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後宮編
23.脱出
しおりを挟む「明日、また精を注いでやろう」
「ありがとう……ございます……」
その後、何度も最奥で射精され、嫋は薄らと膨れた腹をさわさわと撫でながら、涙を流した。
あの頃へと引き戻された自分が許せなかったのだ。
まだ種が芽生えているか分からない。でも、腹が膨れてしまったら子供を殺す勇気は出るだろうか。
呂楼から貰った中絶薬には水銀が配合されている。何回も使ってしまったら、母体は水銀中毒になるだろう。
万が一出産したとして、朱鷹は血の繋がらない子供を愛してくれる? もし嫌がられたら、その時はどこかへと逃げるか、もういっそ──……。
どんどん暗い想像ばかりが働き、嫋は顔を俯かせる。
不安に駆られ、震える手で中絶薬に手を伸ばした。何度この薬を飲み体が壊れたって、朱鷹に捨てられることより怖いことはないと思った。
「嫋妃」
「ッ……どうぞ」
薬を後ろ手に隠す。
入ってきたのは宦官だった。見たことの無い顔だったが、嫋はその人物が何者であるかをすぐに察した。
藍狐だろう。他人に変装しているが、その雰囲気は変わらない。
男は鼻をひくりと動かし、嫋を気の毒そうに見つめた。
狐の嗅覚は人よりずっと優れている。嫋の胎に呂苑の精液がたっぷりと残っているのを嗅いだ。
『皇帝から、君が堕胎しないか監視する役目を任された。散歩がしたいと言って人払いを。僕と2人きりにして』
静かに紙が渡され、嫋はそれに視線を走らせて頷く。
「少し散歩に。この者がいるので、付き添いはいりません」
嫋はそう言い、侍女たちを宮に置いて外に出た。はやる気持ちを押さえつけ、人目につかないように牢まで向かう。
「その……発情期の時、君を食べようとしてごめん」
「えっ?」
「僕、僕がもし……人を食べなくて、もし君が僕の生贄だったら……そしたら……」
ふと藍狐が止まり、泣きそうな目で嫋を見つめる。
「藍狐様、嫋はあなたにも人を愛せると思います。あなたは見知らぬ私にも優しくしてくれましたから」
「あ……」
「嫋に出来ることは多くありませんが、あなたに好きな人が出来た時は、恋のお手伝いをさせてくださいね」
にこ、と嫋が微笑む。藍狐は小さく頷いた。
断られてしまった痛みで胸はズキズキと傷んだが、それでも嫋から「人を愛せる」と言われたことに一筋の涙を流す。長年の苦しみが、嫋によって救われた気がした。一夜だけとはいえ、愛した人間に。
「僕が外で様子を見てるから、行っておいで。これ、あの牢と手枷の鍵。あの手枷は道士の仙術が掛けられているから、あいつからは壊せないんだ」
「ありがとうございます、藍狐様」
鍵を受け取り、嫋が地下牢へと繋がる扉を開ける。
「待て!」
ふと怒鳴るように声をかけられた。やたら高い男の声。宦官だ。
藍狐はバッと振り返り、宦官の首を絞めて気絶させた。死にはしていないが、その首にはハッキリと男の手の跡が残っている。
「ッ……兵が来る……嫋ちゃん、早く下に」
「ら、藍狐様も!」
嫋が藍狐の袖を引っ張り、地下牢へと繋がる扉を開ける。藍狐が扉を体で抑え、兵が扉を開けようとするのを阻止する。
「はぁっ……朱鷹様!」
「嫋!」
階段を転ぶように降り、朱鷹の牢の前まで来る。朱鷹は飛び上がり、檻を掴んだ。
「あぁっ手が震える……ッ」
滑る手で鍵を開け、なんとか檻の中に入る。朱鷹を繋いでいた手枷も外し息を吐くと、扉を抑えていた藍狐が叫んだ。
「扉が壊されされそうだよ、早く!」
「飛ぶぞ! 藍狐、来い!」
藍狐が階段を駆け下りるのと同時に、扉を壊した兵が雪崩のように落ちてきた。折り重なって動けずにいる間に、朱鷹が妖の姿へと変化する。
嫋と藍狐を爪で鷲づかんだまま、兵たちの上スレスレを飛んで牢を脱した。
(あの時は恐ろしかったのに、今はこんなにも……)
鋭い爪で嫋を抱き締めながらも、傷一つつけない朱鷹に、トク、と胸が高鳴る。そんな場合ではないと分かっているのに、この優しい妖が愛おしくて仕方ない。あっという間に皇城を抜け、都の塀を超える。
「ねえ! 城の弩がこっちを向いてる! 撃ち落とされるよ」
「グゥウ……」
藍狐が叫び、朱鷹が唸る。弩は城にある機械仕掛けの弓で、城を防衛したり、敵が城の付近に作った物見台を攻撃するためのものである。
ビュン、と朱鷹の羽根を弓矢が掠って血が吹き出し、嫋が悲鳴をあげる。ぎらり、と目を光らせた朱鷹は一瞬の後、人の姿に戻った。
「嫋、大丈夫だからな」
「えっ、あッ!」
「僕は!?」
3人は地面に向かって一直線に落ちる。朱鷹は嫋を引き寄せ、ガラスを触るかのように優しく抱擁した。
チラリ、と朱鷹は皇城を横目で見る。目を見開いた一人の男が見え、鼻で笑う。
(お前はさっさと女のもとにでも行ってりゃいい!)
