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 「──説明してもらおうか」

 扉の閉まるのを待つのさえもどかしそうに、茶の支度をした兵士が退出するやいなや、レオン様は低い声で言った。 


 三公爵に加えオルギールと私は、衝撃の結末を迎えた歓迎式典のあと小さいけれど豪華な部屋に場所を移している。   
 ちょっとした打ち合わせ、密談しながらの食事、なんならお泊りもできる、というたいへん便利な部屋。 居住のためだけでなく執務棟も備えたお城には、大抵いくつもこのような部屋があるそうだ。

 レオン様は頗るご機嫌がよろしくない。というか、超絶不機嫌と言っていい。この部屋に入るまではなんとか無表情を保っていたのはさすがだとはいえ、部屋に入るなり着座もしないうちにこの発言である。

 ちなみに私はレオン様の膝の上に有無を言わさず座らされた。
 レオン様の不機嫌顔を間近に見るのは怖いのだけれど、当然といった様子で私をひきよせ、膝に乗せようとする彼に「お膝はイヤ」というほうがずっと怖いから、促されるまま大人しくしている。

 レオン様は卓に置かれた優美な茶碗を手に、ごくりと喉を鳴らして一口飲み下ろした。
 不味い茶だな!と言っているけれど、異様な空気に明らかに怯えた兵士が淹れたお茶だ。仕方がない。

 「リヴェアを俺たち三人の妻にすることは内定はしている。発表を早めることも承知だ。だが」
 「こんなかたちでの発表は考えてなかった、だろう?」

 火竜の君はあとを引き取った。
 優雅にお茶を一口啜り、確かに不味い、と呟いている。
 不味いならやめておこう、とユリアスはいったん手にした茶碗を皿に戻し、オルギールは自分の淹れたお茶以外飲む気はないのか、はじめから手を付けようともしない。 

 喉の渇いていない私はとりあえず大人しく続きを待った。

 「……リヴェア・エミール・ラ・トゥーラ姫」
 「え?」

 あらたまった様子でシグルド様に名を呼ばれ、私は背筋を伸ばした。
 レオン様の膝の上の私を見るシグルド様の水色の瞳は、いつになく厳しい。
 冴え冴えと凍るような冬の空色。

 「怖がらせるつもりはないがあえて言おう。……近隣諸国、あらゆる者どもがあなたを注目している」
 「注目?」
 「もっと言えば標的だ」
 「ルード!」
 「おい、ちょっと」

 レオン様が私の頭上で声をあげ、ユリアスも眉を顰めてシグルド様を見やる。
 オルギールは無表情だ。

 標的。……数日前、ユリアスの話を聞いてから覚悟はしているけれど。……容赦のない言葉だ。

 「言葉を飾るつもりはない。……姫」

 シグルド様はからだごと私に向き直った。

 「発端はレオンなんだ。昨年、大掛かりな違法薬物の密売組織を一網打尽にした」
 「伺っております」

 ユリアスから聞いた話だ。覚えている。
 頷く私に、シグルド様は話が早くて助かる、と言った。

 「密売組織を資金源にしていた国家の屋台骨に影響を与えた。が、そこは国家だ。大打撃だったようだが転覆してはいない。その国家がグラディウスに報復を企んでいる。それが、ギルド長を抱き込んでウルブスフェルの総督を薬物漬け、つまりシュルグでいいように操って、ウルブスフェルを内側からのっとろうとした。無論、鉄製品の横流しもその一環」
 
 理屈はわかる。ウルブスフェルで、オルギールも何度も私に言っていた。「真の敵を見誤らないように」と。
 あの時は総督が裏切った、のではなく、ギルド長一味が真の敵だったのかと思ったけれど、別の国家がバックについていたとは。ギルド長も、傀儡に過ぎなかったというわけか。

 「海の民も‘シュルグ’の闇取引を持ち掛けられ、ウルブスフェルの良質の鉄器の横流しでさらに利益を上げられるときたら懐柔されるのもやむなしだったろう。無論、庇うつもりはないが」

