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第一章【挑】
敵、味方
しおりを挟む──第二セット終盤──
ナックルドライブによって一時は形勢を逆転する事に成功した海香だったが、その後苦しい戦いが続いていた。
凪咲がナックルドライブに対応してきた、というのも勿論あるが、海香には凪咲の他にも敵がいる。
【11-12】
「まっひー先輩、海香先輩……様子が変ですね……」
「……来たか」
乃百合の問いかけに対し、聞こえない程度の小さな声でまひるは答えた。
「距離を取ってる分、動いて疲れたんでしょうか……」
「それもあるけど、海香は──、」
まひるは最後まで言葉に出来なかった。
これは自分が伝えていい話では無いと、咄嗟に察して言葉を飲んだ。
海香は病気なのだ。
それも重度の病気。
勝たなければならないと強く思えば思う程、勝利が遠のく病気──、
海香は精神的な問題を抱えている。俗に言う『イップス』というやつだ。
小学生時代、海香が勝てば全国大会という所まで来たチームだったが、海香は格下と目された相手に敗北を喫した。その後個人戦で全国に行ったが、それが原因でチームは崩壊。中学に上がって卓球を続けている者は海香を除けば誰も居ない。
『わざと負けた』『自分だけ全国に』『信じていたのに』『がっかり』
影ではそう囁かれ、その声は海香の耳にも届いていた。その出来事が原因で、海香は勝たなければならない試合で尽く負け続けた。それ以来力を持ちながら全国の舞台に立つことは無く、団体戦に至ってはその病みっぷりは特に顕著に現れた。
しかしこの大会で海香は、自ら志願して団体戦のメンバーに入りたいと顧問に直訴していた。
薄らと事情を知る顧問は、五試合目ならと海香を気遣いながらも了承してくれたのだ。
大好きな先輩達の最後の大会で県大会へ──、
わがままを通してくれた顧問の先生為に──、
期待して応援してくれる可愛い後輩達の為に──、
しかしそれらは、逆に海香を苦しめる事になる。勝ちたい。勝たなければならない。だが体が思うように動かない。まるでかつてのチームメイトに手足を引っ張られているような──、
「あぁ……オーバー……」
「…………」
海香のドライブが大きくオーバーアウトした所で第二セットが終わった。
【11-13】
──第三セット──
ドライブの回転量が落ち、狙ったコースに決まってくれない。過去が海香の手足に蔦のように絡まってくる。
【1-3】
まるで自分の体では無い様に思った通りに動いてくれない。勝ちたいと思う程に体はそれを拒否するかのように海香を困らせた。
【2-5】
【4-8】
「どうした。もうガス欠か」
「くっ……」
苦しむ海香を尻目に、女王はどんどん調子を上げていく。少しでも甘く入ったボールはスマッシュで撃ち抜かれ、決めに行ったボールは伝家の宝刀で切り捨てられた。
──負けられないよ、絶対に。勝たなきゃいけないんだ──
手が震える。
体が前に出ない。
ドライブに回転がかからない。
サーブが、打てない。
「あ、あんな海香先輩……初めて見ました……」
「……やべぇな」
「タイムアウトを取って立て直した方が──、これ、どう見てもおかしいですよ! 何かあったのかも」
「くそ、一体どうしたら………………アレは確か……」
この時、まひるは苦しむ海香の奥に何かを見つけた。プレーする海香達のもっと奥、客席スタンドの方。
【4-10】
──お願い、私のドライブ──、かかった! これなら……──
海香の渾身のドライブが凪咲に襲いかかる。このドライブは、海香にとって久しぶりに満足のいく手応えだった。
──────、
まるで風が止まったかのような静寂。
時間さえも置き去りにした、凪咲のカウンターと共に、海香の後ろでボールが転々としている。
【4-11】
海香の心を折るには十分過ぎた一撃。これでセットカウントは【1-2】完全に後が無くなってしまった。
