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 ステラフィッサ国最古と謂れる「ピエタ聖堂」の歴史は、建国よりさらに遡る。
 歴史書にはじめて登場するのは、ヴィジネー侯爵家の祖となるエレットラ・ヴィジネーとバルダッサーレ一世の出会いの一節で、今のステラフィッサ国のある一帯を統一しようとバルダッサーレ一世が挙兵する以前、彼がまだ一介の見習い兵士だった頃、エレットラと邂逅したのがこの聖堂のある辺りであったとされている。

「殿下は、そもそものピエタ聖堂の由縁をご存知ですかな?」

 馬車に乗り込み、領境を越える頃にようやく粗方の事情を説明し終えると、グラーノはやにわに「ピエタ聖堂」の成り立ちへ話題を移した。

「いや……。
 ピエタ聖堂はステラフィッサの正史以前、前の星の災厄より古いものだろう。
 正史前の記録はとても少なく貴重だし、城の書庫でも読んだ覚えがないな」

 グラーノの語った情報量にまだ追いついていないシルヴィオは眼鏡を外してこめかみを揉んでいたが、グラーノが新たに示した話題はエンディミオンの興味を引くものだった。
 聖国へ旅立つまで七十年近く、ステラフィッサ国の中枢に携わっていたグラーノ──先々代のヴィジネー侯爵ドナテッロの記憶は、第一王子として生きてきたエンディミオンより遥かに長い。
 その知識で星の災厄の謎が少しでも紐解けるなら、エンディミオンはどんな話も聞き漏らしてはならないと思っている。
 まして、もしスピカの星の力を守備良くルクレツィアのために使えたとしたら……残された時間は短い。

「やはりそうですか……。
 正史以降といえ、初代国王陛下から麾下の皆さま、十二貴族の祖となる方々についての文献も、今では作られた物語しか存在しませんからな」

 星の災厄があったとされる千年前、この辺りは長らく小さな国や部族が小競り合いを続ける戦乱の世で、バルダッサーレがステラフィッサを建国してからがようやく「正史」という扱いになっている。
 ステラフィッサが国として落ち着いた頃にはそれまでにあった町も建物もほとんどが破壊しつくされ、まともな文献は焼失して残っていなかった。
 それでも千年かけて集められるだけ集め、現在王城の書庫に貴重な史料として厳重に保管されているものもあるが、正史以前に何があったかを知るには希少に過ぎる。
 エンディミオンもそれらにひととおり目は通しているが、「ピエタ聖堂」の由来など、文化的な内容のものはほとんどなかったという事実しか思い出せることはない。

「そう言えば、エリサ様の日記を巫女に少し読み聞かせてもらったけれど、バルダッサーレ様を伝説の英雄のように思っていたのが、ずいぶん気さくなお人柄だという印象に変わったかな」
「その日記というのを、是非とも拝読したいものでしたが……」
「私も、読めるものならと少し教わってみたのだが、巫女の世界の言葉はとても難解だった。
 当時の情景を読み解けるほどに修得するのは、少し骨が折れそうだ」
「ふむ、なるほど……。
 やはり、おいそれと当時を知る術はない、と」

 エンディミオンの言葉に、グラーノは少しだけ逡巡してみせた。
 
「殿下は、星の災厄について古い貴族の家々を訪ねて回っているとか」
「そうだな。
 なにぶん千年前に何があったのかを詳細に示す資料がない。星を集めたところでどうすればいいのか、今のところわかっていることはないに等しいから、星集めと合わせて手がかりを探しているところだが……」 
「我がヴィジネー家の、エレットラ様の手記については?」
「……!」

 グラーノの出した「エレットラ様の手記」という言葉に、エンディミオンの顔色が変わった。

「やはり……孫も息子も、この話は殿下になさらなかったようですな」

 躊躇う気配はあったものの、グラーノは率直にエンディミオンに事実を告げた。
 ヴィジネー家には、まだエンディミオンに伝えていないことがある、と。
 
「エレットラ様の手記は、ヴィジネー家の継承者のみが読むことを許された記録でございます。
 日記というよりは備忘のそれに近く、あまり多くを語らないご性分だったのかもしれませんが、心情のようなものはほとんど書かれておりません。
 日々の診療記録が簡素にまとめられ、日付や備品の増減だけは細かく記されておりますが、星の災厄については建国王の行軍記録のほうがよほど手がかりがあるのではないかと……。
 そんなものが星の探索に必要かと問われれば、果たして役に立つのか、という判断をしたのやもしれませんが……」
「星の災厄に関することは、どんな些細なことでも情報を提供するよう王命があったはずだ!
 ただでさえ分からないことが多いのだ。
 国の存亡にすら関わるのに勝手な判断で出し惜しむ理由とは一体なんだ?」

