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さぁ、お礼に参りましょう

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『オズワルド。女性を怒らせてはいけないよ』
『どうして?女なんて、怒っても可愛いだけだよ』
『お、いいなそれ。今度使おう――じゃなくてだ』

 怒れる女は邪神よりも怖いんだ、お前もいつか知る、と小さなころに父上がぼやいていたことを思い出す。
 そして、父上の言葉は間違っていなかった。
 
 目の前で俺が差し出した新聞記事を睨みつけながら殺気を飛ばしている一人の女性を眺めながら、俺は深いため息をついた。その瞬間飛んでくるピンポイントな殺意。こえぇよ。反応しちゃうからやめろ。
 周囲を歩く部下や貴族は彼女――エレノアの殺気にあてられて顔色をすっかり失ってしまっている。なまじ武術の才もあるものだから、下っ端の騎士までビビり散らかしている始末。そして俺も正直ビビっている。

 俺が持ってきた新聞記事。それは国境を守る騎士から送られてきた【天の王国】のもので、その一面を飾っている大見出しが問題だった。


「『エレノア・アルテミス公爵令嬢、スパイの末に国外逃亡!!ナジェム王国大公に色仕掛けおねだりか――』ねぇ。へぇ――――――――???こ・の・私が?あんたに?」
「ひぇ……俺関係ないじゃん……」


 滑舌よく大見出しを読み上げる彼女の声は、普段の冷涼で鈴のような美しい声は何処へやら、どろどろと奈落の窯のように煮えたぎってしまっている。そんな声に、広場に居合わせた憐れな人間たちが一斉にびくりと身体を震わせる。涙目で固まっている彼らにここから離れるよう手ぶりで伝えると、まるで天使を見たかのように拝まれた。そして猛ダッシュで皆去っていく。
 そんな様子も目に入っていないらしいエレノアは、こめかみにビキビキと青筋を浮かべながらにっこりと嗤った。人は怒りを通り越すと笑顔になるらしい。怖い。

 俺はエレノア邪神から記事を奪い取った。これ以上彼女に読ませたら死人が出る。


「なになに?――

『エレノア・アルテミス公爵令嬢は、長年本国の第一王子、ルーカス殿下の婚約者であるという名誉と責任ある立場を利用して機密情報を調べ上げ、隣国ナジェム王国に流していた。
 更には婚約者という立場でありながら、ナジェム王国の要人各位と性的関係を持ち、愛人契約を交わしていた疑いもある。実際、陛下の寛大な処分を聞いた彼女は余裕綽々と言った様子で自分の保護を待ち、天詠みの聖女様を嘲笑うような姿も見受けられたと言う。
 この度の事実が判明したのは、天詠みの聖女様に対する不敬極まる発言・行為の数々に気付かれたルーカス王子殿下の通告によるもので、学園内でも凄絶に尽きるいじめを行っていたようだ。聖女様もこの事実を認められ、エレノア・アルテミスから受けた数々の屈辱を明らかにした。
 しかし陛下は今までのエレノア・アルテミスの功績や彼女の年齢を踏まえ、情状酌量の上での処置として国外追放処分とした訳だが、――』

 なげぇよ!!もっと簡潔に書けや!!」

「大事なのはその先よ」

「俺は結論から言える大人になろ……『この度新たな事実が判明した。なんとエレノア・アルテミスが天詠みの聖女様は偽物の聖女であると他国で吹聴して回っているというのだ。更には自分は無実の被害者であると偽り、ナジェム王国の大公の愛人の立場を利用して聖女になり替わろうという策略を企てているという。
 これは天詠みの聖女様に捧げられた信託によって判明したことで、概ね間違いないだろう。陛下はこの事態を重く受け止め、エレノア・アルテミスを国家反逆罪に値する重罪人であるという賢明な判断を下され、ナジェム王国に彼女の身柄を引き渡すように交渉することにしたようだ』

――あ。」
「はい、お水」


 くっそ長い文章を漸く読み終え、一呼吸置いた俺に、エレノアが魔法瓶を差し出してくる。ふたを開け、水でのどを潤し、涙目で丁重に礼を言う。
 そして、俺の足をヒールで踏みにじって逃げ道を閉ざしている彼女はにっこりと天使のように可愛らしく微笑んだ。