「タイムアウト……お願い、します」
後の無くなった海香はタイムアウトを申告した。
動かない体をどうにか解さなければならない。なんとかして心を落ち着かせなければならない。これは絶対に負けてはいけない戦いなのだから。
肩を落とした海香が、念珠崎ベンチに戻ってくる。
その表情は、いつもの自信に満ち溢れた海香とは大きくかけ離れているものだった。まるで捨てられた子犬の様な、不安に押し潰されそうな顔。
「まっひー、ちょっとヤバイかも」
海香は 縋るように親友のまひるに声をかけた。心を開いた、最も落ち着ける存在。海香にとってそれが興屋まひるだ。
「なーに言ってんだよ。まだ終わっちゃいねーんだからな。それより、お前に見せたいものがあるんだけど」
そう言ってまひるは海香の方を指さした。その指は海香を通り越して、その先にある客席スタンドを示していた。
「え、なに?」
釣られるように客席スタンドに目を向けた海香が目にしたもの、それは──、
「あ……うそ……来て、たんだ……」
「確か、アイツらって小学生の時のチームメイト、だろ? お前の事応援しに来てるぜ? カッコわりーとこ、見せらんねーよな」
客席スタンドには女の子が三人固まっており、彼女達はずっと念珠崎チームの応援をしていた。そして、振り向いた海香に気付くと、遠くからでも分かるように、大きく手を突き上げて激励してくれたのだ。
「海香、ちょっと手出せ」
「え……」
言われるがままに海香が差し出した手に、まひるは掌を重ねた。
「こんなに震えやがってお前はよ。これは俺の分だ。持ってけ」
そう言ってまひるに何かを渡されたが、その掌には何も残ってはいない。
「あ、これは私の分です!」
「これは私からよ」
それを察したメンバーから、次々と何かを手渡された海香。受け取っていくうちに、海香にもそれがなんなのかがわかった。目には見えないが、確かに受け取った。
「ありがとう、皆。私、もうちょっと頑張って来るよー」
空っぽの掌をギュッと握りしめ、ベンチに背を向けた海香。乃百合にはその背中が、幾分頼もしさが戻っていた様に見えた。
──第四セット──
ラケットの上でピンポン玉を弾ませながら海香は考えていた。
──みーちゃん達、来てたんだー。私、あんな酷い負け方したのに……あれって応援、してくれてたよね? まっひーにも感謝しなきゃなー。いつも支えてくれてありがとう。文さんや乃百合ちゃん達にも……私には味方がいっぱい居るんだなー。これじゃあ弱気になってる暇なんてないよー。──
イップスという病気はそう簡単に治る病気では無い。例え原因が分かっていたとしても治らない。治せない。それがイップスの最大の難点なのだ。
海香のサーブ。
高く上げられたハイトスサーブからのカーブドライブサーブだ。
強烈なスピンがかかったサーブは、今までで一番の曲がりを見せながら凪咲のコートへと侵入していく。
「くっ……なんというサーブだッ」
素早く反応した凪咲だったが、ラケットの芯で捕らえることが出来ずに中途半端に相手コートに返ってしまう。そしてソレを狙い済ました海香のバックハンドドライブが逆サイドに綺麗に抜けていった。
【1-0】
イップスに最も効果のある治療法──、それは自分がイップスである事自体を忘れてしまう事だ。
続くサーブは上手く拾われ、ドライブをカウンターされて失点。やはり凪咲はトップクラスの選手。そう易々とは勝たせてはくれない。
「凪咲さんはやっぱり強いですねー。でも、ドライブ、もう一つ隠してるんですよー。見たいですか?」
「なに? それは興味深いな。隠しておけなくなる迄、追い込んでやろう」
心に潜むイップスと、支えてくれる仲間達。
流れを掴んだ女王と、秘策を隠し持つ海香。
この後、試合は更に激しさを増していく──、
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