 奴ら、あまりに日和見で節操がなさすぎる。属州にするのはいい機会だったな。

 シグルド様はうんざりしたように言って、喉を潤すためだろう、不味いのを我慢してお茶を啜った。 

 「やすやすと一時的な協定、海上封鎖に応じたのも、ギルド長がうまく逃げおおせて、グラディウス軍の大物を人質にとれば御の字、失敗してもわずかな兵だけを残して我らがウルブスフェルを去ってから、海から攻撃するつもりだったからだ」
 「──その情報を得たのがギルド長を捕えた次の日です。‘影’からの報告によって」

 口を挟むことへの断りのつもりか、軽く会釈をして今まで黙っていたオルギールが口を開いた。

 「海からは海の民。目的はウルブスフェル陥落。陸においては国籍を明らかにしないままの兵士達。大半は雑兵でかため、主力兵を薬漬けにして強烈な暗示をかけ、‘狂兵’に仕立て上げた」

 オルギールの紫の瞳がまっすぐに私を見つめる。
 訓練の時、戦の時の、甘さの無い冷徹な瞳。
 
 「あなたを狙うために。リヴェア様」
 「そのとおりだ、姫」

 紅い髪を揺らして、静かにシグルド様は相槌を打った。

 「奴らは今では単なる‘エヴァンジェリスタ公への報復’だけではなく、陰湿な戦いを仕掛けているんだ。レオンの掌中の珠を手に入れようと」
 「‘影’からも続々と報告が参っております」

 オルギールの目線が逸れた。
 私の頭上、つまりレオン様に向けられたようだ。

 「戦では失敗したので。多量の間者、刺客がアルバへ入っているようです。……第一目的はリヴェア様の拉致。下手をすれば暗殺」

 恐ろしい言葉に、からだが冷える。

 暗殺なんて。どんなに危険な仕事に身を置いていても、遠いことだと思っていた。傭兵の頃は。
 国家の要人でもない自分は、戦場において自分の身を守ればいいだけなのだと。平時においては、ただの一個人。拉致も暗殺も無縁のことだったはず。

 無意識に外衣(マント)をかきあわせ、小さく身震いすると、レオン様が外衣ごと抱き締めてくれた。

 「だから、民衆の前で。……おそらくあの者達の中にもたくさん紛れ込んでいるであろう間者たちへの示威も兼ねて、リヴェアが俺の妻というだけではなく、三公爵のものだと宣言したわけか」
 「そうだ、レオン」
 「姫を狙うということはエヴァンジェリスタ公だけではなく、三公爵全て、グラディウス一族が本気になると知らしめるために、ということか」
 「そのとおり」

 冷静さをすっかり取り戻したらしいレオン様と、淡々と言葉を紡ぐユリアスに、シグルド様は頷いて見せた。

 「と、いうわけで、姫」

 ぴりぴりとした空気を和らげるためか、シグルド様はやわらかい笑みを浮かべた。

 「驚かせて悪かった。事情があってのことだとわかってほしい」
 「それは、わかりましたけれど」

 なんかもやもやする。
 私は上の空で返事をした。
 もやもやの原因は……?
 
