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29 思いがけない出会い
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「ここですね。烏丸家って書いてあります」
立ち並ぶ墓石を確認しながら歩いていた藤田が、伊藤に声を掛けた。
「裏も確認してくれ」
藤田が隣の墓石に触れないように注意しながら回り込んだ。
「何か昔っぽい名前がたくさん書いてありますが……最後は『烏丸小百合 享年四十四歳』ですね。その前が『烏丸一也 享年十歳』です」
「調書通りか……結核って急性とかあるのかな」
「どうでしょう? 小夜子の母親って四十四で亡くなったんですね……ん? ちょっと待ってください」
藤田が慌てて胸ポケットから手帳を取り出した。
「いや……そんな……戸籍謄本と違う。なぜ?」
「どういうことだ?」
「戸籍謄本上では烏丸小百合は昭和五十年に死亡しているのです。享年は三十九のはずだ。小夜子が十五で田坂家に養女に入っている年です。この五年の誤差はなんだろう」
「小百合と小夜子は夫の死後、息子を親戚筋に養子に出して伊豆長岡に都落ちしたよな? そこで七年暮らして病没したはずだ……なんか気持ち悪いな」
「ええ、気持ち悪い話ですね」
「本当は七年なのか十二年なのかは調べるとして、その間どうやって暮らしていたんだろう。深窓のご令嬢に稼ぐ手段なんて無いだろうに」
「そりゃご多分に洩れずというところでしょうが、それを誰が紹介したかですね」
「伊豆長岡といえば芸者か? まあ出自があのご身分だ。芸事は仕込まれていただろう」
「どちらにしても小夜子は七歳から十四歳までは伊豆で暮らしたということですよね」
「義務教育期間か。多感な時期だよな」
伊藤は墓地の近くの店で購入した花束を烏丸家の墓に手向けた。
藤田が水桶を取りに走る。
まだ明るい青山墓地は、都会とは思えないほど静謐だ。
管理も行き届いていて、墓参以外の人もちらほらと歩いている。
「いやぁ、これだけあると場所を知らないと、うかうか墓参りもできませんね。管理事務所の存在意義が良く分かります」
藤田が水桶から柄杓を取り出す。
伊藤は墓石の周りの落ち葉を手で拾った。
「そう言えば、蕎麦打ち名人のインドネシアの留学生が管理事務所にいましたよ」
「五反田の? 何て言ったけな……そうだ、ブディだ」
「すごい。よく思い出せましたね」
「お前とはニューロンの数が違う。それより何しに来たんだ? 管理事務所にいたということは墓参りか?」
「たぶん蕎麦屋の兄ちゃんだろうと思ったくらいだったので、声は掛けてない……あっ、あそこ。あれってそうですよね?」
藤田の示す指の先に視線を投げた伊藤。
確かにブディだった。
「誰と来てるのかな……あれ? 蕎麦屋のおやじも来た」
三人で郵便通りを挟んだ向うの小道を歩いている。
「声を掛けてみます?」
「そうだな」
藤田がまた手帳を捲った。
「あっちには斉藤家の墓所がありますよ……まさかね?」
「そのまさかかもしれん。行こう」
伊藤が動き出した。
藤田がまだ半分以上水が残っている桶を手にして続く。
近くまで行くと、蕎麦屋の二人が見守る前で、初見の男が一心に墓石を拭いていた。
男の背中に隠れて家名が見えないが、恐らく予想通りだろうと思った伊藤の鼓動が跳ねた。
「親父さん、ブディさんも一緒でしたか。墓参りですか?」
伊藤が後ろから偶然を装って声を掛ける。
驚いたように振り向く二人の顔に笑顔が浮かんだ。
「あれ? お客さんじゃないですか。えっと……お名前は……」
「名乗ってなかったですね。私は伊藤といいます。こちらは藤田です」
「奇遇ですね。お墓参りですか?」
「ええ、そちらも?」
「こちらの墓に参りたいという方をお連れするように頼まれましてね。私は場所は分かるが言葉がわからないし、ブディは逆でしょ? 二人揃って来るしか無かったのですよ」
蕎麦屋のおやじが明るく笑う。
その表情に噓は無かった。
「頼まれたというのはそちらの方ですか?」
「ええ、お仕事で来日されてた方で、シンガポールから来られたのです。案内を頼んできたのはインドネシア大使館に勤務されている方で、うちの店をよく利用してくださる方です」
