上 下
156 / 352
第4章

156話 偽の記憶

しおりを挟む
「だから、会場から飛び出して来たあの子と対峙した時、あの子を手にかけるどころか……満面の勝ち誇った様な笑みを向けられて……思わず怯んでしまった隙に……自ら身を投げてしまうなんて、思いもしなかったんだ。」

結果から言うと失敗してしまった。
本当は、死ぬほど弱らせてから…その魔力を奪う筈だったのに。
その魔力を奪う前に、自身の眼前で、死なれてしまった。

……そう、侯爵は力なく言うから。

「……どういう事?シルヴィアは、ユリウス殿下に言われて、修道院に向かう途中で、馬車で転落死したんじゃ……」

僕が知るシルヴィアの記憶と違う。
侯爵と対面した記憶も無いし、自ら死を選んだ覚えもない。
疑念を孕んだ目で睨む僕に、侯爵は僕の方に向き直った。

「それはおそらく、両親とシルヴィアと共に、追っ手から逃げていた時の幼い頃のあの出来事と、記憶が混同して、お前に幻を見せたのだろう。本当は、パーティー会場から近かったあの公園の湖の前に佇んでいたシルヴィアに近寄り、全ては私が仕組んだ事だと明かして、手に掛けようとしたんだ。」

……それじゃあ。
馬車から転落した事こそ、夢で。
シルヴィアの望みだと思っていた、あの、湖での入水こそ。
侯爵とのやり取りは隠されたが……。
あの湖での記憶の方が、シルヴィアの本当の記憶だったんだ……!

「シルヴィア……」
「……あの子に、シルヴィアに……その魔力を奪い返す為に、全てを仕組んだ事を簡単にだが話したら……あの子は……本当に笑っていたんだ。あの、アナトリアとそっくりの笑顔で……。目の前であの子を失って、その時になって初めて思い知った。ずっと憎んでいたあの子は、誰よりその幸せを願った人の……誰よりも愛した子だったんだ、と。」
「…そうだよ。シルヴィアは、肖像画でしか知り得ない母親と似ていく自分自身を、何より誇りに感じていたから。」

自分の見た目も資質にも、何もかも無頓着で、何の関心も持てない自分と違って。
彼女は、その全てが誇りで、自慢だった。

いつもあらゆる事に全力で、一生懸命だった。
その全てを奪われたのに。
最期の時に、彼女は笑っていたなんて。

その瞬間の記憶を、僕は知らない。
引き継ぐ事は出来なかった。

「最初から、覚悟していたつもりだった。憎しみを抱いたとはいえ、アナトリアの子を手に掛けるという事を。けれど、結局出来なかった。そして、また過去に戻った時、今度はあの子ではなく、お前の存在を知って……。お前があの子だと気付いた時は、訳が分からなかったが、何故かすんなり理解した。きっとあの子の生まれ変わりなんだろうと。だから、今度はお前の魔力を狙おうとしたけど……よく分からなくなってしまった。」

目にしたお前は確かにあの娘だと、頭では理解しているのに。
お前はあの子とあまりに違って大人しいし、出歩く事が無い。
学院からの下校途中に、街に立ち寄る事も殆ど無く。
全くといっていい程、付け入る隙が無かった。

……ただ何事にも無気力だった僕に、そんな評価をされるとは。
あの時には見据えていた敵が違っていたから、まさか、本当の元凶からその様に言われるとは、僕は思いもしなかった。

「前世ではシルヴィアの時の記憶が強烈に沁みついていたから、全ての元凶から避ける事で、死を回避しようとしたので。」

けれど、してやったと言う満足感なんてものは無く、ただ虚しいだけだった。
侯爵の語る話を聞くうちに、僕はどんどん気力が無くなっていくのを感じて。

分からないながらも、自分自身の人生を懸命に生きて、最後は敵すら翻弄して、自ら死を選んだ彼女の後で。
ただひたすら、全てから逃げ回っていただけの僕の時の事を耳にしたって。
ただただ情けないだけだ。

忸怩たる思いで俯く僕に、侯爵は目線をまた手元のカップに戻した。

「私は何をしているのか、何度も自問自答した。あの子と違って、大人しく生きているお前を手に掛ける事が、本当に殿下をお救いする事になるのか。……前回、あの子を苦しめてしまったのは、間違いだったんじゃないかって。けれど、いくら手を尽くそうとしても、私の残っている力だけじゃ、やっぱり殿下は救えなかったから。だから、せめてお前はもう、一思いにやってしまおうと、簡単に瀕死に至る猛毒を仕込んだのに。」

まさか、それを救世の巫子に飲まれてしまうとは。

「いや、それよりも。何故あの時、簡単に罪を認めたんだ。自分は違うと…抗うと思っていたのに。止める事も出来なかった……。」
「……」

苦々しい顔で呟く侯爵に、僕は何も言えなかった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

伯爵家のいらない息子は、黒竜様の花嫁になる

ハルアキ
BL
伯爵家で虐げられていた青年と、洞窟で暮らす守護竜の異類婚姻譚。

処理中です...