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「思ってもみない力……」
グラーノが明かしたエレットラの言葉を、エンディミオンは繰り返した。
エレットラが書き残したという事実は、思っていたより衝撃的だった。
「エレットラ様が唯一自らの思いを書き残された言葉でございます。
治癒の力を持ち、ステラフィッサ国に貢献してきたヴィジネーの一族は、エレットラ様の意志を継ぐように振る舞って参りました。
それを根底から覆す言葉を、我々が進んで公にすることは一族を裏切るようなもの。
国の有事にまで隠し立てされては殿下としては噴飯ものと拝察いたしますが、どうか、当代、先代の侯爵の判断も致し方のないことと、平にご容赦願います」
深々と頭を下げる幼い姿に、ヴィジネー家への裏切りと、王家への背信すべてを背負う覚悟が滲み出ていた。
「ヴィジネー家では、儂はすでに死んだ身。
そして小狡くも、この場を借りて殿下へ中味を伝えることで、エレットラ様の手記を今後も公にはされないよう諮っておるのです。
殿下には何卒ご勘案の程、よろしくお願い申し上げます」
手前勝手な都合を一国の王太子に聞き届けてもらうのに、八十年以上の人生経験で得たどんな手管でもなく、誠実に胸の内を明かすことしかグラーノにはできなかった。
エレットラは、ヴィジネーの星になにかを願った。
だがそれは願った形とは異なる、「ヒトを癒す」力に置き換わった。
手記からわかるのはそれだけだが、その最初の一歩が異なるだけで、ヴィジネー家が歩んだ千年は大きく意味を違えてしまう。
例えのその間に幾千幾万の傷みを癒やしていても、国を、人々を謀っていたという謗りは免れないだろう。
……できれば、これからを生きるヴィジネー家の子孫たちにそんな扱いを受けてほしくはない。
けれどこの秘密を今明かさなければ、彼らが生まれ、生きていく未来すらなくなるかもしれない。
グラーノは考え、そしてその葛藤ごと詳らかにすることで、エンディミオンに直接訴えかけることにしたのだ。
「────それを世に明かしたところで、得るものは何もないのでは?」
謀に疎く、情に訴えられれば無碍に出来ないのはステラフィッサ王族の長所であり短所。それを補うための十二貴族、その内の特に理性を司る宰相家の嫡男シルヴィオだったが、ひとしきり損得を考えた結果、グラーノの想いを通すほうに傾いた。
十二貴族の始祖の一人、エレットラ・ヴィジネーの手記が出てきたとなれば歴史的な大発見ともなるが、そのせいで十二貴族の、手記の著者本人から連なる侯爵家の権威が落ちるなら、社会的に見て旨味は少ない。
この千年序列を変えずに在り続けた十二貴族は、興亡を繰り返す他貴族家とは与える影響がまったく違う。
書き残されたエレットラ・ヴィジネーの秘密はエンディミオン、そしてシルヴィオの胸に収めることを条件に、災厄の手がかりとして手記を閲覧させてもらえるほうが、今後のためには有用だ。
そう考えて、グラーノの意見を後押しするようにエンディミオンを伺ったが、当のエンディミオンは、全く別のことに意識を向けていたようだった。
「願いは、叶わないこともあるのか……」
動揺がそのまま口から漏れたように、呆然とした呟きだった。
サジッタリオの星の時、クラリーチェは確かに言っていた。
星が形を成すにも、相性がある、と。
それを踏まえて、十二貴族の始祖が得た星の力と各家の特性に寄せて、今回の星集めでの力の形を決めてきた。
ヴィジネーの星、そしてスピカは元より「治癒」の魔法だ。
そうであるならば、何も不安に思うことはない。
ここにいるグラーノ、スピカを持つ者に、元々あった力を取り戻させるだけなのだから。
……そうは思うのに、突如湧きあがった不安をエンディミオンは拭えなかった。
知っていたはずの事実を不意に突きつけられて、殴られたような心持ちだった。
「エレットラ・ヴィジネーは、何を願ったんだ」
それを知ればこの不安は取り除かれると、エンディミオンはグラーノに詰め寄った。
しかし、グラーノは首を振るのみで答えを知らない。
「エレットラ様の手記には、何も」
端的なまでの文章は、日記ではない。
ほとんどが箇条書きの診療記録だ。
その合間に、たった一言、走り書いた筆跡。
そこまでに行き着く過程を、エレットラは何ひとつ書き残さなかった。
そうしてそれからも、何の悔いも恨み言もなく、星に与えられた治癒の力をどう診療に活かすか、その実験録になっていた。
彼女の趣味も嗜好も、知れることはどこにも書かれていない。
何を望み、どうしたかったのか。
星に願うほどのこと。
たった一言でも、彼女らしくもない文言を書き残してしまうほどの、願い。
スピカとは相容れなかった、力。
「生い立ち、に繋がるものなら?」
秘匿されていたエレットラの生い立ち。
焼け果てた村の生き残りで、失った記憶はその後どうなったのか。
シルヴィオの案に、グラーノは首を傾げた。
「記憶を取り戻すくらいなら、あまり治癒から離れることでもありますまい」
「相容れないほどのことでもない、か……」
記憶を失った原因にもよるが、外傷、または心因性のものなら、広義では治癒の一環と言っても差し支えないだろう。
「はじめのサジッタリオの軍略と弓術は偶発的なものだったが、交渉術、政治、と続いたスコルピオーネとビランチャは計画的に思える。
そのあとでなぜ治療師に力を与えようとバルダッサーレ様がお考えになったのか少々疑問だったが、戦時であれば治癒の力は少なからず有効だろう。
しかしエレットラがそのつもりではなかったのなら、バルダッサーレ様は一体何をなされようとしていたんだ?」
「四つ目の星が、この場所に、彼女の故郷に降るから、というのは、バルダッサーレ様の性質上ないこともないと考えられますが……」
「少々薄い、ですかな」
それだけの理由で、どんな力ともなれそうな星の力を、仲間内とはいえただの治療師に与えようとするのは考えにくい。
それまでの三つの星の流れからして、あまりに不用意とも取れる。
「わからないな。
エリサ様から見るバルダッサーレ様なら、あるいは」
「確か、『星の民』という男を仲間に加える際も、当家の始祖サミュエル様やネヴィオ・スコルピオーネ様の反対を押し切っていましたね」
「星を占う呪い師など、行き倒れていたとてその場で助けはしても、各地の争いを治めて国を興そうという旅に同行させるのは余程の事情がなければな……。そこもバルダッサーレ様の懐の広さ故、ということか」
エリサの日記で見るバルダッサーレの為人と史実の兼ね合いを図りかね、エンディミオンとシルヴィオの推論は空転した。
エレットラの言葉ひとつで、スピカの力で確実にルクレツィアを救うことにも一抹の不安を覚えてしまったのに、千年前の星の災厄で何が起こっていたのか、不可解さが募ってしまった。
「その、星の民なるはどういった……?」
グラーノが発した疑問で、二人は思考を止めた。
どうやらオリオンが言っていなかったことまで、話の流れで口にしてしまったらしい。
「星の民。グラーノ殿は、どこかで聞いたことはないだろうか」
王太子であるエンディミオンも、記憶の片隅にだけ残っていた存在。
それもどこで得た知識だったのか、ずいぶん前に亡くなった曽祖母から聞かされたお伽噺、それも原文のない、彼女の中にだけあるような昔語りではなかったか。
不思議に思って調べてみても、知れば知るほどタブーの扱いで、国を挙げて大々的には捜索して来れなかった。
千年前に近い史料にわずかに痕跡があるだけで、不自然なほど歴史から消されているものを敢えて公に掘り出すことに危惧もあって、星の民の捜索は困難を極めていた。
安易に聞いて回ることは躊躇われるが、自分たちよりも遥かに長い年月を生きているグラーノなら、と一縷の望みをかけてエンディミオンは問いかけてみた。
「はて……、星の民。
言われてみると確かに、頭のどこかに引っかかるものがございますな」
改めて問われると、グラーノも全く知らないと言うには何かざわついた感覚を覚えた。
「どこで聞いたのだったか……。
ふむ、……エレットラ様の手記、か」
ドナテッロとして死んでから、ドナテッロの記憶は一度は抜け落ち、何も知らない幼年期を十年以上過ごしてしまった。
七十年で培った経験は確かにあれど、細かい記憶はさすがにあやふやだ。
例えそのことがなくても、八十年のすべての出来事を覚えているわけではない。
スピカの力について調べるために、ドナテッロはエレットラの手記を繰り返し読んだ。
けれどエレットラは、スピカ本来の力を使った形跡がなかった。
怪我人の治癒はしていたが、病人を癒したという記録がないのだ。
そして、歳を重ねて亡くなっている。
後の世でスピカの星持ちと知れている人物はほとんどが早死にしているが、エレットラ本人だけは長く生きているのだ。
そしてその死後、『星の子どもを見つけたら隠してほしい』という謎めいた遺言が見つかり、その後すぐに病を癒やす子どもがヴィジネー家に生まれたため、これがスピカの星持ちの力であるとヴィジネー家は湧いた。
エレットラの遺言は守られず、はじめのスピカが若くして死に、そこでようやくエレットラの遺言の真意に気が付いた。
争いの種にもなり得るスピカの星の力、そして命を削る力を、ヴィジネー家はすぐに隠した。
それでも何十年かに一度は不治の病を癒して儚くなる若者が現れ、スピカはお伽噺になった。
エレットラの死後の話は、ヴィジネー家の正式な記録として、王家にも同じ記録が保管されている。
この記録には星の民の記述は一切ないと記憶しており、これ以外にもエレットラ・ヴィジネーやスピカの星についての記録は漁るほど読んだが、そこにも記憶を刺激されるような文言はなかったように思う。
考えられるのはエレットラ自身が残した手記になるが、確信はない。
耳慣れない単語ではあるが、千年前には今はもう存在しない大小様々な部族が存在していた。
そのうちのひとつと仮定して気にも留めなかったかもしれない。
「やはり、なんとかしてそのエレットラの手記というのを借り受けたいところだが、まずは目の前のスピカだな。
エレットラ・ヴィジネーが何を願ったにしろ、スピカの力にはどうあってもルクレツィアを救ってもらわなければならない」
エンディミオンの重々しい宣言に、シルヴィオも頷き、グラーノは深々と頭を垂れた。
宿営地に着くまで、三人はしばらくスピカの力について検討を重ねた。
グラーノとエンディミオンが調べ尽くした内容を突き合わせて、正解にできるだけ近づいていなければならない。
何かひとつでも疎かにしたら、ルクレツィアを救えないかもしれない。
そんな不安がエンディミオンを駆り立てていた。
陽が落ちる切る前に、エンディミオンたちは予定どおりの宿営地にたどり着いた。
天幕を張り、一夜を明かす準備が整い、その深更────
エンディミオンたちは魔物の襲撃に遭った。
グラーノが明かしたエレットラの言葉を、エンディミオンは繰り返した。
エレットラが書き残したという事実は、思っていたより衝撃的だった。
「エレットラ様が唯一自らの思いを書き残された言葉でございます。
治癒の力を持ち、ステラフィッサ国に貢献してきたヴィジネーの一族は、エレットラ様の意志を継ぐように振る舞って参りました。
それを根底から覆す言葉を、我々が進んで公にすることは一族を裏切るようなもの。
国の有事にまで隠し立てされては殿下としては噴飯ものと拝察いたしますが、どうか、当代、先代の侯爵の判断も致し方のないことと、平にご容赦願います」
深々と頭を下げる幼い姿に、ヴィジネー家への裏切りと、王家への背信すべてを背負う覚悟が滲み出ていた。
「ヴィジネー家では、儂はすでに死んだ身。
そして小狡くも、この場を借りて殿下へ中味を伝えることで、エレットラ様の手記を今後も公にはされないよう諮っておるのです。
殿下には何卒ご勘案の程、よろしくお願い申し上げます」
手前勝手な都合を一国の王太子に聞き届けてもらうのに、八十年以上の人生経験で得たどんな手管でもなく、誠実に胸の内を明かすことしかグラーノにはできなかった。
エレットラは、ヴィジネーの星になにかを願った。
だがそれは願った形とは異なる、「ヒトを癒す」力に置き換わった。
手記からわかるのはそれだけだが、その最初の一歩が異なるだけで、ヴィジネー家が歩んだ千年は大きく意味を違えてしまう。
例えのその間に幾千幾万の傷みを癒やしていても、国を、人々を謀っていたという謗りは免れないだろう。
……できれば、これからを生きるヴィジネー家の子孫たちにそんな扱いを受けてほしくはない。
けれどこの秘密を今明かさなければ、彼らが生まれ、生きていく未来すらなくなるかもしれない。
グラーノは考え、そしてその葛藤ごと詳らかにすることで、エンディミオンに直接訴えかけることにしたのだ。
「────それを世に明かしたところで、得るものは何もないのでは?」
