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 ケイティが深々と腰を折ってユリアスを出迎え、音もなく部屋の隅へと引き下がる。

 代わりのように、寝台の脇にはユリアスが立った。

 「起きていて大丈夫なのか」

 ユリアスは心配そうに言って、私の手を取りかるく唇を当てる。
 そのままじっとしている。シグルド様みたいだ。

 「……だいぶ熱は下がったようだが。それでもたぶんまだ微熱があるな」

 貴婦人に対する儀礼的なくちづけにしては長いな、と思っていたら、体温を測っていたらしい。
 ユリアスは口の中だけで呟き、そっと手を返してくれた。

 ------直接的に参加はしていないとはいえ、ユリアスにはとんでもないあれこれを目撃されている。

 まともに彼の顔を見上げるのが恥ずかしくて、でも意識し過ぎるのも変だろうし、こわごわ視線だけを彼に向けると。
 
 心配そうな面持ちで私をみつめるユリアスとばっちり目が合ってしまった。
 おもわず、飛び上がってしまう。どうしてか自分でもわからないけれど。

 ユリアスはそんな私を見るなりぷっと吹きだした。
 そのままくっくと静かに笑っている。

 ……いやいや。笑われるのは心外ですが。

 「楽にしてくれ、姫」
 「楽にさせて頂きました。よく眠れましたから」

 むっすりと私は言った。

 「ユリアスったら、笑わなくったってよろしいのに」
 「あんたが緊張したりしおらしくしてるのを見てると、どうも調子が狂うというか滑稽というか」
 「なんか失礼」
 「馬鹿にしてるんじゃないんだ」

 ユリアスは笑みをひっこめ、すっと面を引き締めた。
 きつい目なのだけれど、あくまで造作が少々つり目なだけで、私に向けられる視線は鋭くはない。
 真面目で、熱が込められていて。

 ……こんなに表情ゆたかなひとだっただろうか?
 不覚にも、また少し飛び上がってしまった。

 「あんたの反応は意外というか予測ができんというか。……可愛くて」
 「うっぐ」

 げほげほ、と咽こんでしまった。
 どうした、大丈夫か姫、とユリアスが背中をさすってくれるけれど、なかなか鎮まらない。
 そのくらい、インパクト大だったのだ。ユリアスの反応のほうがよほど、「意外で予測ができない」。 私にとっては。

