あなたに逢うために。

若松だんご

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第六夜。

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 ピンポーン、ピンポーン……。

 その機械的な音に目を覚ます。
 今、何時?
 ボヤンとした頭では、思考が働かない。
 それなのに。

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……。

 インターフォン、うるさい。
 いつの間にか暗くなってる部屋を、ノソノソと歩いていく。

 (誰よ、こんな時間に……)

 「……はい?」

 不機嫌なままにドアを開ける。
 と、グイッと扉を引っ張られ全開にされた。

 「瀬田……」

 そこに立っていたのは、私以上に不機嫌な顔をした瀬田だった。
 仕事帰りなのか、背広を着た彼が、口をへの字に曲げている。

 「お前、いい加減にしろよ」

 低い、けどメッチャ怒ってる声。

 「いつになったら仕事に出てくるんだよ。電話もつながらないし」

 え!? ああ……。

 薄暗い部屋のなかに視線を戻す。
 スマホ、充電忘れてる。ほったらかしだったから、電池が切れたんだろう。

 「ゴメン。心配かけた」

 素直に謝ると、瀬田が大げさに息を吐きだした。

 「……あんなことがあったから、出社しにくいのはわかるけどよ」

 あさっての方を見ながら呟かれる。
 やっぱり、あの鍋の夜のことを気にしてるんだ。

 「オレのことは無視していいから、ちゃんと仕事しに来いよ」

 「……いい。仕事辞める」

 「………は!? 辞めるって、おい」

 「仕事したくないの。ああ、でも、別にアンタとのことが原因じゃないから。安心して」

 仕事したくない理由は瀬田じゃない。
 ホント、一身上の都合。

 「じゃあね」

 これ以上話したくなくて、ドアを閉める。
 ―――が。

 「待てよっ!!」
 
 乱暴に、強引にドアを開けられた。

 「いきなり辞めるって、仕事したくないって、なんなんだよっ!!」

 押し入るように身を乗り出される。閉めようとしたドアはその体で阻止された。

 「お前、いっつも仕事頑張ってたじゃねーかっ!! 石山の野郎に何言われたって、一生懸命やってたじゃねーかっ!! それを今さら投げ出すのかよっ!!」

 「もう、どうでもいいのよっ、そんなのっ!!」

 「よくねーよっ!!」

 声を張り上げたら、それ以上の音量で怒鳴られた。

 「オレは、どんな時でも真面目に頑張ってるお前が好きだったんだっ!! 打たれても負けない、お前の力になりたかったんだっ!! それなのに……、それなのにっ……!!」

 語尾が沈んでいく。
 普通なら、胸熱くなって感涙するところなんだろうけど。今の私は、うつろに彼を見てるだけだった。
 感情をどこかに置き忘れてる。
 こうして感情をぶつけられることを、煩わしいと思ってる。
 放っておいて。私に構わないで。

 「杏里……」

 瀬田が呼ぶ。突然手首を掴まれた。
 引き寄せられると、その勢いのままに噛みつくようなキス。

 「ンッ…、んんっ!!」

 激情のままにキスされ、抱きしめられる。背中を壁にぶつけられ、逃げ場がない。
 いつもなら、こんな情熱的な行為にゾクゾクとした快感が襲ってくるのに。

 「イヤァッ……!! 止めてっ!! 離してっ!!」

 力いっぱい彼を突き飛ばした。と言っても、ロクに食べてもない私の力で、男の瀬田をどうにかすることは出来ない。キスの合間に泣き叫び、必死に離れようともがくだけ。

 イヤだ。イヤだ。

 こんなキスはしたくない。こんなふうに触られたくない。
 気持ち悪い。吐き気がする。
 私が求めるのは彼じゃない。

 「杏里……っ!!」

 瀬田の顔が、別の誰かと重なる。それは、かつて彼を亡くし悲しみに暮れていた私を強引に奪った男の顔。愛しい彼じゃない。憎らしい夫の顔。

 助けて、助けて……!!

 「清四郎さまぁっ……!!」

 愛しい名を叫ぶ。
 彼以外の男など、私はっ……!!

 「ダレ…………、だよ。ソイツは」

 瀬田から力が抜ける。私も力を失くして、そのままズルズルと座り込む。逃げるだけの力が出てこない。

 「清四郎さま……、清四郎さま……」

 何度も愛しい名前を呟きながら、ガクガクと震える体を自分で抱きしめる。
 お願い、助けて。清四郎さま……。お願い、清四郎さま、私を抱きしめて。

 そんな私を、瀬田が見下ろす。彼がどういう表情をしているのかは、わからない。
 ただ、痙攣するように小刻みに揺れる体で、焦点の合わない目を開けながら、愛しい人の名前だけをくり返す。
 
 バタンッ……。
 
 ドアが閉まる。
 瀬田が部屋から遠ざかっていく。廊下を足早に歩く音。
 
 「清四郎さま……、清四郎さま……」

 助けを求めるように、這ってベッドまで戻る。
 暗い室内で、体にぶつかった拍子にいろんな物が散らばる。けど、そんなことは気にしない。
 早く清四郎さまに会わなくては。会って、この気持ち悪さを払っていただかなくては。
 私が愛しているのは、愛しいと思うのは清四郎さまだけだから。

 「清四郎さま……、清四郎さま……」

 逢いたい。
 何もかも忘れて。
 何日もロクに食べてない体は、なかなか思うように力が入らない。
 彼に逢うのに、この体があることすら煩わしい。
 ベッドにたどり着くと、そのまま瞼を閉じる。
 愛しい人の面影を求めて。
 
 あの人に逢うためなら、逢えるのなら、他に何もいらない。
 仕事も、瀬田も、―――この体も。
 
*     *     *     *

 「よお。なんか不機嫌そうだな、瀬田」

 そう呼びかける声は陽気。

 「……三井寺先輩」

 ダカダカと、殴るように打ち続けたパソコンから顔を上げる。オレの机のそばに立っていたのは、三井寺先輩。オレより3つ年上の、既婚者。それなりのやり手で、オレがなにかとお世話になってる人物。

 「営業の基本はスマイルだぞ、スマイル」

 そう教えただろうが。ウニュッと頬を引っ張られた。
 そのセリフ、あの石山ハゲに教えてやりたいな。なんてボンヤリと思う。ま、自分が不機嫌な理由は、よくわかっているので、すみませんとだけ謝っておく。

 「お前、経理の草津さんとなんかあったのか?」

 ぶっ……。
 直球すぎるだろ、その質問。

 「え、いや。というか、どうしてそれを?」

 「見てりゃわかるだろうが。お前ら、つき合ってたんだろ? 彼女、最近ずっと休んだままだし」

 三井寺先輩が自分の眼鏡を指さした。営業の人物観察眼、侮りがたし。一応、隠してのつき合いだったんだが。

 「お前、なんかやらかしたのか?」

 どうしてオレがやらかした体になってるんだ? 相手がやらかしたとかは思わないのか?

 「……先輩、このあとちょっとつき合ってもらえませんか」

 自分でもどうしようもない感情がある。納得できないことがある。誰かに聞いてもらうことで整理したい。すべて吐き出してスッキリしたい。

 「んー。じゃあ、〈S&G〉でな」

 先輩が時計を確認する。今、4:38。仕事あがりまであと少し。
 神妙な顔のオレに気づいたんだろうか。
 ポンポンと肩を叩いて、茶化すことなく先輩が去っていった。
 オレは、再び力任せにキーボードを叩いた。
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