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ラガロはずっと警戒していた。
日の暮れる頃から首筋がピリピリとしていやに頭が冴え、夜が更けるにつれどんどん感覚が鋭くなっていった。
そんな状態で休めるはずもなく、宿営地の周囲を見回っては、月のない夜空を見上げていた。
……はじめは、小さな椋鳥のようだった。
ピエタ聖堂の方角から飛来して、小さな黒い影がじわじわと集まってきた。
寝床がこの周辺にあるのかと思ったが、様子がおかしい。
無数の鳥がいるのに鳴き声ひとつ上げず、そのうち鴉や梟の姿も混じりはじめた。
護衛の騎士たちが異常に気が付いた時には、いつの間にか宿営地は夥しい数の鳥に囲まれてしまっていた。
不気味なほど静かに集まってきた鳥たちに警戒を強め、夜のいちばん深い時間にかかろうかという頃、「ラガロの星」が警鐘を鳴らした。
夜気をつんざく耳鳴りのような高音が聞こえた気がしたが、ラガロ以外には聞こえていないようだった。
ラガロが守らなければならないのはエンディミオン、そして巫女だ。
咄嗟に走り出したラガロがそれぞれの天幕をまわって危険を知らせるのと同時に、大型の魔物が現れた。
熊や牛といった大型の獣さえ獲物にする大鷲のような魔物が十体以上、宿営地の真上から一気に突っ込んできた。
魔物が狙ったのは、騎士たちの乗ってきた馬だった。
大きな羽がカマイタチを起こして次々に天幕を切り裂き、その凶悪な鉤爪で騎馬を掴むと、繋いでいた木ごと略奪しようと上空に引き上げ、地上で攻撃の機会を窺っている騎士たちに向けて投げ落とす。
大きな馬の体が雨のように降り、途端に宿営地は修羅場と化した。
エンディミオンの天幕ではグラーノとシルヴィオがまだ話し込んでいて、アンジェロたちは異変に気が付いて様子を見に出てきたところだった。巫女の天幕にはクラリーチェとベアトリーチェがともに休んでいたから、ラガロは全員をすぐに一所に集めて周りをトーロ家の騎士に囲ませた。
鳥の魔物は風属性を持っているようだが、本来なら風に弱い地属性でもトーロ家の騎士は別だ。
守りに特化したトーロ家は、同族同士で人壁の陣を描くことで、その周囲の防御力を格段に向上させることができる。
王族の守護という点で、彼らほど近衛に適している者はいない。
そして攻手はラガロ、風属性に強い火属性である。
トーロ家の守りの外でひとり、魔物と対峙する。
護衛に引き連れてきた騎士たちは、馬の下敷きにされるのを逃れた者でも、宿営地を取り囲んでいた無数の鳥たちに一斉に襲いかかられ、対応に苦慮しているようだった。
あらかた馬を狩り尽くした大鷲は宿営地の上を羽ばたき、その翼から嵐のような突風を引き起こしていた。
立っていられないほどの風力の中、ラガロは自らの剣に炎を纏わせて走り出すと、エンディミオンや巫女の天幕から魔物を引き離すように大鷲を挑発した。
大鷲はすぐにラガロを邪魔な敵と認識したのか、その鋭利な嘴で突こうと代わる代わる突進してくる。
それらをいなし、焼き払いながら、ラガロには危なげがなかった。
一人で十体以上を相手取りながら、確実に潰していく。
そして最後に残った一際大きな鷲が夜空を割くような啼き声を発すると、ラガロと大鷲は一気に間合いを詰め、次の瞬間には大鷲は消し炭となって自らの残した風に散っていった。
「…………すっご」
最後の一撃は、結構な高さまで跳んでいたような気がする。
そこから体勢を崩すことなく難なく着地を決めたラガロをぽかんと見ながら、巫女の口から素直な感想が漏れた。
強いのだろうとは思っていた。
なんだかそんな雰囲気だけは漂わせていたし、ちょっとした合間に剣を振ったり筋トレをしていたり、ストイックに鍛錬しています、という姿勢はいやでも目についていた。