「そうですか、それはご苦労様ですね」
怪訝そうな顔をしているシンガポール人にブディが通訳をしている。
内容が理解できたのか、人懐こい笑顔を浮かべて軽い会釈をしてきた。
「お知り合いのお墓ですか?」
伊藤の問いかけをブディが通訳した。
「ええ、お姉さんだそうです。こちらの家に嫁がれたのですが、随分早くに亡くなったのだと言っています」
「そうですか、それはそれは……」
当たり障りのない言葉を発しながら伊藤が墓石を覗き込む。
予想通り斉藤家の墓だ。
「そのお姉さんというのは日本で亡くなったのですか?」
ブディの言葉にその男が頷いた。
蕎麦屋の親父がすかさず声を出す。
「私と同じでいろいろな事情があるのでしょう。伊藤さんもお忙しいのでしょう? 我々はそろそろ失礼しますよ」
ブディが通訳すると、その男は名残惜しそうに墓石を撫でた。
親父が近づいてきて耳元で話す。
「あなた方は誰ですか? いったい何を探っているのです?」
「明日にでもお店にお伺いしてお話ししますので、今日の無礼はお許しください」
お互いに笑顔だけは浮かべたままで頷きあった。
「では、失礼します」
三人の男たちは駐車場に向かって歩き出した。
それを見送る伊藤と藤田。
「なんだか繋がってきましたね」
「ああ、引き寄せられているような気分だな」
日ごろ迷信じみたことなど口にしない伊藤から出たその言葉に、藤田は驚いた。
「そう言えばシンガポール大使館ってどこにあるんだ?」
伊藤の問いに藤田は即答した。
「六本木ですよ。道路を渡れば麻布という場所です」
「烏丸の家があった辺りか」
「そうかもしれませんが、むしろ話をしてくれた友人の実家の方が近いんじゃないかな」
そう言いながら藤田が斉藤家の墓石を確認している。
「ああ、きっとこれですね。斉藤さくら享年十六歳。十六? 可哀そうにまだ少女じゃないですか。しかも異国の地で命を落とし、異国の名前で葬られたなんて」
「本名はなんていうんだろうな」
「さっきの男の名前がわかれば判明しますね」
「明日聞いてみるか……」
四十九日法要も済んでいるにもかかわらず、斎藤雅也がいまだに刻まれていない墓石を眺めながら、伊藤は課長への報告内容を頭の中で整理した。
立ち並ぶ墓石を確認しながら歩いていた藤田が、伊藤に声を掛けた。
「裏も確認してくれ」
藤田が隣の墓石に触れないように注意しながら回り込んだ。
「何か昔っぽい名前がたくさん書いてありますが……最後は『烏丸小百合 享年四十四歳』ですね。その前が『烏丸一也 享年十歳』です」
「調書通りか……結核って急性とかあるのかな」
「どうでしょう? 小夜子の母親って四十四で亡くなったんですね……ん? ちょっと待ってください」
藤田が慌てて胸ポケットから手帳を取り出した。
「いや……そんな……戸籍謄本と違う。なぜ?」
「どういうことだ?」
「戸籍謄本上では烏丸小百合は昭和五十年に死亡しているのです。享年は三十九のはずだ。小夜子が十五で田坂家に養女に入っている年です。この五年の誤差はなんだろう」
「小百合と小夜子は夫の死後、息子を親戚筋に養子に出して伊豆長岡に都落ちしたよな? そこで七年暮らして病没したはずだ……なんか気持ち悪いな」
「ええ、気持ち悪い話ですね」
「本当は七年なのか十二年なのかは調べるとして、その間どうやって暮らしていたんだろう。深窓のご令嬢に稼ぐ手段なんて無いだろうに」
「そりゃご多分に洩れずというところでしょうが、それを誰が紹介したかですね」
「伊豆長岡といえば芸者か? まあ出自があのご身分だ。芸事は仕込まれていただろう」
「どちらにしても小夜子は七歳から十四歳までは伊豆で暮らしたということですよね」
「義務教育期間か。多感な時期だよな」
伊藤は墓地の近くの店で購入した花束を烏丸家の墓に手向けた。
藤田が水桶を取りに走る。
まだ明るい青山墓地は、都会とは思えないほど静謐だ。
管理も行き届いていて、墓参以外の人もちらほらと歩いている。
「いやぁ、これだけあると場所を知らないと、うかうか墓参りもできませんね。管理事務所の存在意義が良く分かります」
藤田が水桶から柄杓を取り出す。
伊藤は墓石の周りの落ち葉を手で拾った。
「そう言えば、蕎麦打ち名人のインドネシアの留学生が管理事務所にいましたよ」
