83 / 93
第九章 ── 関谷 友理 ──
汚れた過去【3】
しおりを挟む
「あれ、尚斗くんだったんだ……」
たぐり寄せた記憶のなかで、確かに自分の名前を叫ばれたような気がする。
だが、その声は水中で聞いた音のように、はっきりとは聞きとれないものだった。
「驚いたよ。
ドアが開いたな、と思ったら、瑤子さんがドアにもたれるように倒れてきてさ。
オレ一人だったらパニクるところだったけど、姉貴が冷静でさ。
『あんた瑤子ちゃん、部屋まで運んで。
……大丈夫。高熱でどうこうっていうよりも、薬で眠気を誘われたって感じだから。
ほら、呼吸も、変な息の仕方じゃないし』
って、言われて。
それで、ちょっと気が引けたりもしたんだけど、オレ達、勝手に上がりこんじゃったんだ」
尚斗がこれまでの経緯を話していると、そこへ友理が戻って来た。
手には、小さな土鍋と小皿、レンゲの載ったトレイを持っている。
「それじゃあ、瑤子ちゃん。まずは、腹ごしらえね。
……あ、でも、その前に着替えかな。
汗かいてるだろうし、そのままじゃ気持ち悪いよね?
───尚斗、あんた部屋から出て行って。
ダイニングに昼食用意したから、それでも食べてて」
「ん。分かった」
素直に部屋を出て行く尚斗を見送って、友理は瑤子に下着などの在りかを訊いてきた。
着替えを用意すると、熱い湯に浸したタオルを絞って、瑤子の体を拭き始める。
「なんか……信じられないわ」
「え?」
瑤子の問い返しに、友理は着替えを手伝ってくれながら苦笑いする。
「だって、うちの阿呆と、瑤子ちゃんみたいな大人っぽい……キレイな子が付き合ってるだなんて……。
こう言っちゃなんだけど、瑤子ちゃんだったら、男に不自由しないでしょ?
何を好き好んで、尚斗なんかと……って、思っちゃった」
最後は少し声をひそめ、おどけて肩をすくめる。
「そんな……!」
瑤子は、おおげさに見られてしまうくらい、首を振った。
「私……私のほうが、尚斗くんに不釣り合いなんです……」
きゅっ……と、唇をひき結ぶ。
布団の端を握りしめ、うつむいた。
(……汚れた過去をもっている私のほうが───)
「瑤子ちゃん……?」
友理にしてみれば、この場にいない尚斗について、瑤子と軽口をたたく気でいたのだろう。
いきなりそんな風に瑤子に落ち込まれ、次の言葉に詰まったようだった。
そこへ、メッセージアプリの通知音が鳴り響いた。
「あ、ちょっと、ごめんね」
断りを入れ、友理は傍らのバッグから携帯電話を取り出した。
「ありゃ、裕希だわ……。そういえば、連絡入れるの、すっかり忘れてた……。
───もしもし、ごめん。うっかりしてて……うん。
ちょっといま、取り込み中で……んーん、平気。
弟の彼女が具合悪くて、様子見に来てるの。
だから、もうちょっと、かかりそうなんだけど」
「あの」
なんとはなしに話を聞くうち、瑤子は思わず声をかけてしまった。
どうやら友理が、自分のせいで約束をすっぽかしかけたようだと気づいたからだ。
「私のことでしたら、もう、大丈夫ですから。
おかげさまで、体もだいぶ楽になってきましたし。
ご迷惑かけてしまって、すみません」
「やだ、瑤子ちゃん。迷惑だなんて、そんな……。
ちょっと、ヒロ!
