看取り人

織部

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看取り落語

看取り落語(14)

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「それから男は毎日、公園にやってきては茶々丸の前で落語を披露しましたにゃ」
 師匠は、その時のことを思い出す。
 酒に溺れた頭を覚ましてから簡単に着替え、コンビニで朝食と猫用の缶詰を買って公園に向かう。
 茶々丸は、師匠がやって来るのをどこからか見ているようですぐに駆け寄ってくる。そして二人で朝食を済ますとそこから落語が始まる。
 猫の皿。
 猫の災難。
 猫忠。
 猫怪談。
 猫の題材の落語が尽きたら古典落語から創作落語まで様々な落語を茶々丸の前で披露した。
 茶々丸は、翡翠の目をまんまるにして師匠の落語を聞いていた。
 その顔が亡くなった娘と重なり、涙が出そうになるのも堪え、師匠は落語を続けた。
 落語を一仕切り話し終えると師匠は缶コーヒーを、茶々丸はチューブのおやつを食べてベンチでまったりとする。
 それが終わると二人は別れ、また明日、顔を合わす。
 それが二人の日課となっていた。
 しかし、その日は違った。
「男が帰ろうとすると茶々丸は、ピョンッと膝の上に乗ってきましたにゃ。最初はその愛らしい姿に甘えたいのかと思った男。しかし、茶々丸は理由もなく膝の上に乗ってアピールするような安い猫ではございませんにゃ」
 そう、茶々丸は甘える為に乗ったのではなかった。
「茶々丸は、右と左の前足を器用に動かして男に見せますにゃ。最初は何かにジャレついているのかと思った男。しかし、違う。茶々丸は自分の真似をしているのだと分かりましたにゃ」
 師匠は、落語を話す時、言葉だけでなく身体も動かして表現する。オーケストラの指揮者が指揮棒タクトだけでなく全身でリズムを取って表現するくらいに自然なこと。
 子猫だった茶々丸は親が狩りをしてるのを見様見真似で覚えるように師匠の動きを真似して手を動かしたのだ。
 その様が師匠には娘が幼い頃、自分の真似をして落語遊びをしていた姿と重なる。
「男の目に涙が浮かびますにゃ。そうか、そうか、お前も落語をしたいのか、と茶々丸をそっと持ち上げて向きを変え、男の腹に背が向くように座らせます。あたかも男の膝を高座にするように。そしてその小さな両前足をそっと持ち上げ、身体を起こすと男は高らかにこう叫びます」
 茶々丸の後ろで看取り人が息を吸う。
「にゃんにゃん亭茶々丸にございますにゃ!」
 茶々丸の声は、居室の中、いっぱいに広がった。
「それから茶々丸は、男と一緒に幾つもの落語を噺ますにゃ。そのどれもが生き生きとして面白く、話しの背景にある人物の情は風景が頭の中で膨らみますにゃ。茶々丸は男に振り回されても嫌な顔一つ致しませんにゃ。むしろ楽しそうに男の顔を見上げ、あたかも自分が噺しているように揚々としておりましたにゃ」
 茶々丸は、本当に嬉しそうだった。
 自分と落語をするのを心の底から楽しんでいるようだった。
 師匠は、亡くなった娘と一緒に高座に座って演じているような高揚感と多幸感に包まれ、気がついたら夕方になり、そして周りの変化に気が付かなかった。
「一頻り落語を終え、二人は満足そうなお互いの顔を見ますにゃ。腹も空き、夕食も一緒に食べようかと考えた時、拍手喝采が巻き起こりましたにゃ!」
 あの時は、何が起きたのか分からなかった。
「男と茶々丸の座るベンチの周りを大勢の人達が囲んでおりました。老若男女。学校帰りの小学生から高校生、仕事帰りのサラリーマン、買い物帰りの主婦に井戸端会議をしていた高齢者までたくさんの人が男と茶々丸を囲んで満面の笑顔で拍手しておりましたにゃ」
 師匠の脳裏にその時の光景が蘇る。
「凄い!可愛い!あれ本物の猫だよね⁉︎落語も本格的だ。俺、感動して泣いちゃったよ。様々な声が二人に舞い降りてきましたにゃ」
 一体、何が起きたのか分からなかった。
 何故、こんなに人が集まってる?
 何故、こんなに楽しそうに、嬉しそうにこちらを見ている?
 何故、こんなにも絶賛の拍手と喝采が送られている。
 様々な考えと感情が師匠の中を駆けずり回るも身体は勝手に動いていた。
「本日は、沢山の皆々様にお越し頂き恐悦至極にございますにゃ。次の高座にも是非とも足をお運びくださいませにゃ」
 師匠は、茶々丸の身体を動かして丁寧に頭を下げた。
 茶々丸もぺこりっと頭を下げる。
 熱のこもった歓声が再び巻き起こり、また来るよ!楽しみにしてるよ!という声が四方から飛んできた。
 しかし、師匠はその声を心から信じていなかった。こんな物は木炭と同じ。一度は激しく燃え上がるも直ぐに消えてしまう。
 明日からはまたいつも通りの茶々丸との日常。
 そう思っていた。
 しかし、そう思っていたのは師匠だけだった。
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