「痛い痛いいただだ!!!!!」
「とってもおかしなことがあるの。私が国外追放処分になったのが一か月前、この記事が出たのは15日前。国境の田舎村まで新聞が届くのに14日。ここまでは理解できるわよ?」
「はひ、」
「で、最後の所に交渉するって書いてあるわね?つまり交渉は遅くても12日程前からは始まっていると思うのよね?」
「はい――ぃ、い”ッッ」


 ぐり、と足の甲を踏みにじる力が強くなる。ともすれば骨すら折られそうなほど容赦ない攻撃にか細く悲鳴を上げてしまう。くそ、ちゃんと読んでたら渡さなかったのに。最悪だ。


 この1か月ほど、俺は大公として天の王国との交渉を任されていた。言わずもがな内容はエレノアの引き渡しについて。俺たちが各国を回って復讐のための人脈構築をしていたのが聖女にどこからか漏れたらしく、エレノアに死んでほしいらしい聖女は強硬手段に出たわけである。
 その間に何度か聖女や馬鹿王子とも顔を合わせたが、聞きしに勝る無能っぷりにそのたびにさじを投げそうになった。エレノアを差し出す対価も用意しない。従わなければ戦争だとその言葉だけで国際問題になることを平気で宣う。

 しかし、エレノアを殺したい聖女とルーカス王子とは違い、国王は彼女を連れ戻したいだけのように思えるのだ。俺がそう呟くと(この間も足の甲は被害を受けている)、エレノアは当然だというように頷いた。


「そりゃそうよ。無能しかいないもの、私がいないと経済が成り立たないわ」
「なら処刑したと聖女には言っておいて、どっかの牢屋で飼い殺しかな」
「お断りよ。それで?本人に内緒でした交渉はどうなってんのよ」


 彼女の言葉に思わず顔を顰める。どうって言われても、何も進んでいないのだ。俺は別に向こうに対してして欲しいこともないし、あったとしてもエレノアを差し出す気はない。そもそも向こう側に何かを差し出すという発想がないのだから話にもならない。――あ、そうだ。


「聖女の魔力が滅茶苦茶穢れてる。あれは絶対複数人と関係持ってるね。新聞の内容、聖女とエレノアの場所逆にした方がいいんじゃない?」
「本当よ。あんた顔だけはいいんだから、色仕掛けでもされてんじゃないの?」
「え、よくわかったね。今言おうとしてた」
「でしょうね。で、どう?」


 それこそどうって言われても。魔力の汚い痴女にも恋愛にも興味はない。そう言えば、エレノアはどこか複雑そうに頷く。
 ここ最近、どうにも挙動不審なエレノア。おそらくベルにでも俺と陛下のことでも聞いたのだろうが、優しい彼女は俺に直接追及するのを諦めてしまったようだ。別にそんなに気にしてないから聞いてくれてもいいのに。

 漸く足を開放してくれたエレノアは、どこか不安げに眉を下げている。彼女のさらさらの髪が風になびいて揺れるのを何となく目で追っていると、彼女は小さく囁くように言葉を紡いだ。


「オズワルドが私を捨てない限り交渉はうまくいかないのよね」
「そうだね」
「そしたらどうなるの?――やっぱり戦争にはなってしまうの?」


 思わず鼻で笑ってしまう。
 こんなくだらない話で。彼女はそう言いたいのだろうが、戦争なんてそんなものだ。あるいは国土のために、あるいは女のために――そんな汚い権力者の欲望のもとで歴史の英雄たちはたくさんの人間を殺してきた。清らかで美しい戦争なんてありはしないのだ。
 

「こっちは戦争上等だけどね。陛下が命令したらいつでも動けるようにしてるし。まぁ、次の交渉が明日だから、それ次第かな。これ以上はめんどくさいし」
「……持久戦でじわじわ追い詰めたかったのに。そういう察しだけは無駄にいいのよね」

 
 なんにせよ、明日の交渉次第だ。陛下には俺の判断に一任していただいているけど、戦争には大義名分が必要だ。そのための人脈作りは正直中途半端だから、エレノアの無罪を理由に戦争を起こすのは正直渋い。いっそのこと明日俺のこと襲撃でもしてくれないかな。流石にエレノアは連れて行けないから無理かな。
 もし明日襲撃してくれたら、正当防衛を盾に、適当に数人の要人殺してちゃっちゃと戦争を始めてしまおう。

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