あんたのせいで、瑤子ちゃんによけいな気ぃ遣わしちゃったじゃない。
……ん、分かればよし。
じゃ、またあとで連絡するわ」
友理は強引に話を終わらせたようで、携帯電話をしまいこんでしまった。
それから気を取り直したように、土鍋に手を伸ばし、小皿へとよそいだす。
たぐり寄せた記憶のなかで、確かに自分の名前を叫ばれたような気がする。
だが、その声は水中で聞いた音のように、はっきりとは聞きとれないものだった。
「驚いたよ。
ドアが開いたな、と思ったら、瑤子さんがドアにもたれるように倒れてきてさ。
オレ一人だったらパニクるところだったけど、姉貴が冷静でさ。
『あんた瑤子ちゃん、部屋まで運んで。
……大丈夫。高熱でどうこうっていうよりも、薬で眠気を誘われたって感じだから。
ほら、呼吸も、変な息の仕方じゃないし』
って、言われて。
それで、ちょっと気が引けたりもしたんだけど、オレ達、勝手に上がりこんじゃったんだ」
尚斗がこれまでの経緯を話していると、そこへ友理が戻って来た。
手には、小さな土鍋と小皿、レンゲの載ったトレイを持っている。
「それじゃあ、瑤子ちゃん。まずは、腹ごしらえね。
……あ、でも、その前に着替えかな。
汗かいてるだろうし、そのままじゃ気持ち悪いよね?
───尚斗、あんた部屋から出て行って。
ダイニングに昼食用意したから、それでも食べてて」
「ん。分かった」
素直に部屋を出て行く尚斗を見送って、友理は瑤子に下着などの在りかを訊いてきた。
着替えを用意すると、熱い湯に浸したタオルを絞って、瑤子の体を拭き始める。
「なんか……信じられないわ」
「え?」
瑤子の問い返しに、友理は着替えを手伝ってくれながら苦笑いする。
「だって、うちの阿呆と、瑤子ちゃんみたいな大人っぽい……キレイな子が付き合ってるだなんて……。
こう言っちゃなんだけど、瑤子ちゃんだったら、男に不自由しないでしょ?
何を好き好んで、尚斗なんかと……って、思っちゃった」
最後は少し声をひそめ、おどけて肩をすくめる。
「そんな……!」
瑤子は、おおげさに見られてしまうくらい、首を振った。
「私……私のほうが、尚斗くんに不釣り合いなんです……」
きゅっ……と、唇をひき結ぶ。
布団の端を握りしめ、うつむいた。
(……汚れた過去をもっている私のほうが───)
「瑤子ちゃん……?」
友理にしてみれば、この場にいない尚斗について、瑤子と軽口をたたく気でいたのだろう。
いきなりそんな風に瑤子に落ち込まれ、次の言葉に詰まったようだった。
そこへ、メッセージアプリの通知音が鳴り響いた。
「あ、ちょっと、ごめんね」
断りを入れ、友理は傍らのバッグから携帯電話を取り出した。
「ありゃ、裕希だわ……。そういえば、連絡入れるの、すっかり忘れてた……。
───もしもし、ごめん。うっかりしてて……うん。
ちょっといま、取り込み中で……んーん、平気。
弟の彼女が具合悪くて、様子見に来てるの。
だから、もうちょっと、かかりそうなんだけど」
「あの」
なんとはなしに話を聞くうち、瑤子は思わず声をかけてしまった。
どうやら友理が、自分のせいで約束をすっぽかしかけたようだと気づいたからだ。
「私のことでしたら、もう、大丈夫ですから。
おかげさまで、体もだいぶ楽になってきましたし。
ご迷惑かけてしまって、すみません」
「やだ、瑤子ちゃん。迷惑だなんて、そんな……。
ちょっと、ヒロ!
あんたのせいで、瑤子ちゃんによけいな気ぃ遣わしちゃったじゃない。
……ん、分かればよし。
じゃ、またあとで連絡するわ」
友理は強引に話を終わらせたようで、携帯電話をしまいこんでしまった。
それから気を取り直したように、土鍋に手を伸ばし、小皿へとよそいだす。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
どうして隣の家で僕の妻が喘いでいるんですか?
ヘロディア
恋愛
壁が薄いマンションに住んでいる主人公と妻。彼らは新婚で、ヤりたいこともできない状態にあった。
しかし、隣の家から喘ぎ声が聞こえてきて、自分たちが我慢せずともよいのではと思い始め、実行に移そうとする。
しかし、何故か隣の家からは妻の喘ぎ声が聞こえてきて…
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる