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第九章 ── 関谷 友理 ──

汚れた過去【2】

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さきほどのひやりとした感触はどうやら友理が、額の上のタオルを替えてくれたらしい。

「───ねーちゃん。
鍋ふいてたから、火ィ止めたけど───」

ガチャリと瑤子の部屋のドアが開き、尚斗が姿を現した。

「尚斗くん……」

「あ、瑤子さん。気がついたんだ……。大丈夫? 苦しくない?」

瑤子の側に寄ってきた尚斗が、心配そうにのぞきこんでくる。

その頭を、ポカンと友理が殴った。

「火ィ止めたって……あんた、バカ? 煮物つくってんじゃないのよ。多少の吹きこぼしは……まぁ、いいわ。

瑤子ちゃん気づいたから、ちょっと姉さん席はずすけど。
いい? 変なコトしたら、ぶっ飛ばすからね!」

言いながら、片隅に置かれた本棚から文庫を取り出す。

そんな友理を尻目に、尚斗がつぶやいた。

「……しねーよ。
少なくとも、ねーちゃんがいるうちは」

とたん、友理は、手にした文庫本で尚斗の頭をパシッと叩きつけた。

尚斗には悪いが、とても《いい音》がした。

「じゃ、瑤子ちゃん。これ持っててね。
こいつが、やーらーしぃことしたら、この角でガツンと撃退してね」

瑤子に文庫を手渡すと、友理は部屋を出て行った。

尚斗と二人で後ろ姿を見送った直後、瑤子は思わず噴きだしてしまった。

尚斗が、おおげさに溜息をつく。

「……あー、ったく……姉貴なんて、呼ぶんじゃなかった」

「なんか、想像どおりのお姉さんね」

二人のやりとりを微笑ましく思った瑤子は、正直な感想を述べた。

後頭部をさすりながら、尚斗が頬をひきつらせる。

「想像以上なんじゃないの? 
《あれ》は」

悪態をつきながらも、仲の良い姉弟のようで、一人っ子の瑤子には、うらやましい限りだ。

「まだ痛いの?」

「……ん。姉貴、思いっきりはたいたから……」

さすがに気の毒になって、瑤子は尚斗の頭へと、手を伸ばしかける。

が、急に起こした体に、くらっ……と、目が回ってしまう。

それを見てとった尚斗が、ふたたび瑤子を横たえた。

「……ありがとう」

「……うん」

小さく礼を言って、尚斗を見上げる。

すると尚斗は、こそばゆいといわんばかりに頬をかいて、瑤子から視線を外した。

「いま、何時?」

「……十二時ちょっと過ぎかな」

なにげなく尋ねた瑤子に、尚斗は壁時計に目を向け、抑揚のない声で答えた。

しかし、伝えられた時間に、瑤子は驚いて尚斗を見返した。

「嘘っ。だって……尚斗くん、学校は?
私、もう、てっきり夕方なのかと思って……」

「───上原うえはら先輩から瑤子さんのこと聞いて。

で、姉貴が仕事やすみだったの思いだして、学校まで迎えに来てもらってさ。

そのまま、姉貴の車でここまで送ってもらったんだ。

オレ一人じゃ、瑤子さんの看病も行き届かないかと思ったから、姉貴に残ってもらったってわけ」

口調から察するに、尚斗は麻衣子から瑤子のことを聞き、ホームルーム前に、学校を早退してしまったようだ。

(夢……じゃ、なかったんだわ……)

ベッドに横になって、一時間ほど経ったくらいだったか。

夢うつつのなか、玄関のインターフォンが鳴ったのを聞いた。

瑤子はそれを、夢のなかの出来事のように、記憶している。

所々、ぼやけていて曖昧あいまいな断片から、自分が門の施錠をキー操作し、玄関の扉も開けたことは覚えている。

その後、誰かに抱きかかえられたような感触も───。
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