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第46話:レウシア、エルが迎えにくる

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 枝葉を屈んでやり過ごし、エルは獣道を進む。

 どこからか鳥の鳴き声が聞こえるが、その姿は見当たらない。
 鬱蒼と生い茂る木々の葉が辺りを薄暗く影で覆い、森の中は息を潜めた多種多様な生き物たちの、ひんやりとした気配に満たされていた。

「――ッ、」

 柔らかい土に足を取られそうになり、エルは木の幹に手を添えた。
 知らずうち、視線が自らの腰へと下がる。
 そこに吊られているものが視界に入ると、思わずため息がこぼれ出る。

 エルの腰に巻かれたなめし革のベルトには、短い鞘のような〝ホルスター〟が取りつけられていた。
 そこには、ヴァルロの持っていたものとは形状の違う、小さな〝銃〟が収められている。

 ――どうして、こんな物を持ってきてしまったのでしょうか。
 見た目の印象より重たいその武器をしかめた顔で見据えてから、聖女はゆるゆるとかぶりを振った。

「……いえ、使わなければ済むことです」
「うん? なにか言ったかい?」
「いいえ。先を急ぎましょう」

 獣道の先頭を歩いていたローニが、ひょいと体ごと振り返って尋ねた。
 エルが伏せていた顔を上げて返事をすると、カザドの紳士はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、自分の作品を腰に帯びた少女を眺めて嬉しそうに手を打ち鳴らす。

「うん、素晴らしい! いや、それにしてもさ! 僕の銃を人族の女の子が吊ってるところを見られるなんて、頑張って作った甲斐があったよ!」
「……そう、ですか」
「おや? 気に入らないのかい?」
「いえ、その……正直言って、怖いのです」

 エルの腰に吊られているのは、六連発の回転式拳銃だ。
 シリンダーには暴発を避けるために一発を抜いた、五発の弾が込められている。
 薬莢式の弾薬はこれもローニの作ったもので、彼の器用さと〝銃〟にかける並々ならぬ情熱を物語っていた。

 先ほど使い方を教わる際に、この小さく重たい銃を一度撃たせてもらってから、エルは己の浅慮さをずっと後悔し続けていた。
 貸してくれなどと気軽にいうべきではなかったと、そればかりを考えてしまう。

「あん? 怖いっつったって、お前の持ってる〝指輪〟のほうがよっぽど怖えと俺は思うがな?」
「っ、それは……そうかも、しれないですけど……」
「なにを気にしてんだか知らねぇがな。〝武器〟っつーのは結局のところたんなる〝力〟だ。使う奴次第じゃ、パン切るナイフだって凶器になるんだからよ。あんま気にし過ぎんな」
「……そう、ですね」

 背後からかけられたヴァルロの言葉に頷いてみせるが、内心では納得しきれない。
 小さな銃の撃鉄を起こし、その引き金を引いた瞬間――まるで冷や水を浴びせられたような感覚が、エルの心に差し込んだのだ。

 ほんの少し指を動かす。
 それだけで、轟音とともに相手を殺傷するほどの〝暴力〟が放たれる。
 エルにとってその衝撃がもたらした感情は、恐らくは恐怖ともまた少しだけ違う、焦燥感にも似たものだった。――これは危険な物だ。そう思う。

「うーん……。僕としては、お嬢さんみたいな力の弱い者に持って欲しくて作ったんだけどね。なかなか、理解を得るのは難しいのかなぁ。まあ他のカザドたちとは、また理由が違うみたいだけれど」

 エルの表情を窺って、ローニががっくりと肩を落とす。
 聖女は取り繕うような笑顔を浮かべながら、わたわたと両手を動かした。

「え、えと、でもこの模様とかは、可愛らしいと思いますよ? ドワーフの方って、鍛冶だけじゃなくて細工も得意なんですね!」
「お? わかるかい? それは花と蔦をモチーフにしてるんだ! なかなか洒落たデザインだろう? ……まあ、それも他のカザドたちからは、すっごく不評なんだけど……」
「えと、ローニさんは、他のドワーフの方より綺麗好きみたいですし、たぶん人族と感覚が近いのでは……? お髭も整えてますし……」
「うん? そうなのかな? 僕から見たら、他の皆が変わってるだけなんだけどね!」

 髭を褒められたと受け取ったのか、ローニの顔に笑顔が浮かぶ。
 実際エルは、この島のすべての住人を見たわけではないとはいえ、髭を編んでいるドワーフはおれど、彼のように剃り整えている者など他には目にしていなかった。

 みょいんみょいんと自慢の口髭を弄りながら、カザドの紳士は足取り軽く言葉を続ける。

「だいたい皆、どうして髭をあんなに伸ばしっぱなしにするのか、僕には理解できないよ! 知ってるかい? 鍛冶のときに髭を燃やして、火事を起こしそうになるカザドまでいるんだぜッ!」
「そ、そうですか……」

 冗談のつもりだったのか「うぷぷ」と両手を口に当てて笑うローニから視線を外し、エルは乾いた吐息を漏らした。――早くレウシアさんに会いたい。なんだかとてもそう思う。

「ああ、そういえば。きみたちが服と体を洗っている間に、その指輪を調べていたんだけど――」
「え? あ、待ってください」

 その願いが叶ったのか、エルたちの視界の先に森の切れ目が現れる。
 ヴァルロがさっと腰を落として、周囲の痕跡を調べ始めた。

「……間違いねぇな。蹄の跡は、あっちに向かってやがる」
「どうしましょう。ゆっくり近づけば、大丈夫でしょうか……?」
「お前はともかく、俺らはやべぇかもな」
「僕は隠れるの得意だよ」

 エルはこくりと頷いて、ローニにさっと目配せをしてから、おそるおそる足を踏み出す。藪の隙間にしゃがみ込んだヴァルロから、チッと舌打ちの音が響いた。

「ジヌイの奴もいねぇんだ。もし戦いになっちまったら、俺だけじゃ庇いきれねぇからな。なにかあったら、躊躇わず使えよ?」

 枯れ木のような元船長は鋭い視線を少女の銃に向けながら、声を潜めて忠告をする。

 エルは表情を曇らせながら、それでも微かに頷いた。
 現在ジヌイはローニの家で、酔い潰れて熟睡している。どうやら幽霊船騒ぎのときから、ずっと寝不足だったらしい。

 なるべく足音を立てないように、そっと地面を踏みしめる。ローニの姿はすでに見当たらない。枯葉のかさりと鳴る音が、やけに大きく聞こえる気がする。

「――っ」

 木々を抜けると、そこは小さな広場であった。
 ぽっかりと開いた空間に白い花々が咲き乱れ、陽の光が柔らかく降り注いでいる。

「……レウシア、さん?」
「…………う」

 四頭のユニコーンがぺたりと身を伏せ、輪になって瞼を閉じている。その中心で竜の少女はころんと丸まり、自らの尾を抱いて眠っていた。

 止めていた息をほっと吐き出しながら、エルはレウシアへと歩み寄る。
 どうやら怪我などしてはいない様子で、ただただ暢気に眠っているだけのようだった。

「……もう」

 ぷくりと頬を膨らませてから、エルはしゃがんでレウシアの寝顔を覗き見た。――心配したんですからね。と、声に出さずに囁きかける。

「レウシアさん、起きてください。レウシアさん」
「……んぅ、える?」
「はい、私ですよ。帰りましょう、レウシアさ――ッ!?」

 レウシアが薄っすらと瞼を開いたその途端、むくりと一角獣たちが身を起こした。
 ざっと自分たちを取り囲む四頭のユニコーンを見据えつつ、エルの右手が腰の銃へと伸び――しかし触れることなく下げられる。

「チッ、あの馬鹿ッ」

 藪からヴァルロの舌打ちが漏れた。
 男性である自分がユニコーンの前へ安易に飛び出していくわけにもいかないと判断したらしく、その場に留まったまま苛々と指先を剣の柄に滑らせる。

「……ぅ?」

 レウシアは眠そうに一角獣たちを見回すと、ふいにこてんと首を傾げて、着ているワンピースのポケットの中に手を入れた。

「……これ?」
「っ!? え、レウシアさん、どうして……?」

 竜の少女の取り出した〝指輪〟を前に、ユニコーンたちが一様に頷く。
 エルは目の前の出来事が信じられず、ぎゅっと自分のポケットを握りしめた。
 確かに〝指輪〟はそこにある。なら、レウシアの持っているあれは――

「――ロンドさんの……いえ、違い、ますね……」

 樽に詰められたレウシアを追いかけるときに、エルが船に置いてきてしまったロンド父親の指輪ではない。
 レウシアの持つそれは未だに、彼女の首にかかった細い鎖で揺れていた。

「どうして〝聖剣の欠片〟が、ここにもう一つ……」
「……える?」

 それは〝欠片〟と呼ばれているのだから、複数あってもおかしくはない――ないが、どうして彼女が持っているのだろうか?
 混乱を深める聖女の顔を、竜の少女はぼんやりとした表情で覗き込む。

 エルが半ば無意識のうちに〝指輪〟をポケットから取り出すと、一頭のユニコーンが口を開いた。

「――よくぞ参られた。〝約束の乙女〟よ。我らの角を持つ者よ」
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