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第四章 ダンジョン騒動編

30ここが俺の居場所だ

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 でかしたカイル、きっとそれがあれば異世界の俺の身体に戻れるぞ!

 わくわくとカイルの様子を見守っていると、彼は魔力ポーションを口に含み、再び俺に口づけた。

『う……うわ、リップ音が……いや、絶対に目を逸らさないぞ』

 上からのアングルで見ているので、俺が目を閉じている顔がバッチリわかる。

 ちゅ、くちゅと水音がたっていて、めちゃくちゃ恥ずかしいのだが、黒髪の俺を見ていたらまた日本に近づいちまうかもしれない。

 視線をカイルの灰銀の髪と曲がり角に固定して、ひたすらガン見を続けた。

 ああ、時々もぞもぞと頭が動くのがこう、とんでもなくたまらない気持ちになる。身体があったら顔が真っ赤になってるに違いない。

「イツキ……どうだ、魔力は回復しているか?」

 いや、わかんねえ。まったく感じ取れないのだが、腹の方を見てみると、先ほどよりも異世界の俺に続く光の線が太くなったように見えた。

『おお、いいぞカイル! 続けてくれ』
「指先の冷えがマシになったか? もう一本飲ませよう」

 カイルは三本渡した魔力ポーションを、こぼさないようにゆっくり丁寧に、俺の身体へと飲ませた。

 とても時間がかかっているので、見続けていると変な気分になってきた。

 こころなしか俺の身体も血色がよくなり、眉も悩まし気に歪んでいるような……カイルは俺の濡れた唇を、指先でなぞった。

 ああ、艶めかしすぎてほんっとうに凝視するのが辛い。

 辛いのだが、意識をカイルに向けていないと日本に強制送還させられる気がするので、見ないわけにはいかない。

 三本の魔力ポーションを全て口移しされた俺の身体は、先程よりも胸を上下させ、しっかりとした呼吸をしていた。

 カイルはホッと強張った肩を下ろし、淡く色づく俺の頬を眺めている。兎耳の敏感なつけ根に指を差しこみ、反応を確かめているようだ。

 俺の身体は規則的に呼吸するばかりで、ピクリとも動かない。カイルはわずかに首を傾げ、低い声でささやいた。

「これでもだめなら、俺が直接魔力を注ぐぞ。いいのか?」

 駄目だ駄目だ、あんたもだいぶ魔力を使ってるんだから、温存しておけってば。

 カイルは俺の顔をじっと見つめ続けている。顔が見えねえから、なにを考えてるのか読み取りにくいな。

 彼は手のひらで俺の頬を包みこむと、再び俺に口づけた。

「イツキ……起きろ、イツキ」

 甘やかな声で呼ばれながら、何度もキスをされている……っ!

 アンタ、俺が寝てるからってやりたい放題してんじゃねえよ! そういうのは、起きてる時にしてくれ!

 急いで身体に戻ろうと、だいぶ太くなった魔力の糸へと意識を寄せる。 

 すると、だんだんカイルのほうへと近づいていく。再び角度が変わって、美麗な横顔が見れるようになったのだが。

「はあ、イツキ……まだ足りないのか? いつもの可愛らしい声を早く聞かせてくれ」

 あああもう何やってんだよ⁉︎ カイルは赤くなった俺の頬を撫でさすりながら、また唇を寄せて……っ!

 もう帰る、今すぐこっちの身体に戻りたいと強く念じる。

 ぐわっと俺の体へと魂の距離が近づくが、後ろからくんと引っ張られる感覚があった。

『あっ? これ以上伸びないのか』

 先ほどまではもっと太かったはずの、黒髪の俺に続いている糸は、今にも空気に溶けて消えそうなほどに細くなっている。

 そうか、いつもは有り余る魔力で、あっちの俺と無意識に繋がりを保っていたんだな。

 だけど今は魔力が足りないから、このまま異世界の身体に意識を戻すと、日本の俺とは繋がりが切れちまうってことか。

『……親父、母さん、姉貴』

 久しぶりに家族の顔を思い浮かべた。普段は偉そうにしてるのに、裏ではハゲを気にしていた親父。

 そんな親父を尻に敷いている、愛想も押しも余りある母さん。そして愛猫と推し活が生きがいの、我が道をいく姉貴……

 どうしてだろうな。異世界に行ってからというものの、ほとんど想いを馳せることはなかったのに、急激に胸に迫ってくる。

 身体から出て、魂だけになった効果だろうか。もやもやとしか思い出せなかった顔も、声も、仕草までもが鮮やかに脳裏に蘇る。

『おい樹、次はいつ帰ってくるんだ。最近つきあい悪いぞ、たまには飲みにつきあえよ』
『あらこの人ったら、いつまでも子離れできてなくて、かっこ悪いったらありゃしない。樹、顔を見せるのはいつでもいいから、とにかく身体には気をつけなさいよ』
『そうそう、樹ってば社畜すぎて、私の投稿ろくに見てないじゃん。この前撮った猫姫様の写真見た? 癒されるからガチで見ろって』

 ツンと目頭の奥が熱くなった気がした。言いたい放題で主張の強い家族だが、いつだって俺のことを心配して、愛してくれていた。

 もう二度と会えなくなるなんて、悪い夢でも見ているみたいだ。ああ、それでも。

「イツキ……目を覚ましてくれ」

 目の前で懸命に俺を呼ぶ彼と、もう離れないと誓ったんだ。

 黒髪の俺を見て、また日本へと引き寄せられたくないから、切なげに眉をひそめるカイルを一心に見つめた。

『なあみんな、俺はカイルと一緒に、うーんと幸せになるからさ。だから……さよならだ。今までありがとう』

 もうとっくに別れを告げたつもりでいたが、改めて宣言する。俺はカイルと一緒に生きていくって決めたんだ。

 二度と家族に会えなくたって、悲しまれたとしても、それでも。どちらかしか選べないのなら、俺はカイルを選ぶ。

 改めてカイルの横顔を見つめる。彼はさっきまでの甘い空気を引っ込めて、悲痛に眉を歪めていた。

 本当は不安なのに無理やり気丈に振る舞っていたのだろう、手が震えているのがわかって、きゅうっと胸が絞られた。

「俺から離れないでくれ、お願いだ」
『ああ、もちろんだ。今行くよ、カイル』

 俺は背中側に抵抗を感じながらも、異世界の俺の身体に戻ろうと試みる。

 ぷつん、と糸が切れた音がして、次の瞬間には濁流のように意識が押し流されて、身体の中へと吸い込まれたようだった。

「……イツキ?」

 俺を呼ぶ声が至近距離で聞こえる。閉じていたまぶたをそっと開くと、世界で一番大好きな人が、情けない顔で微笑んだ。

「ははっ、なんて顔をしてるんだよ」
「身体が冷たくなって、長い間目覚めなかったんだ」

 俺は怠い体を起こして、カイルの背に手を伸ばす。スパイシーで魅力的な香りが、鼻腔いっぱいに幸福感をつれてきた。

 ああ、ここが俺の居場所だ。

「離れないって約束しただろ? ……ただいま、カイル」

 俺たちは二人抱きあったまま、しばらくの間互いの呼吸音と鼓動を感じていた。
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