 こっちの世界のひとは感情の伝え方がストレートだ。
 レオン様もオルギールもシグルド様も。……たしか、アルフもこんな感じだな、と思い出す。
  
 そういえば、アルフは実家へ帰った、と聞いたけれど、順調に回復しているのだろうか?
 ……ひとの心配をしている状況ではないのだけれど。

 さっきケイティにもらった飲み物を全部飲み干し、ユリアスが背中をさすってくれて、私自身、多少他所事を考え始めた頃合いに、ようやく呼吸が整った。

 もう一杯頂きたいなと思ってケイティを呼ぼうとして部屋の隅を見ると。
 ……いない。

 「ケイティは?」
 「とっくに退室した」

 ユリアスはごく当然、と言わんばかりに頷き、空になった杯をそっと私の手から取り上げた。

 「おかわりが欲しいのか?」
 「ええ」
 「待ってろ」

 彼は気軽にそう言って、小卓の上でさっきケイティがやっていたようなことを始めている。

 「いや、ユリアス。それはちょっと」

 さすがに私は慌てた。
 公爵様に飲み物を作らせるなんて。
 
 「水差しのお水だけ頂ければ十分です」
 「このくらい俺にもできる」

 たしかに、その手つきは危なげがない。
 これならお任せしても、……ってそういう問題じゃない。

 なぜだ。
 ケイティ、主を残して退室してダメじゃないですか。
 それに、出て行くときにはひと声かけるべきかと。

 「ユリアス、ケイティを呼んで下さいな」
 「どうして」

 ほら、と飲み物を渡してくれた。
 頂きます、と頭を下げてまたひとくち啜る。

 ……お上手。甘味のつけ方がちょうどいい。
 半分ほどをごくごく美味しく頂いて、いったん杯を卓上へ置いてもらった。

 ふう、と唇を拭いながらユリアスに目を向けると、ユリアスはどうした?とわずかに首を傾げた。
 また私が頼みごとをするのだと思ったらしい。

 「寝台から下りたいのか?なら俺が手を貸す」
 「いや、そうではなく」

 肩に回される手をそっと振りほどくと、ユリアスは明らかにムッとした。

 「ケイティに個人的に用があるのか?単に頼みごとならまず俺に言えばいい」
 「そんなお気軽におっしゃられても」

 こどものように口を尖らせるのはお止めになられたほうがいいですよ。
 よしよし、と、うっかりユリアスの手をとって撫でて差し上げる。

 「あなた、公爵でいらっしゃるのですから」
 「だからなんだ」
 「仕える者の仕事をとってはいけません」
 「俺の仕事だ」

 気が付けばぎゅう、と逆に手を握り返されてしまった。
 痛くはない。振りほどくことができる程度の力。

 ……私は振りほどかなかった。

 「あんたの世話を焼きたい。本当なら時間さえ許せばなんだってしてやりたい。食事も風呂も着替えも寝かしつけるのも」
 「いやいやいや」

 腰が引けた。
 寝台の上だからあくまで比喩的に、だけれど。

 ユリアスはいつのまにか片膝をついて寝台に乗り上げ、私の両手を握ってとんでもないことを言い始めている。 
 緩いクセのある長めの黒褐色の髪がはらりと落ちかかり、彼のきりっとした美貌に陰影をつけているのがたいへん麗しい。

 いや、みとれている場合ではない。こちらの世界へ来てからの経験則上、この距離で男性とお話をするのは危険なのだ。
  
 「時間が許したとしてもそのようなお世話は不要ですよ、ユリアス」
 
 熱くなりかけている公爵様に冷静になって頂くために、私はあえて白けるようなことを言ってみた。

 「風呂もお着替えもそれはまずいと思いますよ」
 「食事と寝かしつけるのはいいのか?」
 「違う!」

 すっぽんぽんになる「お世話」はイヤだから優先順位として例を挙げたのに、どうしてそういう発想になるのだ。

 「ユリアス、あのね」

 私は握られた手をさらにこちらからきゅきゅっと握り返した。
 イヤらしくなく。誘う感じではないように。なだめるように。

 「お気持ちだけ頂くわ、ユリアス。そういうお世話は公爵様のお仕事ではないの」
 「どういう世話ならいいんだ」

 言い訳はさせんぞ!と言わんばかりの真剣な顔である。
 公爵様方は皆様こういうところがとても真面目なのだ。適当な言い訳とか言い逃れとかを許さない。というか、自分が納得するまで突き詰める、というか。曖昧さを好まない。

 「ええと」

 曖昧をウリとする民族である私は首を捻った。

 「……衣食住!」

 これだ。
 いつもレオン様にも心から感謝していることだ。
 快適な部屋、美しい衣服、貴金属、美味しい食事。
 当たり前のように享受しているけれど当たり前ではないことはもちろん承知している。
 私が転がり落ちたのがたまたまグラディウス家の、それも公爵様の寝台の上だったからなのだ。

 今だって、レオン様のところから連れ出されても場所が異なるだけ。侍女さんたちの顔ぶれが異なるだけ。手厚いもてなし。至れり尽くせり。
 
 なぜか、ケイティは消えたけれど。

 「衣食住って、姫」

 無粋な、と、ユリアスはがっくりと肩を落とした。

 「そんなもの当たり前だ」
 「ひとにして頂くことを当たり前と思ってはいけないの。常に感謝の念を」
 「ああ、もう!」

 焦れたようにユリアスは私の話の腰をへし折ると、私の手を振りほどくなり抱きすくめた。
 
 「うげ!」
 「姫、くそ真面目な可愛いことを言うんじゃない」

 女性らしからぬ呻き声をあげた私の肩口に額を押し付け、ユリアスは公爵様にしてはお下品な言葉遣いで、そして微妙に文脈のおかしなことを言った。
 
 拘束はしているのだけれど、怪我をしているところには決して触れないようにしてくれている。こんなふうに、いかにも「思わず」という無意識らしい行為なのに気遣ってくれているのが嬉しい。
 ……なんてことをいきなり抱きすくめられても考えていられる私は。

 ユリアスのことが、けっこう?たぶん、かなり……?

 「あんた、可愛すぎる。ずっと生意気な美人だと思ってたのに」
 「……」
 
 偶然ですね。私もしばらく前までユリアスのことを「生意気な若造」だと思っていましたが。

 私はおとなしく抱かれたまま冷静に思い出した。
 
 「武人で。姫将軍だの戦女神だの言われていて。そのくせ、あんな」

 ユリアスは突然口を噤んだ。
 そのまま黙っている。

 「あんな、何?」

 言いかけて黙られると気持ちが悪い。
 続きを訊いてもまだ黙っているので、私はもう一度しつこく「あんなってどういうこと?」と催促した。

 ユリアスは顔を上げた。

 ちょっとだけ視線をさまよわせていたけれど、意を決したように私の目を覗き込み、

 「あんなことをされても必死で受け止めて。それで熱を出して寝込むなんて」

 可愛いと言わずしてなんという、と、ユリアスは断言した。

 「あんなことって」

 ……淫夢のようなあれこれのことを言われ、私は顔が熱くなった。熱も上がったかもしれない。

 羞恥で眩暈がしそうだ。見られていたことを覚えてはいるけれど。
 
 「姫。……リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ。あんたが好きだ」
 「……」
 「俺も姫が欲しい」
 「……」

 ひたむきすぎて、真っ直ぐ過ぎて、胸が痛くなるくらいのユリアスの言葉。
 たぶん本当に一時的に熱が上昇したかもしれない。思考停止。気の利いた返事ができない。
 欲しいってつまり、抱きたい、ってことだろう。

 覚悟はしていたのだけれど、何と応えたらいいのだろうか。
 今晩?または近々?
 「どうぞ」?それとも「わかりました」?

