像したところで、答えはわからない。
生き延びるために、皇后たちを殺した。殺さなければ、こちらが謀反の疑いで殺されていた。父帝が薨去して、どうして皇太子である自分が「謀反」を企むのか。そんなことしなくても、自然と帝位は転がり込んでくるのに。だが実際に、皇后のもとに踏み込んだ時、そのような謀略を巡らせていた事実が発覚した。あと一歩遅ければ、斬首されていたのは僕の方だった。
やらなければ、やられる。だから僕は彼らを捕らえて殺し、この手を朱に染めてでも生き延びた。弟を幽閉した。
両親や祖母、自分を守って死んだライゼルの仇を討ったわけじゃない。ただ自分が生きたくて、生き延びたくてやった。何度も毒を盛られ襲われ、「死んだほうがましだ」と思うまでに追い詰めてきた奴らを、憎しみのままに処刑した。
「――陛下。お茶を淹れましたので、一服なさってはいかがですか?」
コトリと、書の山積した机に茶器が置かれる。馥郁とした茶の香りが鼻孔をくすぐる。だけど。
「いらない」
今はそのような余裕はない。茶を飲んでる暇があるなら、積み上がった書類に目を通し、その山を切り崩す。
「そのようなことをおっしゃらずに。せっかく淹れたんですから、召し上がってくださいよ。さっきからずっと書類とニラメッコしたままじゃないですか」
顔も上げない自分に、なおも食い下がるセイハ。
「いらないと言ってるだろう」
「ええ~っ。せっかく最高に旨い茶が淹れられたのにぃ。冷めたら不味くなりますから、飲んでくださいよ」
「だったら、お前が飲め」
「なんで自分で淹れたのを、自分で飲まなきゃいけないんですか。淋しすぎますし、バカじゃないですか、そんなの」
「勝手に淹れるのが悪いんだろ」
僕が欲しがったわけでもないのに。
冷めようが、不味くなろうが僕には関係ない。バカでもなんでも自分で飲め。
――下を労るのが上の努めっ!
――心配してる人がいたら、それを安心させてやるのが人ってやつだろうがっ!
「――陛下?」
深く息を吐いて茶器を手に取り、グイッと中身を飲み干す。
「不味くはない」
それだけ言って、また書面に視線を戻す。セイハが「どうして?」と首を傾げたが、飲もうと思った理由は語らないでおく。
(これでいいか? いらぬ心配に応えてやったぞ)
胸の中で問いかける。
「そういえば陛下、また陳情があがっておりますが、いかがいたしますか?」
仕事に戻った僕に合わせ、セイハが茶汲みから近侍に戻った。
「何度陳情されても変える気はない。そう伝えておけ」
陳情の内容は聞かなくてもわかっている。
「ですがねえ、陛下。慣例から思いっきり外れてるじゃないですか、アレ」
「外れたからなんなのだ」
「なんなのだって開き直られても……。後の史家が困ることになると、みな憂いておりますよ。陛下の御世をどう書き記せばいいのか、頭を悩ませることになると。史家が頭痛持ちになりそうだって」
「放っておけ」
セイハを始め、みなが気にしているのは、即位と同時に発布した元号。
朱烏。
本来元号には、皇帝の持つ力を象徴した色の文字を使用する。先帝、父の場合は「黄嘉」。目が琥珀色、土の力を持っていたからそう名付けれていた。その慣例に従えば、自分の元号は「青」を含むものになるはずだが、あえてそれをしなかった。
「朱」はジェスの力の色。弟との悲劇を忘れないため、そして殺し殺された者の血の上に立っていることを忘れないため。凄惨な政変の上に今があるのだと言う意味で採用した。
「烏」は大切な人の目の色。純粋で直情的でお人好しで。閉じこもりがちだった僕のなかにズケズケと入ってきて、その足跡を、忘れられない笑顔を残していった。僕の手を離れ東の、太陽の昇る方へと飛び立っていた瑞鳥。
ジェスとリュカ。
二人のことを忘れないため、二人のことを胸に刻むため、元号は「朱烏」とした。どれだけ陳情されても、これを変える気はない。変えてはいけない。
「まったく。陛下は『こう!』って言い出したら、絶対曲げない方だから……って、陛下? どこに行かれるんですか?」
「図書寮だ。二、三、調べたいことがある」
慌てるセイハを置いて扉へと向かう。
