111 / 175
連載
8.-14
しおりを挟む
黒髪を首の後ろで結わえた、すらりとした男性。歳の頃は三十から四十、といったところだろうか。整った顔は年相応の穏やかさがあるけれど、眼光は鋭い。こげ茶の皮のズボン、濃紺のシャツ。多少濃淡で変化をつけた、シャツと同色の上着。飾り気はないがどれも上質なものだ。
剣は吊るしていないから武人ではない。身ごなしからいってもそうだ。風体からすると、ゆたかな平民?とか。富裕な商人とか。戸口の男は用心棒、といったところだろうか。
……あれ?富裕な商人?アルフの実家は確か……
「若、この者らがアルフ様の上司だと名乗って」
「上司?」
困惑顔の猪首の男に「若」と言われた男は、探るような目を私たちに向けた。
切れ長の、少し充血した紅い瞳。褐色の肌。
たぶん、彼は、アルフの。
「わざわざ、このようなところへ。……上司の方、と?」
彼は少し首を傾げ、私たちをさらに見つめ。……やがて驚愕したように目が見開かれる。
「もしや、あなたは。いや、あなた様方は……」
「とりあえず部屋へ入れてもらおうか」
レオン様は前置き無しに言って、傲然と部屋に向けて顎をしゃくった。
「それは、むろん!……これは、また……」
何度も頷きつつも、彼はまだ我が目を疑うかのように目をこすったり、私たちを見たりしている。
そして、彼を「若」と呼んだ男に人払いを言いつけ、どうぞと私たちを部屋へ迎え入れた。
******
粗末な寝台とひとり用の小卓、椅子が二脚。
狭い部屋ではないけれど、とにかく何もない、殺風景な部屋。
窓は、通りに面した小窓が一つだけ。
「アルフ。……」
窓も扉も閉め切っていたのだろうか。
戦場でも何度も嗅いだ覚えのある、すえた臭い。化膿した生傷の臭い。同時に、消毒薬の臭いもする。
土気色の顔。苦しげに顰められた形のよい眉。半開きになった、渇いた唇。
寝台の奥にはもう一人初老の男がいた。白衣を着て、見るからに、医者、という感じだけれど、患者の容体が悪いせいだろうか、疲れ切った目、落ちた肩。全身に疲労感が立ち込めている。
「アルフ!」
寝台の傍に駆け寄ろうとすると、レオン様が私の腕をつかみ、押し留めた。
なぜ!と見上げる私を目線だけで黙らせると、
「お前はこの男の家族か?」
と、彼──アルフによく似た男性に向き直った。
「はい。申し遅れました。ひらにお許しを。……ジョスリン・ド・リリー。アルフの兄でございます」
「兄、と言うと」
やっぱり、とひとり頷く私の隣で、レオン様は僅かに眼を細める。
「リリー商会の会頭か」
「見知り頂くとは光栄の極みでございます、閣下」
男性、もといアルフのお兄様、ジョスリン氏はそれはそれは恭しく、頭も腰も屈めて言った。
レオン様を知っている様子だ。まあ、美貌のグラディウス三公爵様は絵姿も出回っているそうだし、アルバのひとなら当然かもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
アルフの容体はどうなのか。
「社交に来たのではない。……その者の容体は?」
レオン様は丁重な礼には鼻もひっかけず単刀直入に言った。
「よくありません」
項垂れて目を伏せ、ジョスリンは答えた。
「我ら家族も、今朝、居所を突き止めたばかりで。……私が医師を伴って参りました時には既にこの状態で」
「感染症なら有効な薬があるはずだ」
レオン様は、横たわるアルフの顔をずっと見ている。
「いっけん快活」なレオン様が時々見せる、曖昧で何を考えているかわからない顔。
「お前の家なら入手できなくはないだろう。なぜ、手を拱いている?」
「お言葉ですが、閣下!」
きっ、とジョスリンは面を上げ、レオン様に挑むような眼を見せる。
「閣下もご存じのはず。……感染症の治療薬は途方もない金額であるのみならず、厳重な許可制になっております!むろん、金など当然厭いませぬ。幾らでも用意いたしますのに、許可が出なくては……!」
