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 薬が投与されるところまでを確認して、私たちは部屋を出た。

 医者の話では、効いてくるまで最低でも半刻ほどはかかるとのことだったし、そもそも私は何もできず、レオン様はアルフの顔を見て、権力によって薬を与えることまでが目的だったのだから部屋に長居する理由はない。土下座はレオン様が許さなかったからやめたようだけれど、涙ぐみつつ蜻蛉が切れるほどお辞儀を繰り返すジョスリンと医者を後にして宿屋を出ると、既に日は暮れて、家々にあかりが灯る時刻となっていた。

 二人それぞれの馬で来たのに、帰りはレオン様の馬に引っ張り上げられてしまい、私はしょうことなしにレオン様の胸によりかかって馬に揺られている。町へ来たのだから食事でもして帰ろうか?とレオン様はすごく優しく言ってくれたけれど、黙って首を横にふってお断りをしてしまった。確かに、せっかく町へ出たのだから貴重な機会なのだが、とてもそんな気持ちにはなれなかったから。レオン様は気を悪くする様子もなく、黙って私の頭をくるくる撫でてくれた。

 頭の中の大半はアルフのことでいっぱいだ。この世界へ来てまもなく、賭け試合をしたこと。別動隊の結成で彼と再会したこと。戦勝祈願の宴。そして、行軍中。
 不敵に笑い、よく話し、まっすぐに私を見つめる、生を謳歌する力強い彼しか思い出せないのに、宿屋での彼の姿は別人のようだ。長年の軍隊生活で、生と死を間近で見つめる状況にあった割には、彼の変わり果てた姿をいまだにまだ、どこか非現実的なものと感じている自分がいる。と同時に、危篤なんだ、もう彼の声を聴くことはないかもしれないんだ、と、恐ろしくて残酷な認識をする自分もいて。

 なぜ、帰還後まもなく彼に会おうとしなかったのだろう。別動隊の皆のことを忘れたわけではなかったけれど(独身の兵士が無事で帰ったら‘酒と女’としたものなのだ。帰還後すぐに上官が面会したがるなど、野暮の極みと言うべきだったので)、レオン様に甘えて色ボケしていた自分がイヤになる。アルフはウルブスフェルで救護所に行っていたのに。あの時から、手当を受けなくてはならないほどの傷を負っていたのに。帰ってから、一声、かけに行っていたら。

 「……君のせいじゃない。といっても君は自分で色々考え込むんだろうが」

 ゆったりと手綱を取って馬を歩ませつつ、レオン様は唐突に言った。
 レオン様のお気に入りの姿勢、つまり、私の耳の後ろのあたりに鼻をつけてすんすんしながら。

 「怪我は軍人であれば当然のこと。そして、負傷後の身の始末も自己責任。彼は君が以前話してくれた少女とはわけが違う。君が責任を感じる余地は一片たりともない」

 そうかもしれない。でも……。

 「君は俺に縋り、俺は君の頼みを聞いて彼に薬を与えた。十分だ。それ以上、何ができる?何をすべきだったというんだ?」

 レオン様はいつも正しい。でも……。

 「いいかげんに戻ってこい、リーヴァ。でないと今晩、抱き潰すぞ」
 「へ?」

 とんでもない言葉が最後に聞こえて、私は間の抜けた声を出した。
 見上げるとレオン様がすんすんを中断して私を覗き込んでいる。綺麗な金の瞳が獰猛な色を宿していて、レオン様の言葉が冗談ではないと言っているようだ。

 「レオン様、私は真剣に」
 「そのへんで止めておけ。城へ戻るまでそんな調子なら俺にも考えがあるぞ」

 考えって、レオン様。ヤらしいことだけでは。

 「俺の腕の中で他の男のことを考えっぱなしか?いい度胸だな」
 「ひゃ!」

 不意打ちのように、額に唇を押し当てられた。
 やめて下さい。城下を闊歩しながらそんなことは。
 馬の歩みはとてもゆっくりだし、さっきから町行く人がこちらを口を開けてみているのがわかるのだ。
 恥かしくていたたまれない。
 公爵様では、とか、姫将軍?、とかいう声も聞こえ始めて、そろそろこんなバカップルを晒すのは真剣にまずいのではないかと思う。

 けれどレオン様はもともと見られることに慣れているのか、それとも羞恥心という言葉が辞書にないのか。両方なのかもしれないが、周囲の様子など歯牙にもかけないようだ。

 「俺は少しイラついている。つくづく見たが、さすがグラディウスでも有名な色男だな。あいつがリーヴァに入れあげていて、そんな奴を助ける薬をくれてやるなど。やはり俺は間違っていたかもしれん」
 「レオン様ったらなんてこと!」

 まだ、薬が効いたかどうかもわからないのに。
 ……でも、効いていると思う。効いていてほしい。せっかくレオン様が一肌脱いで下さったのだし。オルギールが開発した薬だそうだし……。