「いや、ちょっと待ってくださいよ、陛下! 執務の次は調べ物だなんて、どんだけ働く気なんですか。いつか倒れてしまいますよ!」
「お前がか?」
「陛下がですよ!」
「ハハッ。それなら問題ない」
部下であるセイハが倒れるのでなければ。リュカに叱られることもない。
「――問題大アリだろ、バカ」
取っ手に手をかけるより早く、扉が外に向いて開かれる。
「お前また、『僕なんて放っておけばいいんだ~』とか言ってねえだろうな」
「……リュ……カ」
声がかすれた。
「よっ。久しぶりだな。元気にしてたか?」
扉の先、会いたくて会いたくてたまらなかった彼が、僕を見て目を細めた。
「そうか。ご苦労」
それだけ言って、また元の書面に目を戻す。
執務用に整えられた机の上には、目を通さなければいけない報告書、奏上書、新たな法の草案などさまざまな書が積み上がってる。ザッと目を通すだけで良いもの、ジックリ考えねばならぬもの。終わりのない執務のなか、そんな一私事に関わっている暇はない。ない――が。
(無事……か)
心の中、ホッと胸をなでおろす。
異母弟ジェスが向かったのは、皇都から北西にある僧院。馬でも一ヶ月かかる距離にあるその場所に彼を送った。わずか十三歳の異母弟。その長旅による疲労と重なる心労に体調を崩していないか、気にしてなかったと言えば嘘になる。
――皇后、ならびに皇弟ジェス、汝らを謀反の嫌疑により捕らえる。
そう発したのは自分だ。
父帝の薨去から一ヶ月後。
父の皇后、異母弟、皇后の一族を謀反の罪で捕らえた。罪状は、前皇后、皇太后、そして皇帝の弑逆。重ねて行われた皇太子の暗殺未遂。
母も祖母も父も、表向き病死とされたが実際は違う。立后するために邪魔だった母を殺し、遺児となった皇子を皇太子に据えた祖母も排除し、長く傀儡として操った父は、不要とみなされ毒を盛られた。
じわじわと命を削られ、長く床についていた父が亡くなった時が、政変の合図。
政治を専横していた皇后派か。それとも雌伏の皇太子か。
先んじたのは、こちら側だった。
皇后とその父、丞相による政治の専横に不満を抱いていた者たちを味方につけ、皇后の一族を大逆の罪で捕らえた。すべての罪を明るみにし、それから処刑した方がいいと言う者もいたが、捕らえた者たちは、その翌日には刑に処した。皇后と丞相を始めとする一族は斬首。丞相の一派で事件に関わっていた者は絞首。
ただ、ジェスだけは、まだ十三歳の子どもであること、皇帝に即位した自分の唯一の弟であることに温情をかけ、皇位剥奪の上、僧院幽閉とした。
あの異母弟が、自分の母と祖父の罪をどこまで理解していたのか知らない。だがジェスは、こちらが行った捕縛処刑に対して異を唱えることもなく、従容としてそれを受け入れた。
出立の時も、「遠く地の果てにて僧形となり、陛下の御世の永久弥栄を祈念いたします」と静かに頭を下げた。こちらを見つめる真紅の眼差しに怒りの炎はなく、静かな湖面のように凪いでいた。
母を亡くした彼は、これから何を思い、何のために生きていくのだろうか。唯一の兄弟なのに、共に暮らせないこと、扶けあっていけないこと。それがとても辛く胸を押しつぶした。
(リュカが知ったら、どう思うんだろうな)
ジェスの母親を奪ったこと。醜い政争を繰り広げた僕のことを。
帝室とはそういうものだと、僕を慰めるのだろうか。それとも、なんでそんなことしたんだよと泣いて僕を叱りつけるのだろうか。
想像したところで、答えはわからない。
生き延びるために、皇后たちを殺した。殺さなければ、こちらが謀反の疑いで殺されていた。父帝が薨去して、どうして皇太子である自分が「謀反」を企むのか。そんなことしなくても、自然と帝位は転がり込んでくるのに。だが実際に、皇后のもとに踏み込んだ時、そのような謀略を巡らせていた事実が発覚した。あと一歩遅ければ、斬首されていたのは僕の方だった。
やらなければ、やられる。だから僕は彼らを捕らえて殺し、この手を朱に染めてでも生き延びた。弟を幽閉した。
両親や祖母、自分を守って死んだライゼルの仇を討ったわけじゃない。ただ自分が生きたくて、生き延びたくてやった。何度も毒を盛られ襲われ、「死んだほうがましだ」と思うまでに追い詰めてきた奴らを、憎しみのままに処刑した。
