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 オルギールが出してくれた着替えは、黒のパンツと柔らかい生成りのレースのシャツだ。
 ご丁寧に、準備された胸当ては透けないように同じく生成りのものをセレクトしてくれていて、私は赤面しつつも急いで身に着け、長靴を履き、顔をチェックし、髪を梳かして寝室の内扉から居間へ移動した。

 
 広くて温かみのある、それでいて十分豪奢に整えられた居間には、中央に円卓と、座り心地のよさそうなソファが据えてある。
 一人掛けが二つ、二人掛け(といっても女性なら三人くらい座れそうだが)が一つあって、一人掛けにはオルギールが、二人掛けの中央にオーディアル公が座っていた。
 さっきの、部屋の扉の内外を通じてのやりとりは大概だったが、何か話し込んでいたようだ。
 こちらから見えるオーディアル公の横顔は、かなり真剣になものに見える。

 私の気配に気づいたのか、こちらに空色の瞳を向けた彼は、私を視界に捉えるなり破顔した。
 火竜の君の屈託のない笑顔に、ちょっぴりどきどきしてしまう。

 「------大変お待たせを致しまして、申し訳ございません」

 姫!と腰を浮かせかけるオーディアル公の機先を制して、私は左肩に右手の拳をあて、目を伏せ、腰を屈めて騎士の礼をとった。

 「堅苦しい挨拶は無用。…それよりも、姫」

 目を伏せたわずかな間に、オーディアル公は立ち上がり、距離を詰めて歩み寄ると、私の両手をぐわし!と握りしめ、私に抗議の隙も与えず、すっぽりと自分の手の中に包み込んだ。

 この間、瞬き三回あったかどうか。

 余りの早業に呆然としてしまったけれど、

 「姫、顔をよく見せてほしい」

 熱く、耳元で囁かれて、私は吃驚して我に返った。
 唾を飲み込みながら落ち着こうと焦るも、至近距離の火竜の君は、美麗で真剣で破壊力抜群だ。 
 落ち着かれませ、公、と、冷然とした響きのオルギールの制止の声も、オーディアル公は全く意に介さなかった。

 「姫のご無事な姿を、あらためて早く見たくて。…不躾とは思ったが、こうして押しかけてしまった」

 火竜の君はなおも熱心に囁いた。

 全く公爵ともあろうお方のすることとは思えません、と、相変わらず冷え冷えとした合いの手が入る。
 もちろん、公爵様は気にも留めないようだ。

 「姫、どこも具合の悪いところはないか?」
 「大丈夫ですわ、オーディアル公」

 やっと、多少落ち着きを取り戻して、私は答えた。
 両手は取られたまま、至近距離で空色の瞳に見据えられたままで、どうにも気恥ずかしさは拭えないけれど、こんなにも気にかけて下さるのは、純粋に嬉しい。
 公爵ともあろう身分で、泳いで私のところまで来て下さった。
 もちろん、その前にはオルギールとアルフが助けに入ってくれたのだけれど。
 いてもたってもいられなかったのだろうか、と思えば、心がほっこりする。

 「一足先に休ませて下さったおかげをもちまして、元気いっぱいですわ」

 そんなに、心配なさらないで。

 その気持ちを込めて、私はオーディアル公ににっこりしてみせた。

 「!?……姫、……」

 オーディアル公は虚を突かれたように絶句して、その後、掴んだままの私の両手を自分の口元に引き寄せた。
 そして、熱に浮かされたように姫、姫、よかった、と呟きながら、何度も何度も唇を押し当てる。

 「うげ、」
 「公、落ち着かれませ」

 色気のない私の声と、かなり憮然としたオルギールの声が重なったが、火竜の君はひとしきり気が済むまで私の手にくちづけをしまくり、ついでに頬ずりもしてから、ようやく片手だけ、解放してくれた。

 解放されたかわりに、彼の空いたほうの手は私の腰に回され、ソファへと誘(いざな)われる。
 片手は握られたままだし、抵抗するすべはない。私はよろめきながらも彼の隣に腰を下した。

 「公、あの、何を」

 心がほっこりはしたとはいえ、このような強引な仕草には、まだまだ戸惑うしかない。
 ちょっとだけ抗議しようと彼を見上げたけれど、甘い瞳を向けられて、また怯んでしまう。

 オルギール!と彼に目を向けると、氷の魔王は氷結した視線を、公爵と、なんと私にまで向けていた。

 怖い。怖いよう。なぜに、私まで睨まれる。

 「オルギール……」
 「オルギール。夕食は、こちらで姫と共に取りたい。構わないだろうな?」

 おびえた私の声に被せ、オーディアル公は意気揚々と言った。
 既に、決定事項のように傲然としている。
 生真面目で優しいオーディアル公の「俺様」仕様の発動だ。
 まあ、よく考えたら、武官としての身分は大佐、に過ぎないオルギールに、公爵が確認をするだけ、マシというか、それこそが異様というべきか。

