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第四部
雪のように⑸
しおりを挟む静まり返った離宮の空気は、寒い冬の朝のように冷えていたが、アセビの体温は急激に上昇した。
(今、なんと云った? クオンは、わたしの正体を知っていたのか!?)
リュンヌ・ギアという仮の姿で名乗るたび罪悪感に捉われたアセビは、カッと、頭に血がのぼった。ガタンッと席を立ち、エルツの顔を見据えた。
「そこの兵士よ、正直に答えよ! わたくしが何者であるか、知っていたのか!?」
名指しで問われたエルツは、クオンの表情をうかがう素振りを見せた後、「はっ!」と返事をし、床へ片膝をついた。
「アセビ・バジさまは、否、リュンヌ・ギアさまは、ルフドゥの女性騎士で、とても信頼できる御方です。かつての身分は、不法侵入者でしたが、皇帝陛下に召し上げられ、現在は皇太子さまの母君であり、素行に問題なく、クオン医官の評価も高い。離宮の長は、寵主さまが適任だと思います」
(なんと、クオンだけでなく、エルツやミュルも、わたしを知っていたのか!? 離宮の長とは、なんだ?)
すべては、この日のための計画である。寵主の資質を備えた第二夫人の存在は、もっとも重要な事柄であると同時に、なによりも優先すべき課題だった。
「知ってのとおり、皇帝には側女という愛人がいるが、誰ひとり、おれたちの思うような人間ではなかった。だいいち、男児を産める者が、なぜかあらわれなかったからな。これでは、寵主の称号を付与できない。そこで、もっと視野を広げることにした。王族だの名家の娘だの、そういった身分を問わず、健康的な母体を探していたとき、適齢期の野良猫を発見したというわけさ」
「わ、わたしは、捕らわれた姫君を連れだしたかっただけだ!」
「だろうな。……おまえの早とちりは別問題として、めずらしい褐色の肌は、ルフドゥ地方の部族にしか見られない特徴だ。ついでに、古代より長寿の血筋として知られている。おれもリヤンも、重用できる人材と判断したまでだ」
「さっきから、いったいなんの話だ!? また、このわたしを欺くつもりなのか!?」
「短気は損気だぜ。おれが話すとややこしくなるから、適任者を待てと云ったんだ」
頭が混乱してきたアセビは、クオンに詰め寄ろうとしたが、廊下を歩く足音が聞こえ、バッと、背後を振り向いた。キィッと、静かに扉を開けて姿を見せた人物は、民族衣装を着こなした長身の男だった。
「久しいな、アセビ」
銀色の髪を短く整えたエリファスは、その額に帝国の旗が刺繍された布を巻き、腰に長剣を携えている。頭の中が真っ白になったアセビは、声をだそうとしたが言葉にならず、血の気がひき、寒気がした。
✓つづく
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