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黒髪を首の後ろで結わえた、すらりとした男性。歳の頃は三十から四十、といったところだろうか。整った顔は年相応の穏やかさがあるけれど、眼光は鋭い。こげ茶の皮のズボン、濃紺のシャツ。多少濃淡で変化をつけた、シャツと同色の上着。飾り気はないがどれも上質なものだ。
剣は吊るしていないから武人ではない。身ごなしからいってもそうだ。風体からすると、ゆたかな平民?とか。富裕な商人とか。戸口の男は用心棒、といったところだろうか。
……あれ?富裕な商人?アルフの実家は確か……
「若、この者らがアルフ様の上司だと名乗って」
「上司?」
困惑顔の猪首の男に「若」と言われた男は、探るような目を私たちに向けた。
切れ長の、少し充血した紅い瞳。褐色の肌。
たぶん、彼は、アルフの。
「わざわざ、このようなところへ。……上司の方、と?」
彼は少し首を傾げ、私たちをさらに見つめ。……やがて驚愕したように目が見開かれる。
「もしや、あなたは。いや、あなた様方は……」
「とりあえず部屋へ入れてもらおうか」
レオン様は前置き無しに言って、傲然と部屋に向けて顎をしゃくった。
「それは、むろん!……これは、また……」
何度も頷きつつも、彼はまだ我が目を疑うかのように目をこすったり、私たちを見たりしている。
そして、彼を「若」と呼んだ男に人払いを言いつけ、どうぞと私たちを部屋へ迎え入れた。
******
粗末な寝台とひとり用の小卓、椅子が二脚。
狭い部屋ではないけれど、とにかく何もない、殺風景な部屋。
窓は、通りに面した小窓が一つだけ。
「アルフ。……」
窓も扉も閉め切っていたのだろうか。
戦場でも何度も嗅いだ覚えのある、すえた臭い。化膿した生傷の臭い。同時に、消毒薬の臭いもする。
土気色の顔。苦しげに顰められた形のよい眉。半開きになった、渇いた唇。
寝台の奥にはもう一人初老の男がいた。白衣を着て、見るからに、医者、という感じだけれど、患者の容体が悪いせいだろうか、疲れ切った目、落ちた肩。全身に疲労感が立ち込めている。
「アルフ!」
寝台の傍に駆け寄ろうとすると、レオン様が私の腕をつかみ、押し留めた。
なぜ!と見上げる私を目線だけで黙らせると、
「お前はこの男の家族か?」
と、彼──アルフによく似た男性に向き直った。
「はい。申し遅れました。ひらにお許しを。……ジョスリン・ド・リリー。アルフの兄でございます」
「兄、と言うと」
やっぱり、とひとり頷く私の隣で、レオン様は僅かに眼を細める。
「リリー商会の会頭か」
「見知り頂くとは光栄の極みでございます、閣下」
男性、もといアルフのお兄様、ジョスリン氏はそれはそれは恭しく、頭も腰も屈めて言った。
レオン様を知っている様子だ。まあ、美貌のグラディウス三公爵様は絵姿も出回っているそうだし、アルバのひとなら当然かもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
アルフの容体はどうなのか。
「社交に来たのではない。……その者の容体は?」
レオン様は丁重な礼には鼻もひっかけず単刀直入に言った。
「よくありません」
項垂れて目を伏せ、ジョスリンは答えた。
「我ら家族も、今朝、居所を突き止めたばかりで。……私が医師を伴って参りました時には既にこの状態で」
「感染症なら有効な薬があるはずだ」
レオン様は、横たわるアルフの顔をずっと見ている。
「いっけん快活」なレオン様が時々見せる、曖昧で何を考えているかわからない顔。
「お前の家なら入手できなくはないだろう。なぜ、手を拱いている?」
「お言葉ですが、閣下!」
きっ、とジョスリンは面を上げ、レオン様に挑むような眼を見せる。
「閣下もご存じのはず。……感染症の治療薬は途方もない金額であるのみならず、厳重な許可制になっております!むろん、金など当然厭いませぬ。幾らでも用意いたしますのに、許可が出なくては……!」