けれどこれまで、こんなに圧倒的な戦い方を見せたことがなかったものだから、どこまで強いのかは知らなかった。
よくわからなかったけれど、馬を捕まえられるような大きさの魔物はほとんどラガロ一人で倒していた。
魔物を倒してもニコリともせず、相変わらずの仏頂面のまま戻ってきたが、さすがにこの時ばかりはその頼もしさに彼の評価を変えざるを得なかった。
少し引いていたのが、もうちょっとすごい人なのかもしれない、と思うくらいではあるけれど。
いちばん大きな魔物が消えると、集まってきていた鳥たちは三々五々に散っていき、辺りには束の間静寂が戻ってきた。
すぐに周囲の保全に走る声、それから怪我人の救護をはじめる者とで慌ただしくなったが、幸いなことにエンディミオンたちには傷ひとつない。
トーロ家の守りのおかげか、ラガロが気を利かせて距離をとったからか、それとも、魔物の目的が彼らではなかったのか。
ほとんどなぎ倒されて切り裂かれた天幕の中、エンディミオンたちのいる一帯だけは不自然なほどに無傷だった。
被害が大きいのは騎士たちやその馬で、観光馬車用の馬だけが、怯えているだけで五体満足だった。
「…………気持ちの悪いほど、何かに妨害されているような気がするな」
巫女とベアトリーチェにアンジェロを付き添わせて天幕に戻らせた後、ラガロから被害状況の報告を受けるとエンディミオンは大きく溜息をついた。
山の中とはいえ、王都に程近い観光地への道行で魔物が現れるのは異常だ。
魔物はダンジョンから生まれるが、王都から遠く離れた場所にあるのがほとんどで、すべて国で管理され騎士団の監視下にある。
それぞれ徹底して守りを固めているため、そこから抜け出せる魔物はいないと言っていい。
もちろん、現れた大鷲の魔物は星の影響を受けて生まれたのだろう。
けれど、これまでも星を得るために魔物と対峙してきたが、星の降る場所の側から離れ、わざわざ向こうからこちらに赴いて襲ってきたのははじめてだ。
「襲ってきたのは王国のどこにでもいるような野鳥と、それから王都以北にしか生息しない大鷲が魔物化したのだと思いますが、ピエタ聖堂から峠をひとつ越えて、こちらを狙ってきたのは間違いないでしょう」
星の力に触れて魔物になった大鷲だけではなく、大鷲に操られるように小さな鳥たちまでも群れをなしてこちらに害を為してきた。
その統率された動き方に、意図を感じずにはいられない。
シルヴィオも緊張に顔を青褪めさせて、ラガロに焼き尽くされた魔物の残骸を見やった。
「魔物は、これですべてではない」
剣を納めたラガロは、首筋を撫でながら危険がすべて去ったわけではないのを感じていた。
いつもなら新月の前日に、または直前に現れた魔物を片付ければそれで終わりのはずだったが、おそらくピエタ聖堂の周囲には本体がいる。
先に到着しているはずのヴィジネー侯爵家の一行からは何の連絡もないが、いったいどうなっているのか。
「魔物が出るのはわかっていたのに……少し侮りすぎたな」
これまでが大した脅威にならなかったため、認識が甘かったのは否めない。
侯爵家にも魔物については事前に周知済みだが、今回の魔物は今日までその姿を現地でも現してはいなかった。
警戒はするように伝えても、どれほどの備えがあったのか、エンディミオンは憂顔のグラーノを窺った。
「先を急ぎたいところですが、怪我人が多うございますな……」
護衛の騎士隊にはヴィジネー一門の回復役がもちろん参加しているが、被害に大して充分な能力とは言えそうもなかった。
グラーノは内心忸怩たる思いだったが、今ここで治癒の力を使っては、ルクレツィアのためのスピカの力にどう影響するかわからない。
葛藤を抱えながら、本来の目的のために見て見ぬふりをすることしかできず、さらに先にピエタ聖堂に向かったはずの侯爵家の面々は無事なのかが気がかりで、取り乱さないようにするのが精一杯だ。
