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第58話:レウシア、エルと再会する
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薄蒼い光が揺らぐ聖堂内に、ちゃり、とロザリオの珠を手繰る音が響く。
白いブラウスに紺色のスカート姿の聖女エルは、閉じていた瞼を薄っすらと開き、跪いていた姿勢から立ち上がった。
ちらりと、窓のほうへと目を向ける。
教会の外は朝霧に包まれているようで、窓の外は白く曇って見通せない。
しんと静まり返った聖堂内に、聖女の溜息が微かに漏れる。
「……レウシアさん、大丈夫でしょうか」
ぽつりと独り言ち、再び嘆息。
久々の聖堂での祈りだというのに、エルはどうしても集中することができないでいた。
銀髪の聖女はうろうろと同じ場所を歩き回りながら、首元の蒼いリボンタイに手を触れる。
司教アロイオが用意してくれた服だが、こちらもどうも落ち着かない。――考えてみれば、スカートを履くのも久しぶりだった。
やがてぎぃ、と扉が開き、エルがそちらへ目を向ける。
枯れ木のような金髪の男の後ろから、小柄な黒髪の少女がひょこりと眠そうな顔を覗かせると、聖女はぱっと表情を輝かせ、次いで少女の名前を呼んだ。
「レウシアさんっ!」
「……える」
とててっとレウシアがエルに駆け寄り、ぽすんっとその腕の中に体を収める。
「ぴっ!?」
「あだっ!?」
途端にびくりと体を震わせ、竜の少女の小さな角が聖女の顎を強打した。
取り落とされた魔導書が跳ねて、白紙の頁がぱたんと開く。
「……お前ら、なにやってんだ?」
「痛そうですよぅ……」
ヴァルロが呆れた様子で尋ね、メメリが口元を手で覆って呟いた。
二人の少女はふらつきながら距離をとり、やがてレウシアが心配そうに、エルの顔をそっと窺う。
「……ごめん、ね?」
「いえ、思わず抱きとめてしまった私が悪いので……その、おはようございます。レウシアさん」
「……おは、よ」
「よかったです。ちゃんと会えて……霧が濃いようですが、迷わずに来られましたか?」
「……うん」
「お前ら、たった一夜だぞ?」
早くも二人の世界へ入りつつある少女たちの足元で、白紙の魔導書が居辛そうに指摘した。
* * *
霧の立ち込める水路の上に、大きな橋が架かっている。
まるで雲を渡すかのような光景の橋を歩きながら、ヴァルロはぼりぼりと後ろ頭を掻き毟り、傍らのメメリへ目を向けた。
桃色髪の羊角少女は物珍しげに辺りを見回し、ときおり躓きそうになっている。
「……つーかお前、なんでまだついてきてんだよ?」
「へ? いえ、その、あたしも朝市って、初めてで……」
「んなこと訊いてねぇよ。街に入れたなら、もうお互い用はねぇだろうが」
ヴァルロが吐き捨てるようにそう告げると、メメリは視線を泳がせて両手の指をつんと合わせた。そしてちらちらと彼の顔を窺い見ながら、苦しい言い訳を口にする。
「え、えっと、みなさんは命の恩人ですし、なにか恩返しできたらなって……」
「あ? 無一文でか? しれっとたかる気だろうがてめぇ!」
「あああうっ、角はっ、角はやめてくださっ、あうっ!?」
「ヴァ、ヴァルロさん!? だからそれはやり過ぎですって!」
「チッ」
エルに止められ、ヴァルロが舌打ちとともに角を離す。
メメリは荒い息を吐きながら涙目で狼藉者の顔を見据えた。
「……ヴァルロ様は、ま――羊族の角を、気軽に触り過ぎです! 意味がわかっててやってるのですか!? もしかして誰にでも、そうなのですか?」
「あ? 知らねぇよ。てめぇが掴みやすい角してっから悪ぃんだろうが。だいたい角の生えた知り合いなんて、お前の他はレウシアくらいだ」
「――触らせませんよ?」
「なんでお前が答えるんだよ。別に触りゃしねぇよ」
エルにじろりと睨まれて、ヴァルロが顔をしかめてひらりと手を振る。
「そうですか、あたしだけ――」
俯いて何事かをぶつぶつと呟くメメリ。
「あん?」
「い、いえ! なんでもありませんっ!」
ヴァルロが訝しげな表情でその顔を覗き込むと、メメリはわたわたと手を振り回して顔を背けた。
ぼんやりと霧を眺めていたレウシアがふと前方に視線を向けて、眠そうな声でぽつりと呟く。
「……おっきい、人間さん?」
「えと、あれは聖人の像ですね。――確か、先々代の聖女の像です」
橋の先、広場に佇む大きな女性の石像を見やり、エルが簡潔な説明をする。
竜の少女の手の中で、魔導書が興味深げに〝現聖女〟に尋ねる。
「ふむ? ということはそのうちに、お前の像もどこかに建つのか?」
「へ? いえ、聖女というだけで像が造られるわけではないですよ。なにか偉業をなさないと……」
「なるほど。それで、あの聖女はどんな偉業をなしたのだ?」
「えと……さあ?」
「なぜ知らんのだ? お前の先輩だろうが」
そう言われても――と、聖女エルは困った顔で像を見やった。
そういえば、前の聖女がなにをしていたのか、具体的には教わっていない。――自分と同じように、教会で信徒を癒していたのだろうか? それで像が建つのであれば、いずれ街が聖女像だらけになってしまいそうではあるが。
「んなことより、船の件だ。……本当に、商業許可証は用意できるんだろうな?」
「え? あ、はい。教会のほうで用意してくださるそうですよ。領主様に話を通すので、少し日数はかかるみたいですが……」
「なんだか上手く行き過ぎじゃねぇか……? つーか、わざわざ俺らを足に使わなくとも、教会の船で王都に行けばいいんじゃねぇのか?」
「それが、なんだか話が噛み合わないというか……」
商業の許可証がもらえるのは、俺らとしても助かるけどよ――と、複雑そうな顔で呟くヴァルロの姿に、エルもわずかに眉根を寄せて、口元に手を当て目を伏せた。
「司教様は私の行き先が、王都ではないと思っているような――」
「あん? だったらどこだよ?」
「いえ、そこまでは私にも――あっ」
「……える、おなか、空いた、ね?」
「そ、そうですね。レウシアさんも……」
「……うん」
きゅるる、と音が重なって、レウシアとエルは互いのお腹をちらりと見合って頷いた。
その様子に、メメリが笑って所感を述べる。
「なんだか二人とも、姉妹みたいですね」
「いえ、ふうふです。結婚しています」
「へ?」
エルに真顔で即答されて、メメリはきょとんと首を傾げた。
白いブラウスに紺色のスカート姿の聖女エルは、閉じていた瞼を薄っすらと開き、跪いていた姿勢から立ち上がった。
ちらりと、窓のほうへと目を向ける。
教会の外は朝霧に包まれているようで、窓の外は白く曇って見通せない。
しんと静まり返った聖堂内に、聖女の溜息が微かに漏れる。
「……レウシアさん、大丈夫でしょうか」
ぽつりと独り言ち、再び嘆息。
久々の聖堂での祈りだというのに、エルはどうしても集中することができないでいた。
銀髪の聖女はうろうろと同じ場所を歩き回りながら、首元の蒼いリボンタイに手を触れる。
司教アロイオが用意してくれた服だが、こちらもどうも落ち着かない。――考えてみれば、スカートを履くのも久しぶりだった。
やがてぎぃ、と扉が開き、エルがそちらへ目を向ける。
枯れ木のような金髪の男の後ろから、小柄な黒髪の少女がひょこりと眠そうな顔を覗かせると、聖女はぱっと表情を輝かせ、次いで少女の名前を呼んだ。
「レウシアさんっ!」
「……える」
とててっとレウシアがエルに駆け寄り、ぽすんっとその腕の中に体を収める。
「ぴっ!?」
「あだっ!?」
途端にびくりと体を震わせ、竜の少女の小さな角が聖女の顎を強打した。
取り落とされた魔導書が跳ねて、白紙の頁がぱたんと開く。
「……お前ら、なにやってんだ?」
「痛そうですよぅ……」
ヴァルロが呆れた様子で尋ね、メメリが口元を手で覆って呟いた。
二人の少女はふらつきながら距離をとり、やがてレウシアが心配そうに、エルの顔をそっと窺う。
「……ごめん、ね?」
「いえ、思わず抱きとめてしまった私が悪いので……その、おはようございます。レウシアさん」
「……おは、よ」
「よかったです。ちゃんと会えて……霧が濃いようですが、迷わずに来られましたか?」
「……うん」
「お前ら、たった一夜だぞ?」
早くも二人の世界へ入りつつある少女たちの足元で、白紙の魔導書が居辛そうに指摘した。
* * *