 そうだ、オルギール。

 「レオン様、オルギールのことを教えて下さい」
 「やっと戻ってきたようだが。……また他の男の話か」

 レオン様は軽く私を睨んで、耳殻をかり、と噛んだ。
 痛いですと真面目に訴えたところ、悪かったなと言ってこんどは噛んだところをぺろぺろしている。

 きゃあ、とかすてきぃ、というのはまだしも、仲のよろしいことですな!というストレートなヤジが聞こえ始めた。

 無視、無視。赤くなったりもじもじするからよくない、とオルギールも言っていた。
 ──私は努めて平静に先を続けた。

 「オルギールが開発した抗菌薬、なんてびっくりでした。彼は薬師ですか?」
 「当代きっての研究者。当代どころか過去現在未来、彼ほどの逸材は現れないだろう」
 「はあ……」

 色々「万能のひと」情報は聞いていたけれど、そこまで凄いのか。いつも自分のことを医者だと言うたびにヤらしいことばかりするからこのひとはなんのために医者になったんだ!?と思っていたのに。

 「医学、薬学に通じているせいで、製剤・調剤ギルドの長、というより‘顧問’という名で君臨している。まあ、そのギルドにも‘開発者’にもグラディウス一族は莫大な資金提供をしているから、実質、ギルドはオルギールとグラディウス一族の傘下にある」

 製薬会社と為政者がタッグを組んだら最強だろう。
 だから、リリー商会?ほどの富裕な家でも、お金を積んだくらいではすぐに入手できないほど統制がとれているのか。

 「製品化して安定供給できるようにしたのもあいつだ」

 少しゆっくり過ぎると思ったのだろうか。レオン様はかるく馬の横腹に踵をあて、速度を上げた。

 「エヴァンジェリスタ領に工場がある。研究施設はアルバの郊外だ。製薬、発明品の権利の譲渡と、あるいは権利の使用料。彼はそれで巨万の富を得た。得続けている。で、得た利益を財団を作って有益な人材に提供している。その人材をまた研究施設へ取り込む」
 「抜かりなさすぎ。……」
 
 漏れがない。ある意味、えげつないほどに。

 「そのとおり。だから、グラディウス一族も、オルギールの使い方を誤らないようにして、しっかりと利益確保するのさ」
 「なるほど」

 私は深く深く頷いた。
 彼ほどの万能の人材、使いづらいと感じる主は少なくないだろう。
 と同時に、その人外の美貌に嫉妬したり、溺れたり、必ずや彼のとびぬけた外見を巡って争いごとも起こりうる。
 けれど、グラディウスなら。さらに、レオン様なら。見た目に惑わされることもなく、オルギールの天才ぶりを正しく把握し、臣下として従えつつもオルギールのプライドも損ねず互恵関係を築くだろう。

 ……でもまだひっかかる。

 いや、ひっかかるというより、素朴な疑問。
 そもそも、いつから(幼なじみとは言っていたけれど)、どういうきっかけで、オルギールはここまで公爵様方の側近中の側近としてとりたてられたのだろう。

 オルギールは、身分など不要、と言っていた。実際、あれだけの武人でありながら、階級は「大佐」だし。けれど、本当に何らの身分もない市井の子供が、容易に公爵様方と知り合いにはなれないと思う。

 「まだ何か聞きたそうだな」

 あいつはいてもいなくても場を支配する。
 君の歓心を引くのも当然か。レオン様はそう言って私のこめかみにちゅっとした。

 「レオン様、彼の身分とか階級のことですけれど」
 「ああ」
 「大佐って、低すぎません?」
 「あいつが断るんだ、仕方がない」

 レオン様は心なしか憮然として言った。いろいろ、あったらしい。

 「信賞必罰。適正な査定評価。もちろん彼ほどの人物が本来‘大佐’などあり得ないのだが、あいつは手柄を立てるたびに昇進を断るのだ。金銭だけでよい、と。まるで、グラディウスが彼を危険視して昇進させないように思われるのではないか、それも不本意だ。そう言って無理やり階級を押し付けようとしてもだめだった。身分も然り、だ」
 「身分?」
 「爵位だな」

 レオン様はまたいつのまにかとても曖昧な表情を浮かべていた。

 「グラディウスには王家がない。だから通常なら爵位は血が途絶えて断絶はあっても増えることはない。勝手に名乗っても誰も取り合わないからな。しかし、実質は俺たちが管理している。勝手に爵位は名乗らせない。かといって体制の崩壊に関わるほど爵位を減らして貴族階級を無くすつもりもない。だから家名の断絶も下賜も三公爵家が管理している」 
 