「失礼だけれど、お金を積んで許可を早められないの!?」
もどかしくてとんとんと足を踏み鳴らしながら、私は思わず割って入った。
レオン様、ジョスリン、医師、先導の兵士。全員の目が私に向けられる。
「姫君は実情をご存じない」
ジョスリンは苛立ちを隠そうともせずに言った。
「感染症の薬は用途によっては毒ともなりうる。よって、開発者と失礼ながら(と、ここでレオン様にも向き直りつつ)グラディウス家の意向により厳重な、厳重すぎる管理下に置かれて!」
「さようで。……急場の用にはとても間に合いませぬ」
医師が嘆いた。
リリー家のお抱えなのだろうか。疲れ切っている様子なのに、アルフの額に滲む汗をひっきりなしに拭ってやり、彼に向ける目はとても温かい。
「診察医の一筆。それを調剤機構へ提出し、開発者の認可を待つのでございます。処方した分のみ入手が許されるため、蓄えて確保することもできず」
「薬が開発され、市場に出た直後から、誤った利用、悪用によって多数の被害者が出た。管理を厳重にしたのはその事情によるものだ」
わが身の愚かさ故にわが身の首を絞めるのだ。ともすれば、民というものは。
……睨まれるのは筋違い、とでも言いたげに、レオン様は皮肉った。
為政者として、レオン様の意見も道理だと思う。
でも、目の前に重篤な患者がいて、効くかもしれない、効くであろう薬があるのにそれが手に入らないなんて。
重苦しい沈黙の中、アルフの苦しげな息遣いだけが聞こえる。
たくさん、同僚を、部下を、上司を。亡くなる兵士達を見送ったからわかる。彼が生きているのは、彼にまだ体力があるから。それだけの理由。顔色だけ見れば既に死人のようだ。
「レオン様、お願い!!」
私はレオン様に背中から縋りついた。リーヴァ、とレオン様は半身を後ろに向けて、私の頭を撫でる。
人前では冷静に、クールにきめようと思ったけれど、私には無理だ。
アルフの家族とその懇意の医師。レオン様麾下の兵士だけだ。気取っていても仕方がない。
「お願い、レオン様、グラディウスなら、公爵家になら、薬の蓄えくらいあるのでしょう!?」
「……まあな」
「閣下!!」
ジョスリンはいきなりがば!と身を伏せた。
大の大人が滅多にやらない土下座だ。ささくれた粗末な板張りの床に、平伏している。
彼は額を床に擦り付けるようにして言った。
「閣下、なにとぞ、なにとぞ……!閣下に申し上げるのも憚りながら、金ならいくらでも、わが商会の権益でも、どれほどでもお渡ししますゆえ……!!」
「そんな恰好は今すぐやめろ」
レオン様は冷然と言い放った。
そして、おい、と、麾下の兵に声をかける。
黙って頭を下げて命令を待つ兵士に、印章付きの指輪を抜いて渡した。
「俺の城の医局へこれをもってゆけ。それで、」
ふと顔を上げて、
「医者。感染症薬は五種、それぞれ色の名で呼ばれているはずだが、この男にはどれをどの程度?」
「ウィリデ、‘緑’でございます、閣下」
弾かれたように医者が顔を上げた。疲れて淀んだ瞳に生気が宿る。
「朝晩、七日も服用すれば、と」
「だそうだ。急げよ」
「心得ました」
レオン様の麾下の、それもいつも連れている兵士は本当によく訓練されている。
二度言わせることはなく、深く頷いた次の瞬間、身を翻して去っていった。
******
薬が届くまで半刻とちょっと、という素早さだったのだけれど、アルフの枕辺で待つ者にとっては永遠のように感じる時間だった。
無表情なレオン様、そわそわと薬の到着を待つ医者とジョスリン。
普段から交流があるわけではなさそうだけれど(居所がわからなかった、と言っていたし)、彼らの様子を見るにつけ、家族仲が良く、アルフは大切にされて育ったのだろうな、と思う。十歳前後は年上のようだし。ジョスリンは長兄だろうか?歳の離れた弟(アルフ)を可愛がっていたに違いない。
苦しそうで、もう意識のないアルフを見ているだけなのも辛くて、ジョスリンを見たり医者を見たりしながら、つらつらと思いを巡らしていると。
