87 / 321
86.神託の黒い雨(SIDEセティ)
しおりを挟む
*****SIDE セティ
生命を脅かされ、今も不快な眼差しを向けられたと言うのに……イシスの清らかさに呆れる。この子ほど、人間が思う神に近い存在はいないだろう。
人を恨むことも、妬むことも知らない。悪意を向けられても怖がるだけで、報復など思いつきもしない。罰するより離れようとする精神は幼く、それ故に神々の目に眩しく映った。
他の神がこの子を識ったら、誰もが欲しがって手を伸ばす。握り返されなかったとしても、その手を下げようとしないだろう。
もう帰って寝よう――魅力的な提案だが、それでは何も解決しない。イシスを狙う輩を減らせなかった。神殿はオレを操る気でいる。主神と同格の最上位を持つ破壊神を、他の小さき神々と同等に扱ってきた。放置したのがオレだとしても、罪を軽減する理由にはなるまい。
「神殿は不要だ」
「ん? 王侯貴族とやらはいいのか」
「今回は見逃そう」
気づかなかったことにしてやる。そう告げたオレの足元で、一人の青年が膝を突いて頭を地面に擦り付けた。この国の王子だ。神罰の神鳴りが王宮に落ちたことで、主神殿へ駆けつけたのだろう。破壊神の降臨に加え、話を聞いて事情を察したはずだ。
「そこの……王家の者よ」
額を地に押し付けたまま、若者は右手のひらを上向きに差し出した。神殿ですら失われた懐かしい作法だ。利き腕を差し出すことで、己の方が格下だと示す。その上で、相手に判断を委ねる作法を見たのは数十年ぶりだった。
本来は神殿の者こそ、作法に則りオレに頭を下げるべきだというのに。言い訳から反論まで投げつける始末だ。どれだけ増長しているか、嫌でも違いが目についた。
「懐かしくも心地よい作法を知る者よ。この国の我が神殿は現時点をもって、我の庇護から排除する。わかるな?」
神の威光を笠に着て、好き勝手に振る舞った神官の処分を委ねた。神自身が庇護と威光を否定したなら、神殿に価値はない。解体しようが、処罰しようが自由だ。これは神託だった。小さな悲鳴が神官達の口から溢れる。
「ありがとうございます」
震える声で礼を紡ぎ、王子は肩を震わせた。ゲリュオンの調査を見るまでもなく、王族は神殿の意向に振り回されている。神託と言われれば払い退けることは難しく、王族の地位は貶められた。婚姻や王位継承権にまで口出しされ、民からお布施と称して金を巻き上げる。それを処罰する手段がなかった。
献金の額で神殿の言葉は揺れ、金のある貴族の意向が優先される。このまま国が崩壊するなら、破壊神の名の下に国を解体した方が……そんな意見すら出ていた中で、タイフォン降臨は彼らにとって救いだろう。
オレも手を汚さずに済むし。腕の中できょとんとした顔の子供に微笑みかける。子猫のトムはイシスの首筋に顔を埋め、そのまま眠る体勢だった。温かい子猫を大切に抱き寄せ、イシスは嬉しそうに歯を見せる。
「騒動を片付けよ。二度と我が伴侶に手出しをさせるな。これは神託だ」
「畏まりまして、確かに承りました」
人間の騒動は人間同士で片を付けるのが道理。後は王族が始末するだろう。神の名を己の私利私欲に使った神官を睥睨し、オレはイシスのために背を向けた。
「何かあれば、一度だけ祈りを聞いてやろう」
それは面倒ごとを放置したことへの詫びのつもりで、オレの気まぐれだった。驚いたように顔を上げた王子は、すぐに目を伏せる。
ぽつりと雨粒が落ちる。晴れていた空はいつの間にか雲に覆われ、雷に焼かれた神殿が濡れ始めた。イシスが風邪を引く。慌ててオレは転移を使った。置いていかれそうになったゲリュオンが飛び込み、同時に姿を消す。
その後雨は、2日間かけて街を黒く濡らし続けた。
生命を脅かされ、今も不快な眼差しを向けられたと言うのに……イシスの清らかさに呆れる。この子ほど、人間が思う神に近い存在はいないだろう。
人を恨むことも、妬むことも知らない。悪意を向けられても怖がるだけで、報復など思いつきもしない。罰するより離れようとする精神は幼く、それ故に神々の目に眩しく映った。
他の神がこの子を識ったら、誰もが欲しがって手を伸ばす。握り返されなかったとしても、その手を下げようとしないだろう。
もう帰って寝よう――魅力的な提案だが、それでは何も解決しない。イシスを狙う輩を減らせなかった。神殿はオレを操る気でいる。主神と同格の最上位を持つ破壊神を、他の小さき神々と同等に扱ってきた。放置したのがオレだとしても、罪を軽減する理由にはなるまい。
「神殿は不要だ」
「ん? 王侯貴族とやらはいいのか」
「今回は見逃そう」
気づかなかったことにしてやる。そう告げたオレの足元で、一人の青年が膝を突いて頭を地面に擦り付けた。この国の王子だ。神罰の神鳴りが王宮に落ちたことで、主神殿へ駆けつけたのだろう。破壊神の降臨に加え、話を聞いて事情を察したはずだ。
「そこの……王家の者よ」
額を地に押し付けたまま、若者は右手のひらを上向きに差し出した。神殿ですら失われた懐かしい作法だ。利き腕を差し出すことで、己の方が格下だと示す。その上で、相手に判断を委ねる作法を見たのは数十年ぶりだった。
本来は神殿の者こそ、作法に則りオレに頭を下げるべきだというのに。言い訳から反論まで投げつける始末だ。どれだけ増長しているか、嫌でも違いが目についた。
「懐かしくも心地よい作法を知る者よ。この国の我が神殿は現時点をもって、我の庇護から排除する。わかるな?」
