上 下
29 / 30
六、番鳥

(四)

しおりを挟む
 「どうし……て。どうして、ここに」

 驚く皇子の声がかすれた。

 「どうしてって。そりゃお前の治療をするために決まってんだろ」

 オレ、また診察してあげてほしいって頼まれたから来たんだけど?

 「オッサン、コイツに何も伝えてなかったのかよ」

 皇子の後ろにいたオッサンに尋ねる。皇子もふり返り、「セイハ、お前」とオッサンを睨む。で、当のオッサンは、ピッピピ~と明後日の方を見ながら口笛を吹く。説明、逃げたな。

 「オレはさ、またお前の体調が思わしくないって、オッサンに聞いたからここに来たんだ。具合の悪い患者がいれば、それを診るのが治癒師の仕事だからな――、ってこら。またそうやって睨んで萎縮させる。オッサンの胃が悪化するだろ」

 ゴンッと、鈍い音を立てて皇子の頭を小突く。

 「お前、かりにも皇帝の頭を――」

 「それより、五年ぶりか。お前、相変わらず色白いまんまだし。ある程度大きくなったみたいだけど――チビだな」

 皇子の文句を無視して、勝手にズカズカと室の中に入っていく。
 さっき向かい合って立ったかんじでは、皇子の背はオレより頭一つ分低い。さっきの拳だって、ゲンコツを落としやすい位置に頭があった。

 「きみが大きくなりすぎなんだ」

 遅れて戻った皇子が口を曲げた。

 「そうか?」

 言われて自分の体を見回すけど、オレが大きくなりすぎなのか、皇子がちっちぇえのか。判断はつかない。

 「それよりさ。オレ、お前のためにタップリ薬を仕入れてきたから。一回、ちゃんと診察させろ」

 ドスッと牀の上に行李を下ろす。中に入っているのは、この五年の間に集めたさまざまな薬種。

 「お前、またちゃんと食ってねえだろ。それに寝てねえ。ほら、目の下にクマが出来始めてるぞ」

 隣に立った皇子のまぶたに触れる。まぶたの裏は白っぽく、目の下はうっすら青黒い。
 それらの症状は、皇子の貧血と寝不足を表してる。目の青さは相変わらずで、とんでもなくキレイなぶん、その体調不良は、よけいにもったいないと思った。

 「どうして……」

 「あん?」

 「どうして戻ってきたりしたんだ。きみは放逐されたんだぞ」

 皇太子暗殺未遂の嫌疑をかけられて。戻ってきたら命はないと脅されて。

 「あのなあ。あんな状態の患者を放っておけるほど、オレはデキた治癒師じゃねえんだよ」

 皇子に向き直る。

 「お前がぶっ倒れたのがオレの調合した薬のせいだって言うのなら、その原因を突き止める。そして、滋養強壮薬程度で昏睡するような弱っちいお前の体を治す。それが治癒師ってもんだ」

 何があっても患者を見捨てない。それがじいちゃんから受け継いだ信条。オレの薬で昏倒したってのならなおさらだ。

 「オレはな、次にお前がぶっ倒れてもいいように、いろんな薬を集めてきたんだよ。これだけあれば、いつだってお前を治してやれる」

 「リュカ……」

 まあ、本当はコイツの「薬のせいで昏睡状態に陥った」っての、嘘だってわかってたんだけど。
 オレが牢に打ち込まれてた時、オッサン言ったんだもん。「昏睡状態にある皇子からの温情でオレは放逐となった」って。昏睡って、意識もないのに、オレの罪に温情をかけられるか?
 それと渡されたオレの行李。中には治癒師としての道具だけじゃなく、路銀もぎっちり詰まってたし、なんなら真新しい外套まで入れてあった。
 オレがいた村に、時折行商で訪れてたロンガもそう。アイツはオッサンの細作で、放逐されたオレのことを見守ってたんだって。だから、「朱烏」って元号を聞いてオレがどんな反応をするか見てたし、オレが皇都に戻るって決めたら、オッサンに連絡を取って、帰る手筈を整えてくれた。

 オレがここにいてはいけないから、オレを守るためにわざと追い出した。

 こんだけ条件が揃えば、それぐらいの察しはオレでもつく。なんたって蔵子に閉じ込められて、丸焼けにされる一歩手前だったし。
 オレがここにいたら、また命を狙われる。どうしてオレが狙われるのかは知らねえけど、次も襲われて、同じように助かるとは限らない。
 それを危惧した皇子が、「薬による殺害未遂の罪」を作り上げ、オレを守ろうとした。
 さすがに、そこまで追い詰められ悩んでくれてる皇子に、「治癒師なんだから、ここに居させろ」とは言えない。オレだって、もしじいちゃんの命が狙われてるとなったら、似たようなことをするだろう。自分を守った近侍が亡くなったことを、自分のせいだと責め続けてた皇子に、これ以上負担をかけちゃいけない。そう思った。
 でもまあ、最初はそんなこと露ほども思わなくて、しばらく「どうしてだよ」って怒ってたけどな。