 「無論、構いませんよ。リヴェア様がよろしいのなら」

 なんか、とても意地悪な言い方をされてしまったような気がする。
 オルギールの氷結オーラは身に纏う雰囲気だけではなく、その声にも存分に込められていて、私を硬直させた。

 体調が優れない、とでも言えば解放してくれるのだろうけれど、さっき「元気いっぱい」と宣言したばかりだ。
 私は項垂れた。
 
 「姫、お嫌か?」

 あんなに傲然とオルギールには言い放ったくせに、私を覗き込む火竜の君は、少し眉を下げて、こわごわ、といった風情である。
 この表情はずるい。卑怯だ。順序としては事後承諾みたいなものだから、そこは文句を言ってもいいのだろうけれど、こんな顔をされたら断るのは極悪非道な気がする。

 「オルギールも同席させて頂けるのなら、ご一緒に」

 私はちいさな声で応答した。二人きりはイヤだ、と意思表示するのがやっとである。
 
 けれど、結果的にはその回答はオルギールのお怒りを多少緩めることができたらしい。
 氷結オーラはみるみるやわらいでいって、私は少しだけ肩の力を抜いた。
 オーディアル公は一応紳士だった。無論、と大きく頷いて、掴んだままの私の手を軽く握りなおす。

 「姫がそう望まれるなら、彼もいっしょに。……しかし」

 気を利かせろと言いたいところだがな!と火竜の君は最後に付け加えた。
 オルギールは平然と受け流し、

 「夕食の支度の指示をして参りましょう。あと、公の本陣へ使いを。公が、こちらで夕食をとられると。どうせ、行き先も告げず、こちらへ来られたのでしょう?」
 「まあな」

 悪びれもせず、胸を張ってオーディアル公は言った。
 なんて公爵様だ。
 
 総大将としての自覚について説くべきでは、と考えていると、リヴェア様、と穏やかに声をかけられた。

 「なあに、オルギール」
 「もろもろ、指示をしてまいりますので、少し席を外します」
 「はあ!?」
 
 オルギールが出て行ったら!火竜の君と二人きりになってしまう!
 私は慌てて掴まれた手を振りほどいた。けれど、腰に回された手は拘束具のようで、ソファから下りることができない。

 「オルギール!誰か、代わりの者に」
 「夕食や、使いだけならそれでいいのですが。少し、私自らが指示をするべきこともございまして」

 オルギールは立ち上がりながら言った。
 そして、妖しく紫の瞳を光らせて、私と、隣のオーディアル公を見下ろす。

 「大丈夫ですよ、リヴェア様。公爵閣下は暴漢ではない。副官の離席中に、これ幸いと無体を働くことはないでしょう。それも、作戦遂行中に辛い思いをされたリヴェア様に対して」
 「……」
 「リヴェア様も。万一のことあれば、お嫌なら、貴女様の素晴らしい体術を発揮なされて、抵抗なさいませ。……お嫌なら、ですが。……公爵閣下」
 「なんだ」
 「私が戻るまで、リヴェア様を宜しくお願い致します」
 
 お前に言われるまでもない、と公爵は忌々し気に呟いたけれど。
 優雅に一揖(いちゆう)して、オルギールは去っていった。


 オルギール、意地悪魔王だ。
 自分のことを、「嫌いなら拒絶すればいい」と、いつも言っていた。
 結果的に、幾たびもあった微妙な状況下において、私は一度も抵抗らしい抵抗ができなかった。拒絶しなかった。とっくに、彼に堕ちていたから。
 そのことを言っているのだ。本気で、オーディアル公を拒否するならしてみるように、と。

 釘をさす、という表現があるけれど、五寸釘を打たれまくった気持ちだ。
 私にも、オーディアル公にも。
 あれだけ言われれば、確かに、オーディアル公が二人きりになったとたん豹変するとは思えないし、公爵もその気は失せるだろう。

 ぱたん、と扉の閉まる音と同時に、盛大に公爵は舌打ちをした。
 お品のよろしい公爵様らしからぬ振舞いである。

 思わず、火竜の君を振り仰ぐと、心なしか、険しい色を宿していた青い瞳がすぐに和らぎ、優し気に細められた。

 「失礼を、姫。……イイ性格をしているな、あなたの副官は」

 本当に、そのとおり。
 私は、深く頭を下げた。

 「申し訳ございません」
 「あなたが謝ることではない」

 慌てたように言って、公は引き寄せたままの私の腰を撫でた。

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