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第57話:レウシア、エルと引き離される
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高低差の多い街並みに、入り組んだ水路が通っている。
同じ建築様式の色褪せた煉瓦の家々は、統一感がありながら、そのくせ不規則に建ち並び、街はさながら迷路のような様相を呈していた。
水路と霧の街【ロー・ラヴィアハン】は、周囲を壁に囲まれた城郭都市である。
その城壁付近に建てられた詰め所の前で、元船長ヴァルロは苛々と後ろ頭を掻き毟りながら、じろりと巻き角の少女を見据えていた。
「ったく、なんで街に入ろうってのに、手形も金も持ってねぇんだよ? てめぇは……」
「だ、だって、お金の入ってる袋は、リュックの中だったんですもん……。リュックはその、食べられたときに失くしちゃって……」
しゅんと項垂れてメメリが言うと、ヴァルロの視線が鋭さを増す。
彼の口からチッと舌打ちの音が鳴り、続けて溜息が漏れた。
「……それならそうと早く言え。そうすりゃ面倒は避けられた」
「ご、ごめんなさいっ、そうですよね、あたしが先に言っておけば――」
「ああ、ちゃんと街の外に置き去りにできたからな」
「ひどいっ!?」
メメリが目を見開いて驚くと、ヴァルロの手が彼女の巻き角をがしっと掴む。
「あ? 頭沸いてんのかてめぇ? 当たり前だろうが。――なんで、俺らが、てめぇの世話すっと、思い込んでんだ? 一人旅だろうが、てめぇはよッ!」
「あうっ、あうっ、あうっ!? つ、角はやめてくださっ!? そこ神経が、通っててっ!? あうっ!?」
角ごと頭をがくがくと揺らされ、メメリが目を白黒させて悲鳴を漏らす。
少女の声音に悲痛な響きが混ざり始めると、近くで見ていたエルがわたわたと手を振りながら止めに入った。
「や、やり過ぎですよ、ヴァ――ヴィルさん! 街には入れたんですし、もういいじゃないですかっ」
「……チッ、ヴァルロでいい。どうせ連中は俺の偽名なんざ覚えちゃいねぇよ。なんせ――」
ぱっと角から手を離し、ヴァルロが遠くへ視線を向ける。
段々と近づいてくる白い神官服姿の男たちを鋭く見据え、元船長は気づかれないよう、地面に唾を吐き捨てた。
「――聖女エル様がご到着じゃ、そのおまけくらいにしか思われてねぇさ」
* * *
家々の灯りが水路に反射して街が幻想的な趣を見せるなか、司教の男はゆっくりと歩を進めながら、並び歩く聖女へ目を向けた。
「……それにしても、本当に驚きました。私どもの街へ、聖女様がいらっしゃるとは」
「突然の訪問、申し訳ありません」
「いえいえ、歓迎いたします。むしろお待たせしたようで申し訳ない」
街へ入ろうとしたときは夕刻だったが、いまはすっかり夜である。司教アロイオは恐縮した様子でそう言ってから、深い皺の刻まれた顔をくしゃりと歪めて微笑んだ。
並び歩く他の若い神官たちが、薄汚れた外套を纏ったエルを疑わしげな視線でちらちらと窺うなか、かの老人だけは目の前の少女を〝聖女エル〟だと確信している様子である。
街に入る際、通行手形を持たないメメリが門番に止められ、ボロ布で隠した巻き角が露見し、さらになし崩し的にレウシアの翼と尻尾までバレたとき――ヴァルロはもはや腰に帯びた剣を抜いて、逃走の一手を選ぼうかとも考えた。
とっさにエルがその素性を明かして、なんとか最悪の事態は免れたのだが、その代償として、教会の神官たちと合流する羽目になってしまったのが現状だ。
「しかし、お懐かしい。……いや、聖女様は私のことなど、覚えておられないかもしれませんが……」
