あなたに逢うために。

若松だんご

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第七夜。

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 「なるほどね……」

 〈S&G〉の狭い店内で。カウンターに並んで座った三井寺先輩が頷いた。三井寺先輩とは、彼が入社したてのオレの指導係という立場だったころからの縁。独り立ちして久しいが、時折こうして愚痴とかなんとか聞いてもらっている。
 意味もなく、手元のグラスを揺らす。
 カランと、氷の音がやけに大きく響いた。

 「それで、お前は落ちこんでいたというわけだ」 

 「ええ、まあ……」

 落ちこんでいた……のだろうか。キーボードに怒りをぶつけてた自覚はある。

 「そっか」

 先輩がオレの話を吟味するように呟いてから、グラスの中身を飲み干した。
 会社からほど近いバー、〈S&G〉。薄暗い店内に、今、客はオレたちだけだった。ダンディなヒゲのマスターは、何も言わずにカウンターの向こうで仕事をしてる。
 店内に流れるのは、昔の洋楽……らしい。
 〈サイモン&ガーファンクル〉
 店名にもなったマスターお気に入りグループの曲。もの悲しいような旋律が、古臭いが落ち着いた内装によく似合っていた。

 「でもよ、それ本当に、本当のことなのか?」

 「えっ?」

 「いやさ、あの草津さんがだよ? 二股っての? そんな器用なこと出来るとは到底思えねえんだけどなぁ」

 杏里の性格をこの先輩もよく知っている。
 仕事に真面目。どちらかと言うと、真面目すぎて融通のきかない、ちょっと不器用な性格。だからこそ、あのテキトーな石山に嫌われ、疎まれる。彼女と石山の請求書をめぐる攻防は、営業部でも有名だった。
 そんな彼女が、オレと関係を続けながら、裏で〈セイシロー〉なんて男とつき合ってたなんて思えない。先輩はそう言いたいらしい。

 「オレだって、そう信じたいですよ」

 「好きだ」とは、言ってない。肉体だけの関係を続けてきた。
 でも、言葉にしなくてもオレたちの間には、それとない感情が少しづつ行き交っている。そう思ってた。いつか、彼女にオレの気持ちと伝えて、セフレじゃなく恋人になりたいと願ってた。
 それなのに、それなのに……。

 「セイシローって、誰なんだよ」

 グイっとカクテルを飲み干す。
 ヤケ酒でもいい。飲まなきゃやってられなかった。
 突然現れた男。その男に、好きな女を取られたのだ。
 そいつは、オレよりもSEXがうまかったのか? オレよりも優しく接したのか? オレよりも彼女を愛したのか?
 チクショー。
 あの真面目な杏里が、仕事を捨てるほどのめりこんだ相手。急に現れ、杏里をさらっていった男。

 「だけどよ。なんかおかしくないか?」

 酔いつぶれたいオレに、先輩が問いかけた。

 「何がなんです?」

 「いや、フツーさ。好きな男が出来たらさ。キレイになるっていうのか、イキイキしてくるもんじゃね!?」

 恋する女は美しくなる。どこかの化粧品のCMみたいな文句だ。

 「それがよ。お前とつき合ってる時よりも荒れてたんだろ?」

 「ええ、まあ……」

 あの時の杏里は、髪もボサボサで肌も荒れていた。先輩には伝えなかったが、体もかなり痩せていた。灯りのついていない部屋はモノが散乱していて、換気の悪い空気がこもっていた。
 
 「仕事も辞めて、家に引きこもって。それってなんかおかしくないか?」

 「……ネットで知り合った、とかかもしれません」

 それなら、家を出なくても男に逢える。ネットで知り合った男と逢うことに夢中で、私生活がなおざりになっていた。ネット廃人みたいなやつ。
 だとすると、オレは、現実に会ったこともない男に杏里を取られたわけか。体を交わして歓ばせたこともない、そんなヤツに。

 「でもよー」

 ボリボリと先輩が頭を掻いた。

 「なんか、しっくりこねえんだよなあ」

 どこが?
 杏里は、ネットかなんかで知り合った男と恋をした。セフレだったオレを、頑張ってきた仕事を捨てるぐらいに、SNSかなんかで出会った男にのめりこんだ。
 それだけの、ただそれだけのこと―――。

 「あれ……?」

 一瞬、なにかが引っかかる。

 「スマホ……」

 確か杏里は、あの部屋でスマホを電池切れになるまで放置していた。アイツは、パソコンなんて持ってない。外とつながるツールはスマホだけだったはずだ。
 それをほったらかしにしていた? 好きな男とつながる、唯一のツールのはずなのに?