その首を掻っ切ってやりたいが、娘子はきっと望まない。自身を嘲った養父のために墓を作り供養した嫋が、強引に連れ去られたとはいえ、恩のある呂苑を殺すことを喜ぶはずがない。
朱鷹はそれを理解していたから、道中いかなる人間も殺さなかった。
袖が揺れ、空気が耳の傍でごうごうと鳴る。嫋が朱鷹の胸の中でギュッと縮こまった。朱鷹は安心させるように肩をさすり、ちゅう、と嫋の髪に口付ける。
2人で絡まりあって地に落ちるそれは、鷲の求愛行動によく似ていた。
地面にぶつかる、と嫋が目を閉じたその瞬間、グン、と体が上に向かう。兵たちが息を飲む程のギリギリでまた変化したのだ。
朱鷹は嫋の体を抱きしめたまま藍狐を乗せ、山の方へと帰った。向かった先は藍狐の家だ。そこは朱鷹の屋敷と違い、場所を人間に知られていない。
朱鷹はそっと嫋を降ろし、幼子をあやす様に髪を撫でる。
「嫋、遅くなってごめん。一旦藍狐の家に泊まって、すぐ新しい家を作ろう」
「子供たちは……?」
「全員生きてる。ここで妖狐たちと一緒に媽媽を待ってた」
嫋は目を見開き、朱鷹の首に腕を回した。
「あぁ、良かった……!」
ボロボロと涙がこぼれ、桃色の頬を伝って朱鷹の肩を濡らす。
もし衛兵に殺されてしまっていたら、嫋は二度と子供を産めなくなっていた。子供を殺してしまった自分がまた子供を持つことを、許せなくなるのだ。
「嫋……これ」
「あっ……見つけたのですか……!?」
「皇城に向かう途中見つけたんだ」
朱鷹の羽根が付いた簪だ。土埃で薄汚れているものの、その黒羽根は目を奪われるような艶やかさがある。
「その……昔屋敷にいた梟が、求愛行動には自分の1番綺麗な羽根を渡してアピールするんだって言ってて……」
「もしかして、初めて会ったとき嫋に羽根を持たせていたのは、求愛行動のつもりだったのですか?」
「うん……」
やっぱり伝わってないよな、と朱鷹は項垂れる。しばらくして、ギュッと唇を真横に結び、顔を上げた。
「嫋、娘子……寝てる時に渡すなんて、卑怯なことしてごめん。会ったばかりで気恥ずかしかったんだ。でも、今度はちゃんと言わせてくれ」
「……はい」
「嫋のことが好きだ。だから、人としての寿命が終わってもずっと、俺の傍にいてくれ」
「相公……!」
朱鷹は嫋の髪から呂苑の簪を抜き、黒羽根の簪の埃を払った。
嫋は顔を真っ赤にし、朱鷹の手から簪を受け取る。そっと髪に挿し、恥じらうように笑った。
「なんだか、改めて渡されると照れてしまいます。どうですか、娘子にこの簪は似合っておりますか?」
「うん……この簪が一番似合ってる」
朱鷹は見惚れ、ぼうっと口を半開きにする。嫋を初めてその視界に入れたときのように、その赤い目はキラキラと輝いていた。
─────
「陛下、追いますか!?」
「いや……空に逃げられてしまえば、追っても追いつけまいよ……」
呂苑は呆然と呟き、ズルズルと崩れ落ちた。
「嫋……嫋……ああ……」
次第にボタボタと涙をこぼし、顔を手で覆った。幼子のように泣きじゃくり、その場でうずくまる。
まだ太子殿下と呼ばれていた頃。
自分を育ててくれた乳母の忘れ形見を必死に探し、ようやく見つけたのが、妓楼で下働きをしていた嫋だった。
嫋を買っては文字の書き方、読み方を教えていた。呂苑にとっての乳母のような、何でも打ち明けられる存在になれたら、と。
ただ健やかに育つ様子を見れれば良いと思っていたのに。
(それなのに、どうしてあの時……)
幼い嫋に手を出したあの時から、嫋の心は永遠に呂苑の手元から離れてしまった。
呂苑は項垂れ、臣下たちが呼びかけてもその場から動くことは無かった。
以下後書き────
あと1話か2話で連載終了です。
エピローグの後に、ifのbadendを2話載せる予定です。
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