「え……?」
「私は昔、王都の大聖堂にいたのです。あなたにも、一度だけお会いしたことがありますよ」
「え……と……ごめんなさい」
「でしょうね。……構いません。あなたがまだ、とても小さかった頃ですから」
二人の会話に聞き耳を立て、若い神官たちの顔に浮かんでいた緊張が緩む。
……そういうことか。と納得しながら、ヴァルロは自分の左手首を無意識に擦った。門兵に証拠を見せるために行った自傷行為の傷跡は、すでに跡形もなく消えている。
「それで、今回はどのようなご用向きなのでしょうか? この場で尋ねてよい内容ですかな?」
「いえ、その、いまはまだ……あの、司教様は〝聖剣〟については――」
「なるほど、なるほど。そのお言葉だけで十分でございます。できるだけの協力を、約束しましょう」
勝手に納得した様子で頷いてから、次いで司教はヴァルロたちへと目をやった。珍しい種族の亜人二人に、堅気ではない雰囲気の薄汚れた初老の男に対しても、司教アロイオは笑顔を向ける。
「あなた方も、お疲れでしょう。宿を手配しておりますので、今日はゆっくり休んでください」
「……ああ」
そういえば、司教と聖女ではどちらが偉いのだろうか――と、そんなことを考えながら、ヴァルロはおもむろに頷いた。
司教が自分たちを〝エルが雇った護衛〟と勘違いしているのならば、彼らの上下関係くらいは、ぼんやりとでも把握しておきたかった。
「……える、は?」
「っ、あ、あの、司教様!」
「はい、なんでしょうか?」
レウシアが戸惑った表情で尋ねると、エルは焦った顔で司教アロイオを呼び止めた。
銀髪の少女は黒髪の少女をちらりと見やり、懇願するように言葉を続ける。
「あの、もう一人だけ、教会へ泊めていただくことはできないでしょうか……? もしくはその、私も宿へ……」
「ふむ……しかし、急な話で部屋の空きがないのです。申し訳ありません。――ご安心ください。この街にいらっしゃる間は、聖女様の御身は私どもがお守りしますよ」
「その、えっと……はい」
護衛と離れるのが不安なのだろうと考えたのか、司教アロイオは安心させるように聖女エルへと微笑みかける。
一方の聖女は僅かに視線を泳がせてから、がっくり肩を落として頷いた。――彼女はレウシアと共にいたいのだろうが、その理由を教会の者に説明するわけにはいかなかった。
それに教会の修道女であるヌルが、レウシアを海に落とした事実を思えば、藪をつつくのは危険といえる。
「どうやら、聖女様もお疲れのようだ。きみ、彼らを宿へ案内してくれないか?」
「御意に。……おい、こっちだ」
エルの溜息を疲れと受け取り、アロイオが神官の一人に声をかけた。
白い神官服姿の若い男は、ヴァルロとレウシア、そしてメメリをじろりと睨み、顎でしゃくって行き先を示す。
「……える」
「その、レウシアさん、また明日、教会に――」
「さ、行きましょうか、聖女様。――なに、ご安心ください。この街はよい所ですし、神官たちも皆優秀です。旅の疲れも癒せるでしょう」
「…………はい」
疲れたように背中を丸めて、聖女が神官たちに連れていかれる。
その後ろ姿を見送りながら、竜の少女はふいにこてんと首を傾げて、自らの胸に手を当てた。
「……?」
「――なにをしている? 早く来い!」
「チッ、おい! レウシア! 置いてくぞ!!」
「……わかっ、た」
踵を返し、レウシアがヴァルロたちのほうへ向かう。その途中、ふと足を止めて振り返る。
「……?」
聖女エルは振り返ることなく、静々と霧の街へ消えていく。――レウシアは首を傾げて胸元を押さえ、とぼとぼと宿へ歩み始めた。
◇
きょうは ひとりの おへやです
いつもは もう ねむい ころなのに
