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第59話:レウシア、朝市で買い物をする

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 分厚い肉の塊が鉄の棒に刺され、ゆっくりと回りながら火にかけられている。
 じゅわりと脂の焼ける音が鳴り、辺りには香ばしい匂いが漂っていた。

「……おにく、だ」

 店主の男が大きな刃物を取り出して、焼けた肉の表面を削ぎ落す。
 レウシアがじっと見つめるその前で、スライスされた肉片が葉野菜の塩漬けとともに、分厚いナンに挟まれる。

「ほいよ。落とさないように気をつけな」
「……んぐ」

 手渡された途端、がぶりとそれに齧りつき、レウシアの顔に笑顔が浮かんだ。

「……おいひぃ」
「あ、本当ですね。それに、これなら市場を見ながら食べられます」
「やめとけ。人にぶつかるか、スリにでも遭うのがオチだ」

 レウシアの隣でエルも料理を受け取って、一口食べてから感想を述べる。
 ヴァルロが食べ歩きの危険性を指摘する傍ら、さらにメメリも料理を受け取り、もぐもぐと頬張ってから、

「んぐぐ。あたしなら、あたしならもっと美味しくできます! この〝魔薬調味料〟を――」
「それはもういいです」
「声がでけぇよ、黙って食え。――チッ、行くぞ」
「あうっ!?」

 要らぬ主張をしたせいで、屋台の店主にじとりとした目で睨まれた。

 ヴァルロが舌打ちとともにうるさい少女の巻き角をぐいと引っ張り、そのまま店の前から移動を始めると、その後ろを追いながら、エルはきょろきょろと周囲を見回して呟いた。

「……それにしても、色々な物が売っていますね」
「あん? 港とそう変わんねぇだろ」
「そうですか? って、あら? そういえば、港にはなにが売ってましたっけ……? 綺麗な石と、あとは、ええっと……」
「ああ? なんで覚えてねぇ――いや、まあ、そうか」
「はい……?」

 思い出そうと小首を捻るエルの姿をちらりと窺い、ヴァルロが苦々しげな表情を浮かべる。――彼女が港の様子を覚えていないのは、つまるところ余裕がなかったからだと思い至ったからであろう。

「……船の積み荷は港で仕入れるつもりだ。そんときにでも、改めて見てまわりゃいい」
「えっと、そうですね、はい。……そういえば積み荷って、なにを仕入れる予定なのですか?」

 船の商業許可証の件が一応のところは片付きそうで、いくらか肩の荷が下りた様子の聖女エルが、ぼんやりと次の課題を口にする。
 元船長は再び顔をしかめると、小さな銀髪の少女を見やった。

「……まあ、この辺じゃ織布が無難だろうな。少し値は張るだろうが、長旅でも腐らねぇ」
「えっと、少しなら、私が教会からお金を借りることも――」
「要らねぇ心配すんな。てめぇがいま気ぃまわさなきゃなんねぇのは、俺らのことじゃあねぇだろうが」
「へ? あ、はい」

 海賊船に拾われたばかりの頃ならば絶対に言われなかったであろう言葉をかけられ、エルがぽかんと目を丸くする。
 ヴァルロはぼりぼりと白髪混じりの金髪頭を掻きながら、ふいっと視線を逸らした先で、衣服の露店に目を止めた。

 どんなものかと近寄ると、その横を竜の少女がとててっと追い抜く。

「……これ」
「あ? どうしたよ?」
「……える、みたい」

 船長レウシアがじっと見つめるそれを、横から元船長ヴァルロがじろりと見やる。

 白地に蒼と緑、そして銀色の糸で幾何学模様をあしらった織布の外套は、なるほどたしかに聖女エルと似た雰囲気の色合いだった。

「なんだよ? 買えってか?」
「……いい、の?」
船長キャプテンのご命令じゃ仕方ねぇや。いくらだ?」

 言い訳混じりにヴァルロが尋ね、店主が指を三本立てる。
 ヴァルロがにわかに渋面を作ると、店主の男はにやりと口の端を歪めて、ばさりと外套を横にずらした。――同じ意匠の外套が、もう一着姿を覗かせる。

