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第5部

第86話

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※森の追憶⑥


 恋人たちの道は、長くきびしい。それでも、愛を確かめあうたび、夢心地に平和な時間を共有した(互いに、それほど愛している)。

 恋の色は、なぜ赤いのか。苦痛も快楽も、赤くいろどられる。つながって血潮ちしおがめぐるとき、欲望はさまざまな思いをかけて、身を解いて、ひき裂く。そして、あたたかく流れる赤い血は、やがて岸にたどり着く。生きているうちに残した希望、誠実と純粋、新しい森の記憶に、大地がふるえる。


『……フッ、水の精霊リヒテルめ。人間とからだをひとつにしたか。おもしろい。そなたが生みだす最初の泥沼が、どのような末路をたどるのか、見てやろう』


 地の精霊ジェミャは、針のように意識を研ぎ澄ませ、人間と水の精霊の情事を感じとっていた。細分化をくり返す性質をもたないジェミャの血管は光かがやき、恍惚の表情を浮かべる。

『たぐいもないせいが、産声うぶごえをあげる。解放の尖端となるか、大地をにくむか、人間らしさをあざむく彫像よ、あらゆる季節を生きのびて、大地に春を告げる果実となれ』

 ジェミャの賛辞さんじは、恋人のふたりが息絶えても、彼らの血潮が流れる者へ、かがやく花束となって届く。遠い歴史のなかで、奇蹟的につながった想いは、生から死へとくり返される。


 きみの生まれた場所
 おまえが去った場所

 きみのむかしが
 おまえの今いるところ

 いつの日にも
 ずっとずっと
 
 きみは手をのばし
 おまえは救ってくれる

 どこまでも孤独だった
 いのちの熱気は
 愛しあうふたりに
 誰もかかわらない

 ふたりの影は
 どこかが変わった
 まっ白な月は
 むせび声を聴く

 生きるしるしは
 森のなか
 
 きみのために
 おまえのために

 ぼくのために

 地上に 今もなお


『……ミュオン・リヒテル・リノアースめ。ふたたび赤く咲き乱れるとき、その身を罰してやろう。水さながらに、清涼な気配をまとう美しき精霊よ、無実無心と思うなかれ。そなたは、われが見つめる双瞳ひとみの先で、花々を散らした咎人であることを忘れるでないぞ』


 ジェミャの精気はよどみ、憎しみや復讐の念がわいてくる。この世ならぬ享楽に身を投じる水の精霊が、たまらなく羨ましかった。断じて、愛など求めない精霊が、幻劇のごとく、天理てんりを裏切った。永久をひとりで生き抜くジェミャには、そう思えた。ふたりの愛するわが子が、かぐわしい黒い味わいに、希少な身をくすまでは──。


★つづく
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