 「でも姫、事情だけではない。一刻も早く、俺も姫の夫になりたい」
 「同感だ」

 ユリアスは簡潔に、しかし力強く頷いた。
 レオン様は盛大に舌打ちをしている。

 「反論の余地もないというわけか。‘影’の報告という裏付けまであっては」
 
 あとのほうは、オルギールに向けた嫌味なのだろうか。彼は黙って頭を下げた。 

 「オルギール、そういえば」

 シグルド様は不機嫌なレオン様を放っておくことにしたらしく、オルギールに目を向けた。

 「侯爵位の件、よかったな」
 「お陰を持ちまして」
 「歓迎するぞ、オルギール」

 ユリアスも言葉を添える。

 「お前が無爵ということ自体、歪なことだったんだ。あるべき姿になったと言うべきだろう」
 「四人目の夫、というのは正直複雑だがな」
 「……皆さま」

 思ったよりも大きな声が出てしまった。
 どうした?と、頭上のレオン様が優しい声をかけて下さるけれど、私が物を言いたいのはあとのお三方に対してだ。
 
 もやもやの理由、わかった。

 「事情はわかりました。皆の前での公言、それはもうけっこう」

 ひどく尖った声。自分でもわかる。
 なんとなく、腹が立ってきたのだ。シグルド様に。ユリアスに。オルギールにさえ。
 ……埋められていく外堀に。

 「私はレオン様の庇護を受ける身です。私はレオン様のもの」

 私はレオン様にできうる限り擦り寄った。
 もともと外衣ごとすっぽり抱かれているから、頬をレオン様の腕にくっつけるのがせいぜいだけれど。

 「いくら理屈があっても。グラディウスが妻を共有する場合があると言っても。侯爵が四人目のナントカになると言っても。私が逆らえる立場ではないと言っても」

 私は三人を均等に睨み据えた。
 ひめ、と呟いてシグルド様は茫然としている。
 ユリアスは軽く眉を顰めて私を見つめている。
 オルギールは私に顔を向けてはいるけれど久々に見る無表情の極みで石像のようだ。

 ……苛々する。 
 このひとたち、レオン様のことを何だと思っている?
 三公爵は結束が強くて、互いに優劣がなくて。侯爵位を得るまでは過去に色々な事情のあるオルギールにもざっくばらんに付き合って、地位や職責を与えて。
 リベラルなグラディウスには感心させられることが多いけれど、ひととしてどうなの!?と思ってしまったのだ。

 レオン様の恋人に──私に手を出すことを、あまりにも軽く考えていないか?
 レオン様に失礼だ。

 オルギールのことは好きになってしまったし、からだを重ねてもいるけれど、それは私が自分の感情を受け容れたためだ。
 言い寄られてぐらぐらする私は多情で淫乱で大概だけれど、それは私の問題だし、いずれは複数の夫を持つこと、とレールを敷かれているのだから一夫一婦制の倫理観など放り捨てるしかないではないか。

 でも、この三人。
 グラディウスと言えど、一妻多夫が当たり前でもないのに、どうしてこう悪びれもせずレオン様の所有物──私はものではないけれど──を「お前のものは俺のもの」的に考えるのだろう?

 「皆さま全てろくでなしです!」

 ろくでなし、と、ユリアスが冷静に反芻している。

 「レオン様が喜んで私を共有‘させる’なら、それもやむなしだと思っていました。でも、そうではない。グラディウスの歴史と公爵の責任、それに昨今の事情がそうさせるのに、レオン様がどんな気持ちで共有を認めてらっしゃるか。あなた方はそれを考えたことがおありですか?」
 「リーヴァ」

 レオン様が私の頭を撫でてくれたけれど、私の怒りは収まらなかった。
 水色、暗緑色、紫色。綺麗な三色、三対の瞳がそれぞれの表情を浮かべて私を映している。
 
 「ろくでなしはレオン様にもっと敬意を払うべきです!」
 「レオンを馬鹿にしたことなんて一度もない。俺たちは互いに敬意と信頼を持っている」

 シグルド様は本気で困惑しているらしく、大真面目に言った。ユリアスは頷き、オルギールは否定をしない。
 そして、シグルド様は首を傾げながら尚も言う。

 レオンに丁重にお願いをすればいいのか?と。

 「お前の女に手を出して申し訳ない、と?」
 「悪いがお前の女を口説かせてくれ、と?」
 「閣下、どうかリヴェア様を抱かせて下さいとお願いすべき、と?」

 そのほうが微妙だと思うが、とシグルド様は言い、同感だ、同感ですねとあとの二人も頷いている。

 違う、なんか違う。ニュアンスが伝わらない。
 おまけに、頭上のレオン様は苦笑交じりに私の頭を撫でまわし、リーヴァ、もういい、俺のために怒ってくれているのか、可愛いな、と甘々に囁きかけている。

 ひとりで苛々して私は阿呆か?

 「……ばか!!!!」

 そのひとことに万感の想いを込めて。
 私は精一杯叫ぶと、勢いに任せてレオン様の腕を振りほどいて膝から滑り降りた。

 リーヴァ、とか、リヴェア様、とか色々聞こえたけれど、私はお姫様姿であることも忘れて勢いよく扉を開け、衛兵達を蹴散らして部屋を飛び出した。
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