 各家に門外不出の記録があるのはエンディミオンも重々承知していた。
 だから時間を惜しまずに貴族たちの邸に自ら赴き、話を聞き、時には頭を下げて協力を依頼してきたが……星の災厄に関わる裁量権を得ても、これほどに情報が秘匿されているものかとエンディミオンは落胆した。
 さらにルクレツィアを救うためにスピカに関わるすべてを明らかにしようとヴィジネー家には度々足を運んでいたのに、まだ自分の知らない話があるのかとやりきれない思いすら湧き上がった。

「……まこと、殿下の仰るとおりでございますな。
 出せる札を出すべき時に出さないなど愚かなこと」

 身内とはいえ、グラーノは今代の侯爵とは考え方が異なっていた。
 ヴィジネー家が当主だけに千年もかけて伝えてきた話を、今エンディミオンに明かさずに何の意味があるのか。
 まだ星は四つ目とはいえ、十二の星を集めた時、一年も経たないうちに星の災厄がやってくるはずなのだ。
 もし星の災厄を止めることができなければ、などないにも等しくなる。

「────ただ、これだけはご理解いただきたい。
 アレには、ヴィジネー家が公にしたくない事実も書かれているのです」

 治療師・エレットラの手記は、淡々と紡がれていた。
 自身の主観をほとんど挟まず、客観的な事実だけが端的に記されている。
 ……そんな中に残された感情の吐露のようなたった一文を、おそらくヴィジネー家の継承者たちは衝撃とともに読んだことだろう。
 そうして、これは隠さねばならないことだと、怖れた。
 
「老人は昔話ばかりが長く恐れ入りますが、殿下には、儂からお伝えできることは今すべてお話しいたします」

 グラーノは、知られざるエレットラの生い立ちと「ピエタ聖堂」の概要を、エンディミオンに語りはじめた。

「エレットラ様の手記は、バルダッサーレ様に拾われたことからはじまります」



 ピエタ聖堂のある辺りは、四方を山に囲まれた小さな集落で、当時は一見して人の営みがあることがわからないほど奥深くに存在していた。
 けれど山の向こうから上がる火の手を見つけ、近くで野営していたバルダッサーレが駆けつけた。
 煙を頼りにバルダッサーレがたどり着いた頃には炎は鎮火していたが、そこに生者の気配はなく、幼い少女だけが生き残った。
 燃えて荒れ果てた村の中、一棟だけ燃え残っていた小さな御堂。その中から、エレットラはバルダッサーレに助け出されたのだ。
 一人の少女が押し込められていたその御堂こそが、のちの「ピエタ聖堂」の原形だった。
 御堂だけが燃え残ったのは、一年に一度だけその周囲に泉が湧くからで、一晩ですぐに水は引いてしまうけれど、子ども一人が入るほどの大きさの建物を守るくらいに、並々とした泉が出来上がるようだった。
 バルダッサーレに救われ、その妹・ルーナの看病を受けて目覚めたエレットラには記憶がなかった。
 少女はエレットラという名前だけは覚えていたが、それ以外はすべて空っぽの状態で、エレットラの手記は、バルダッサーレやルーナから聞いたことを書き留めることからはじまっていた。
 もう忘れないように、また忘れても思い出せるように、という訓練の跡でもあった。



「エレットラ様は記憶を持たず、バルダッサーレ様に保護されることになりました。
 バルダッサーレ様のもとには、サジッタリオ家、スコルピオーネ家の始祖様がすでに同じように拾われていらっしゃり、エレットラ様はルーナ様に付いて治療師の手伝いごとをはじめるようになられました。
 ……ここまで、エレットラ様についてはおそらくどの歴史書にも載っていない内容かと」

 グラーノが語った内容の一部、サジッタリオ家とスコルピオーネ家の始祖がバルダッサーレの配下になった経緯は、「正史」にも残されている。
 ルクレツィアがいつか、「バルダッサーレ様はよく人をお拾いになりますのね」と呟いていたのをエンディミオンはふと思い出した。
 巫女を拾い、巫女を導くために里を出て行き倒れていた星の民を自称する男を拾い、とエリサの日記を読み解いていった時に口にしていただろうか。
 はじめの星を手に入れることになったカルロ・サジッタリオ、そしてスコルピオーネ家の始祖ネヴィオは、戦災孤児であったのをバルダッサーレに保護され、そのまま彼に仕えるようになっている。
 きっとその史実が念頭にあって、ルクレツィアの感想になったのだろう、そんなやり取りがもう随分昔のことのような気がして、エンディミオンは暗い気持ちに落ち入りそうになった。
 どんなに気を紛らわそうとしてもふとした瞬間にルクレツィアのことを思い出し、その度にあの柔らかな声も笑顔も、永遠に失ってなるものかと何度も心を奮い立たせる。
 目裏に浮かんだその姿に落ち込む気持ちを塗り込めて、エンディミオンはグラーノの語った話にもう一度頭を切り替えた。

