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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第七章
3.北風と太陽
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「あの……」
客席から手が上がった。
エリオットが頷くと、青年が周りを見回しながらおそるおそる立ち上がる。Tシャツにデニム姿で、卵事件の学生たちと同じくらいの歳だ。参加者として集まってくるひとたちの年齢が幅広いのは、それだけこの行事が地域全体でだいじにされているからだろうと、エリオットにもよく分かる。
「あなた……いえ、えっと、殿下は、存続といわれました。会場を移さないと、もうフェアはできないということですか? 道路の拡張で会場が削られなければ、いままでと同じようにこの場所で続けていけると思うんですが……」
エリオットはブレアム氏を振り返る。運営状況については、彼らが説明するべきことだ。
ブレアム氏はステージ袖からもう一本マイクを持って来ると、カルバートンでエリオットに話したのと同じ説明を繰り返した。
「会場の修繕にも運営の委託にも、それなりの資金が必要です。しかしフェアの収入がほぼ設備のリース料やガーデンの製作費の補助として使われている現状で、それらを捻出できるだけの余裕はありません」
収支については毎年、会計報告で参加者へ周知しているはずだ、とブレアム氏が付け加えると、参加者たちは気まずそうに目をそらした。
エリオットもここへ来る前にイェオリに説明してもらったけれど、昔から変わっていないチケット代も、せっかく誘致した企業の参加費も格安で、残る利益はほとんどなかった。自分たちの楽しみとしてスタートした行事で、ブースの設営も営業も自分たちで行い、会場スタッフがみなボランティアだから成り立っているのだ。
チケット代を上げて、フェアの目玉であるガーデンブースの製作費をすべて出品者が負担し、それでも不足する分があれば自分たちで資金を出し合う必要がある。
「──という事情があるとお聞きしたので、わたしにお手伝いできることがあればと提案しました」
勇気をもって立ち上がった青年に向かって、エリオットはいった。
「利益を求めず、ただ美しいガーデンや、農産物を身近に取り入れるライフスタイルの提案に尽力して来られた皆さんと、この先、一緒に働くことができれば嬉しく思います」
仮に道路の拡張工事が中止されても、この場所で「いままでと同じように」フェアを開催し続けるのは難しいという現実と、ならいっそブレアム氏がいうように、庭作りが趣味らしい王子の提案にのって、会場を移るのも「あり」なのではないか。そんな思いが参加者たちの表情に見え始める。
あと一歩、という雰囲気になりかけたとき、前から二列目に座っていた参加者がひとり、立ち上がった。瓶詰のオリーブを売っていた巻き毛の女性だ。彼女はステージではなく、客席の参加者たちに呼びかけた。
「学生たちはたしかにやりすぎだった。でも、わたしたちのしてきたことが間違いだったとは思わない。わたしたちの伝統と権利を守るために闘って来たのに、ここで負けを認めるの?」
ジャンヌ・ダルクも、こんな感じで士気の低下したフランス軍を鼓舞したのかもしれない。
こっちに異端審問官の役を押し付けられても困るんだけどな。
これは勝ち負けではないし、一方が正しくてもう一方が間違っているという話しでもない。しかし感情に訴えるゼロか百かという論点は、現実的な落としどころを探ろうとするエリオットたちと、分かりやすく対立する。
少なくない数の参加者が、膝や細い肘掛けの上でこぶしを握るのがステージから見えた。
エリオットはため息をつきたくなった。権利うんぬんの話をするなら、エリオットだって職業選択の自由を振りかざしてフラットに引きこもっていたかったし、ボーイスカウトの植樹祭とか、そういうもっと穏やかな仕事から始めたかった。それでもここに立っているのは、正解のない問題を少しでもマシな方向へ持って行くためだ。
そんなエリオットの心など知らない女性は、さらにいい募る。
「この会場だけじゃない、ずっと暮らして来た家を奪われる住民だっていることを思い出して」
ちょっと待て。それは聞き捨てならないぞ。
「あら、お気遣いありがとう」
口を開きかけたエリオットより早く、またひとり、客席から立ち上がるひとがいた。
ミセス・オールドリッチが、「いまごろ思い出していただかなくても、わたしたち夫婦は、もう新しい素敵な家を見つけているわ」と、女性の主張を強くはねつけた。それから、あの穏やかな表情で馴染みのひとたちに語り掛ける。
「古い木を守りながら、新しく球根を植えるのが庭作りよ。大事なのは、なにを残してなにを変えていくかを考えることではない?」
マイクを使っていないのに、染みわたるような彼女の言葉は魔法のように講堂へ広がり、硬いこぶしを開かせる。
「街もひとも同じです。変わっていくことは、悪いことではないはず。だからといって、変わる前のものがすべてなくなるわけではないでしょう。この場所に根付き、わたしたちが守ってきた伝統は、とても力強いものよ。新しい場所に植え替えても、またわたしたちの手で咲かせることができるわ」