「失礼だけれど、お金を積んで許可を早められないの!?」
もどかしくてとんとんと足を踏み鳴らしながら、私は思わず割って入った。
レオン様、ジョスリン、医師、先導の兵士。全員の目が私に向けられる。
「姫君は実情をご存じない」
ジョスリンは苛立ちを隠そうともせずに言った。
「感染症の薬は用途によっては毒ともなりうる。よって、開発者と失礼ながら(と、ここでレオン様にも向き直りつつ)グラディウス家の意向により厳重な、厳重すぎる管理下に置かれて!」
「さようで。……急場の用にはとても間に合いませぬ」
医師が嘆いた。
リリー家のお抱えなのだろうか。疲れ切っている様子なのに、アルフの額に滲む汗をひっきりなしに拭ってやり、彼に向ける目はとても温かい。
「診察医の一筆。それを調剤機構へ提出し、開発者の認可を待つのでございます。処方した分のみ入手が許されるため、蓄えて確保することもできず」
「薬が開発され、市場に出た直後から、誤った利用、悪用によって多数の被害者が出た。管理を厳重にしたのはその事情によるものだ」
わが身の愚かさ故にわが身の首を絞めるのだ。ともすれば、民というものは。
……睨まれるのは筋違い、とでも言いたげに、レオン様は皮肉った。
為政者として、レオン様の意見も道理だと思う。
でも、目の前に重篤な患者がいて、効くかもしれない、効くであろう薬があるのにそれが手に入らないなんて。
重苦しい沈黙の中、アルフの苦しげな息遣いだけが聞こえる。
たくさん、同僚を、部下を、上司を。亡くなる兵士達を見送ったからわかる。彼が生きているのは、彼にまだ体力があるから。それだけの理由。顔色だけ見れば既に死人のようだ。
「レオン様、お願い!!」
私はレオン様に背中から縋りついた。リーヴァ、とレオン様は半身を後ろに向けて、私の頭を撫でる。
人前では冷静に、クールにきめようと思ったけれど、私には無理だ。
アルフの家族とその懇意の医師。レオン様麾下の兵士だけだ。気取っていても仕方がない。
「お願い、レオン様、グラディウスなら、公爵家になら、薬の蓄えくらいあるのでしょう!?」
「……まあな」
「閣下!!」
ジョスリンはいきなりがば!と身を伏せた。
大の大人が滅多にやらない土下座だ。ささくれた粗末な板張りの床に、平伏している。
彼は額を床に擦り付けるようにして言った。
「閣下、なにとぞ、なにとぞ……!閣下に申し上げるのも憚りながら、金ならいくらでも、わが商会の権益でも、どれほどでもお渡ししますゆえ……!!」
「そんな恰好は今すぐやめろ」
レオン様は冷然と言い放った。
そして、おい、と、麾下の兵に声をかける。
黙って頭を下げて命令を待つ兵士に、印章付きの指輪を抜いて渡した。
「俺の城の医局へこれをもってゆけ。それで、」
ふと顔を上げて、
「医者。感染症薬は五種、それぞれ色の名で呼ばれているはずだが、この男にはどれをどの程度?」
「ウィリデ、‘緑’でございます、閣下」
弾かれたように医者が顔を上げた。疲れて淀んだ瞳に生気が宿る。
「朝晩、七日も服用すれば、と」
「だそうだ。急げよ」
「心得ました」
レオン様の麾下の、それもいつも連れている兵士は本当によく訓練されている。
二度言わせることはなく、深く頷いた次の瞬間、身を翻して去っていった。
******
薬が届くまで半刻とちょっと、という素早さだったのだけれど、アルフの枕辺で待つ者にとっては永遠のように感じる時間だった。
無表情なレオン様、そわそわと薬の到着を待つ医者とジョスリン。
普段から交流があるわけではなさそうだけれど(居所がわからなかった、と言っていたし)、彼らの様子を見るにつけ、家族仲が良く、アルフは大切にされて育ったのだろうな、と思う。十歳前後は年上のようだし。ジョスリンは長兄だろうか?歳の離れた弟(アルフ)を可愛がっていたに違いない。
苦しそうで、もう意識のないアルフを見ているだけなのも辛くて、ジョスリンを見たり医者を見たりしながら、つらつらと思いを巡らしていると。