「閣下」
と、ジョスリンが控えめにレオン様に声をかけた。
レオン様が目線だけを向けて続きを促すと、
「そちらの姫君は、もしや、この度の出兵の……」
「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラです」
私は軽く頭を下げた。
多くを語るべき場ではないから、そのまま口を噤む。
「さようでございましたか」
ジョスリンは、アルフよりも少し線の太い、形の良い眉を軽く動かした。そして、あなた様が、なるほど、となぜだか何度も頷いて納得している。
どうしたのかな、と思っていると、実は弟(アルフ)が、と問わず語りにジョスリンは切り出した。
──城内でご迷惑をおかけした騒ぎ(たぶん有名な痴話喧嘩のことだろう)の後、勘当同然だったし、弟も実家に寄り付きもしなかったが、今回の出兵前に一度だけ本宅へ顔を出したのだと。今回の指揮官は期待が持てる、手柄をもぎ取ってやる、と。
「総大将たるオーディアル公閣下のことを言っているのだと思ったのですが」
彼はその時のことを思い出したのだろう、わずかに口元に笑みを浮かべた。
「あのような弟を久しぶりに見たのを覚えております。……あなた様のことだったのでしょう」
何と言ってよいやら。
ジョスリン氏はどこまでわかっててそれを言うのだろう?アルフに告られ、オルギールやレオン様いわく、「口説かれて」いたらしい私は反応に困る。
それに、レオン様。
二脚しかない椅子を我々に勧められ、とりあえずレオン様も私も遠慮なく座ってしまったのだけれど、私は隣のレオン様をちらりと横目で見てしまった。
レオン様もこちらを向いていた。
心の内を読ませない、静かな金色、琥珀色の瞳。
おかしな反応を返して後になってお仕置きネタにされては困るから、私はとにかく黙って薬の到着を待つことにした。
──それにしても。
この世界に「感染症薬」があることには驚かされた。ある程度進んだ科学的な知識、というか、抽出技術などがないと、市場に出すほど生産できないだろうに。
開発者の認可、と聞いた。認可するほうも仕事が増えて面倒くさいだろうに。悪用、流用、よほどのことがあってそんな決まりにしたのだろう。まあ、でも希少価値があるほうが値段は跳ね上がるわけだし、考えようによっては「民が云々」よりも、利益第一主義のようにもとれるけれど。どちらにしても頭のいいやり方ではある。
で、さすがというか当然というか、公爵家の城にはそれが常備されている、というのもやはり驚かされる。権力の賜物か。それとも、開発にグラディウス家も出資しているのか。調剤機構?それも、グラディウスの管轄だったりするのだろうか。
「……本日は姫君の副官はいらっしゃらないようで」
ジョスリンは奇妙な声音で言った。
心配のあまり、黙して待つことに耐えられないのだろうか。話題をあちこちに飛ばしながら、ぽつりぽつりと彼は話し続ける。
たぶん、頭は素通りのまま言葉だけ紡いでいるのかもしれないが。
「多忙でいらっしゃるのでしょうが、もしもここにカルナック大佐殿がいらっしゃったら」
彼は苦しげにも見える様子で顔を歪めている。
なぜだろう。
「閣下、お許しを。……申し上げざるを得ません。カルナック大佐殿が、……開発者殿がアルバにおられたら、もう少し認可も早く下りましたでしょうに。閣下にお越し頂く前に、弟は」
「お前の弟は今もまだ生きている。そして薬の到着を待っている。……繰り言なら死んでから言え」
レオン様の発言は二の句が継げぬほど鋭いものだったけれど、私の脳内はジョスリン氏による新情報の衝撃によりスパークしてしまったようだ。
オルギールが開発者。最先端の新薬の。常々「私は医者ですから」と問題行動の前には必ず標榜していたけれど、医者どころか、研究者。いや、薬使い、毒使い。……
彼はいったい何者なのだろう?そういえば「引継ぎ」って、今何をしているのだろう?
