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別れ

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 シンドラー侯爵家の応接室に若いカップルが座っている。

 目の前には、アレン・シンドラー侯爵と後妻のセレニィーだ。そして、若いカップルは先日、婚約を解消したばかりの実の娘シェリーネとジュリアス・マクドルー公爵令息。

 エグゼブト王国は婚姻しないと爵位を継げない法があり、ジュリアスは祖父である現マクドルー公爵から爵位を譲り受ける為、結婚を急いでいた。

 早くに両親を亡くしたジュリアスは、祖父が元気なうちに爺孝行したいという気持ちが逸った事もあるのかもしれないが、本当は一刻も早くこのシェリーネをこの家から連れ出したい思いの方が強い。

 「シェリーネ、本当にいいのか?」

 「はい」

 「では、私もサインしよう」

 「ありがとうございます。お父様」

 シェリーネにとって、シンドラー侯爵家は決して居心地のいい場所ではない。寧ろ他人の家の方が気楽な程、シェリーネの心を強く酷く蝕んでいる毒蛇の棲家のような存在。

 父であるアレンは、政略結婚でシェリーネの母エリーロマネと結婚した。アレンの実家フォーガスト侯爵家が借金を抱えていたからだ。次男で継ぐ家のないアレンは実家の為に人身御供の状態でこれを受け入れた。

 実際には、エリーロマネが夜会でアレンに一目ぼれして、娘に甘い父親がアレンを婿養子に迎えた。でなければ没落寸前の侯爵令息などと結婚を許可するはずがない。

 アレンもそのことは理解していた。貴族に生まれたからには政略結婚もアレンもそのことは重承知していたし、幼い頃から両親にも言い聞かせられていた。だから、素直にそれを受け入れたのだが…。

 アレンの中で狂ってしまったのは何時からだったのだろうか?

 結婚してからエリーロマネとの仲も最初は良かった。シェリーネを身籠ってからアレンが他の女に心を奪われるまではであるが…。


 アレンは、屋敷に勤めていた侍女のセレニィーと恋に落ちてしまった。侯爵家の跡取りとして教育を受けたエリーロマネと違って、優しい笑顔に言葉、アレンの全てを包みこんでくれるようなそんなセレニィーにアレンはどんどん溺れて行ったのだ。

 いつしか、セレニィーの家に転がり込んで、侯爵家には顔を見せなくなったアレンは、娘が生まれても相変わらず寄り付きもしなくなった。

 愛しい夫を他の女に取られたエリーロマネは半狂乱になって、毎日の様に酒を浴びる様に飲み、次第に心と体を弱らせて最後には病にかかって死んだのだ。

 シェリーネはまだ5才になったばかり、両親の愛に飢えていた彼女は、幼馴染の侯爵令息セザールに傾倒していく。

 セザールは、母親同士が仲が良かった為に、よくシンドラー侯爵家に遊びに来ていた。一人ぼっちのシェリーネがセザールに淡い恋心を抱く事は誰にでも理解できるだろう。

 その恋心は弱ったシェリーネの心には甘い毒の様に浸透して、体中を蝕んだ。

 シェリーネが6才になる頃に、父アレンが妾と異母妹を連れて屋敷に帰って来た。
 
 シェリーネが生まれた時もエリーロマネが死んだ葬儀でさえ、父として夫としての義務を放棄した癖に、侯爵家の主が亡くなるとそれらはやって来た。

 彼らが屋敷に入ると、アレンが侯爵家の執務を全て処理するようになった。異母妹を可愛がり、正妻の地位を与えたセレニィーと仲睦まじい姿を毎日の様に見せつけられた。

 屋敷の中でシェリーネの居場所など何処にもない。そのくせ、彼女には侯爵家の跡取りとしての教育は厳しくされた。

 エリーロマネが生きていた頃は、一人で食事を摂っていたのに、父が帰って来てからは無理矢理一緒に食事を摂らされた。

 その輪の中にシェリーネはいないにも拘らず…。

 拒否すれば、父に執務室に呼び出され、厳しい言葉を投げつけられた。シェリーネは部屋に帰ると鏡の中の自分を見つめて思う。

 ──せめて、どこか母に似た所があれば良かったのに…。

 残念ながら、鏡に映る自分の姿は、アレンに瓜二つ。

 輝くような黄金の髪ではなく、燃える様な深紅の髪であり、儚げな菫の様な瞳ではなく、新緑の翠の瞳だった。何よりも顔の造形は父アレンにそっくりで、酒に酔ったエリーロマネはアレンと間違ってシェリーネによく罵詈雑言を浴びせた事もある。