「閣下」
と、ジョスリンが控えめにレオン様に声をかけた。
レオン様が目線だけを向けて続きを促すと、
「そちらの姫君は、もしや、この度の出兵の……」
「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラです」
私は軽く頭を下げた。
多くを語るべき場ではないから、そのまま口を噤む。
「さようでございましたか」
ジョスリンは、アルフよりも少し線の太い、形の良い眉を軽く動かした。そして、あなた様が、なるほど、となぜだか何度も頷いて納得している。
どうしたのかな、と思っていると、実は弟(アルフ)が、と問わず語りにジョスリンは切り出した。
──城内でご迷惑をおかけした騒ぎ(たぶん有名な痴話喧嘩のことだろう)の後、勘当同然だったし、弟も実家に寄り付きもしなかったが、今回の出兵前に一度だけ本宅へ顔を出したのだと。今回の指揮官は期待が持てる、手柄をもぎ取ってやる、と。
「総大将たるオーディアル公閣下のことを言っているのだと思ったのですが」
彼はその時のことを思い出したのだろう、わずかに口元に笑みを浮かべた。
「あのような弟を久しぶりに見たのを覚えております。……あなた様のことだったのでしょう」
何と言ってよいやら。
ジョスリン氏はどこまでわかっててそれを言うのだろう?アルフに告られ、オルギールやレオン様いわく、「口説かれて」いたらしい私は反応に困る。
それに、レオン様。
二脚しかない椅子を我々に勧められ、とりあえずレオン様も私も遠慮なく座ってしまったのだけれど、私は隣のレオン様をちらりと横目で見てしまった。
レオン様もこちらを向いていた。
心の内を読ませない、静かな金色、琥珀色の瞳。
おかしな反応を返して後になってお仕置きネタにされては困るから、私はとにかく黙って薬の到着を待つことにした。
──それにしても。
この世界に「感染症薬」があることには驚かされた。ある程度進んだ科学的な知識、というか、抽出技術などがないと、市場に出すほど生産できないだろうに。
開発者の認可、と聞いた。認可するほうも仕事が増えて面倒くさいだろうに。悪用、流用、よほどのことがあってそんな決まりにしたのだろう。まあ、でも希少価値があるほうが値段は跳ね上がるわけだし、考えようによっては「民が云々」よりも、利益第一主義のようにもとれるけれど。どちらにしても頭のいいやり方ではある。
で、さすがというか当然というか、公爵家の城にはそれが常備されている、というのもやはり驚かされる。権力の賜物か。それとも、開発にグラディウス家も出資しているのか。調剤機構?それも、グラディウスの管轄だったりするのだろうか。
「……本日は姫君の副官はいらっしゃらないようで」
ジョスリンは奇妙な声音で言った。
心配のあまり、黙して待つことに耐えられないのだろうか。話題をあちこちに飛ばしながら、ぽつりぽつりと彼は話し続ける。
たぶん、頭は素通りのまま言葉だけ紡いでいるのかもしれないが。
「多忙でいらっしゃるのでしょうが、もしもここにカルナック大佐殿がいらっしゃったら」
彼は苦しげにも見える様子で顔を歪めている。
なぜだろう。
「閣下、お許しを。……申し上げざるを得ません。カルナック大佐殿が、……開発者殿がアルバにおられたら、もう少し認可も早く下りましたでしょうに。閣下にお越し頂く前に、弟は」
「お前の弟は今もまだ生きている。そして薬の到着を待っている。……繰り言なら死んでから言え」
レオン様の発言は二の句が継げぬほど鋭いものだったけれど、私の脳内はジョスリン氏による新情報の衝撃によりスパークしてしまったようだ。
オルギールが開発者。最先端の新薬の。常々「私は医者ですから」と問題行動の前には必ず標榜していたけれど、医者どころか、研究者。いや、薬使い、毒使い。……
彼はいったい何者なのだろう?そういえば「引継ぎ」って、今何をしているのだろう?