今更ながら彼の正体をほとんど知らないことに気づき、レオン様にでも聞こうか、と思っていると、階下で物音がした。
薬が到着したらしい。
剣は吊るしていないから武人ではない。身ごなしからいってもそうだ。風体からすると、ゆたかな平民?とか。富裕な商人とか。戸口の男は用心棒、といったところだろうか。
……あれ?富裕な商人?アルフの実家は確か……
「若、この者らがアルフ様の上司だと名乗って」
「上司?」
困惑顔の猪首の男に「若」と言われた男は、探るような目を私たちに向けた。
切れ長の、少し充血した紅い瞳。褐色の肌。
たぶん、彼は、アルフの。
「わざわざ、このようなところへ。……上司の方、と?」
彼は少し首を傾げ、私たちをさらに見つめ。……やがて驚愕したように目が見開かれる。
「もしや、あなたは。いや、あなた様方は……」
「とりあえず部屋へ入れてもらおうか」
レオン様は前置き無しに言って、傲然と部屋に向けて顎をしゃくった。
「それは、むろん!……これは、また……」
何度も頷きつつも、彼はまだ我が目を疑うかのように目をこすったり、私たちを見たりしている。
そして、彼を「若」と呼んだ男に人払いを言いつけ、どうぞと私たちを部屋へ迎え入れた。
******
粗末な寝台とひとり用の小卓、椅子が二脚。
狭い部屋ではないけれど、とにかく何もない、殺風景な部屋。
窓は、通りに面した小窓が一つだけ。
「アルフ。……」
窓も扉も閉め切っていたのだろうか。
戦場でも何度も嗅いだ覚えのある、すえた臭い。化膿した生傷の臭い。同時に、消毒薬の臭いもする。
土気色の顔。苦しげに顰められた形のよい眉。半開きになった、渇いた唇。
寝台の奥にはもう一人初老の男がいた。白衣を着て、見るからに、医者、という感じだけれど、患者の容体が悪いせいだろうか、疲れ切った目、落ちた肩。全身に疲労感が立ち込めている。
「アルフ!」
寝台の傍に駆け寄ろうとすると、レオン様が私の腕をつかみ、押し留めた。
なぜ!と見上げる私を目線だけで黙らせると、
「お前はこの男の家族か?」
と、彼──アルフによく似た男性に向き直った。
「はい。申し遅れました。ひらにお許しを。……ジョスリン・ド・リリー。アルフの兄でございます」
「兄、と言うと」
やっぱり、とひとり頷く私の隣で、レオン様は僅かに眼を細める。
「リリー商会の会頭か」
「見知り頂くとは光栄の極みでございます、閣下」
男性、もといアルフのお兄様、ジョスリン氏はそれはそれは恭しく、頭も腰も屈めて言った。
レオン様を知っている様子だ。まあ、美貌のグラディウス三公爵様は絵姿も出回っているそうだし、アルバのひとなら当然かもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
アルフの容体はどうなのか。
「社交に来たのではない。……その者の容体は?」
レオン様は丁重な礼には鼻もひっかけず単刀直入に言った。
「よくありません」
項垂れて目を伏せ、ジョスリンは答えた。
「我ら家族も、今朝、居所を突き止めたばかりで。……私が医師を伴って参りました時には既にこの状態で」
「感染症なら有効な薬があるはずだ」
レオン様は、横たわるアルフの顔をずっと見ている。
「いっけん快活」なレオン様が時々見せる、曖昧で何を考えているかわからない顔。
「お前の家なら入手できなくはないだろう。なぜ、手を拱いている?」
「お言葉ですが、閣下!」
きっ、とジョスリンは面を上げ、レオン様に挑むような眼を見せる。
「閣下もご存じのはず。……感染症の治療薬は途方もない金額であるのみならず、厳重な許可制になっております!むろん、金など当然厭いませぬ。幾らでも用意いたしますのに、許可が出なくては……!」
「失礼だけれど、お金を積んで許可を早められないの!?」
もどかしくてとんとんと足を踏み鳴らしながら、私は思わず割って入った。
レオン様、ジョスリン、医師、先導の兵士。全員の目が私に向けられる。