 帰らぬ夫と間違えて幼い娘に当たり散らしていた母エリーロマネ。それでもシェリーネは母エリーロマネに会いたかった。

 例え、一欠けらの優しい言葉をかけてもらえなくても、シェリーネ自信を見てくれなくても、それでも今よりはずっと幸せだと思っている。

 鏡の中のシェリーネが母の姿の見えて、一人で泣いた日は数えきれない程だ。

 異母妹は、侯爵家を継ぐ事はない。だから、自由に生きる事が出来るのに、シェリーネは重責だけを与えられ、その存在を消された様に静かに生きていく。

 それでもシェリーネは、時々会いに来てくれるセザールだけが心の支えになっていた。

 13才でセザールと正式に婚約してからは、お茶会の席に必ず異母妹のロゼリナも席にいる。

 後継者教育があるから席を立った後も二人は、仲良くお茶を楽しんでいた。

 それは学園を卒業するまで続いていて、とうとうセザールは本心をシェリーネに打ち明けた。


 「すまない。ロゼリナを愛している。君との婚約を解消したい」


 そう言われた時には、「やっぱりね」とシェリーネの中に既に諦めがあった。

 学園最後の卒業パーティーでセザールはロゼリナをエスコートした。

 アレンがシェリーネを気遣う事など天地がひっくり返っても在り得ない。

 一人で参加したシェリーネに声をかけて来たのは、生徒会長を務めたジュリアスだった。

 「今日は、一人なの?」

 「一人よ。あなたこそ」

 「一人だよ。よければダンスの相手をしてくれないか?」

 「ええいいわよ。婚約を解消して誰とも踊らないから」

 「そう、なら僕は幸運な男だね。今すぐ君に求婚できるんだから」

 「それは…受けられないわ。だってあなたは嫡男でしょう。公爵家を継ぐんじゃあないの」

 「ああ、でも継ぐためには結婚相手が必要なんだ。だから君に協力して欲しい。それに君も見返してやりたくないか?今まで君を蔑にしてきた彼らを…」

 「そんな必要ある?私が侯爵家の跡取りなのに」

 「でも、まだ結婚していない。でも僕と結婚すれば、君はシンドラー侯爵で、マクドルー公爵夫人になれる。いい方法だと思わないか?」

 「確かに…そうだけれど。父が簡単に侯爵の地位を手放すとは思えない」

 「そうだね。だからこそ急いだ方がいい。君の身に何かあってからでは遅いだろう」

 「ま…まさか。そこまでするかしら」

 「君は案外、能天気なんだね。貴族の世界ならおかしくないだろう。常に身の危険はあるよ。僕の両親の様に…」
 
 ジュリアスの両親は、後継争いで不慮の事故に見せかけられて殺された。犯人は叔父だった。

 それからは幼いジュリアスを庇護下に置いて祖父が現役で公爵家を守っている。その恩には感謝している。

 しかし、ジュリアスに望まない結婚を強いるのは止めて欲しかった。ジュリアスは、昔からシェリーネが好きだった。でも、彼女には婚約者がいる。何度も諦めようとしたが、諦めきれない想いを抱えて、ジュリアスはシェリーネに政略結婚を申し込んだのだ。

 シェリーネの性格なら、「愛している」と言っても婚約者に裏切られた今はとても信じてくれないし、受け入れてくれない事も十分に分かっていたからだ。

 生徒会の雑務を無償で手伝ってくれていたシェリーネに心惹かれるのはジュリアスにとってごく自然な成り行きに過ぎなかった。

 この機会を逃せば、シェリーネを他の誰かに取られるかも知れないという気持ちもあったのは間違いないが。

 気が付けば、シェリーネはジュリアスと3曲連続で踊っていた。

 周りはヒソヒソ噂話を囁き合っている。

 きっと、明日にはシェリーネとジュリアスの話題で持ちきりだろう。

 結局、シェリーネはジュリアスの掌で踊らされているような気分にさせられた。
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