【完結】かつて勇者だった者

61 魔獣の襲撃

　重い腰をなんとか上げ、このままでは動きづらいと魔王討伐時に着ていたような格好に春輝はトビアスと共に着替えた。
　豪華に刺繍が施されえた衣服を脱ぎ、皮で作られた重たいジャケットをシャツの上から羽織り、ソードベルトを腰に巻き付ける。
　マントを固定し終え姿見を見れば、そこには心底不機嫌そうな自身の顔が映っていた。

「凛々しいお姿です」
「お前の方こそ。あぁ行きたくない」
「魔獣を屠れば多少は憂さ晴らしができるのでは？」
「聖剣の力を使ってか？　俺は吐く自信があるぞ」

　なんとも言えない顔をしたトビアスに、春輝は苦笑する。そこまでいって、トビアスの姿を見た春輝は、重要なことを思い出した。
　トビアスはドラゴンの鱗のお陰で片目が塞がれ、足の片方を不自由にしていようが、戦闘には何ら問題がない。
　普段でも念のためにと杖を突いてはいるが、そんなものなど無くても問題はないのだ。むしろドラゴンの力があるからこそ、普通の人間より力を持ってしまっている。それが戦闘中に発揮されればどうなるか。

「トビアス、戦闘は手加減しすぎるぐらいにしろよ。力がばれるぞ」
「あぁそうでした……聖剣を使わせないように私が全て屠るのもありかと思っていましたが……」
「やめとけ、厄介なことになる」
「ままなりませんね」
「まったくだよ」

準備を終え玄関まで出れば既に出発準備は整っていて、そこには目を輝かせるサーシャリア達が待っていた。
　心底面倒くさそうに春輝がグッと顔を顰めれば、アルバロが聖剣を恭しく春輝へと掲げてくる。
　手に取るのを躊躇ってしまいそうになるが、ここで手に取らなければ不審がられてしまう。柄に手を掛ければぞわりと肌が粟立ち、脂汗が背中を伝い落ちた。
　用意された馬は二頭。勿論春輝とトビアスのものだが、馬に一人で乗る気分ではない。ぐるぐると久しぶりに触れた聖剣からの魔力が気持ち悪すぎるのだ。うさぎのぬいぐるみを抱きしめながら、ゆるく回る視界に耐える。

「トビアス」

　そう口にすればさっと春輝を前に乗せ、トビアスは春輝の後ろに跨った。サイモン達王宮の騎士達からは小さく、馬にも一人で乗れないのかと嘲るような嘲笑が聞こえてくるが、笑いたければ笑えばいいのだ。
　この不快さを知らない者達には、春輝自身がどれだけの苦痛を強いられているのか想像すらできないのだろう。

　春輝達が騎乗すれば他の騎士達も馬に跨り、サーシャリア達も馬車へと乗り込んだ。そのまま駆けつけてきた衛兵のあとにぞろぞろと着いていく。
　街道を駆け抜け、現場付近まで近いていけば領民たちが必死に逃げ惑っている。

「見ろ、勇者様だ！」

　一人の男が馬上の春輝に気がつき声を張り上げれば、無数の視線が一気に春輝へと向い、皆が興奮したような歓声を上げる。
　これで助かったと心底安心した表情を見せる領民に、春輝は苛立ってしょうがなかった。確かに圧倒的な強さを持ち、魔王すらも討伐した者が居るのならば縋って当然だろうが、それは春輝や他の勇者と呼ばれていた過去の人物たちの犠牲によって成り立っている。
　本来なら助ける義理は微塵もないのだ。皆洗脳されていたからこそ、元の世界に居ない化け物と戦えていたのに他ならない。
　ある程度は見慣れているだろうこの世界の住人達と、恐怖の質が圧倒的に違う。それに勇者に期待を掛けられる者は、最前線に真っ先に特攻させられる。それがどれだけ恐ろしいか。

　ガベルトゥスもそう感じていただろうなと、春輝は唯一の理解者であるガベルトゥスのことを思い出した。
　今この場に居ればそれを共有できるのにと普通に考えてしまう。少し前では考えられなかったことだ。

「ハルキ殿」

　トビアスに促され前方を見れば、無数の魔獣が暴れまわっていた。だがその姿がどれも魔王討伐の遠征中に見たどれとも違う。
　それに聖剣から埋め込まれた知識の中にも、本で得た知識の中にも、そのどれにも目の前に居る魔獣の姿は当てはまらない。

「魔獣ってあんなだったか？」
「いえ、あんな姿物は初めて見ます」

　周りを見渡せば、着いてきている騎士達もまたその姿を初めて見るようで、驚きと微かな恐怖を見せていた。
　蠢く黒く形を保っているのが不思議な生き物達は、ずぞぞと地を這いながら春輝達の元へと走ってくる。
　ガベルトゥスが何かしたのだろうかと頭を過る。だがそうであっても春輝には目の前の魔獣を倒す以外選択肢はない。
　深く溜息を吐いた春輝は馬上から降りると、聖剣の柄を握り込んだ。途端に流れ込んでくる魔力に吐き気が止まらず、口内を噛みしめる。
　ギリギリとした気分の中、足に力を込めるとトビアスと共に魔獣へと向かって春輝は駆け出した。