 「ってことで、ほら、ちゃんと見せろ」

 軽く膝を曲げ、目線を同じ高さに合わせる。――やっぱキレイだな、コイツの目。

 「オッサンからの手紙じゃあ、お前、仕事に追われすぎて全然休んでねえってあったけど、他にどっか悪いとこねえか?」

 「手紙、やり取りしてたのか?」

 「まあ、な。それより、やっぱ肌がカサついてるな。ハリがねえ」

 内臓の調子が悪いのか? それともただの栄養不足か、心労か。パッと見ただけでは、その原因はわからない。

 「――やめろ。僕に触るな」

 「んだと?」

 また、診られたくないとか言い出すのか? 皇子の両頬を包んだ手が、パンッと弾かれた。

 「僕は汚れている。きみも知ってるんだろう? 僕が何をしたのか」

 顔をそむけ、床に視線を落とした皇子。

 「継母だった皇后を殺し、丞相を殺した。ジェスの皇位を剥奪して僧院に幽閉した。皇帝になるために、たくさんの血を流したんだよ」

 自分のしたことを苦々しく思っているのだろう。眉根を寄せ、唾棄するように言葉を紡ぐ。

 「それが何だって言うんだよ」

 弾かれた手を、もう一度皇子に向かって伸ばす。今度は手だけじゃない。

 「お前はどこも汚れてねえよ、ほら」

 「リュッ、リュカ!」

 その体をギュッと抱きしめてやったら、皇子が目をまん丸にした。

 「お前はどこも汚れてねえよ。昔と変わらねえ」

 腕に力を込め、囁くように告げる。

 「もし、お前が汚れてるっていうのなら、オレも一緒に汚れてやる」

 生きることを「穢れ」と言うのなら。生き残るためにあがき、もがいたことを「穢れ」と忌み嫌うのなら。オレも一緒に穢れてやる。
 皇后や丞相を殺したことは、人として正しいことなのかどうか。そんなのオレにはわからねえ。ジェスを幽閉したことだって、「どうしてだよ!」って非難することは簡単だ。けど、コイツがそうするに至るまで、ざんざん悩んだろうことを、オレは知っている。コイツは、そんな冷酷非情なやつじゃない。

 「ほら、オレをいっぱい汚せ。ほれほれ」

 皇子の手を掴み、ペタペタと強引にオレに触らせる。オレの顔、首、肩、腕。汚し足りねえってのなら、もっと触れ。オレを汚せ。オレも一緒に、お前の咎を背負ってやるからよ。一人で何もかも背負い込むな。

 「バカだな、きみは」

 「うっせ。バカって言ったやつのほうがバカなんだぞ」

 ニッと笑ってやると、同じように笑おうとした皇子の目から涙が溢れた。
  
 「バカだ、よ……、きっ、みは……。大バカ、だ……っ!」

 皇子の声は言葉にならなかった。大粒の涙と嗚咽。それを受け止めたくて、震える体を再び抱きしめる。

 「リュ……カ……!」

 胸に、オレを呼ぶ声が染みる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

恋の終わらせ方がわからない失恋続きの弟子としょうがないやつだなと見守る師匠

万年青二三歳
BL
どうやったら恋が終わるのかわからない。 「自分で決めるんだよ。こればっかりは正解がない。魔術と一緒かもな」 泣きべそをかく僕に、事も無げに師匠はそういうが、ちっとも参考にならない。 もう少し優しくしてくれてもいいと思うんだけど? 耳が出たら破門だというのに、魔術師にとって大切な髪を切ったらしい弟子の不器用さに呆れる。 首が傾ぐほど強く手櫛を入れれば、痛いと涙目になって睨みつけた。 俺相手にはこんなに強気になれるくせに。 俺のことなどどうでも良いからだろうよ。 魔術師の弟子と師匠。近すぎてお互いの存在が当たり前になった二人が特別な気持ちを伝えるまでの物語。 表紙はpome bro. sukii@kmt_srさんに描いていただきました! 弟子が乳幼児期の「師匠の育児奮闘記」を不定期で更新しますので、引き続き二人をお楽しみになりたい方はどうぞ。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

ヒロインの兄は悪役令嬢推し

西楓
BL
異世界転生し、ここは前世でやっていたゲームの世界だと知る。ヒロインの兄の俺は悪役令嬢推し。妹も可愛いが悪役令嬢と王子が幸せになるようにそっと見守ろうと思っていたのに…どうして?

好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない

豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。 とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ! 神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。 そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。 □チャラ王子攻め □天然おとぼけ受け □ほのぼのスクールBL タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。 ◆…葛西視点 ◇…てっちゃん視点 pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。 所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

処理中です...