「なぜヴィジネー家の始祖だけそのくだりが省略されて……いや、故意に秘匿されている……?」

 エンディミオンは疑問を口に出した。
 そしてもうひとつ。
 肝心なのは、エレットラが隠れていたという御堂だ。
 一年に一度、御堂を取り囲むように泉が湧くという不思議な現象によってエレットラは救われている。
 聖堂として今の建造物に整えられる前に、すでにそこには何らかのがあった。

「千年前の星の災厄より前にも、星は降ってきていたとも考えられるか……」

 シルヴィオが、エンディミオンに代わり考えついた同じことを言葉にした。

 グラーノから説明された諸々の事情をようやく整理できたところに、さらに語られたエレットラの生い立ちはシルヴィオもはじめて耳にすることで、考えることがあまりにも多すぎる。
 そもそもの目的であるヴィジネーの星と、スピカによるルクレツィアの救命。
 それだけでも予断を許さない状況なのに、そこへ星の災厄の手がかりがわずかに加わった。
 星の災厄とは何なのかを考えた時、そのはじまりが必ずあるはずだが、それがなのか。
 千年前なのか、それよりもっと前なのか、その違いはあまりに大きい。
 ステラフィッサ国の正史以前の記録はほとんどない。
 それが、星の災厄による被害ですべて失われているとしたら、やはり尋常ならざる事態が引き起こされるということになる。

「その手記には、聖堂のことについては他に何か書かれていないのだろうか?」

 エンディミオンが問うたが、グラーノは申し訳なさそうに首を振った。

「必要以上なことをエレットラ様はお記しになりませんでした。
 ピエタ聖堂を建てるにあたっても、御堂の保全を目的とする、とだけ」
「城にある史料には、“エレットラ治療師より、聖堂の要請有り”という記述があるから、正史より古くからあるものだという認識があったけれど……」
「聖堂と御堂を誤って転記した可能性もあり得ます。我々が読めるのは古びて傷んだ原本ではなく、写本ですから」
「どちらにせよ、ヴィジネー家の始祖が居た場所には、千年前よりもっと前から星の降る兆しがあった、と考えるのは飛躍のし過ぎとも思えないな」
「その可能性がある、ということだけ心に留めておきましょう」

 シルヴィオの肯定を得て、エンディミオンも頷き返した。
 結論を出すのは尚早だが、その視点を持って「ピエタ聖堂」の、ヴィジネーの星の降臨を迎えることは無意味ではないはずだ。

「もう少し時間を割いて、ピエタ聖堂、それから他の星の降った場所についても、千年前より遡って何かが起こっていなかったか、調べる必要がありそうですが……」

 シルヴィオがこれからの調査方針の算段をはじめようとすると、「その前に、」とエンディミオンが制止をかけた。

「グラーノ殿、星の災厄について、貴重な情報を提供していただき感謝する」

 当代の侯爵の意に反して、グラーノがエンディミオンたちに「エレットラの手記」の存在について明かしてくれたことは幸運だった。
 グラーノが幼いままであれば、ヴィジネー家はこの話を最後まで表に出さないということもあっただろう。
 だが……。

「グラーノ殿、先ほど貴公が言ったヴィジネー家が公にしたくない事実とは、エレットラの生い立ちについてではないのだろう?
 このことを公にすれば、必然、手記全体を公にしなくてはならなくなると考えたから、ヴィジネー家は当主にしかこの手記の存在を明かさなかった」

 エレットラの隠れていた御堂、そしてそこで起こる一年に一度の不思議な現象について、星の災厄と簡単に関連付けていいわけではないが、関わりがないと断言する根拠もないはずだ。
 手がかりとなりそうな情報は全て提供するように、という王命は決して軽いものではない。
 それでも当代の侯爵が、隠すことに決めた理由がある。
 それは、「スピカ」に関わるものではないのか。
 エンディミオンにはそんな予感があった。

「殿下、もちろんこの話をすると決めた時、についてもお話しすると、儂は覚悟を決めております。
 お話しすれば、そんなこと、と殿下はお思いになられるかもしれない。
 けれど、ヴィジネー家の権威は、根強くに由来しているのです」

 エンディミオンの夕焼けの瞳に強く促され、グラーノは腹を括るように言葉を重ねた。
 窓の外はそろりと日が傾きはじめ、間もなく今日の宿営地に到着するだろう。
 グラーノは窓の外に一瞬目を逸らす。
 エレットラの出発地、「ピエタ聖堂」は、峠をもうひとつ越えた先にある。

「先の巫女様と建国王様とともにこの地を訪れ、星が降るのを待ち、そうしてエレットラ様は星の力を得た。
 これにより、エレットラ様に連なるヴィジネー家は治癒の力を使えるようになりました。
 それについて、エレットラ様が書き残したのは、たった一言です」


『────星は、思ってもみない力になってしまった』


 それは、治療師として慈愛に満ちた人物像として描かれる、ヴィジネー家の始祖としての言葉ではなかった。
 思っても見なかった…………長く戦場を渡り歩き、戦士を癒やし続けていたエレットラが望んだのは、「治癒の力」で彼らを治すことではなかったのだ。




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