「――陛下。お茶を淹れましたので、一服なさってはいかがですか?」
コトリと、書の山積した机に茶器が置かれる。馥郁とした茶の香りが鼻孔をくすぐる。だけど。
「いらない」
今はそのような余裕はない。茶を飲んでる暇があるなら、積み上がった書類に目を通し、その山を切り崩す。
「そのようなことをおっしゃらずに。せっかく淹れたんですから、召し上がってくださいよ。さっきからずっと書類とニラメッコしたままじゃないですか」
顔も上げない自分に、なおも食い下がるセイハ。
「いらないと言ってるだろう」
「ええ~っ。せっかく最高に旨い茶が淹れられたのにぃ。冷めたら不味くなりますから、飲んでくださいよ」
「だったら、お前が飲め」
「なんで自分で淹れたのを、自分で飲まなきゃいけないんですか。淋しすぎますし、バカじゃないですか、そんなの」
「勝手に淹れるのが悪いんだろ」
僕が欲しがったわけでもないのに。
冷めようが、不味くなろうが僕には関係ない。バカでもなんでも自分で飲め。
――下を労るのが上の努めっ!
――心配してる人がいたら、それを安心させてやるのが人ってやつだろうがっ!
「――陛下?」
深く息を吐いて茶器を手に取り、グイッと中身を飲み干す。
「不味くはない」
それだけ言って、また書面に視線を戻す。セイハが「どうして?」と首を傾げたが、飲もうと思った理由は語らないでおく。
(これでいいか? いらぬ心配に応えてやったぞ)
胸の中で問いかける。
「そういえば陛下、また陳情があがっておりますが、いかがいたしますか?」
仕事に戻った僕に合わせ、セイハが茶汲みから近侍に戻った。
「何度陳情されても変える気はない。そう伝えておけ」
陳情の内容は聞かなくてもわかっている。
「ですがねえ、陛下。慣例から思いっきり外れてるじゃないですか、アレ」
「外れたからなんなのだ」
「なんなのだって開き直られても……。後の史家が困ることになると、みな憂いておりますよ。陛下の御世をどう書き記せばいいのか、頭を悩ませることになると。史家が頭痛持ちになりそうだって」
「放っておけ」
セイハを始め、みなが気にしているのは、即位と同時に発布した元号。
朱烏。
本来元号には、皇帝の持つ力を象徴した色の文字を使用する。先帝、父の場合は「黄嘉」。目が琥珀色、土の力を持っていたからそう名付けれていた。その慣例に従えば、自分の元号は「青」を含むものになるはずだが、あえてそれをしなかった。
「朱」はジェスの力の色。弟との悲劇を忘れないため、そして殺し殺された者の血の上に立っていることを忘れないため。凄惨な政変の上に今があるのだと言う意味で採用した。
「烏」は大切な人の目の色。純粋で直情的でお人好しで。閉じこもりがちだった僕のなかにズケズケと入ってきて、その足跡を、忘れられない笑顔を残していった。僕の手を離れ東の、太陽の昇る方へと飛び立っていた瑞鳥。
ジェスとリュカ。
二人のことを忘れないため、二人のことを胸に刻むため、元号は「朱烏」とした。どれだけ陳情されても、これを変える気はない。変えてはいけない。
「まったく。陛下は『こう!』って言い出したら、絶対曲げない方だから……って、陛下? どこに行かれるんですか?」
「図書寮だ。二、三、調べたいことがある」
慌てるセイハを置いて扉へと向かう。
「いや、ちょっと待ってくださいよ、陛下! 執務の次は調べ物だなんて、どんだけ働く気なんですか。いつか倒れてしまいますよ!」
「お前がか?」
「陛下がですよ!」
「ハハッ。それなら問題ない」
部下であるセイハが倒れるのでなければ。リュカに叱られることもない。
「――問題大アリだろ、バカ」
取っ手に手をかけるより早く、扉が外に向いて開かれる。
「お前また、『僕なんて放っておけばいいんだ~』とか言ってねえだろうな」
「……リュ……カ」
声がかすれた。
「よっ。久しぶりだな。元気にしてたか?」
扉の先、会いたくて会いたくてたまらなかった彼が、僕を見て目を細めた。
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