「五反田の? 何て言ったけな……そうだ、ブディだ」
「すごい。よく思い出せましたね」
「お前とはニューロンの数が違う。それより何しに来たんだ? 管理事務所にいたということは墓参りか?」
「たぶん蕎麦屋の兄ちゃんだろうと思ったくらいだったので、声は掛けてない……あっ、あそこ。あれってそうですよね?」
藤田の示す指の先に視線を投げた伊藤。
確かにブディだった。
「誰と来てるのかな……あれ? 蕎麦屋のおやじも来た」
三人で郵便通りを挟んだ向うの小道を歩いている。
「声を掛けてみます?」
「そうだな」
藤田がまた手帳を捲った。
「あっちには斉藤家の墓所がありますよ……まさかね?」
「そのまさかかもしれん。行こう」
伊藤が動き出した。
藤田がまだ半分以上水が残っている桶を手にして続く。
近くまで行くと、蕎麦屋の二人が見守る前で、初見の男が一心に墓石を拭いていた。
男の背中に隠れて家名が見えないが、恐らく予想通りだろうと思った伊藤の鼓動が跳ねた。
「親父さん、ブディさんも一緒でしたか。墓参りですか?」
伊藤が後ろから偶然を装って声を掛ける。
驚いたように振り向く二人の顔に笑顔が浮かんだ。
「あれ? お客さんじゃないですか。えっと……お名前は……」
「名乗ってなかったですね。私は伊藤といいます。こちらは藤田です」
「奇遇ですね。お墓参りですか?」
「ええ、そちらも?」
「こちらの墓に参りたいという方をお連れするように頼まれましてね。私は場所は分かるが言葉がわからないし、ブディは逆でしょ? 二人揃って来るしか無かったのですよ」
蕎麦屋のおやじが明るく笑う。
その表情に噓は無かった。
「頼まれたというのはそちらの方ですか?」
「ええ、お仕事で来日されてた方で、シンガポールから来られたのです。案内を頼んできたのはインドネシア大使館に勤務されている方で、うちの店をよく利用してくださる方です」
「そうですか、それはご苦労様ですね」
怪訝そうな顔をしているシンガポール人にブディが通訳をしている。
内容が理解できたのか、人懐こい笑顔を浮かべて軽い会釈をしてきた。
「お知り合いのお墓ですか?」
伊藤の問いかけをブディが通訳した。
「ええ、お姉さんだそうです。こちらの家に嫁がれたのですが、随分早くに亡くなったのだと言っています」
「そうですか、それはそれは……」
当たり障りのない言葉を発しながら伊藤が墓石を覗き込む。
予想通り斉藤家の墓だ。
「そのお姉さんというのは日本で亡くなったのですか?」
ブディの言葉にその男が頷いた。
蕎麦屋の親父がすかさず声を出す。
「私と同じでいろいろな事情があるのでしょう。伊藤さんもお忙しいのでしょう? 我々はそろそろ失礼しますよ」
ブディが通訳すると、その男は名残惜しそうに墓石を撫でた。
親父が近づいてきて耳元で話す。
「あなた方は誰ですか? いったい何を探っているのです?」
「明日にでもお店にお伺いしてお話ししますので、今日の無礼はお許しください」
お互いに笑顔だけは浮かべたままで頷きあった。
「では、失礼します」
三人の男たちは駐車場に向かって歩き出した。
それを見送る伊藤と藤田。
「なんだか繋がってきましたね」
「ああ、引き寄せられているような気分だな」
日ごろ迷信じみたことなど口にしない伊藤から出たその言葉に、藤田は驚いた。
「そう言えばシンガポール大使館ってどこにあるんだ?」
伊藤の問いに藤田は即答した。
「六本木ですよ。道路を渡れば麻布という場所です」
「烏丸の家があった辺りか」
「そうかもしれませんが、むしろ話をしてくれた友人の実家の方が近いんじゃないかな」
そう言いながら藤田が斉藤家の墓石を確認している。
「ああ、きっとこれですね。斉藤さくら享年十六歳。十六? 可哀そうにまだ少女じゃないですか。しかも異国の地で命を落とし、異国の名前で葬られたなんて」
「本名はなんていうんだろうな」
「さっきの男の名前がわかれば判明しますね」
「明日聞いてみるか……」
四十九日法要も済んでいるにもかかわらず、斎藤雅也がいまだに刻まれていない墓石を眺めながら、伊藤は課長への報告内容を頭の中で整理した。
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