今更ながら彼の正体をほとんど知らないことに気づき、レオン様にでも聞こうか、と思っていると、階下で物音がした。
薬が到着したらしい。
剣は吊るしていないから武人ではない。身ごなしからいってもそうだ。風体からすると、ゆたかな平民?とか。富裕な商人とか。戸口の男は用心棒、といったところだろうか。
……あれ?富裕な商人?アルフの実家は確か……
「若、この者らがアルフ様の上司だと名乗って」
「上司?」
困惑顔の猪首の男に「若」と言われた男は、探るような目を私たちに向けた。
切れ長の、少し充血した紅い瞳。褐色の肌。
たぶん、彼は、アルフの。
「わざわざ、このようなところへ。……上司の方、と?」
彼は少し首を傾げ、私たちをさらに見つめ。……やがて驚愕したように目が見開かれる。
「もしや、あなたは。いや、あなた様方は……」
「とりあえず部屋へ入れてもらおうか」
レオン様は前置き無しに言って、傲然と部屋に向けて顎をしゃくった。
「それは、むろん!……これは、また……」
何度も頷きつつも、彼はまだ我が目を疑うかのように目をこすったり、私たちを見たりしている。
そして、彼を「若」と呼んだ男に人払いを言いつけ、どうぞと私たちを部屋へ迎え入れた。
******
粗末な寝台とひとり用の小卓、椅子が二脚。
狭い部屋ではないけれど、とにかく何もない、殺風景な部屋。
窓は、通りに面した小窓が一つだけ。
「アルフ。……」
窓も扉も閉め切っていたのだろうか。
戦場でも何度も嗅いだ覚えのある、すえた臭い。化膿した生傷の臭い。同時に、消毒薬の臭いもする。
土気色の顔。苦しげに顰められた形のよい眉。半開きになった、渇いた唇。
寝台の奥にはもう一人初老の男がいた。白衣を着て、見るからに、医者、という感じだけれど、患者の容体が悪いせいだろうか、疲れ切った目、落ちた肩。全身に疲労感が立ち込めている。
「アルフ!」
寝台の傍に駆け寄ろうとすると、レオン様が私の腕をつかみ、押し留めた。
なぜ!と見上げる私を目線だけで黙らせると、
「お前はこの男の家族か?」
と、彼──アルフによく似た男性に向き直った。
「はい。申し遅れました。ひらにお許しを。……ジョスリン・ド・リリー。アルフの兄でございます」
「兄、と言うと」
やっぱり、とひとり頷く私の隣で、レオン様は僅かに眼を細める。
「リリー商会の会頭か」
「見知り頂くとは光栄の極みでございます、閣下」
男性、もといアルフのお兄様、ジョスリン氏はそれはそれは恭しく、頭も腰も屈めて言った。
レオン様を知っている様子だ。まあ、美貌のグラディウス三公爵様は絵姿も出回っているそうだし、アルバのひとなら当然かもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
アルフの容体はどうなのか。
「社交に来たのではない。……その者の容体は?」
レオン様は丁重な礼には鼻もひっかけず単刀直入に言った。
「よくありません」
項垂れて目を伏せ、ジョスリンは答えた。
「我ら家族も、今朝、居所を突き止めたばかりで。……私が医師を伴って参りました時には既にこの状態で」
「感染症なら有効な薬があるはずだ」
レオン様は、横たわるアルフの顔をずっと見ている。
「いっけん快活」なレオン様が時々見せる、曖昧で何を考えているかわからない顔。
「お前の家なら入手できなくはないだろう。なぜ、手を拱いている?」
「お言葉ですが、閣下!」
きっ、とジョスリンは面を上げ、レオン様に挑むような眼を見せる。
「閣下もご存じのはず。……感染症の治療薬は途方もない金額であるのみならず、厳重な許可制になっております!むろん、金など当然厭いませぬ。幾らでも用意いたしますのに、許可が出なくては……!」
「失礼だけれど、お金を積んで許可を早められないの!?」
もどかしくてとんとんと足を踏み鳴らしながら、私は思わず割って入った。
レオン様、ジョスリン、医師、先導の兵士。全員の目が私に向けられる。
「姫君は実情をご存じない」
ジョスリンは苛立ちを隠そうともせずに言った。