なんだか きょうは ねむれません
える どうしてるかな
◇
同じ建築様式の色褪せた煉瓦の家々は、統一感がありながら、そのくせ不規則に建ち並び、街はさながら迷路のような様相を呈していた。
水路と霧の街【ロー・ラヴィアハン】は、周囲を壁に囲まれた城郭都市である。
その城壁付近に建てられた詰め所の前で、元船長ヴァルロは苛々と後ろ頭を掻き毟りながら、じろりと巻き角の少女を見据えていた。
「ったく、なんで街に入ろうってのに、手形も金も持ってねぇんだよ? てめぇは……」
「だ、だって、お金の入ってる袋は、リュックの中だったんですもん……。リュックはその、食べられたときに失くしちゃって……」
しゅんと項垂れてメメリが言うと、ヴァルロの視線が鋭さを増す。
彼の口からチッと舌打ちの音が鳴り、続けて溜息が漏れた。
「……それならそうと早く言え。そうすりゃ面倒は避けられた」
「ご、ごめんなさいっ、そうですよね、あたしが先に言っておけば――」
「ああ、ちゃんと街の外に置き去りにできたからな」
「ひどいっ!?」
メメリが目を見開いて驚くと、ヴァルロの手が彼女の巻き角をがしっと掴む。
「あ? 頭沸いてんのかてめぇ? 当たり前だろうが。――なんで、俺らが、てめぇの世話すっと、思い込んでんだ? 一人旅だろうが、てめぇはよッ!」
「あうっ、あうっ、あうっ!? つ、角はやめてくださっ!? そこ神経が、通っててっ!? あうっ!?」
角ごと頭をがくがくと揺らされ、メメリが目を白黒させて悲鳴を漏らす。
少女の声音に悲痛な響きが混ざり始めると、近くで見ていたエルがわたわたと手を振りながら止めに入った。
「や、やり過ぎですよ、ヴァ――ヴィルさん! 街には入れたんですし、もういいじゃないですかっ」
「……チッ、ヴァルロでいい。どうせ連中は俺の偽名なんざ覚えちゃいねぇよ。なんせ――」
ぱっと角から手を離し、ヴァルロが遠くへ視線を向ける。
段々と近づいてくる白い神官服姿の男たちを鋭く見据え、元船長は気づかれないよう、地面に唾を吐き捨てた。
「――聖女エル様がご到着じゃ、そのおまけくらいにしか思われてねぇさ」
* * *
家々の灯りが水路に反射して街が幻想的な趣を見せるなか、司教の男はゆっくりと歩を進めながら、並び歩く聖女へ目を向けた。
「……それにしても、本当に驚きました。私どもの街へ、聖女様がいらっしゃるとは」
「突然の訪問、申し訳ありません」
「いえいえ、歓迎いたします。むしろお待たせしたようで申し訳ない」
街へ入ろうとしたときは夕刻だったが、いまはすっかり夜である。司教アロイオは恐縮した様子でそう言ってから、深い皺の刻まれた顔をくしゃりと歪めて微笑んだ。
並び歩く他の若い神官たちが、薄汚れた外套を纏ったエルを疑わしげな視線でちらちらと窺うなか、かの老人だけは目の前の少女を〝聖女エル〟だと確信している様子である。
街に入る際、通行手形を持たないメメリが門番に止められ、ボロ布で隠した巻き角が露見し、さらになし崩し的にレウシアの翼と尻尾までバレたとき――ヴァルロはもはや腰に帯びた剣を抜いて、逃走の一手を選ぼうかとも考えた。
とっさにエルがその素性を明かして、なんとか最悪の事態は免れたのだが、その代償として、教会の神官たちと合流する羽目になってしまったのが現状だ。
「しかし、お懐かしい。……いや、聖女様は私のことなど、覚えておられないかもしれませんが……」
「え……?」
「私は昔、王都の大聖堂にいたのです。あなたにも、一度だけお会いしたことがありますよ」
「え……と……ごめんなさい」
「でしょうね。……構いません。あなたがまだ、とても小さかった頃ですから」
二人の会話に聞き耳を立て、若い神官たちの顔に浮かんでいた緊張が緩む。
