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「他に、何か困ったこととか、嫌なことはなかったかしら?」
大谷先生の言葉に、しっかりと頷く。
「はい、大丈夫です」

「では、日誌を届けてくれてありがとう。気を付けて下校してください」
私の言葉にホッとしたようで、担任の先生に戻った大谷先生にそう言われた。
「はい、ありがとうございます」
2人で頭を下げて、職員室を後にする。
「春川には悪いけれど、保健室に荷物を置いたら、上に移動してくれるかしら?」

「…?はい」
布之さんの言葉を疑問に思ったけれど頷く。
林先生に、もし来ていたらお母さんにも、了承を得ないといけない。

そのまま保健室に向かう。
まだ、お母さんは来ていなかったようで、保健室にはいなかった。
「お、春川。大丈夫だった?」
「はい、ありがとうございます」

林先生は、目のことを気にしてくれている。
だから、しっかりと目を合わせて返事をした。
私と目が合うと、林先生は何も言わずに頷いてくれた。

「あの、林先生」
「ん?」
「少し、お話をしに上に行って来ても良いですか?」
「…それは、良いけれど。春川さんが来たら、待っていてもらうように伝えれば良いの?」

「はい、お願いします」
荷物を置き、布之さんと2人で保健室を後にする。
布之さんの後に続く。
どこに行くのかが分からないけれど、見えている今では不安はない。

いや、不安はある。
どうやって話をしようか、私に時間を割いてくれると言ってくれた3人に。
理解をしてほしいわけではない。

ただ、自分の気持ちを伝えたい。
それを、聞いてほしいだけ。
自分の手を自分で握り、奮い立たせる。

“あの時とは違う”

無意識に考えてしまうこと。
途切れ途切れの思い出。
幼い記憶。

「春川?」
布之さんが振り返り、私を呼ぶ。
「…はいっ?」

「難しい顔をしているわ、大丈夫?」
布之さんの表情は、いつも通りだ。
対して、私は不安そうな顔をしているんだろう。
「…はい、大丈夫です」

困っているような表情だけど、はっきりと返答する。
布之さんは、「そう」と言うと、また歩き出す。
その背中を追いながら、しっかりとついて行く。

そう、ちゃんと私は自分の気持ちがあって、布之さんについてきている。
きちんと、私の意思でここにいること。
3人に、話をしたいと考えていること。

私のことを。
それで、もし3人が離れてしまったら、と考えるとすごく怖い。
でも、どこかでは言わないといけない。
きっと。

もう少し仲良くなって、もっと私が3人に頼ってしまってからじゃ遅い。
その後で知られて、側から離れていかれたら…。
それを想像する方が、もっともっと怖かった。

小学生の、『あの時』をどうしても思い出す。

私の目は見えなくなる、毎日それを繰り返している。
そのことを告げたら、3人はどんな顔をするだろう。

気味悪がるだろうか?
馬鹿にするだろうか?
それとも信じてもらえずに、今の関係が変わってしまうのだろうか?

でも、どんな反応をされても、困惑しながら過ごすよりは良い。
それで、今の関係が変わってしまっても、優しくしてくれたことはなくならない。
乃田さんと布之さんと、高杉君。
3人が私のことを考えて、一緒に過ごしてくれたことはずっと覚えていられる。

「少し待っていて」
布之さんが止まった先は、『社会資料室』だった。
鍵を持っていることを、不思議に思い首を傾げる。

私が見ていることを知ってか、布之さんが扉の鍵を開けてから少し見せてくれた。
「大谷先生に借りて来たの。大事な話をしたいから、他の生徒には聞かれたくないことを説明してね?」
大谷先生は、社会科の先生だ。
そこで、資料室の鍵は大谷先生が持っている物だと気付く。

布之さんの言葉に、大谷先生が何で鍵を貸してくれたのか少し想像が出来た。
“私”が3人に話したいこと、それはつまり私の目のことだって気付いてくれたということ。
自意識過剰と思われても、大谷先生は私のために場所を用意してくれたってことだと自然と思えた。

布之さんと2人で、社会資料室に入る。
中は細長く、ガラス張りのロッカーが左右に置いてあった。
鍵はかかっているようで、しっかりと扉が閉まっているように見える。

資料室の角には、丸めて立てかけてある地図や箱に入った資料などがまとめて置いてある。
「ここは、大谷先生みたいにきっちりしているわね」
布之さんの言葉に、首を傾げる。

「整理整頓、大谷先生らしいと思わない?」
職員室の、大谷先生の机の上も置いてある物は少ないと思い出した。
「とても、綺麗に片付いているね」

2人で資料室の中を見回していると、コンコンと小さなノックが響いた。
「はい、開いています」
布之さんの声がした。
すぐに、扉が開き少し息を切らした乃田さんが見えた。

「良かった、いて。悪い!遅くなった」
乃田さんの言葉に、急いで来てくれたんだろうと考える。
「全然!そんなことないよ?き、来てくれて、ありがとう」

どもってしまったけれど、乃田さんに返答する。
「準備終わったから、ダッシュで来た」
「失礼します」
乃田さんに続いて、高杉君の声が聞こえた。

「私が走って体育館出たタイミングで、こいつも一緒に来やがった」
「あかり」
布之さんの言葉に、乃田さんが少し眉を顰める。
そのまま2人は資料室に入って来た。

高杉君が資料室の鍵を閉めた。
「…悪い、『一緒に来た』なら良いだろ?」
「そうよ」

「待たせてすまない」
高杉君がそう言ったけれど、私と布之さんもさっき着いたばかりなので首を振る。
「日誌を届けて来て、その、保健室に行ってから来たから、私と布之さんも、今来たんだよ。高杉君、日直のお仕事、ほとんどやってくれてありがとう。日誌もちゃんと、大谷先生に出してこれたの」

「そうか」
高杉君は、私の言葉を最後まで聞いて頷いた。
「で、春川の用事ってなんだ?」
乃田さんの言葉に、ハッとする。

そうだ、乃田さんも高杉君も部活があるはず。
「ご、ごめんなさい。忙しいのに来てくれて!」
私の言葉に、3人とも首を振ってくれた。

否定の様子に、私も首を振る。
忙しいはずだ。
だから、急いで言うことを伝えないと。

「あのね!あの、大したことではないんだけど…」
私の言葉に、3人が顔を見合わせた。
私が見えていない時も、こうやって3人でアイコンタクトを取っているのだろうか?

そんなことを考えてしまったら、次の言葉が止まってしまった。
沈黙の時、3人はこうやって何かを示し合わせていたんだろうか?
今までも、こうやって目くばせをしていたのだろうか。
でも、落ち込んでいる場合ではない。

今の私は、3人の様子がちゃんと分かる。
見えている。
3人の表情も、様子もしっかり分かることが出来る。

視界はまだ、クリアなままだ。

だから、しっかりと言うんだ。
震える右手の指を、左手でぎゅっと握る。
私の小さな声でも、3人はちゃんと聞いてくれる。

それが、すごく嬉しいんだって。
自分を気にしてくれてありがとうって。
それを言いたいだけ。

「あのね、今の私は見えているの」
声も震えている。
迷ったけれど、そのままを言うしかない。

俯きそうになる目線。
でも、ハッとして顔を上げる。
俯かない。

ちゃんと顔を上げて。
3人を見なきゃ。
自分の視線を、乃田さん、布之さん、高杉君と合わせていく。

「ちゃんと、見えているの。でも、でもね…あの…」
小さくなる声。
迷ってはいけない。

3人の時間を割いてもらっているんだ。
だから、ちゃんと言わなきゃ。
怖い。
でも、言わなきゃいけない。

「あのね、私の目は…。急に、見えなくなるの」

“あの時”の恐怖が蘇る。
友達に打ち明けた時の、絶望感が押し寄せて来る。
手の震えは、今も止まらない。

それでも、両手を強く握る。
渇いた湿布の感覚が、違和感を伝えている。

信じてもらえず、悲しさよりも後悔を感じたあの日。
でも、あの日と確実に違うこと。
考えて考えて、しっかりと想像して紡いだ言葉。

3人は、私からの言葉を待ってくれている。
各々が頷いていた。
呼吸を繰り返し、息を深く吸う。

「み、見えていても、急に目の前が暗く…なって。見えているはずの物が、全部黒くなるの。何も映らなくなる時が、私にはあるの」
言い、再度3人にゆっくりと視線を合わせる。

あの時と違う。
3人は、あの時の友達とは違う。
ちゃんと、私を見てくれている。

目の前から、いなくならずに聞いてくれる。
だから、ちゃんと言わなきゃ。
伝えるんだ、しっかりと。

「あのね、おかしいと思うんだけど、もう数年ずっと、こんな状態なの…。信じてもらいたいとか、受け入れてほしいってことじゃ…なくて」
言葉を切り、3人からの視線に耐え切れず俯いてしまう。

「私は時々、不審な動きをするけれど、気にしないでほしいって言いたくて。毎日、見えなくなる時が来ることを、知っていてほしいって思って」
ぼそぼそと言う言葉は、とても聞き取りにくいだろう。
息を吸う音がする。

「何で、今?」
乃田さんの声は、落ち着いていた。
顔を上げると、いつも通りの乃田さんがいる。

「そんな、震えながら言うことか?もっと呼吸して、しっかり息を吸って吐いて、それからでも言えるだろ?」
乃田さんの言葉に、無意識に呼吸が浅くなっていたことを思った。
「ほら、春川。呼吸しろって」

乃田さんの言葉に、こくりと頷く。
「しっかり聞くから、安心しろって」
乃田さんの言葉に、視界が滲む。

あの時と同じ感覚。
でもこれは、悲しいからじゃない。
苦しいからじゃない。

嬉しいから。
聞いてくれることが、すごく嬉しい。
側にいてくれることで、こんなにも力になっている。

そうだ。
だから、ありがとうって言わなきゃ。
頬を伝う、静かな雫。

拭うことは、後でも出来る。
今の私は、ちゃんと言うことを伝えないといけない。

「ありがとう」
涙声になりながら、それを言う。
「いつも、気にかけてくれて…ありがとう。一緒にいてくれて、ありが…とう。私は、乃田さんと、布之さんと、高杉君がいてくれるから、学校に来るのが、本当に楽しい、の…。だから、ありがとうって言いたくて」

もう1回、乃田さん、布之さん、高杉君と順番に視線を合わせる。
『思ったことは、言った方が良い』
今朝の高杉君の言葉を思い出す。

そうだ。
思っていることを。
今じゃないと、言えないことを。

伝えられているかな?
ちゃんと、3人に届いているかな?
私の『ありがとう』が。

乃田さんと布之さんは、少し頬が赤くなっていると思った。
高杉君は、変わらない表情だったけれど、でも、いつも通りの表情に見えた。

「馬鹿だな、春川は。こっちは、お前が思っているより、お前のこと見てるんだからな」
乃田さんの声に、思わず瞬きをする。
「見てれば、分かるっての。それをわざわざ言わなくても、別に良いだろ?そんな倒れそうな顔しながら言われたって、こっちも困るんだぞ」

乃田さんの言葉は、予想外の反応だった。
「あかり?馬鹿は言い過ぎよ。それに、あなたの方がお馬鹿さんだわ」
布之さんの言葉も、私が想像していたどれにも当てはまらなかった。

「ごめんね、春川。でもね?あかりじゃないけれど、見ていたら意外に分かるものなのよ。ごめんなさいね?」
謝る布之さんの言葉に、首を振る。
謝ることなんて、何もない。

「違うの。私もあかりも…、ひょっとしたら高杉もかしらね?壁伝いに歩いているのとか、見えない時の春川の癖とでも言うのかしら…」
布之さんの言葉に、今度は私の方が固まってしまった。

布之さんは、今なんて言っていた?
『見えない時の…』

布之さんの言葉に、「もしかして」が「やっぱり」に近付く。
「わ、私の目、のこと…。知って、いた…の?」
どうにか絞り出した声に、3人はゆっくりと頷いた。

「見えていない時のお前、分かりやす過ぎだし…」
乃田さんの、ぶっきらぼうな言葉。

「ずっと観察していると、見えていない時の春川の警戒度が高すぎて、ついお節介をしてしまうのよね…」
布之さんの、のんびりとした言葉。

「春川が、気にしてほしくなさそうだから、それについては触れなかったと思うが…」
高杉君の、しっかりとした言葉。

「知って…いて?それでも、一緒に…いてくれたの?」
驚きと、泣いてしまったことで、言葉が詰まってしまう。
それでも、聞かずにはいられなかった。

「あったりまえだろ?」
乃田さんのはっきりとした言葉。

「だって、春川?私達、同じ小学校出身じゃないの?もっと言えば、あの時も、一緒にいたのよ」
布之さんの言葉に、我慢の限界が来たのだろう。

カクンと膝が折れてしまった。
「春川!?」
高杉君の驚いた声。

私も、自分のことなのに驚いてしまった。
極度の緊張状態だったと思う。
でも、急に膝の力が抜けてしまったみたい。

その場に、へなへなと座り込んでしまった。
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