 ――なんか、変だ。

 指摘されて、初めて疑問に思う。

 「なあ、お前たち、一度落ち着いて話し合ったほうがいいぞ」

 先輩が言った。

 「男が出来たっていうのも、もしかしたら、お前の勘違いかもしれん。ちゃんと冷静になって話し合ったほうがいい」

 「私も、そう思います」

 カウンター越しに、マスターも同意した。仕事をしながら、ちゃんと聞いていたのだろう。先輩に同調するようにウンウンと頷かれる。
 そうか。冷静に、もう一度。

 「わかりました。もう一度だけ話し合ってみます」

 あの時は、感情のままに杏里を困らせてしまった。今度は、もう少し冷静になって、彼女に接してみよう。〈セイシロー〉という名前も、もしかしたら、オレの聞き違いかもしれない。

 「オレ、ちょっと会いに行ってきます」

 お金を置いてこうとしたら、先輩に遮られた。
 がんばれ、青年。
 励ましのように、腕を上げて見送られる。

*      *     *     *
 
 「うまくいくといいですね」

 瀬田を見送ったマスターが言った。

 「ああ。うまくいって、草津ちゃんに仕事に復帰してもらわねえとな」

 でないと、あのハゲ石山のテキトー請求書に、オレたちが振り回されるんだよな。あそこからのリベート、減っちまうし。
 後輩の恋を応援しないわけではないが、請求書の問題も、結構深刻なことなのだ。

 「なあ、ところで、マスター。今かかってる、この曲、何!?」

 三井寺が天井を指さす。
 店内に流れる、澄んだ男性のボーカルとギターの音。

 「ああ、『スカボローフェア』ですね」

 マスターが、少しだけ耳を澄まして確認する。

 「この曲がなにか?」

 「いや。ちょっと気になっただけ」

 三井寺が二杯目のカクテルを口にした。

 *     *     *     *

 杏里のマンションまでの道のりを急ぐ。
 三井寺先輩に背中を押されたからだけではない。オレ自身も、キチンと確かめたかった。
 冷静に、冷静に。
 何度も自分に言い聞かせるが、気持ちがはやる。
 どうして杏里が今みたいになっているのか、ちゃんと話を聞くんだ。
 〈セイシロー〉とは誰なのか。杏里はソイツをどう思っているのか。
 好き合ってるなら仕方ない。彼女の幸せを願って、オレは身を引くだけだ。だけど、その〈セイシロー〉が彼女を不幸にしているのなら、オレは……。
 先輩に指摘された通り、よくよく考えてみれば、おかしなことばかりだ。

 仕事を辞めた。家への引きこもり。

 オレとセフレ関係を続けながら、他の男とつき合うなんて器用なことが出来る杏里じゃない。そんな器用なヤツなら、仕事でも、もっとうまく立ち回っていたはずだ。もし別に好きな男ができたのなら、キッパリ「別れよう」って言い出すようなヤツだ。

 彼女のマンションの古いエレベーターに乗り込む。
 四階建てのその最上階へ。押しなれたそのボタンをいつものように押す。

 早く、早く。

 そんなオレを落ち着けようとするのか、焦らしているのか。ゆっくりとエレベーターが上昇を始める。
 オレは、ノンビリ開くドアに我慢が出来ずに、体をぶつけながら4階のフロアに出る。

 「杏里……」

 そこに杏里がいた。
 4階の共同廊下。
 その廊下の手すりの上に彼女が……立っていた。

 「杏里ッ……!!」

 必死に、彼女へ手を伸ばしながら走り出す。
 何がどうなってるのか、わからない。なぜそこに彼女がいて、そんなところに立っているのかも。
 足がもつれる。思ったように前に進まない。目はまばたきを忘れた。
 すべてがスローモーション。
 杏里が、目の前の虚空に手を伸ばす。
 それはまるで、舞踏会のエスコートを願う淑女のように。
 ゆっくりと、暗闇に愛しさをこめて。

 「杏里ッ……!!」

 届かない手の代わりに、声を張り上げる。
 一瞬、杏里がこちらをむく。
 かすかに笑ったような、顔。
 そして。
 彼女は真っ暗な闇に身を躍らせた。

 ドサッ……。
 
 数瞬のちに響いた、重い何かが落下した音。

 「…………ッ!!」

 階下へと駆け下り、ようやくたどり着いたオレが見たのは……。
 アスファルトに転がる、留め金の無くなった操り人形のような、歪に曲がった杏里の姿。
 そして……。

 彼女をじっと見下ろす、もう一つの姿。
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