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11章
初心をもって 21
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京都・右京区・風空寺の朝
「洋くん、朝だよ」
「んーあ……もうですか……何時ですか」
「六時だよ」
「え……まだ六時?」
「うん、少し朝の空気を吸おうか」
まだ夜も明けきらぬ寒い朝だった。
それでもここは旅先の寺の宿坊で、俺を起こす人は翠さんだから、頑張って起きた。俺は低血圧で朝が弱いから、本当に必死だった。
「洋くん偉いね。ちゃんと早起き出来たね」
翠さんが悪戯気に笑うのは、朝が苦手でよく寝坊してしまうことを知っているからだ。北鎌倉の家では、特に離れに引っ越してからは寝坊が多く(それというのも丈が寝かせてくれないというのもあるのだが)朝食を一緒に出来ないことが増えていた。
「実は……すごく頑張りました」
「うん、せっかく京都に来たのだから、この静かな朝を一緒に感じて欲しくてね」
二人で庭へ出る縁側に座って耳を澄ませば、寺庭から水琴窟の澄んだ音色が届き、心が洗われた。
「この音色、一音ごとに真新しく澄んでいて、まるで『ういごころ』そのものだ」
翠さんは、目を細めて庭を見つめていた。
「ういごころ?」
「そう、初心(しょしん)という言葉をそう読むこともあるんだよ。『うい』の語源は『生まれる』ということだからね。新しい一日というものは、つまり生まれたばかりの日という意味になる。誰の足跡もついていない新雪と一緒なんだ」
「あぁ……成程」
「洋くん、僕はね、人はもしかしたら……毎日生まれ変わっているのでは……と思っている。外見は年を取っていくけれども、心というものは違う。そう捉えることが出来たなら新しい1日が届く度に、新しい自分になれるような気がしない?」
「はい……俺もそう思います」
翠さんの話は、難しい説法のようでそうじゃない。
とても心地よく押しつけがましいことがなく、自然に優しく心に沁み込んでくる。
確かに俺は、過去の出来事によって汚れた躰だと絶望し、丈にふさわしくなという罪悪感を抱いた時期もあった。でも前を見て進めるようになり、その複雑な感情は薄まった。
丈と共に新しい一日を迎える度に、俺の心も新しくなっていくような気持だった。
そのことと似ている。
新しい一日をどう捉えるかで、浄化の具合が違ってくるのかもしれない。
「翠さん。新しい一日を迎える度に、人の心も……もしかしたら生まれ変わっているのかもしれませんね」
「洋くん、いいことを言うね。僕も最近特にそう思うよ。朝が来るたびに、生まれたばかりの気持ちを思い出し、新しい心で物事を見れば、きっと……ずっと見失っていた事や探し物が見えてくると思っている。だから僕もきっと見つけられるはずだ。夕凪の行方……曾祖父の弟の行方を」
「そうですね。きっと見つかります。だって向こうも俺達を呼んでいるから」
「ありがとう、今日もよろしく頼むよ。早起きに付き合わせてしまって悪かったね。朝食まで少し自由に過ごしてくれ、僕は道昭の朝のお勤めに同行させてもらうから」
「いえ、俺もこんな静かで澄んだ朝を迎えられて嬉しいです。あの……今から丈に電話してみます」
「うん、いい心掛けだね。丈はああ見えても寂しがり屋だよ。洋くんと知り合ってから生きる意味を見つけたかのように生き生きしているが、きっと今頃は君がいないからやる気を失ってひとりでいい加減な食事をしていると思うよ」
「はは。まさか、いつもこれでもかっていう程、朝食には気を配っているのに?」
「そのまさかだよ。聞いてごらん」
****
「もしもし丈、おはよう」
「洋、おはよう。珍しいな、こんな時間に起きているなんて」
「今日は翠さんに起こされたから、流石に飛び起きたよ」