「感染症の薬は用途によっては毒ともなりうる。よって、開発者と失礼ながら(と、ここでレオン様にも向き直りつつ)グラディウス家の意向により厳重な、厳重すぎる管理下に置かれて!」
「さようで。……急場の用にはとても間に合いませぬ」
医師が嘆いた。
リリー家のお抱えなのだろうか。疲れ切っている様子なのに、アルフの額に滲む汗をひっきりなしに拭ってやり、彼に向ける目はとても温かい。
「診察医の一筆。それを調剤機構へ提出し、開発者の認可を待つのでございます。処方した分のみ入手が許されるため、蓄えて確保することもできず」
「薬が開発され、市場に出た直後から、誤った利用、悪用によって多数の被害者が出た。管理を厳重にしたのはその事情によるものだ」
わが身の愚かさ故にわが身の首を絞めるのだ。ともすれば、民というものは。
……睨まれるのは筋違い、とでも言いたげに、レオン様は皮肉った。
為政者として、レオン様の意見も道理だと思う。
でも、目の前に重篤な患者がいて、効くかもしれない、効くであろう薬があるのにそれが手に入らないなんて。
重苦しい沈黙の中、アルフの苦しげな息遣いだけが聞こえる。
たくさん、同僚を、部下を、上司を。亡くなる兵士達を見送ったからわかる。彼が生きているのは、彼にまだ体力があるから。それだけの理由。顔色だけ見れば既に死人のようだ。
「レオン様、お願い!!」
私はレオン様に背中から縋りついた。リーヴァ、とレオン様は半身を後ろに向けて、私の頭を撫でる。
人前では冷静に、クールにきめようと思ったけれど、私には無理だ。
アルフの家族とその懇意の医師。レオン様麾下の兵士だけだ。気取っていても仕方がない。
「お願い、レオン様、グラディウスなら、公爵家になら、薬の蓄えくらいあるのでしょう!?」
「……まあな」
「閣下!!」
ジョスリンはいきなりがば!と身を伏せた。
大の大人が滅多にやらない土下座だ。ささくれた粗末な板張りの床に、平伏している。
彼は額を床に擦り付けるようにして言った。
「閣下、なにとぞ、なにとぞ……!閣下に申し上げるのも憚りながら、金ならいくらでも、わが商会の権益でも、どれほどでもお渡ししますゆえ……!!」
「そんな恰好は今すぐやめろ」
レオン様は冷然と言い放った。
そして、おい、と、麾下の兵に声をかける。
黙って頭を下げて命令を待つ兵士に、印章付きの指輪を抜いて渡した。
「俺の城の医局へこれをもってゆけ。それで、」
ふと顔を上げて、
「医者。感染症薬は五種、それぞれ色の名で呼ばれているはずだが、この男にはどれをどの程度?」
「ウィリデ、‘緑’でございます、閣下」
弾かれたように医者が顔を上げた。疲れて淀んだ瞳に生気が宿る。
「朝晩、七日も服用すれば、と」
「だそうだ。急げよ」
「心得ました」
レオン様の麾下の、それもいつも連れている兵士は本当によく訓練されている。
二度言わせることはなく、深く頷いた次の瞬間、身を翻して去っていった。
******
薬が届くまで半刻とちょっと、という素早さだったのだけれど、アルフの枕辺で待つ者にとっては永遠のように感じる時間だった。
無表情なレオン様、そわそわと薬の到着を待つ医者とジョスリン。
普段から交流があるわけではなさそうだけれど(居所がわからなかった、と言っていたし)、彼らの様子を見るにつけ、家族仲が良く、アルフは大切にされて育ったのだろうな、と思う。十歳前後は年上のようだし。ジョスリンは長兄だろうか?歳の離れた弟(アルフ)を可愛がっていたに違いない。
苦しそうで、もう意識のないアルフを見ているだけなのも辛くて、ジョスリンを見たり医者を見たりしながら、つらつらと思いを巡らしていると。
「閣下」
と、ジョスリンが控えめにレオン様に声をかけた。
レオン様が目線だけを向けて続きを促すと、
「そちらの姫君は、もしや、この度の出兵の……」
「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラです」
私は軽く頭を下げた。
多くを語るべき場ではないから、そのまま口を噤む。
「さようでございましたか」
ジョスリンは、アルフよりも少し線の太い、形の良い眉を軽く動かした。そして、あなた様が、なるほど、となぜだか何度も頷いて納得している。
どうしたのかな、と思っていると、実は弟(アルフ)が、と問わず語りにジョスリンは切り出した。
──城内でご迷惑をおかけした騒ぎ(たぶん有名な痴話喧嘩のことだろう)の後、勘当同然だったし、弟も実家に寄り付きもしなかったが、今回の出兵前に一度だけ本宅へ顔を出したのだと。今回の指揮官は期待が持てる、手柄をもぎ取ってやる、と。
「総大将たるオーディアル公閣下のことを言っているのだと思ったのですが」
彼はその時のことを思い出したのだろう、わずかに口元に笑みを浮かべた。
「あのような弟を久しぶりに見たのを覚えております。……あなた様のことだったのでしょう」
何と言ってよいやら。
ジョスリン氏はどこまでわかっててそれを言うのだろう?アルフに告られ、オルギールやレオン様いわく、「口説かれて」いたらしい私は反応に困る。
それに、レオン様。
二脚しかない椅子を我々に勧められ、とりあえずレオン様も私も遠慮なく座ってしまったのだけれど、私は隣のレオン様をちらりと横目で見てしまった。
レオン様もこちらを向いていた。
心の内を読ませない、静かな金色、琥珀色の瞳。
おかしな反応を返して後になってお仕置きネタにされては困るから、私はとにかく黙って薬の到着を待つことにした。
──それにしても。
この世界に「感染症薬」があることには驚かされた。ある程度進んだ科学的な知識、というか、抽出技術などがないと、市場に出すほど生産できないだろうに。
開発者の認可、と聞いた。認可するほうも仕事が増えて面倒くさいだろうに。悪用、流用、よほどのことがあってそんな決まりにしたのだろう。まあ、でも希少価値があるほうが値段は跳ね上がるわけだし、考えようによっては「民が云々」よりも、利益第一主義のようにもとれるけれど。どちらにしても頭のいいやり方ではある。
で、さすがというか当然というか、公爵家の城にはそれが常備されている、というのもやはり驚かされる。権力の賜物か。それとも、開発にグラディウス家も出資しているのか。調剤機構?それも、グラディウスの管轄だったりするのだろうか。
「……本日は姫君の副官はいらっしゃらないようで」
ジョスリンは奇妙な声音で言った。
心配のあまり、黙して待つことに耐えられないのだろうか。話題をあちこちに飛ばしながら、ぽつりぽつりと彼は話し続ける。
たぶん、頭は素通りのまま言葉だけ紡いでいるのかもしれないが。
「多忙でいらっしゃるのでしょうが、もしもここにカルナック大佐殿がいらっしゃったら」
彼は苦しげにも見える様子で顔を歪めている。
なぜだろう。
「閣下、お許しを。……申し上げざるを得ません。カルナック大佐殿が、……開発者殿がアルバにおられたら、もう少し認可も早く下りましたでしょうに。閣下にお越し頂く前に、弟は」
「お前の弟は今もまだ生きている。そして薬の到着を待っている。……繰り言なら死んでから言え」
レオン様の発言は二の句が継げぬほど鋭いものだったけれど、私の脳内はジョスリン氏による新情報の衝撃によりスパークしてしまったようだ。
オルギールが開発者。最先端の新薬の。常々「私は医者ですから」と問題行動の前には必ず標榜していたけれど、医者どころか、研究者。いや、薬使い、毒使い。……
彼はいったい何者なのだろう?そういえば「引継ぎ」って、今何をしているのだろう?
今更ながら彼の正体をほとんど知らないことに気づき、レオン様にでも聞こうか、と思っていると、階下で物音がした。
薬が到着したらしい。
64
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハーレム異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーレムです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。