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第45話:約束の乙女

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 白い花が咲いていた。

 花弁の小さなその花は、シロツメクサによく似た形だ。
 しかし、葉であるクローバーの姿は見当たらない。深い森のなか、なぜかそこだけぽっかりと開いた空間に、柔らかな陽が降り注ぐ。

 花々は静かに、広場を包み込んでいた。

 やがて一頭のユニコーンが訪れて、花の住処に身を伏せる。
 その背に乗った小柄な少女は、ころんと花畑に転がり落ちた。

 竜の翼と尾を持つ少女はしぱしぱと何度か瞬きをしてから、自分をこの場に連れてきた者の顔を覗き込む。

「……なにか、ごよう?」

 ふるる、とユニコーンは鼻を鳴らし、ただ無言で森の木々へと視線を向けた。

『――ついにこの時がきたか』
『――だが、その者は竜ではないか?』

 どこからか人の声ではない言葉が響き、森の奥から二頭の白い一角獣が現れた。竜人ドラゴニュートの少女――レウシアをこの場に運んできたユニコーンが立ち上がり、ゆるりと角を振ってその姿を迎える。

『――然り。だがこの者は純なる乙女だ。我らの待ち望んだ〝約束の乙女〟に相違ないはず』
『確かに、同胞の気配を感じる。彼女がを所持しているのか?』
『持っているとも。なればこそ、あの森人が我らに差し出すと約束した〝乙女〟はこの者だろう』
『――しかし、ううむ……』

 白い獣たちは首を捻り、竜の少女へ観察するような視線を向けた。
 一頭のユニコーンが進み出て、レウシアの赤い瞳をじっと見る。

『――竜である上に、これは黒の者ではないか。それがしには、なにゆえこの者がアレを持っているのか、その因果が推察できぬ』
『アレを持ち、我らの乙女となるのは人族の〝聖女〟ではないのか? そういう契約だったはずだ。某も納得できぬ』 
「……あれ、って、なに?」
『――ッ!?』

 レウシアが不思議そうに尋ねると、ユニコーンたちはびくりと体を震わせて、ざっと頭を寄せ合った。
 ちらちらと少女を窺いながら、思念を潜めて会話を交わす。

『――我らの言葉が聞こえるらしい』
『――それは僥倖なのではないか?』
『――某は硬派な男児なのだ。いきなり乙女とは上手く喋れん』
『――それは内気なだけなのでは……?』

 筒抜けの内緒話を続けるユニコーンたちの姿を眺めて、レウシアは「……くぁぁ」と欠伸を漏らした。
 食事もしたし、湯にも浸かった。彼女はいま、おねむなのだ。

『――見ろ、無垢な乙女ではないか。一体なにが不満だというのだ?』
『だが竜だ、聖女ではない。それに黒の者である。他に乙女はいなかったのか?』
『白の者がいるにはいたが……』
『なんだと!? それこそ人族の聖女ではないのかッ!? なにゆえ、そちらを連れてこない! ……まさか、純なる乙女ではなかったと?』
『いや、純なる乙女であった。この者と同じくらいの体格で、銀髪の、とても美しい娘であった』
『なぜ連れてこないッ!?』

 がちん、と角がぶつかり合い、蹄がガツガツと地面を掘り返す。
 角をぶつけられたユニコーンは気まずそうに視線を逸らし、ぶつぶつと小さな思念で弁解を始めた。

『……いや、純なる乙女ではあったが、よこしまな気が感じられたので、これはちょっと違うかなぁと』
『む? どういうことだ? 邪悪な者だったのか?』
『否、情欲である』
『ふむ。……だが、純なる乙女なのだろう? むしろ良いことではないか。純であるのに情欲があるとは、ぶっちゃけ某の好みである』
『某はちょっと苦手かなと……なんだか矛盾しているというか、すぐに純ではなくなりそうだし。……やはり無垢なほうが、某は好みであるからして』
『貴様ッ!? 解釈違いだぞッ!!』

 またもやガチンと角がぶつかり、二頭のユニコーンがたたらを踏む。
 レウシアはぼんやりとその光景を見ながら、頭をこっくりこっくり動かした。

「……もう、帰っても、いい?」
『あ、ま、待たれよ。まだ結論が、で、で、出ていないゆえ』
「……ん。わかっ、た」

 器用に思念をどもらせて、ユニコーンが竜の少女を引き留める。
 レウシアはこくりと頷くと、両膝を抱えて生乾きの袖に顔を埋めた。どうやら寝てしまうつもりらしい。

『――とにかく、そちらの乙女も見てみないことには始まらん。アレをその乙女が持っているのは、預けられていただけかも知れぬではないか』
『某はこちらの乙女こそ、あの森人の約束した乙女に相違ないと思うのだがなぁ……』
『貴殿の好みなど問うてはおらぬ』
『どの口が申すか――む?』

 揉めているユニコーンたちが一斉に森へ視線を向けると、ざっ、と蹄を鳴らしてさらに別のユニコーンが現れる。
 他の一角獣より一回り大きいその獣は、銀色の長い角を陽の光に煌めかせ、堂々たる振る舞いで白い花畑に踏み込んだ。

『――なにを言い争っておるか?』
『おお、貴殿か。……貴殿はこの状況をどう考える?』
『そんなもの、試してみれば良いではないか。我らが望む楽園エデンを、この者がもたらしてくれるのかどうか否かを。すなわち――』
『おおおッ! 然らば! ついに!!』

 ぶるりと体を震わせながら、ユニコーンたちが一斉に嘶く。

『――膝枕である!!』

 厳かな思念がその場に響き、一角獣たちの期待を込めた眼差しが竜の少女の身へと集まる。

「…………」

 その熱い視線の先では、膝と尻尾を抱え込んだレウシアが、すやすやと寝息を立てていた。

『『『『……げせぬ』』』』

 ころんと丸まる少女を見つめて、獣の思念が唱和した。

   *   *   *

 一方その頃。ローニの家では――

「――ヴァルロさん、ちょっと〝銃〟を貸していただけませんか?」
「あん? 銃なら船に……ってエレーヌ!? てめぇ、まだびしょ濡れじゃねぇか!?」
「いますぐに必要なんです。レウシアさんが攫われてしまって……」
「はぁッ? マジか!? 一体どこのどいつの仕業だ? まさか、ドゥブルの野郎が仕返しになんてこたぁねぇと思うが……」
「いえ、獣です。失礼な獣に攫われました」
「銃なら僕が持ってるよ。でも、ここらに危ない獣なんていたかなぁ……?」
「ユニコーンです」
「……は?」
「レウシアさんはユニコーンに攫われました。あの不敬な一角獣を、退治せねばなりません」

「お前、ユニコーンを撃ち殺す気かよ!? 神聖なる獣だろうが!?」

 いきなり扉を開けて入ってきたびしょ濡れ姿のエルの言葉に、男性一同はぎょっとと目を剥き固まって、魔導書からは驚愕の言葉ツッコミが響く。

「……それが、なにか?」

 聖女エルは髪から水を滴らせ、幽鬼のように微笑んだ。
 完全に目が据わっていた。
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