「狙いは、足止めでしょうか」
クラリーチェはぐるりと周囲を見渡したが、何が狙われたのかは一目瞭然だった。
「馬がなくては、怪我人を連れて明後日の日暮れに間に合うかどうか……」
騎馬はほとんど全滅で、怪我人を運ぶにも足りない有様だ。
だが、エンディミオンたちの乗る馬車だけは無事だ。
怪我をした騎士たちを捨て置き、エンディミオンたちだけで「ピエタ聖堂」に向かうしかない。
非情だが、結論はすぐに出た。
「俺の馬だけは残っている。
先に行って様子を見てくることもできるが」
レオナルドが選んだリオーネ家の次期当主が乗る馬だけは、他の騎馬とは格が違った。
鷲に狙われても逃げ果せ、戦闘が終わると無事にラガロのもとに戻ってきている。
「騎士たちが誰も付いて来られない以上、ラガロには殿下と巫女の護りを固めてもらう」
当然、目的地に魔物が潜んでいると考えられる以上偵察は必要だが、最大戦力のラガロを行かせるわけにもいかず、かといって代わりに動かせそうな人材もない。
シルヴィオは苦渋の判断を強いられるが、これも何かの思惑どおりにさせられているだけなのではないかという懸念は払拭できない。
「ジョバンニ、ヴィジネー侯爵と連絡はとれるか?」
「通信機はお持ちいただいたんですけど、ぜんぜん繋がらないですねぇ」
今回の星の収得には、ヴィジネー家の嫡男だけでなく侯爵も同行している。
侯爵家当主として、グラーノの、ドナテッロ・ヴィジネーの結末を見届けるためだったが、ジョバンニがいくら交信を試みても、あちらの魔石と繋がる魔法の軌跡がパタリと途切れているのを感じるだけだ。
「うーん、壊れたか、壊されたか……」
そう簡単に壊れるものを作ったりしないが、実際問題として連絡手段は断たれてしまっている。
「安否だけでも知りたいが……さすがに峠向こうの探索を今のフェリックスにさせられない」
このひと月、ファウストを探すための過酷なまでの試行で、フェリックスの探索魔法はかなり広範囲にまで及ぶようになっていた。
山ひとつ離れた場所でも対象の生存反応くらいなら探れるが、この二日休めるだけ休ませたところで移動しながらではどこまで回復しているものか、エンディミオンは首を振って、名乗り出す前のフェリックスに釘を刺した。
「グラーノ殿、できるだけ早く目的地に着けるよう努力はするが、それでいいか?」
「殿下のそのお気持ちだけで充分でございます」
顔色が悪いながらも、グラーノは慇懃に頷いた。
何があったとして、ヴィジネー侯爵家は何も知らされずに危険な場所に赴いたわけではない。
星探索のため、「ピエタ聖堂」近郊は五日前から関係者以外の立ち入りを禁止していたし、侯爵家の私兵、それから国の騎士隊も付けられていた。
通信機は何かの弾みで壊れてしまったのかもしれないが、ただ無防備に魔物の巣に飛び込んだわけではないはずだ。
「ひとまず、王城経由で最寄りの町から救護の応援は来る手筈になっている。
私たちは夜明けとともにここを発つ。
皆はそれまで体を休めていてほしい」
フェリックスをはじめ、全員がこのひと月走り通して疲労し切っているのを知っている。
そこへ魔物の襲撃が重なり、それもただ襲撃されたわけではない現状に、身も心も負担がかかっているだろうとエンディミオンは気遣った。
言い置いてエンディミオンが背後を振り返ると、惨憺たる有り様の天幕の横に、騎馬の死骸、重傷の騎士たちが並べられている。
死者は今のところ出ていない。
夜が明ければ、適切な治療も受けられるだろう。
それまで持ち堪えてもらうために、エンディミオンはできることをしなければならない。
置いていくにしても、せめて王太子たる自分は最後まで責任を果たすつもりだった。
*
結局休んだのは幼い体のグラーノと満身創痍のフェリックスで、シルヴィオ、ラガロ、ジョバンニ、クラリーチェはエンディミオンの気遣いに反して最後まで付き合った。
エンディミオンの考えそうなことは、全員が心得ている。
休めていないのは殿下も一緒ですよ、とジョバンニが隈だらけの目を細めて笑って、全員が頷き返した。
東の空が白みはじめ、騎士たちに見送られながら、エンディミオンたちの馬車は走り出した。
あとは「ピエタ聖堂」までたどり着くだけ、観光のために育てられた馬には負担だろうが残りの距離を走り抜ける速度で鞭を入れ、太陽が山の上に輝く頃、一行は「ピエタ聖堂」の見えるところまでやってきた。
観光用に整えられた山間の村落には、宿屋や商店が軒を連ね街が作られていた。
ヴィジネー家の別荘も、「ピエタ聖堂」の美しい姿を見渡せる場所に建てられている。
だが、今は通りに人が一人もいない。
人の気配そのものがない。
何があってもいいように、住人は新月までの三日だけ峠をひとつ越えた隣りの村落に避難させられている。
いるのはヴィジネー侯爵家とその私兵、護衛の騎士隊のはずだが、それも気配がなく、エンディミオンたちを迎える様子がない。
予定では、今日合流して、夜になって魔物が現れれば退治する。
だいたいが新月の前夜になると見込まれていたから、それまでに先遣隊のヴィジネー家と騎士隊で動向を把握しておくはずだった。
キラキラと、「ピエタ聖堂」のステンドグラスが陽光を反射している姿だけが荘厳で、それ以外が不気味なほど静かだ。
魔物に襲われた形跡もなく、ただ無人の街が広がっている。
一度立ち止まったエンディミオンたちの馬車は、そのまま車輪の音だけを響かせ、招かれるでもなく、粛々とヴィジネー家の別荘へ向かっていった。
日の暮れる頃から首筋がピリピリとしていやに頭が冴え、夜が更けるにつれどんどん感覚が鋭くなっていった。
そんな状態で休めるはずもなく、宿営地の周囲を見回っては、月のない夜空を見上げていた。
……はじめは、小さな椋鳥のようだった。
ピエタ聖堂の方角から飛来して、小さな黒い影がじわじわと集まってきた。
寝床がこの周辺にあるのかと思ったが、様子がおかしい。
無数の鳥がいるのに鳴き声ひとつ上げず、そのうち鴉や梟の姿も混じりはじめた。
護衛の騎士たちが異常に気が付いた時には、いつの間にか宿営地は夥しい数の鳥に囲まれてしまっていた。
不気味なほど静かに集まってきた鳥たちに警戒を強め、夜のいちばん深い時間にかかろうかという頃、「ラガロの星」が警鐘を鳴らした。
夜気をつんざく耳鳴りのような高音が聞こえた気がしたが、ラガロ以外には聞こえていないようだった。
ラガロが守らなければならないのはエンディミオン、そして巫女だ。
咄嗟に走り出したラガロがそれぞれの天幕をまわって危険を知らせるのと同時に、大型の魔物が現れた。
熊や牛といった大型の獣さえ獲物にする大鷲のような魔物が十体以上、宿営地の真上から一気に突っ込んできた。
魔物が狙ったのは、騎士たちの乗ってきた馬だった。
大きな羽がカマイタチを起こして次々に天幕を切り裂き、その凶悪な鉤爪で騎馬を掴むと、繋いでいた木ごと略奪しようと上空に引き上げ、地上で攻撃の機会を窺っている騎士たちに向けて投げ落とす。
大きな馬の体が雨のように降り、途端に宿営地は修羅場と化した。
エンディミオンの天幕ではグラーノとシルヴィオがまだ話し込んでいて、アンジェロたちは異変に気が付いて様子を見に出てきたところだった。巫女の天幕にはクラリーチェとベアトリーチェがともに休んでいたから、ラガロは全員をすぐに一所に集めて周りをトーロ家の騎士に囲ませた。
鳥の魔物は風属性を持っているようだが、本来なら風に弱い地属性でもトーロ家の騎士は別だ。
守りに特化したトーロ家は、同族同士で人壁の陣を描くことで、その周囲の防御力を格段に向上させることができる。
王族の守護という点で、彼らほど近衛に適している者はいない。
そして攻手はラガロ、風属性に強い火属性である。
トーロ家の守りの外でひとり、魔物と対峙する。
護衛に引き連れてきた騎士たちは、馬の下敷きにされるのを逃れた者でも、宿営地を取り囲んでいた無数の鳥たちに一斉に襲いかかられ、対応に苦慮しているようだった。
あらかた馬を狩り尽くした大鷲は宿営地の上を羽ばたき、その翼から嵐のような突風を引き起こしていた。
立っていられないほどの風力の中、ラガロは自らの剣に炎を纏わせて走り出すと、エンディミオンや巫女の天幕から魔物を引き離すように大鷲を挑発した。
大鷲はすぐにラガロを邪魔な敵と認識したのか、その鋭利な嘴で突こうと代わる代わる突進してくる。
それらをいなし、焼き払いながら、ラガロには危なげがなかった。
一人で十体以上を相手取りながら、確実に潰していく。
そして最後に残った一際大きな鷲が夜空を割くような啼き声を発すると、ラガロと大鷲は一気に間合いを詰め、次の瞬間には大鷲は消し炭となって自らの残した風に散っていった。
「…………すっご」
最後の一撃は、結構な高さまで跳んでいたような気がする。
そこから体勢を崩すことなく難なく着地を決めたラガロをぽかんと見ながら、巫女の口から素直な感想が漏れた。
強いのだろうとは思っていた。
なんだかそんな雰囲気だけは漂わせていたし、ちょっとした合間に剣を振ったり筋トレをしていたり、ストイックに鍛錬しています、という姿勢はいやでも目についていた。
けれどこれまで、こんなに圧倒的な戦い方を見せたことがなかったものだから、どこまで強いのかは知らなかった。
よくわからなかったけれど、馬を捕まえられるような大きさの魔物はほとんどラガロ一人で倒していた。
魔物を倒してもニコリともせず、相変わらずの仏頂面のまま戻ってきたが、さすがにこの時ばかりはその頼もしさに彼の評価を変えざるを得なかった。
少し引いていたのが、もうちょっとすごい人なのかもしれない、と思うくらいではあるけれど。
いちばん大きな魔物が消えると、集まってきていた鳥たちは三々五々に散っていき、辺りには束の間静寂が戻ってきた。
すぐに周囲の保全に走る声、それから怪我人の救護をはじめる者とで慌ただしくなったが、幸いなことにエンディミオンたちには傷ひとつない。
トーロ家の守りのおかげか、ラガロが気を利かせて距離をとったからか、それとも、魔物の目的が彼らではなかったのか。
ほとんどなぎ倒されて切り裂かれた天幕の中、エンディミオンたちのいる一帯だけは不自然なほどに無傷だった。
被害が大きいのは騎士たちやその馬で、観光馬車用の馬だけが、怯えているだけで五体満足だった。
「…………気持ちの悪いほど、何かに妨害されているような気がするな」
巫女とベアトリーチェにアンジェロを付き添わせて天幕に戻らせた後、ラガロから被害状況の報告を受けるとエンディミオンは大きく溜息をついた。
山の中とはいえ、王都に程近い観光地への道行で魔物が現れるのは異常だ。
魔物はダンジョンから生まれるが、王都から遠く離れた場所にあるのがほとんどで、すべて国で管理され騎士団の監視下にある。
それぞれ徹底して守りを固めているため、そこから抜け出せる魔物はいないと言っていい。
もちろん、現れた大鷲の魔物は星の影響を受けて生まれたのだろう。
けれど、これまでも星を得るために魔物と対峙してきたが、星の降る場所の側から離れ、わざわざ向こうからこちらに赴いて襲ってきたのははじめてだ。
「襲ってきたのは王国のどこにでもいるような野鳥と、それから王都以北にしか生息しない大鷲が魔物化したのだと思いますが、ピエタ聖堂から峠をひとつ越えて、こちらを狙ってきたのは間違いないでしょう」
星の力に触れて魔物になった大鷲だけではなく、大鷲に操られるように小さな鳥たちまでも群れをなしてこちらに害を為してきた。
その統率された動き方に、意図を感じずにはいられない。
シルヴィオも緊張に顔を青褪めさせて、ラガロに焼き尽くされた魔物の残骸を見やった。
「魔物は、これですべてではない」
剣を納めたラガロは、首筋を撫でながら危険がすべて去ったわけではないのを感じていた。
いつもなら新月の前日に、または直前に現れた魔物を片付ければそれで終わりのはずだったが、おそらくピエタ聖堂の周囲には本体がいる。
先に到着しているはずのヴィジネー侯爵家の一行からは何の連絡もないが、いったいどうなっているのか。
「魔物が出るのはわかっていたのに……少し侮りすぎたな」
これまでが大した脅威にならなかったため、認識が甘かったのは否めない。
侯爵家にも魔物については事前に周知済みだが、今回の魔物は今日までその姿を現地でも現してはいなかった。
警戒はするように伝えても、どれほどの備えがあったのか、エンディミオンは憂顔のグラーノを窺った。
「先を急ぎたいところですが、怪我人が多うございますな……」
護衛の騎士隊にはヴィジネー一門の回復役がもちろん参加しているが、被害に大して充分な能力とは言えそうもなかった。
グラーノは内心忸怩たる思いだったが、今ここで治癒の力を使っては、ルクレツィアのためのスピカの力にどう影響するかわからない。
葛藤を抱えながら、本来の目的のために見て見ぬふりをすることしかできず、さらに先にピエタ聖堂に向かったはずの侯爵家の面々は無事なのかが気がかりで、取り乱さないようにするのが精一杯だ。
「狙いは、足止めでしょうか」
クラリーチェはぐるりと周囲を見渡したが、何が狙われたのかは一目瞭然だった。
「馬がなくては、怪我人を連れて明後日の日暮れに間に合うかどうか……」
騎馬はほとんど全滅で、怪我人を運ぶにも足りない有様だ。
だが、エンディミオンたちの乗る馬車だけは無事だ。
怪我をした騎士たちを捨て置き、エンディミオンたちだけで「ピエタ聖堂」に向かうしかない。
非情だが、結論はすぐに出た。
「俺の馬だけは残っている。
先に行って様子を見てくることもできるが」
レオナルドが選んだリオーネ家の次期当主が乗る馬だけは、他の騎馬とは格が違った。
鷲に狙われても逃げ果せ、戦闘が終わると無事にラガロのもとに戻ってきている。
「騎士たちが誰も付いて来られない以上、ラガロには殿下と巫女の護りを固めてもらう」
当然、目的地に魔物が潜んでいると考えられる以上偵察は必要だが、最大戦力のラガロを行かせるわけにもいかず、かといって代わりに動かせそうな人材もない。
シルヴィオは苦渋の判断を強いられるが、これも何かの思惑どおりにさせられているだけなのではないかという懸念は払拭できない。
「ジョバンニ、ヴィジネー侯爵と連絡はとれるか?」
「通信機はお持ちいただいたんですけど、ぜんぜん繋がらないですねぇ」
今回の星の収得には、ヴィジネー家の嫡男だけでなく侯爵も同行している。
侯爵家当主として、グラーノの、ドナテッロ・ヴィジネーの結末を見届けるためだったが、ジョバンニがいくら交信を試みても、あちらの魔石と繋がる魔法の軌跡がパタリと途切れているのを感じるだけだ。
「うーん、壊れたか、壊されたか……」
そう簡単に壊れるものを作ったりしないが、実際問題として連絡手段は断たれてしまっている。
「安否だけでも知りたいが……さすがに峠向こうの探索を今のフェリックスにさせられない」
このひと月、ファウストを探すための過酷なまでの試行で、フェリックスの探索魔法はかなり広範囲にまで及ぶようになっていた。
山ひとつ離れた場所でも対象の生存反応くらいなら探れるが、この二日休めるだけ休ませたところで移動しながらではどこまで回復しているものか、エンディミオンは首を振って、名乗り出す前のフェリックスに釘を刺した。
「グラーノ殿、できるだけ早く目的地に着けるよう努力はするが、それでいいか?」
「殿下のそのお気持ちだけで充分でございます」
顔色が悪いながらも、グラーノは慇懃に頷いた。
何があったとして、ヴィジネー侯爵家は何も知らされずに危険な場所に赴いたわけではない。
星探索のため、「ピエタ聖堂」近郊は五日前から関係者以外の立ち入りを禁止していたし、侯爵家の私兵、それから国の騎士隊も付けられていた。
通信機は何かの弾みで壊れてしまったのかもしれないが、ただ無防備に魔物の巣に飛び込んだわけではないはずだ。
「ひとまず、王城経由で最寄りの町から救護の応援は来る手筈になっている。
私たちは夜明けとともにここを発つ。
皆はそれまで体を休めていてほしい」
フェリックスをはじめ、全員がこのひと月走り通して疲労し切っているのを知っている。
そこへ魔物の襲撃が重なり、それもただ襲撃されたわけではない現状に、身も心も負担がかかっているだろうとエンディミオンは気遣った。
言い置いてエンディミオンが背後を振り返ると、惨憺たる有り様の天幕の横に、騎馬の死骸、重傷の騎士たちが並べられている。
死者は今のところ出ていない。
夜が明ければ、適切な治療も受けられるだろう。
それまで持ち堪えてもらうために、エンディミオンはできることをしなければならない。
置いていくにしても、せめて王太子たる自分は最後まで責任を果たすつもりだった。
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結局休んだのは幼い体のグラーノと満身創痍のフェリックスで、シルヴィオ、ラガロ、ジョバンニ、クラリーチェはエンディミオンの気遣いに反して最後まで付き合った。
エンディミオンの考えそうなことは、全員が心得ている。
休めていないのは殿下も一緒ですよ、とジョバンニが隈だらけの目を細めて笑って、全員が頷き返した。
東の空が白みはじめ、騎士たちに見送られながら、エンディミオンたちの馬車は走り出した。
あとは「ピエタ聖堂」までたどり着くだけ、観光のために育てられた馬には負担だろうが残りの距離を走り抜ける速度で鞭を入れ、太陽が山の上に輝く頃、一行は「ピエタ聖堂」の見えるところまでやってきた。
観光用に整えられた山間の村落には、宿屋や商店が軒を連ね街が作られていた。
ヴィジネー家の別荘も、「ピエタ聖堂」の美しい姿を見渡せる場所に建てられている。
だが、今は通りに人が一人もいない。
人の気配そのものがない。
何があってもいいように、住人は新月までの三日だけ峠をひとつ越えた隣りの村落に避難させられている。
いるのはヴィジネー侯爵家とその私兵、護衛の騎士隊のはずだが、それも気配がなく、エンディミオンたちを迎える様子がない。
予定では、今日合流して、夜になって魔物が現れれば退治する。
だいたいが新月の前夜になると見込まれていたから、それまでに先遣隊のヴィジネー家と騎士隊で動向を把握しておくはずだった。
キラキラと、「ピエタ聖堂」のステンドグラスが陽光を反射している姿だけが荘厳で、それ以外が不気味なほど静かだ。
魔物に襲われた形跡もなく、ただ無人の街が広がっている。
一度立ち止まったエンディミオンたちの馬車は、そのまま車輪の音だけを響かせ、招かれるでもなく、粛々とヴィジネー家の別荘へ向かっていった。
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《皆様のご愛読に、心からの感謝を申し上げますm(*_ _)m》
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