謀に疎く、情に訴えられれば無碍に出来ないのはステラフィッサ王族の長所であり短所。それを補うための十二貴族、その内の特に理性を司る宰相家の嫡男シルヴィオだったが、ひとしきり損得を考えた結果、グラーノの想いを通すほうに傾いた。
十二貴族の始祖の一人、エレットラ・ヴィジネーの手記が出てきたとなれば歴史的な大発見ともなるが、そのせいで十二貴族の、手記の著者本人から連なる侯爵家の権威が落ちるなら、社会的に見て旨味は少ない。
この千年序列を変えずに在り続けた十二貴族は、興亡を繰り返す他貴族家とは与える影響がまったく違う。
書き残されたエレットラ・ヴィジネーの秘密はエンディミオン、そしてシルヴィオの胸に収めることを条件に、災厄の手がかりとして手記を閲覧させてもらえるほうが、今後のためには有用だ。
そう考えて、グラーノの意見を後押しするようにエンディミオンを伺ったが、当のエンディミオンは、全く別のことに意識を向けていたようだった。
「願いは、叶わないこともあるのか……」
動揺がそのまま口から漏れたように、呆然とした呟きだった。
サジッタリオの星の時、クラリーチェは確かに言っていた。
星が形を成すにも、相性がある、と。
それを踏まえて、十二貴族の始祖が得た星の力と各家の特性に寄せて、今回の星集めでの力の形を決めてきた。
ヴィジネーの星、そしてスピカは元より「治癒」の魔法だ。
そうであるならば、何も不安に思うことはない。
ここにいるグラーノ、スピカを持つ者に、元々あった力を取り戻させるだけなのだから。
……そうは思うのに、突如湧きあがった不安をエンディミオンは拭えなかった。
知っていたはずの事実を不意に突きつけられて、殴られたような心持ちだった。
「エレットラ・ヴィジネーは、何を願ったんだ」
それを知ればこの不安は取り除かれると、エンディミオンはグラーノに詰め寄った。
しかし、グラーノは首を振るのみで答えを知らない。
「エレットラ様の手記には、何も」
端的なまでの文章は、日記ではない。
ほとんどが箇条書きの診療記録だ。
その合間に、たった一言、走り書いた筆跡。
そこまでに行き着く過程を、エレットラは何ひとつ書き残さなかった。
そうしてそれからも、何の悔いも恨み言もなく、星に与えられた治癒の力をどう診療に活かすか、その実験録になっていた。
彼女の趣味も嗜好も、知れることはどこにも書かれていない。
何を望み、どうしたかったのか。
星に願うほどのこと。
たった一言でも、彼女らしくもない文言を書き残してしまうほどの、願い。
スピカとは相容れなかった、力。
「生い立ち、に繋がるものなら?」
秘匿されていたエレットラの生い立ち。
焼け果てた村の生き残りで、失った記憶はその後どうなったのか。
シルヴィオの案に、グラーノは首を傾げた。
「記憶を取り戻すくらいなら、あまり治癒から離れることでもありますまい」
「相容れないほどのことでもない、か……」
記憶を失った原因にもよるが、外傷、または心因性のものなら、広義では治癒の一環と言っても差し支えないだろう。
「はじめのサジッタリオの軍略と弓術は偶発的なものだったが、交渉術、政治、と続いたスコルピオーネとビランチャは計画的に思える。
そのあとでなぜ治療師に力を与えようとバルダッサーレ様がお考えになったのか少々疑問だったが、戦時であれば治癒の力は少なからず有効だろう。
しかしエレットラがそのつもりではなかったのなら、バルダッサーレ様は一体何をなされようとしていたんだ?」
「四つ目の星が、この場所に、彼女の故郷に降るから、というのは、バルダッサーレ様の性質上ないこともないと考えられますが……」
「少々薄い、ですかな」
それだけの理由で、どんな力ともなれそうな星の力を、仲間内とはいえただの治療師に与えようとするのは考えにくい。
それまでの三つの星の流れからして、あまりに不用意とも取れる。
「わからないな。
エリサ様から見るバルダッサーレ様なら、あるいは」
「確か、『星の民』という男を仲間に加える際も、当家の始祖サミュエル様やネヴィオ・スコルピオーネ様の反対を押し切っていましたね」
「星を占う呪い師など、行き倒れていたとてその場で助けはしても、各地の争いを治めて国を興そうという旅に同行させるのは余程の事情がなければな……。そこもバルダッサーレ様の懐の広さ故、ということか」
エリサの日記で見るバルダッサーレの為人と史実の兼ね合いを図りかね、エンディミオンとシルヴィオの推論は空転した。