 「------俺のことは、まだ受け入れられないか?」

 黙って目線だけを下げた私は彼の目にどう映ったのか。
 ユリアスは多少冷静さを取り戻して言った。
 いや、「冷静に」と努めているのがわかる。少し苦しそうな声。

 「俺の顔か?それともはじめの頃の俺の暴言がまだ許せないか?」
 「ユリアス、違う」
 「顔は変えようがないんだが。……暴言のことはなんと詫びたらいい?」
 「違うの!」

 ユリアスが顔を歪ませるのが、それを私に悟られまいとするのが辛くて苦しくて見ていられなくて。

 私はユリアスの胸に顔を埋めた。
 くちづけでもしたらいいのかもしれないけれど、そこまで積極的になるのも恥ずかしい。私のできる今の精一杯だ。

 「ユリアス。……暴言なんて気にしてない。私の態度も大概だった」
 
 ユリアスは返事のかわりに私の背中を一回撫でた。

 「顔のことは。……克服できた。大丈夫。あなたのほうが百倍くらいイケメン」
 「いけめん?」
 「かっこいい、素敵、ってこと」

 私に備わった異世界自動翻訳機はたまに機能しないことがある。
 この世界の言葉はほとんどがラテン語に酷似しているけれど、こういうラテン語はないですからね。

 素敵と言われて喜んだわけではなさそうだが、多少は安心したらしい。
 私の背に回された手からこわばりが抜けた。

 「ユリアス、あなただけ受け入れないなんてことはない」

 あなたが好き、というほどまだ自分の感情に自信が持てない。でも、ユリアスには失望や落胆をさせたくないし、いい感情を持っていてほしい、と私ははっきりそう思っている。自覚している。 
 だから、遠回しな言い方だけれど私は熱心に語りかけた。

 「昨日、一昨日?から、急にあんなことをされて、あんなことになって。自分でもどうしていいかわからなくて。……接し方とか距離の取り方とか」
 「まあ、そうだろうな」

 ユリアスは同意してくれた。

 「俺は何が始まるのかと思った」
 「でしょう!?」

 わかってくれる?と目を合わせた瞬間、私はまた思い出した。
 何が始まったかと言えば、怒涛の複数プレイだったのだ。

 私は目を逸らし、ユリアスはだいぶ落ち着いたらしく苦笑を浮かべた。

 「いつまでも待てるほど聖人君子ではないが」

 ユリアスの手が背中を撫で、片手は私の頬をするりと撫でた。

 「今の姫には休息が必要だ。あとたぶん、考える時間と。そうだろう?」
 「ユリアス、なんでわかるの?」
 「好きな女の考えることだ。理解できなくてどうする」

 好きな女って。……また直球が投げ込まれました。

 「ゆっくり休んで、それから。今後のことや俺のことも考えてくれればいい」
 「有難うユリアス」
 「あいつらには接近禁止令を出しておく」

 物騒な言葉が出てきた。
 あのひとたちのことをストーカー扱いとは。

 「あんたがあいつらに会いたいなら止めないが。でも悪いことは言わん。二人きりで会おうものならあんたはすぐにその場で襲われるかまたは掻っ攫われるぞ。あいつらは強引だしあんたは絆されやすい」 
 「……かも、しれませんね」
 
 否定できないところが残念だ。

 「どうせすぐあんたに会わせろ、あんたを返せと特にうるさいのが二人いるだろうが、俺が同席しない限り面会謝絶にしていいか?」
 「お任せします」
 「決まりだな」

 従順な私の態度はユリアスのご機嫌をすっかり復活させたらしい。

 至近距離のユリアスは花が綻ぶような笑みを浮かべた(ちなみに彼はレオン様やシグルド様に比べると線が細いというか花の例えも違和感がない風貌なのである)。

 「ゆっくり眠るといい、姫。……夕食には戻る」
 「いってらっしゃい、ユリアス」
 「……ああ」

 ユリアスはたまらんな、と小声で呟き、不意に真面目な顔になって、これくらいはさせてもらうぞと律儀に断ってから私の口元に唇を寄せた。

 目を閉じて。見た目よりずっと柔らかなそれを自分の唇で受け止めながら、ようやく私は思い至った。

 ──ケイティはこういうことを見越して出て行ったのか。
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