「おいおい、私が起こしてもギリギリまで起きて来ないのに?」
「ははっ、丈とは緊張感が違うよ」
「言ったな、朝食はこれからか。寺だから精進料理だろうが、しっかり食べろ」
「うん。そういう丈は朝食は取った?」
「あぁ……まぁな」
いつになく歯切れの悪い返事に、さっき翠さんに茶化されたことを思い出した。
「何食べた? 野菜も取った? 果物は? 」
「……まぁな」
これは適当に済ましたんだ。と思った。
同時にさっき翠さんに言われた言葉が過った。
いつも冷静沈着な丈の心の奥の姿が見えて来る。
「丈、俺がいないと……駄目か」
「洋?」
俺はなんて傲慢なことを……自分で放った言葉に驚いてしまった。でもやっぱり電話の向こうの丈は、どことなく寂し気だ。
「明日には会えるだろう。丈が手配してくれた宿に泊まるのが楽しみだよ」
「はぁ、洋は……」
何か言いたげに恨めしそうな声を丈があげた。
「俺も丈がいないと寂しいから、明日が待ち遠しい」
「まったく……洋は最近ずるいな。私が言いたかったこと、言ってあげたかったことを先に言ってしまう」
「ずるくなんてない。朝だから、素直なだけだ」
朝だから。
新しい朝だから……
産まれたての赤子のように、まっさらな心で見つめれば、いろんなことが見えて来るから。
俺の寂しさ。
丈の寂しさ。
二つは重なって同調していくものだということに、気が付けた。
『ういごころ』
忘れないでいたい。
離れていても傍にいても……
何も生み出さない俺達が生み出せるものだから。
「初心をもって」了
****
志生帆 海です。
いつも拙作を読んでくださってありがとうございます。
やっと「初心をもって」の段が終わりました。
話が京都や北鎌倉を行ったり来たりとしてすいません。
これからも登場人物の心の襞を丁寧に描いていけたらいいなと思っています。
マニアックな萌えに付き合って、反応ありがとうございます。
何度も申し上げますが、本当に本当に励みになっています。
「洋くん、朝だよ」
「んーあ……もうですか……何時ですか」
「六時だよ」
「え……まだ六時?」
「うん、少し朝の空気を吸おうか」
まだ夜も明けきらぬ寒い朝だった。
それでもここは旅先の寺の宿坊で、俺を起こす人は翠さんだから、頑張って起きた。俺は低血圧で朝が弱いから、本当に必死だった。
「洋くん偉いね。ちゃんと早起き出来たね」
翠さんが悪戯気に笑うのは、朝が苦手でよく寝坊してしまうことを知っているからだ。北鎌倉の家では、特に離れに引っ越してからは寝坊が多く(それというのも丈が寝かせてくれないというのもあるのだが)朝食を一緒に出来ないことが増えていた。
「実は……すごく頑張りました」
「うん、せっかく京都に来たのだから、この静かな朝を一緒に感じて欲しくてね」
二人で庭へ出る縁側に座って耳を澄ませば、寺庭から水琴窟の澄んだ音色が届き、心が洗われた。
「この音色、一音ごとに真新しく澄んでいて、まるで『ういごころ』そのものだ」
翠さんは、目を細めて庭を見つめていた。
「ういごころ?」
「そう、初心(しょしん)という言葉をそう読むこともあるんだよ。『うい』の語源は『生まれる』ということだからね。新しい一日というものは、つまり生まれたばかりの日という意味になる。誰の足跡もついていない新雪と一緒なんだ」
「あぁ……成程」
「洋くん、僕はね、人はもしかしたら……毎日生まれ変わっているのでは……と思っている。外見は年を取っていくけれども、心というものは違う。そう捉えることが出来たなら新しい1日が届く度に、新しい自分になれるような気がしない?」
「はい……俺もそう思います」
翠さんの話は、難しい説法のようでそうじゃない。
とても心地よく押しつけがましいことがなく、自然に優しく心に沁み込んでくる。