エレットラの言葉ひとつで、スピカの力で確実にルクレツィアを救うことにも一抹の不安を覚えてしまったのに、千年前の星の災厄で何が起こっていたのか、不可解さが募ってしまった。
「その、星の民なるはどういった……?」
グラーノが発した疑問で、二人は思考を止めた。
どうやらオリオンが言っていなかったことまで、話の流れで口にしてしまったらしい。
「星の民。グラーノ殿は、どこかで聞いたことはないだろうか」
王太子であるエンディミオンも、記憶の片隅にだけ残っていた存在。
それもどこで得た知識だったのか、ずいぶん前に亡くなった曽祖母から聞かされたお伽噺、それも原文のない、彼女の中にだけあるような昔語りではなかったか。
不思議に思って調べてみても、知れば知るほどタブーの扱いで、国を挙げて大々的には捜索して来れなかった。
千年前に近い史料にわずかに痕跡があるだけで、不自然なほど歴史から消されているものを敢えて公に掘り出すことに危惧もあって、星の民の捜索は困難を極めていた。
安易に聞いて回ることは躊躇われるが、自分たちよりも遥かに長い年月を生きているグラーノなら、と一縷の望みをかけてエンディミオンは問いかけてみた。
「はて……、星の民。
言われてみると確かに、頭のどこかに引っかかるものがございますな」
改めて問われると、グラーノも全く知らないと言うには何かざわついた感覚を覚えた。
「どこで聞いたのだったか……。
ふむ、……エレットラ様の手記、か」
ドナテッロとして死んでから、ドナテッロの記憶は一度は抜け落ち、何も知らない幼年期を十年以上過ごしてしまった。
七十年で培った経験は確かにあれど、細かい記憶はさすがにあやふやだ。
例えそのことがなくても、八十年のすべての出来事を覚えているわけではない。
スピカの力について調べるために、ドナテッロはエレットラの手記を繰り返し読んだ。
けれどエレットラは、スピカ本来の力を使った形跡がなかった。
怪我人の治癒はしていたが、病人を癒したという記録がないのだ。
そして、歳を重ねて亡くなっている。
後の世でスピカの星持ちと知れている人物はほとんどが早死にしているが、エレットラ本人だけは長く生きているのだ。
そしてその死後、『星の子どもを見つけたら隠してほしい』という謎めいた遺言が見つかり、その後すぐに病を癒やす子どもがヴィジネー家に生まれたため、これがスピカの星持ちの力であるとヴィジネー家は湧いた。
エレットラの遺言は守られず、はじめのスピカが若くして死に、そこでようやくエレットラの遺言の真意に気が付いた。
争いの種にもなり得るスピカの星の力、そして命を削る力を、ヴィジネー家はすぐに隠した。
それでも何十年かに一度は不治の病を癒して儚くなる若者が現れ、スピカはお伽噺になった。
エレットラの死後の話は、ヴィジネー家の正式な記録として、王家にも同じ記録が保管されている。
この記録には星の民の記述は一切ないと記憶しており、これ以外にもエレットラ・ヴィジネーやスピカの星についての記録は漁るほど読んだが、そこにも記憶を刺激されるような文言はなかったように思う。
考えられるのはエレットラ自身が残した手記になるが、確信はない。
耳慣れない単語ではあるが、千年前には今はもう存在しない大小様々な部族が存在していた。
そのうちのひとつと仮定して気にも留めなかったかもしれない。
「やはり、なんとかしてそのエレットラの手記というのを借り受けたいところだが、まずは目の前のスピカだな。
エレットラ・ヴィジネーが何を願ったにしろ、スピカの力にはどうあってもルクレツィアを救ってもらわなければならない」
エンディミオンの重々しい宣言に、シルヴィオも頷き、グラーノは深々と頭を垂れた。
宿営地に着くまで、三人はしばらくスピカの力について検討を重ねた。
グラーノとエンディミオンが調べ尽くした内容を突き合わせて、正解にできるだけ近づいていなければならない。
何かひとつでも疎かにしたら、ルクレツィアを救えないかもしれない。
そんな不安がエンディミオンを駆り立てていた。
陽が落ちる切る前に、エンディミオンたちは予定どおりの宿営地にたどり着いた。
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