 またうまいことをやっているのですね、グラディウスは。

 「あいつに適当な爵位を与えようとしたんだが、不要、と。今はいらない、と言い続けて十年以上たった」
 「今は?」
 「そうだ。ずっと‘今は’いらない、と言っていた」
 「じゃあ、いつかは……」
 「そのつもりだろう。というより」

 まさに今、か。とレオン様は奇妙な声音で呟いたのだけれど、このときの私は気に留めることなくひたすら自分の思考を追っていた。

 ──そうか。軍の階級はいらないというオルギールも、身分はあったほうがいいと思っているのか。
 まあ、こういう世界なら間違いなくないよりあったほうがいいのだろう。
 階級が上がっても責任が増えるばかりだけれど、身分は殆ど‘箔’のようなものだしね。
 ひとの上に立つのは‘箔’が重要なのも事実だけれど。

 彼が爵位を得ようとする時期も気になるけれど、私が聞きたいことは他にもある。

 「レオン様。爵位の無い彼が、なぜ三公爵の方々と幼なじみなのですか?」 
 「幼なじみ?」

 レオン様は金色の目を見開いて、数回瞬きをした。
 濃くて長い同じ色の睫毛が動くさまは、比喩ではなく本当に音がしそうだ。

 「あいつが?自分でそう言ったのか?」
 「違うのですか?」
 「いや、そのとおりだが」

 レオン様はしばらく私をじいっと見つめたあと、ふ、と緩やかに笑んで私の頭を一回撫でた。

 「レオン様?」
 「あいつの過去のこと。俺たちとの関わり。彼はひとに聞かれても自分のことはほとんど話さないんだが、幼なじみ、と言ったか。……そのうちわかる、リーヴァ。それに、戻ってきたら彼が自分で話すだろう。あいつと俺たちは本当に小さい頃からの付き合いだ。揺籃の頃からと言ってもいい」
 「それは……」

 赤ちゃんの頃からなんて。オルギールにもそんな時期があったのか、と思わず考える自分はおかしいのだろうが(だって俺様・無表情なオルギールは生まれたときからあんな感じに見えるから)、要するに親同士の交流があったということか。

 「ということは、レオン様」
 「俺が話すのはここまで。かなり込み入った、かつ、陰惨な話にもなるからあいつに聞くといい。というより」

 戻ったら最後、君から離れようとはしないだろうから。聞きたくないといっても話すだろう。

 ──静かで考えの読めない曖昧な笑み。レオン様はオルギールのことを話すとき最近この顔をよくするような。
 ひたすら彼を称賛して、評価するときの顔と、この顔。……心から楽しげではない。でも怒りはないし、嫉妬?彼を評価しながらもそれはあるのだろうか。けれど、そんなものですらなさそう。……悟り、諦念。

 そう、悟ったかのような静けさ、というのが一番近いのではないか。

 レオン様とオルギール。いや、三公爵とオルギールの関係。立ち位置。
 それは、今後の私の人生にも深くかかわるはずだ。
 私が三公爵の妻になって、オルギールはどうなる?レオン様はオルギールの私に対するアレコレを、ある意味容認、黙認しているようだけれど、他の公爵様方の考えは?そもそも、私はどうすればいい?オルギールは男が勝手にやってるだけだから嫌じゃないなら考えずに受け入れろ、って何度も言っていたけれど、簡単な事ではない。三人の夫に一人の恋人?……ありえない。どこの尻軽女だ。ありえない……

 「やはり今晩は抱き潰そうか」

 唐突に、レオン様はまた不穏なことを囁いた。
 
 え?……なぜ、この流れでそうなるのですか?
 我に返ってレオン様の顔を振り仰ぐと、またまたさっきのような、いや、さっきよりもさらに危険な目で私を見下ろしている。

 「リリー隊長のことはやむを得ないとして、今はオルギールのことばかり考えてるだろう」
 「オルギールとレオン様のことです」
 
 私は反射的に口答えをした。いつもいつも何かにつけてお仕置きをされ、今晩も抱き潰しという名のお仕置きなど、たまったものではない。

 「オルギールとレオン様、他の公爵様方のことや、今後のことを真剣に考えていたのです」
 「生真面目な君らしいが」

 レオン様は鼻でせせら笑いつつ、随行する兵士に軽く頷いてみせた。

 開門!と、朗々と響く兵士達の声とともに、濠を渡る跳ね橋が下ろされた。グラディウスの城は見てくれは優美で端麗だけれど、守りは厳重だ。アルバは肥沃な平野に築かれた都だが、都の外も、城の周囲も深い濠があってどちらも少なくない水量で満たされている。

 跳ね橋を渡り終えると、レオン様はいきなり私にくちづけた。

 不意打ちに飛び上がって反応する私を面白そうに眺め、最後に音を立てて唇を吸いあげると、今は俺のことだけ考えていろ、と言ってもう一度私の唇を捉え、今度はなかなか放してはくれなかった。 

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