霧の立ち込める水路の上に、大きな橋が架かっている。
まるで雲を渡すかのような光景の橋を歩きながら、ヴァルロはぼりぼりと後ろ頭を掻き毟り、傍らのメメリへ目を向けた。
桃色髪の羊角少女は物珍しげに辺りを見回し、ときおり躓きそうになっている。
「……つーかお前、なんでまだついてきてんだよ?」
「へ? いえ、その、あたしも朝市って、初めてで……」
「んなこと訊いてねぇよ。街に入れたなら、もうお互い用はねぇだろうが」
ヴァルロが吐き捨てるようにそう告げると、メメリは視線を泳がせて両手の指をつんと合わせた。そしてちらちらと彼の顔を窺い見ながら、苦しい言い訳を口にする。
「え、えっと、みなさんは命の恩人ですし、なにか恩返しできたらなって……」
「あ? 無一文でか? しれっとたかる気だろうがてめぇ!」
「あああうっ、角はっ、角はやめてくださっ、あうっ!?」
「ヴァ、ヴァルロさん!? だからそれはやり過ぎですって!」
「チッ」
エルに止められ、ヴァルロが舌打ちとともに角を離す。
メメリは荒い息を吐きながら涙目で狼藉者の顔を見据えた。
「……ヴァルロ様は、ま――羊族の角を、気軽に触り過ぎです! 意味がわかっててやってるのですか!? もしかして誰にでも、そうなのですか?」
「あ? 知らねぇよ。てめぇが掴みやすい角してっから悪ぃんだろうが。だいたい角の生えた知り合いなんて、お前の他はレウシアくらいだ」
「――触らせませんよ?」
「なんでお前が答えるんだよ。別に触りゃしねぇよ」
エルにじろりと睨まれて、ヴァルロが顔をしかめてひらりと手を振る。
「そうですか、あたしだけ――」
俯いて何事かをぶつぶつと呟くメメリ。
「あん?」
「い、いえ! なんでもありませんっ!」
ヴァルロが訝しげな表情でその顔を覗き込むと、メメリはわたわたと手を振り回して顔を背けた。
ぼんやりと霧を眺めていたレウシアがふと前方に視線を向けて、眠そうな声でぽつりと呟く。
「……おっきい、人間さん?」
「えと、あれは聖人の像ですね。――確か、先々代の聖女の像です」
橋の先、広場に佇む大きな女性の石像を見やり、エルが簡潔な説明をする。
竜の少女の手の中で、魔導書が興味深げに〝現聖女〟に尋ねる。
「ふむ? ということはそのうちに、お前の像もどこかに建つのか?」
「へ? いえ、聖女というだけで像が造られるわけではないですよ。なにか偉業をなさないと……」
「なるほど。それで、あの聖女はどんな偉業をなしたのだ?」
「えと……さあ?」
「なぜ知らんのだ? お前の先輩だろうが」
そう言われても――と、聖女エルは困った顔で像を見やった。
そういえば、前の聖女がなにをしていたのか、具体的には教わっていない。――自分と同じように、教会で信徒を癒していたのだろうか? それで像が建つのであれば、いずれ街が聖女像だらけになってしまいそうではあるが。
「んなことより、船の件だ。……本当に、商業許可証は用意できるんだろうな?」
「え? あ、はい。教会のほうで用意してくださるそうですよ。領主様に話を通すので、少し日数はかかるみたいですが……」
「なんだか上手く行き過ぎじゃねぇか……? つーか、わざわざ俺らを足に使わなくとも、教会の船で王都に行けばいいんじゃねぇのか?」
「それが、なんだか話が噛み合わないというか……」
商業の許可証がもらえるのは、俺らとしても助かるけどよ――と、複雑そうな顔で呟くヴァルロの姿に、エルもわずかに眉根を寄せて、口元に手を当て目を伏せた。
「司教様は私の行き先が、王都ではないと思っているような――」
「あん? だったらどこだよ?」
「いえ、そこまでは私にも――あっ」
「……える、おなか、空いた、ね?」
「そ、そうですね。レウシアさんも……」
「……うん」
きゅるる、と音が重なって、レウシアとエルは互いのお腹をちらりと見合って頷いた。
その様子に、メメリが笑って所感を述べる。
「なんだか二人とも、姉妹みたいですね」
「いえ、ふうふです。結婚しています」
「へ?」
エルに真顔で即答されて、メメリはきょとんと首を傾げた。
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