「姫君は実情をご存じない」
ジョスリンは苛立ちを隠そうともせずに言った。
「感染症の薬は用途によっては毒ともなりうる。よって、開発者と失礼ながら(と、ここでレオン様にも向き直りつつ)グラディウス家の意向により厳重な、厳重すぎる管理下に置かれて!」
「さようで。……急場の用にはとても間に合いませぬ」
医師が嘆いた。
リリー家のお抱えなのだろうか。疲れ切っている様子なのに、アルフの額に滲む汗をひっきりなしに拭ってやり、彼に向ける目はとても温かい。
「診察医の一筆。それを調剤機構へ提出し、開発者の認可を待つのでございます。処方した分のみ入手が許されるため、蓄えて確保することもできず」
「薬が開発され、市場に出た直後から、誤った利用、悪用によって多数の被害者が出た。管理を厳重にしたのはその事情によるものだ」
わが身の愚かさ故にわが身の首を絞めるのだ。ともすれば、民というものは。
……睨まれるのは筋違い、とでも言いたげに、レオン様は皮肉った。
為政者として、レオン様の意見も道理だと思う。
でも、目の前に重篤な患者がいて、効くかもしれない、効くであろう薬があるのにそれが手に入らないなんて。
重苦しい沈黙の中、アルフの苦しげな息遣いだけが聞こえる。
たくさん、同僚を、部下を、上司を。亡くなる兵士達を見送ったからわかる。彼が生きているのは、彼にまだ体力があるから。それだけの理由。顔色だけ見れば既に死人のようだ。
「レオン様、お願い!!」
私はレオン様に背中から縋りついた。リーヴァ、とレオン様は半身を後ろに向けて、私の頭を撫でる。
人前では冷静に、クールにきめようと思ったけれど、私には無理だ。
アルフの家族とその懇意の医師。レオン様麾下の兵士だけだ。気取っていても仕方がない。
「お願い、レオン様、グラディウスなら、公爵家になら、薬の蓄えくらいあるのでしょう!?」
「……まあな」
「閣下!!」
ジョスリンはいきなりがば!と身を伏せた。
大の大人が滅多にやらない土下座だ。ささくれた粗末な板張りの床に、平伏している。
彼は額を床に擦り付けるようにして言った。
「閣下、なにとぞ、なにとぞ……!閣下に申し上げるのも憚りながら、金ならいくらでも、わが商会の権益でも、どれほどでもお渡ししますゆえ……!!」
「そんな恰好は今すぐやめろ」
レオン様は冷然と言い放った。
そして、おい、と、麾下の兵に声をかける。
黙って頭を下げて命令を待つ兵士に、印章付きの指輪を抜いて渡した。
「俺の城の医局へこれをもってゆけ。それで、」
ふと顔を上げて、
「医者。感染症薬は五種、それぞれ色の名で呼ばれているはずだが、この男にはどれをどの程度?」
「ウィリデ、‘緑’でございます、閣下」
弾かれたように医者が顔を上げた。疲れて淀んだ瞳に生気が宿る。
「朝晩、七日も服用すれば、と」
「だそうだ。急げよ」
「心得ました」
レオン様の麾下の、それもいつも連れている兵士は本当によく訓練されている。
二度言わせることはなく、深く頷いた次の瞬間、身を翻して去っていった。
******
薬が届くまで半刻とちょっと、という素早さだったのだけれど、アルフの枕辺で待つ者にとっては永遠のように感じる時間だった。
無表情なレオン様、そわそわと薬の到着を待つ医者とジョスリン。
普段から交流があるわけではなさそうだけれど(居所がわからなかった、と言っていたし)、彼らの様子を見るにつけ、家族仲が良く、アルフは大切にされて育ったのだろうな、と思う。十歳前後は年上のようだし。ジョスリンは長兄だろうか?歳の離れた弟(アルフ)を可愛がっていたに違いない。
苦しそうで、もう意識のないアルフを見ているだけなのも辛くて、ジョスリンを見たり医者を見たりしながら、つらつらと思いを巡らしていると。
「閣下」
と、ジョスリンが控えめにレオン様に声をかけた。
レオン様が目線だけを向けて続きを促すと、
「そちらの姫君は、もしや、この度の出兵の……」