……そういうことか。と納得しながら、ヴァルロは自分の左手首を無意識に擦った。門兵に証拠を見せるために行った自傷行為の傷跡は、すでに跡形もなく消えている。
「それで、今回はどのようなご用向きなのでしょうか? この場で尋ねてよい内容ですかな?」
「いえ、その、いまはまだ……あの、司教様は〝聖剣〟については――」
「なるほど、なるほど。そのお言葉だけで十分でございます。できるだけの協力を、約束しましょう」
勝手に納得した様子で頷いてから、次いで司教はヴァルロたちへと目をやった。珍しい種族の亜人二人に、堅気ではない雰囲気の薄汚れた初老の男に対しても、司教アロイオは笑顔を向ける。
「あなた方も、お疲れでしょう。宿を手配しておりますので、今日はゆっくり休んでください」
「……ああ」
そういえば、司教と聖女ではどちらが偉いのだろうか――と、そんなことを考えながら、ヴァルロはおもむろに頷いた。
司教が自分たちを〝エルが雇った護衛〟と勘違いしているのならば、彼らの上下関係くらいは、ぼんやりとでも把握しておきたかった。
「……える、は?」
「っ、あ、あの、司教様!」
「はい、なんでしょうか?」
レウシアが戸惑った表情で尋ねると、エルは焦った顔で司教アロイオを呼び止めた。
銀髪の少女は黒髪の少女をちらりと見やり、懇願するように言葉を続ける。
「あの、もう一人だけ、教会へ泊めていただくことはできないでしょうか……? もしくはその、私も宿へ……」
「ふむ……しかし、急な話で部屋の空きがないのです。申し訳ありません。――ご安心ください。この街にいらっしゃる間は、聖女様の御身は私どもがお守りしますよ」
「その、えっと……はい」
護衛と離れるのが不安なのだろうと考えたのか、司教アロイオは安心させるように聖女エルへと微笑みかける。
一方の聖女は僅かに視線を泳がせてから、がっくり肩を落として頷いた。――彼女はレウシアと共にいたいのだろうが、その理由を教会の者に説明するわけにはいかなかった。
それに教会の修道女であるヌルが、レウシアを海に落とした事実を思えば、藪をつつくのは危険といえる。
「どうやら、聖女様もお疲れのようだ。きみ、彼らを宿へ案内してくれないか?」
「御意に。……おい、こっちだ」
エルの溜息を疲れと受け取り、アロイオが神官の一人に声をかけた。
白い神官服姿の若い男は、ヴァルロとレウシア、そしてメメリをじろりと睨み、顎でしゃくって行き先を示す。
「……える」
「その、レウシアさん、また明日、教会に――」
「さ、行きましょうか、聖女様。――なに、ご安心ください。この街はよい所ですし、神官たちも皆優秀です。旅の疲れも癒せるでしょう」
「…………はい」
疲れたように背中を丸めて、聖女が神官たちに連れていかれる。
その後ろ姿を見送りながら、竜の少女はふいにこてんと首を傾げて、自らの胸に手を当てた。
「……?」
「――なにをしている? 早く来い!」
「チッ、おい! レウシア! 置いてくぞ!!」
「……わかっ、た」
踵を返し、レウシアがヴァルロたちのほうへ向かう。その途中、ふと足を止めて振り返る。
「……?」
聖女エルは振り返ることなく、静々と霧の街へ消えていく。――レウシアは首を傾げて胸元を押さえ、とぼとぼと宿へ歩み始めた。
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きょうは ひとりの おへやです
いつもは もう ねむい ころなのに
なんだか きょうは ねむれません
える どうしてるかな
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