「二着でだ」
「あん? チッ、商売が上手ぇこった」

 茶色い外套姿のレウシアを横目で見てから、ヴァルロが腰の財布袋に手を伸ばす。
 するといつの間にやら隣に来ていた巻き角少女が、ついっと商品の一つを指差した。

「あ、あのあのっ、あたしはあの帽子が欲しいですっ!」
「は? てめぇなにを言ってやがる? ん? つかそういや、さっきもしれっと奢らせやがっただろッ! てめぇのぶんはてめぇで払え!」
「え? あー、それは、そのー……」
「つーか、いつまでついて来る気だよてめぇはッ!」
「ひどいっ!? 乙女の角を掴んでおいてっ!?」

 両手で自分の角を押さえながら、メメリが涙目でヴァルロを見上げる。
 ヴァルロがうっとうしそうに手を払ってみせると、メメリはがくりと肩を落として俯いた。

「ううう……。でも、帽子がないと不安ですよぅ……」
「ふむ。確かにそうかもしれませんね。王都に比べればそれほどでもありませんが、この街にも獣人族への差別がないわけではありません」
「……へっ?」

 ふいに背後からかけられた老人の声に、メメリが伏せていた顔をあげて振り返る。
 そこに立っていた司教アロイオはすっと聖女エルに会釈をしてから、羊角の少女が指差した帽子を手に取った。

「これぐらいならば、私が買って差し上げましょう。聖女様のお連れの方が、この街で不便な思いをしないように便宜を図るのも、私どもの務めです」
「うん? 司教様のお知り合い……というか、聖女様とそのお仲間だったのかい? なら帽子はタダでいい。おまけにしとこう」

 アロイオが銀貨を取り出すと、店主の男は片手を上げてそれを断り、ふっとエルへと視線を向けた。

「――まさか生きてる間に、本物の聖女様にお目にかかれるとはな」
「えと、恐縮です……」

 広場の中央に建つ聖女像をちらちら見ながら、エルは緊張した面持ちで小さく頷く。
 ヴァルロが面倒くさそうに頭を掻いて、隣のメメリをじろりと見据えた。

「つーかよ、こいつは仲間じゃねぇんだが――」
「え、えとえとっ、あたしを仲間にしてくれたら、絶対役に立ちますよ! 恩返しもまだですしっ」
「あん? てめぇがなんの役に立つってんだよ? いまんとこ、迷惑しかかけられてねぇぞ?」
「ひどいっ!?」

 じわりと目の端に涙を浮かべて、巻き角少女がヴァルロを見据える。
 メメリはぴしっと人差し指を元船長に突きつけて、大きな声で猛抗議した。

「ヴァルロ様は、なんでそんなにあたしのことを嫌うんですかっ!? つ、角を触ったくせに! それにあたしは役に立たなくないですよっ! 料理人だから料理ができます!! 船旅には必要でしょう!?」
「ああ? 料理ってあの粉のことか? あのやべぇ名前の」
「お、美味しいって食べてたじゃないですか!? ぐぬぬぬぬ……ッ」
「えっと、お、落ち着いてください……ヴァルロさんも、言い過ぎですよ……」

 歯ぎしりしながらヴァルロを睨むメメリの姿に、エルがおろおろと視線をさまよわせ、レウシアは「くぁぁ」と欠伸を漏らす。

 ふいにぽんと手を打ち鳴らす音が響き、一同がそちらに視線を向ける。
 司教アロイオは合わせていた両手をすっと広げ、まるで品の売り込みをする商人のような仕草で提案を述べた。

「それでしたら、どうでしょう? 試しにそちらのお嬢さんに、料理を作っていただいてみては?」
「いや、飯ならさっき食ったばっかで――」
「はいはいはいっ! それがいいですっ! あたし、デザートだって作れますしっ!!」

 メメリが挙手しながらぴょんぴょん跳ねて、胸も跳ねる。それを見たエルが「うっ」と呻いて視線を落とす。
 レウシアがこてんと首を傾げて聖女の顔を窺いに近寄り、びくっと肩を震わせた。

「デザートなぁ……まあ、それはいいんだがよ。料理なんてどこですんだよ?」
「それでしたら、教会にある厨房をお貸ししましょう」

 溜息混じりにヴァルロが問うと、司教アロイオはにこやかに答える。
 老司教は嬉しそうに頷いて、聖女の像へと目を向けた。

「――私も、彼女の種族の食事には、少し興味があるのです」
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