「リヴェア・エミール・ラ・トゥーラです」
私は軽く頭を下げた。
多くを語るべき場ではないから、そのまま口を噤む。
「さようでございましたか」
ジョスリンは、アルフよりも少し線の太い、形の良い眉を軽く動かした。そして、あなた様が、なるほど、となぜだか何度も頷いて納得している。
どうしたのかな、と思っていると、実は弟(アルフ)が、と問わず語りにジョスリンは切り出した。
──城内でご迷惑をおかけした騒ぎ(たぶん有名な痴話喧嘩のことだろう)の後、勘当同然だったし、弟も実家に寄り付きもしなかったが、今回の出兵前に一度だけ本宅へ顔を出したのだと。今回の指揮官は期待が持てる、手柄をもぎ取ってやる、と。
「総大将たるオーディアル公閣下のことを言っているのだと思ったのですが」
彼はその時のことを思い出したのだろう、わずかに口元に笑みを浮かべた。
「あのような弟を久しぶりに見たのを覚えております。……あなた様のことだったのでしょう」
何と言ってよいやら。
ジョスリン氏はどこまでわかっててそれを言うのだろう?アルフに告られ、オルギールやレオン様いわく、「口説かれて」いたらしい私は反応に困る。
それに、レオン様。
二脚しかない椅子を我々に勧められ、とりあえずレオン様も私も遠慮なく座ってしまったのだけれど、私は隣のレオン様をちらりと横目で見てしまった。
レオン様もこちらを向いていた。
心の内を読ませない、静かな金色、琥珀色の瞳。
おかしな反応を返して後になってお仕置きネタにされては困るから、私はとにかく黙って薬の到着を待つことにした。
──それにしても。
この世界に「感染症薬」があることには驚かされた。ある程度進んだ科学的な知識、というか、抽出技術などがないと、市場に出すほど生産できないだろうに。
開発者の認可、と聞いた。認可するほうも仕事が増えて面倒くさいだろうに。悪用、流用、よほどのことがあってそんな決まりにしたのだろう。まあ、でも希少価値があるほうが値段は跳ね上がるわけだし、考えようによっては「民が云々」よりも、利益第一主義のようにもとれるけれど。どちらにしても頭のいいやり方ではある。
で、さすがというか当然というか、公爵家の城にはそれが常備されている、というのもやはり驚かされる。権力の賜物か。それとも、開発にグラディウス家も出資しているのか。調剤機構?それも、グラディウスの管轄だったりするのだろうか。
「……本日は姫君の副官はいらっしゃらないようで」
ジョスリンは奇妙な声音で言った。
心配のあまり、黙して待つことに耐えられないのだろうか。話題をあちこちに飛ばしながら、ぽつりぽつりと彼は話し続ける。
たぶん、頭は素通りのまま言葉だけ紡いでいるのかもしれないが。
「多忙でいらっしゃるのでしょうが、もしもここにカルナック大佐殿がいらっしゃったら」
彼は苦しげにも見える様子で顔を歪めている。
なぜだろう。
「閣下、お許しを。……申し上げざるを得ません。カルナック大佐殿が、……開発者殿がアルバにおられたら、もう少し認可も早く下りましたでしょうに。閣下にお越し頂く前に、弟は」
「お前の弟は今もまだ生きている。そして薬の到着を待っている。……繰り言なら死んでから言え」
レオン様の発言は二の句が継げぬほど鋭いものだったけれど、私の脳内はジョスリン氏による新情報の衝撃によりスパークしてしまったようだ。
オルギールが開発者。最先端の新薬の。常々「私は医者ですから」と問題行動の前には必ず標榜していたけれど、医者どころか、研究者。いや、薬使い、毒使い。……
彼はいったい何者なのだろう?そういえば「引継ぎ」って、今何をしているのだろう?
今更ながら彼の正体をほとんど知らないことに気づき、レオン様にでも聞こうか、と思っていると、階下で物音がした。
薬が到着したらしい。
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