客席から手が上がった。
エリオットが頷くと、青年が周りを見回しながらおそるおそる立ち上がる。Tシャツにデニム姿で、卵事件の学生たちと同じくらいの歳だ。参加者として集まってくるひとたちの年齢が幅広いのは、それだけこの行事が地域全体でだいじにされているからだろうと、エリオットにもよく分かる。
「あなた……いえ、えっと、殿下は、存続といわれました。会場を移さないと、もうフェアはできないということですか? 道路の拡張で会場が削られなければ、いままでと同じようにこの場所で続けていけると思うんですが……」
エリオットはブレアム氏を振り返る。運営状況については、彼らが説明するべきことだ。
ブレアム氏はステージ袖からもう一本マイクを持って来ると、カルバートンでエリオットに話したのと同じ説明を繰り返した。
「会場の修繕にも運営の委託にも、それなりの資金が必要です。しかしフェアの収入がほぼ設備のリース料やガーデンの製作費の補助として使われている現状で、それらを捻出できるだけの余裕はありません」
収支については毎年、会計報告で参加者へ周知しているはずだ、とブレアム氏が付け加えると、参加者たちは気まずそうに目をそらした。
エリオットもここへ来る前にイェオリに説明してもらったけれど、昔から変わっていないチケット代も、せっかく誘致した企業の参加費も格安で、残る利益はほとんどなかった。自分たちの楽しみとしてスタートした行事で、ブースの設営も営業も自分たちで行い、会場スタッフがみなボランティアだから成り立っているのだ。
チケット代を上げて、フェアの目玉であるガーデンブースの製作費をすべて出品者が負担し、それでも不足する分があれば自分たちで資金を出し合う必要がある。
「──という事情があるとお聞きしたので、わたしにお手伝いできることがあればと提案しました」
勇気をもって立ち上がった青年に向かって、エリオットはいった。
「利益を求めず、ただ美しいガーデンや、農産物を身近に取り入れるライフスタイルの提案に尽力して来られた皆さんと、この先、一緒に働くことができれば嬉しく思います」
仮に道路の拡張工事が中止されても、この場所で「いままでと同じように」フェアを開催し続けるのは難しいという現実と、ならいっそブレアム氏がいうように、庭作りが趣味らしい王子の提案にのって、会場を移るのも「あり」なのではないか。そんな思いが参加者たちの表情に見え始める。
あと一歩、という雰囲気になりかけたとき、前から二列目に座っていた参加者がひとり、立ち上がった。瓶詰のオリーブを売っていた巻き毛の女性だ。彼女はステージではなく、客席の参加者たちに呼びかけた。
「学生たちはたしかにやりすぎだった。でも、わたしたちのしてきたことが間違いだったとは思わない。わたしたちの伝統と権利を守るために闘って来たのに、ここで負けを認めるの?」
ジャンヌ・ダルクも、こんな感じで士気の低下したフランス軍を鼓舞したのかもしれない。
こっちに異端審問官の役を押し付けられても困るんだけどな。
これは勝ち負けではないし、一方が正しくてもう一方が間違っているという話しでもない。しかし感情に訴えるゼロか百かという論点は、現実的な落としどころを探ろうとするエリオットたちと、分かりやすく対立する。
少なくない数の参加者が、膝や細い肘掛けの上でこぶしを握るのがステージから見えた。
エリオットはため息をつきたくなった。権利うんぬんの話をするなら、エリオットだって職業選択の自由を振りかざしてフラットに引きこもっていたかったし、ボーイスカウトの植樹祭とか、そういうもっと穏やかな仕事から始めたかった。それでもここに立っているのは、正解のない問題を少しでもマシな方向へ持って行くためだ。
そんなエリオットの心など知らない女性は、さらにいい募る。
「この会場だけじゃない、ずっと暮らして来た家を奪われる住民だっていることを思い出して」
ちょっと待て。それは聞き捨てならないぞ。
「あら、お気遣いありがとう」
口を開きかけたエリオットより早く、またひとり、客席から立ち上がるひとがいた。
ミセス・オールドリッチが、「いまごろ思い出していただかなくても、わたしたち夫婦は、もう新しい素敵な家を見つけているわ」と、女性の主張を強くはねつけた。それから、あの穏やかな表情で馴染みのひとたちに語り掛ける。
「古い木を守りながら、新しく球根を植えるのが庭作りよ。大事なのは、なにを残してなにを変えていくかを考えることではない?」
マイクを使っていないのに、染みわたるような彼女の言葉は魔法のように講堂へ広がり、硬いこぶしを開かせる。
「街もひとも同じです。変わっていくことは、悪いことではないはず。だからといって、変わる前のものがすべてなくなるわけではないでしょう。この場所に根付き、わたしたちが守ってきた伝統は、とても力強いものよ。新しい場所に植え替えても、またわたしたちの手で咲かせることができるわ」
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