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第一章 美樹生、昭和に立つ

ミッキー爆誕

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 1983年 6月 中旬

「これからのサッカーは、『場所の取り合い』になると思うんだよ」
 紙に書いたフィールドの上にリバーシの碁盤を載せ、理想的に連動した22人の動きをおねえちゃん達に解説する。
 締め切り明けで今日は家でゆっくりしていたお父さんが、雨が降ってサッカーの練習が出来ないボク達にホットケーキを焼いてくれながらボクの話を興味深げに聞いている。

 幼稚園の自由時間にサッカーをしているボクに興味を持った園児は他にもいたが、結局ここまで付いて来てくれたのは、シンくん、早輝くん、ぐれくんの三人だけだ。
 おねえちゃんはボクに執着しているのでサッカーも一緒にしてくれているのだろう、その友達には魅了のフェロモンを使っていないので、その時々によってくるメンバーは違う。ちなみに今日の座学にはおねえちゃんと特に仲の良い二人が来ている。

「でもマラドンみたいなドリブルで攻められたら?」
 早輝サキくんが鋭い指摘を返す。
「個人の力でその場をかき乱せるドリブルできる人は凄く貴重だね。貴重だけど一杯いる訳じゃあない。それに対処法が全くない訳でもないよ。まず相手の全身と周囲の状況を含めて見ることが大事、一流のプレイヤーはディフェンダーが視線を外したり注意を背けたら、そこを突くからね」

 ボクはピッチに見立てた紙の上でDMF守備的中盤DFディフェンダーに見立てた白い碁盤の間を斜め前に走るようにボールの駒をつけた黒い碁盤を動かし、それに釣られるように二つの白い碁盤を動かす。
 ピッチに小さな空白地帯が出来たので、それを指し示し
「ここに誰もいない『場所』が出来たでしょ? 三角形を使ってそこにボールが入るようにすると、どうなると思う?」
 盤上を見つめる皆に向かってボクは質問する。

「相手のゴール前までが、がら空きだね」
 シンくんがポツリと呟く。

 この子は聡い!
 早輝君もかなり賢い子だと思うけど、シンくんもそれに劣らぬ賢さだ。
 そしてサッカー選手には高いインテリジェンスが素養として求められる。
 足が速いだけとか、背が高いだけでは単なる一発屋で終わってしまう。
 これから先ビッグデータにアクセスできる時代になればその傾向はより顕著になるだろう…だからボクは皆でこうやって戦術や戦略を考える時間を設けるようにしている。
 その状況でどういう手段を取れるか? を把握し決定できるのはいつもその選手だけなのだから。

「このように、ボールを取られにくい強力なドリブラーが存在するチームは、その使い方によって簡単に相手のディフェンスに空白地帯を生み出すことが出来ます」
 この時代の日本のサッカーでは上手い子供はドリブルからシュートというプレイをしたがり、それで無双することで自分のテクニックに酔いしれていた傾向がある。

 だがボクの目指すチームはそんなものではない!

「でもね、こうやってボールの受け手となるFWフォワードが相手のDFの視界に入ってこう動くことで」
 今度はピッチの反対側のバイタルエリアでDFの前に置いたFWの駒をDMFの間に入るよう斜めに下げると、そのマークを外さないように黒いDFの碁盤を釣られるように動かす。
 黒い碁盤のチームの最終ラインにギャップが生じ、そこを示すと
「ね? ここに『場所』が出来るでしょ?」
 皆に向かってにこやかに微笑む。

「ドリブルからのプレー程見た目は派手じゃあないけれど、こういう一見無駄に見える動きを皆で行うと相手の守備は崩壊して」
 空いたスペースに白い碁盤を滑り込ませて裏に抜けるタイミングでパスを出すように駒を動かし、
「ゴールは決められるんだよ」
 ボールの駒を指ではじきゴールしたことを指し示すと、説明を聞いていたみんなに向かってまた微笑んで断言する。
「大事なことは皆がそれぞれ状況を把握しながら、個人の技術とチームの連携をうまく使ながら攻撃と守備を行う事だとボクは思う」

「じゃあ守るときはどうするの?」
 早輝くんが積極的に質問する。
 ぐれくんは自分の中で反芻するかのように黙って話を聞いている。
 おねえちゃんは話もそこそこに瞳にハートマークを浮かべている。

「そうだね…マラドンみたいに強力なドリブラーは、ちょっとした『場所』があれば一人で状況を変えられるから」
 そう言いつつボクは白い碁盤のチームの左サイドに黒い碁盤を置きボールを付け、斜めに切り裂くようにバイタルエリアに侵入するよう進める。
 そして白い碁盤のチームの最終ラインを高く設定し、OMF攻撃的MFDMF守備的Fの駒を使って進路とスペースを潰すように置き、空いたスペースにFWの駒を動かして置く。
「こうやって二人がかりで『圧力』かけて行けば、マラドンでも容易には抜けないと思うよ。そして直接シュートできる『場所』はないから、ボールを動かすなら外に逃げるしかない。でもマラドンならそこから正確なセンタリング上げてくるかもしれないから、ボールを取り返すか、プレイが切れるまでは気を抜けないけどね…本当はこうやって」
 にこやかにそう説明しながら黒い碁盤のチームの他の駒に、ボールの駒を持たせ、それとマラドンを示す黒い駒の間に白い碁盤を置きプレスをかけてパスコースを切るように置く。
「このマラドンにボールが入らないようにパスコースを切って、ボール持ってる人に『圧力』をかけたいんだけどね……」
 現段階ではそれを上手く運用できる自信はないのでしょぼんとしてそう言うと、
「なんかそれってずるくない?」
 ぐれくんが不機嫌そうにそう返す。
「うん、もしサッカーのルールに”一対一でしか守備をしてはいけない”という物があればそうかも知れないね。でも現実にはそんなものはない。それにボールの扱いだけが上手い選手が一人で試合を決める競技がサッカーならわざわざ1チームに11人もの選手がフィールドに立ってる意味はないと思わない? 全員がボールの扱いが上手くなくてはいけない訳ではないし、弱い者には弱いなりの戦い方があるんだよ」
 柔らかい口調でそう説得するように説明する。
「う、うぅ~ん……」
 ぐれくんは言い返したいけれど言葉が出ないといった感じで口ごもる。

「こういう『場所』を埋める守り方に名前はあるの?」
 早輝くんがそう問いかけてくる。
 瞳を輝かせて早輝くんがそう問うてくる。
 この子は本当に利発だ、物事の本質を感じ取りそれを理解しようと貪欲に質問をぶつけてくる。
「ヨーロッパでは『ゾーンディフェンス』と呼んでいるらしいね。この『圧力』をかけるのと合わせて『ゾーンプレス』っていうんだって」
 この時代だとオランダの奇人がアムステルダムと代表チームで一世を風靡した後のはずだ、そろそろアリーゴさんがパルマの監督になる頃か?
 それ以前だとソヴィエトか…ゾーンディフェンスを洗練させたのはオランダだろうが、それ以前にその戦術がなかった訳ではないらしい、戦術には流行り廃りはあるものだしな。
 これから先90年代からはどんどんハードなサッカーになっていく、2010年代くらいからは選手のフィジカルもアスリート的なものを求められ、より厳しい競争を強いられる。
 今から効率的なトレーニングと考え方を身につけておくことはマイナスにならないはずだ。
 現在の日本サッカー界でそれが非主流派であったとしても、結果を出して黙らせてしまえばいい。

 そんなことを考えてると
「ねぇ、さっきからみきちゃんは斜めに選手を走らせてるけど、それはどんな意味があるの?」
 お姉ちゃんが不思議そうに問いかけてくる。

「それはね、ダイアゴナルランっていって…」

 こうして雨の日の座学は熱を帯びてゆく。
 数年後、十数年後に花を咲かせる種がまかれているのだ。

「そういえば、お互いくん付けやちゃん付で名前呼ぶのもとっさの時は大変だし、あだ名で呼び合うことにしない? お互いをもっと理解しあう意味も込めてさ」
 座学が一通り終わると、ふとそんなことを思いつき提案する。
「いいよぉ~♡」
「さんせい!」
「うん」
「まぁ、しかたねぇな」
 それぞれがそれぞれの口調で賛意を示す。

「じゃあ言い出しっぺのボクのことは……」
 そう口にして思い悩むと
「ミッキー」
 シンくんがそういう。
「じゃあミッキーって呼んでね」
 某ネズミっぽいが、名前も美樹生だしまぁいいか。
「じゃあシンくんは、シンで」
 ボクがお返しにあだ名を付けてあげる。
「早輝君は……」
 言い淀むと
「サキでいいだろう」
 ぐれくんがそう口にする。
 桝樽早輝ますたるさきという名前をわざわざ名字で呼ぶ必要性を彼は見つけられなかったようだ。
「じゃあサキで。おねえちゃんは星羅せいらだから…セラでいいかな?」
 伺うようにそう問うと
「うん、それでいいよ♡」
 嬉しそうにそう返事する。
「ぐれくんは……」
 彼の本名は鯨津くじらつグレゴリーという名前のデンマーク系ハーフだ。
「グレッグだ」
 キメ顔でそういうグレッグ。
「じゃあグレッグで。普段からこの名前で呼び合ってお互いの考え方の理解を深めようね!」
「「「はぁ~い」」」

 こうしてボクらは代わる代わる参加してくれる姉の級友を含めたメンバーで、座学や相撲を時々含めたり、他の運動も混ぜながら、
 アナリティクストレーニングで基礎的な技術を磨き、
 グローバルトレーニングで判断力を養い、
 インテグラルトレーニングで出来たこと、出来なかったことを反省し、より良いプレイに関する意見を交換し、一年半ほど練習を重ねたのだった。


 1985年
 日本のサッカーシーンはその間、本村和樹のFKを決めただけでワールドカップ最終予選を敗退した。
 いわゆるサッカー冬の時代でワールドカップに一番近づいた日を経て、日本サッカー界はプロ化の流れへと舵を切るのであった。
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