確かに俺は、過去の出来事によって汚れた躰だと絶望し、丈にふさわしくなという罪悪感を抱いた時期もあった。でも前を見て進めるようになり、その複雑な感情は薄まった。
丈と共に新しい一日を迎える度に、俺の心も新しくなっていくような気持だった。
そのことと似ている。
新しい一日をどう捉えるかで、浄化の具合が違ってくるのかもしれない。
「翠さん。新しい一日を迎える度に、人の心も……もしかしたら生まれ変わっているのかもしれませんね」
「洋くん、いいことを言うね。僕も最近特にそう思うよ。朝が来るたびに、生まれたばかりの気持ちを思い出し、新しい心で物事を見れば、きっと……ずっと見失っていた事や探し物が見えてくると思っている。だから僕もきっと見つけられるはずだ。夕凪の行方……曾祖父の弟の行方を」
「そうですね。きっと見つかります。だって向こうも俺達を呼んでいるから」
「ありがとう、今日もよろしく頼むよ。早起きに付き合わせてしまって悪かったね。朝食まで少し自由に過ごしてくれ、僕は道昭の朝のお勤めに同行させてもらうから」
「いえ、俺もこんな静かで澄んだ朝を迎えられて嬉しいです。あの……今から丈に電話してみます」
「うん、いい心掛けだね。丈はああ見えても寂しがり屋だよ。洋くんと知り合ってから生きる意味を見つけたかのように生き生きしているが、きっと今頃は君がいないからやる気を失ってひとりでいい加減な食事をしていると思うよ」
「はは。まさか、いつもこれでもかっていう程、朝食には気を配っているのに?」
「そのまさかだよ。聞いてごらん」
****
「もしもし丈、おはよう」
「洋、おはよう。珍しいな、こんな時間に起きているなんて」
「今日は翠さんに起こされたから、流石に飛び起きたよ」
「おいおい、私が起こしてもギリギリまで起きて来ないのに?」
「ははっ、丈とは緊張感が違うよ」
「言ったな、朝食はこれからか。寺だから精進料理だろうが、しっかり食べろ」
「うん。そういう丈は朝食は取った?」
「あぁ……まぁな」
いつになく歯切れの悪い返事に、さっき翠さんに茶化されたことを思い出した。
「何食べた? 野菜も取った? 果物は? 」
「……まぁな」
これは適当に済ましたんだ。と思った。
同時にさっき翠さんに言われた言葉が過った。
いつも冷静沈着な丈の心の奥の姿が見えて来る。
「丈、俺がいないと……駄目か」
「洋?」
俺はなんて傲慢なことを……自分で放った言葉に驚いてしまった。でもやっぱり電話の向こうの丈は、どことなく寂し気だ。
「明日には会えるだろう。丈が手配してくれた宿に泊まるのが楽しみだよ」
「はぁ、洋は……」
何か言いたげに恨めしそうな声を丈があげた。
「俺も丈がいないと寂しいから、明日が待ち遠しい」
「まったく……洋は最近ずるいな。私が言いたかったこと、言ってあげたかったことを先に言ってしまう」
「ずるくなんてない。朝だから、素直なだけだ」
朝だから。
新しい朝だから……
産まれたての赤子のように、まっさらな心で見つめれば、いろんなことが見えて来るから。
俺の寂しさ。
丈の寂しさ。
二つは重なって同調していくものだということに、気が付けた。
『ういごころ』
忘れないでいたい。
離れていても傍にいても……
何も生み出さない俺達が生み出せるものだから。
「初心をもって」了
****
志生帆 海です。
いつも拙作を読んでくださってありがとうございます。
やっと「初心をもって」の段が終わりました。
話が京都や北鎌倉を行ったり来たりとしてすいません。
これからも登場人物の心の襞を丁寧に描いていけたらいいなと思っています。
マニアックな萌えに付き合って、反応ありがとうございます。
何度も申し上げますが、本当に本当に励みになっています。
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