神の威光を笠に着て、好き勝手に振る舞った神官の処分を委ねた。神自身が庇護と威光を否定したなら、神殿に価値はない。解体しようが、処罰しようが自由だ。これは神託だった。小さな悲鳴が神官達の口から溢れる。
「ありがとうございます」
震える声で礼を紡ぎ、王子は肩を震わせた。ゲリュオンの調査を見るまでもなく、王族は神殿の意向に振り回されている。神託と言われれば払い退けることは難しく、王族の地位は貶められた。婚姻や王位継承権にまで口出しされ、民からお布施と称して金を巻き上げる。それを処罰する手段がなかった。
献金の額で神殿の言葉は揺れ、金のある貴族の意向が優先される。このまま国が崩壊するなら、破壊神の名の下に国を解体した方が……そんな意見すら出ていた中で、タイフォン降臨は彼らにとって救いだろう。
オレも手を汚さずに済むし。腕の中できょとんとした顔の子供に微笑みかける。子猫のトムはイシスの首筋に顔を埋め、そのまま眠る体勢だった。温かい子猫を大切に抱き寄せ、イシスは嬉しそうに歯を見せる。
「騒動を片付けよ。二度と我が伴侶に手出しをさせるな。これは神託だ」
「畏まりまして、確かに承りました」
人間の騒動は人間同士で片を付けるのが道理。後は王族が始末するだろう。神の名を己の私利私欲に使った神官を睥睨し、オレはイシスのために背を向けた。
「何かあれば、一度だけ祈りを聞いてやろう」
それは面倒ごとを放置したことへの詫びのつもりで、オレの気まぐれだった。驚いたように顔を上げた王子は、すぐに目を伏せる。
ぽつりと雨粒が落ちる。晴れていた空はいつの間にか雲に覆われ、雷に焼かれた神殿が濡れ始めた。イシスが風邪を引く。慌ててオレは転移を使った。置いていかれそうになったゲリュオンが飛び込み、同時に姿を消す。
その後雨は、2日間かけて街を黒く濡らし続けた。
85
お気に入りに追加
1,352
あなたにおすすめの小説
【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので)
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
【完結】少年王が望むは…
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。
15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。
恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか?
【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム
【完結】僕はキミ専属の魔力付与能力者
みやこ嬢
BL
【2025/01/24 完結、ファンタジーBL】
リアンはウラガヌス伯爵家の養い子。魔力がないという理由で貴族教育を受けさせてもらえないまま18の成人を迎えた。伯爵家の兄妹に良いように使われてきたリアンにとって唯一安らげる場所は月に数度訪れる孤児院だけ。その孤児院でたまに会う友人『サイ』と一緒に子どもたちと遊んでいる間は嫌なことを全て忘れられた。
ある日、リアンに魔力付与能力があることが判明する。能力を見抜いた魔法省職員ドロテアがウラガヌス伯爵家にリアンの今後について話に行くが、何故か軟禁されてしまう。ウラガヌス伯爵はリアンの能力を利用して高位貴族に娘を嫁がせようと画策していた。
そして見合いの日、リアンは初めて孤児院以外の場所で友人『サイ』に出会う。彼はレイディエーレ侯爵家の跡取り息子サイラスだったのだ。明らかな身分の違いや彼を騙す片棒を担いだ負い目からサイラスを拒絶してしまうリアン。
「君とは対等な友人だと思っていた」
素直になれない魔力付与能力者リアンと、無自覚なままリアンをそばに置こうとするサイラス。両片想い状態の二人が様々な障害を乗り越えて幸せを掴むまでの物語です。
【独占欲強め侯爵家跡取り×ワケあり魔力付与能力者】
* * *
2024/11/15 一瞬ホトラン入ってました。感謝!

【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる
木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8)
和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。
この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか?
鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。
もうすぐ主人公が転校してくる。
僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。
これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。
片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
【完結】僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
⭐︎表紙イラストは針山糸様に描いていただきました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる