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第一章 美樹生、昭和に立つ
円堂コーチ
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1985年2月
時は少し遡る。
お父さんが赤字連載に見切りをつけて、次の
作品の構想を練りながらも、売れている他の漫画家の先生の下でアシスタントをしているせいか、ここしばらくはうちの家計はかなり明るく、ピリピリした嫌な空気もない。
そのせいかお父さんがおねえちゃんとボクに
「やりたい習い事はないか?」
と尋ねてきた。
ボクは迷わず
「サッカークラブに入りたい!! 後できたら水泳とバレエもしてみたい」
と答えおねえちゃんは
「みきちゃんと同じところに行きたい♡」
と返した。
サッカーのクラブはそろそろ専門的な見識を持つ人の意見を聞きたいという不安感からと、プロ化の話がどこまで進んでいるのか? の確認だが、水泳は全身運動で肺活量を鍛える効果もあるのでやっておきたいし、バレエは綺麗な姿勢が身について、筋力とバランス感覚を養えそうだからやりたいという思惑だ。
お父さんは
「いくらかかるか調べてみる」
とボク等に言うと、数日後には
「三つとも大人になるまでは無理だが、中学くらいまでなら三つとも通わせてやれそうだ」
と言って一緒に近くの水泳ジムとバレエクラブを見学に行き、入会の手続きをした。
問題はサッカークラブである。
この時期は例のサッカーマンガが大人気でアニメも大当たりしている為、サッカークラブ自体は毎年500とか800とかいう単位で増えていたはずだ。
だが、ボクは小学生レベルの上手な子がやるようなドリブルシュートがやりたいわけではなく、アムステルダムやこれから先のバルセロナのような育成を一早く日本に取り入れたいのだ。
そのメソッドはボクの中にある。
だが指導するとなると、幼稚園で付いて来てくれたあの三人ほどの集中力を持つ特異な人材にしか教えることが出来ない。
だがサッカーは、特にワールドカップは、この時期サブを含め22人のメンバーで戦う大会である。
怪我や累積警告がなくてもいい選手が4人では、ちょっと見るべきところがあるチーム程度の評価で、最後まで勝ち残ることは無理だろう。
あくまで最後まで勝ち残れるチームを作るなら、有能な指導者や指揮官、強化などをしてくれる責任者が必要だと僕は思う。
日本サッカーリーグに関して言えば売読がこの辺りでは一番強いんだけどなぁ…
日本サッカーリーグのある時期からと、初期のプロリーグで猛威を振るった売読サッカークラブを前身とするサッカークラブ、その親会社のオーナーの愚行と、そのオーナーとリーグサイドとの暗闘にオーナーが敗れ、親会社は撤退し、クラブは凋落の一途をたどった。
政治、経済、スポーツに口出しした売読のご意見番兼オーナー…ナベケン…あれを味方にしても、現代的感覚を持ったボクとは意見が合わないだろうから衝突するだろう。
暗澹たる気持ちで父に
「お父さん、売読新聞にナベケンているの?」
と尋ねると、
「美樹生は珍しい名前を知ってるな」
と笑いながら
「何年か前に、前の総理大臣がスパイ活動防止法を通した後、ソヴィエトに情報流してることが発覚して今じゃ終身刑で牢屋の中のはずだぞ?」
と教えてくれた。
『スパイ活動防止法?』
『ナベケンが終身刑?』
いくつもの疑問が頭の中を駆け巡る。
「その総理って中田根?」
泡を喰ったようにそう問い返すと
「誰だそれ? カクさんが四期総理を務めた後、灘都総理が後を引き継いだだろう?」
世間のことに興味をあまり持っていなかったが、僕が生きてきた現代日本までの道のりと、この日本の歩みはまるで違うようだ……
詳しく聞くとカクさんの後暗躍した閨閥系総理が軒並み総理に就いていないらしい…これは他にも転生者がいて、日本の歴史を変えているんじゃあないのか? そう思えて仕方がない。
それに売読のオーナーがナベケンではないのなら、リーグ側との無用ないざこざは起きず、クラブの資本力縮小による弱体化も起きないのではないのか?
そう考えたボクはお父さんに売読サッカークラブの見学をお願いしたのだった。
………
……
…
売読サッカークラブの本拠地は神奈川県川崎市多摩区にある売読ランドのはずであった…
少なくともボクが生きてきた過去の人生ではそうだった。
だが発足当初こそ売読ランドにあった練習場は、数年前に東京都多摩市に八面のコートを有する近代的クラブハウスと共に移設され、調布市に調布サッカー競技場なる15万人収容可能な最新のオーロラビジョンを持つサッカー専用競技場を持つサッカークラブへと変貌していた。
その事実を聞いてさらに混乱したボクは呼吸を整えながら
『ナベケンがいないから、リーグへの過剰な干渉がない、過剰な干渉がないからリーグも企業の参入に頑なになる必要がない。売読は川崎にあるのに東京のチームだと言い張るからリーグといらぬ摩擦を起こしたけど、今は実際東京都に本拠を置いているから問題がない……売読失墜の切っ掛けとなる問題がほぼクリアされている…狙いすましたかのように地均しされてるな…いや前世でのナベケンのやり方が滅茶苦茶過ぎただけか、それで我儘が通らなければ撤退とか子供の癇癪かよ』
あれほど可能性に満ちたクラブを凋落させた首魁である前世のナベケンにそう悪態を吐くと、ボクとおねえちゃんをはじめ、サキ、シン、グレッグが保護者の方と一緒に多摩市の売読サッカーセンターに見学に赴く。
もしかしたらやってる練習内容も時代を超えたものかもしれない…
ボクは内心でそうときめきながら現地へ向かうのだった。
………
……
…
売読サッカーセンターは芝のピッチが八面もある立派な近代的サッカー練習設備の整った場所であった…場所は良かったんだ場所はね…
結論から言うと、売読のジュニアアカデミーはレベルこそ低くはない物の練習内容は前近代的な東アジアで行われるドリルトレーニング…いわゆるアナリティクストレーニング主体で、環境は凄く良かったが、指導者は熱心ながら古臭い手法しか知らない、この時代にありふれたサッカークラブであった。
期待が大きかった分だけ落胆も大きい……
小学校低学年より下の年代を指導する円堂コーチが、試合形式での練習中ピーピー口笛を吹いてゲームを止め、子供たちに「ああした方が良い」とか指導し続けるので、ボクは思わず
「コーチは試合中に必要かつ最適なプレイを、刻々と変化する試合中でも集中している選手たち全員に御指示できるほど御有能でらっしゃるんですね」
と嫌味を言ったら、
「どういう意味かね?」
と凄まれたので、こちらも負けじと気を引き締めて
「試合中見える状況は選手により違いますし、出来ることも違います。その中からどれが最適のプレイであるか? 選手自身が考えて選べるようになれなければ成長とは言えないでしょう?」
と返すと、円堂コーチは顎に手を当ててしばらく考え込み
「君の言うとおりだ、君はいつもどんなトレーニングをしているのかね?」
と尋ねてきたので、
遠くを見たまま足元でボールをコントロールする目的での、パスやドリブルなどのドリルトレーニングから、状況判断力を養うためのロンドを始めとしたグローバルトレーニングで技術の使いどころを覚え、試合形式のインテグラルトレーニングでどういうプレイが効果的だったか? 自分のプレイが最適だったか? 味方の意図はどうだったか? を確認しあい、反省会をしていると話すと、実際にどうやっているのか見せてくれと頼まれたので、ボク、おねえちゃん、サキ、シン、グレッグで軽くいつもやってることを見せる。
それを見て小学校低学年や幼稚園の年中さん離れした技術と体の使い方、戦術理解度をボク達が持っていると察したらしい円堂コーチは、
「申し訳ないが二週間時間をもらえまいか? 二週間後には君たちが納得できるトレーニング内容を充実させて見せる! もう一度二週間後に来てそれで納得できたなら我がクラブに入団してくれたまえ」
と言ってジュニア世代のアカデミーの子供たちに好きにプレイさせてみて、御自分はそれを見ながら試行錯誤を始めたようだ。
そういう事ならとボクらは、日を改めてお伺いすることにし、その日は帰るのであった。
円堂コーチは片目を眼帯で閉じた強面の男性だったが、思考能力は物凄く柔軟なようである。
ボクは年端もいかない子供の言葉を真剣に受け取り、それに理があると思うや教えを乞える彼の人柄に好ましいものを感じたので、このまま売読に入団するのもありではないか? と思うようになっていた。
その時はその程度の思いだったのだ……
時は少し遡る。
お父さんが赤字連載に見切りをつけて、次の
作品の構想を練りながらも、売れている他の漫画家の先生の下でアシスタントをしているせいか、ここしばらくはうちの家計はかなり明るく、ピリピリした嫌な空気もない。
そのせいかお父さんがおねえちゃんとボクに
「やりたい習い事はないか?」
と尋ねてきた。
ボクは迷わず
「サッカークラブに入りたい!! 後できたら水泳とバレエもしてみたい」
と答えおねえちゃんは
「みきちゃんと同じところに行きたい♡」
と返した。
サッカーのクラブはそろそろ専門的な見識を持つ人の意見を聞きたいという不安感からと、プロ化の話がどこまで進んでいるのか? の確認だが、水泳は全身運動で肺活量を鍛える効果もあるのでやっておきたいし、バレエは綺麗な姿勢が身について、筋力とバランス感覚を養えそうだからやりたいという思惑だ。
お父さんは
「いくらかかるか調べてみる」
とボク等に言うと、数日後には
「三つとも大人になるまでは無理だが、中学くらいまでなら三つとも通わせてやれそうだ」
と言って一緒に近くの水泳ジムとバレエクラブを見学に行き、入会の手続きをした。
問題はサッカークラブである。
この時期は例のサッカーマンガが大人気でアニメも大当たりしている為、サッカークラブ自体は毎年500とか800とかいう単位で増えていたはずだ。
だが、ボクは小学生レベルの上手な子がやるようなドリブルシュートがやりたいわけではなく、アムステルダムやこれから先のバルセロナのような育成を一早く日本に取り入れたいのだ。
そのメソッドはボクの中にある。
だが指導するとなると、幼稚園で付いて来てくれたあの三人ほどの集中力を持つ特異な人材にしか教えることが出来ない。
だがサッカーは、特にワールドカップは、この時期サブを含め22人のメンバーで戦う大会である。
怪我や累積警告がなくてもいい選手が4人では、ちょっと見るべきところがあるチーム程度の評価で、最後まで勝ち残ることは無理だろう。
あくまで最後まで勝ち残れるチームを作るなら、有能な指導者や指揮官、強化などをしてくれる責任者が必要だと僕は思う。
日本サッカーリーグに関して言えば売読がこの辺りでは一番強いんだけどなぁ…
日本サッカーリーグのある時期からと、初期のプロリーグで猛威を振るった売読サッカークラブを前身とするサッカークラブ、その親会社のオーナーの愚行と、そのオーナーとリーグサイドとの暗闘にオーナーが敗れ、親会社は撤退し、クラブは凋落の一途をたどった。
政治、経済、スポーツに口出しした売読のご意見番兼オーナー…ナベケン…あれを味方にしても、現代的感覚を持ったボクとは意見が合わないだろうから衝突するだろう。
暗澹たる気持ちで父に
「お父さん、売読新聞にナベケンているの?」
と尋ねると、
「美樹生は珍しい名前を知ってるな」
と笑いながら
「何年か前に、前の総理大臣がスパイ活動防止法を通した後、ソヴィエトに情報流してることが発覚して今じゃ終身刑で牢屋の中のはずだぞ?」
と教えてくれた。
『スパイ活動防止法?』
『ナベケンが終身刑?』
いくつもの疑問が頭の中を駆け巡る。
「その総理って中田根?」
泡を喰ったようにそう問い返すと
「誰だそれ? カクさんが四期総理を務めた後、灘都総理が後を引き継いだだろう?」
世間のことに興味をあまり持っていなかったが、僕が生きてきた現代日本までの道のりと、この日本の歩みはまるで違うようだ……
詳しく聞くとカクさんの後暗躍した閨閥系総理が軒並み総理に就いていないらしい…これは他にも転生者がいて、日本の歴史を変えているんじゃあないのか? そう思えて仕方がない。
それに売読のオーナーがナベケンではないのなら、リーグ側との無用ないざこざは起きず、クラブの資本力縮小による弱体化も起きないのではないのか?
そう考えたボクはお父さんに売読サッカークラブの見学をお願いしたのだった。
………
……
…
売読サッカークラブの本拠地は神奈川県川崎市多摩区にある売読ランドのはずであった…
少なくともボクが生きてきた過去の人生ではそうだった。
だが発足当初こそ売読ランドにあった練習場は、数年前に東京都多摩市に八面のコートを有する近代的クラブハウスと共に移設され、調布市に調布サッカー競技場なる15万人収容可能な最新のオーロラビジョンを持つサッカー専用競技場を持つサッカークラブへと変貌していた。
その事実を聞いてさらに混乱したボクは呼吸を整えながら
『ナベケンがいないから、リーグへの過剰な干渉がない、過剰な干渉がないからリーグも企業の参入に頑なになる必要がない。売読は川崎にあるのに東京のチームだと言い張るからリーグといらぬ摩擦を起こしたけど、今は実際東京都に本拠を置いているから問題がない……売読失墜の切っ掛けとなる問題がほぼクリアされている…狙いすましたかのように地均しされてるな…いや前世でのナベケンのやり方が滅茶苦茶過ぎただけか、それで我儘が通らなければ撤退とか子供の癇癪かよ』
あれほど可能性に満ちたクラブを凋落させた首魁である前世のナベケンにそう悪態を吐くと、ボクとおねえちゃんをはじめ、サキ、シン、グレッグが保護者の方と一緒に多摩市の売読サッカーセンターに見学に赴く。
もしかしたらやってる練習内容も時代を超えたものかもしれない…
ボクは内心でそうときめきながら現地へ向かうのだった。
………
……
…
売読サッカーセンターは芝のピッチが八面もある立派な近代的サッカー練習設備の整った場所であった…場所は良かったんだ場所はね…
結論から言うと、売読のジュニアアカデミーはレベルこそ低くはない物の練習内容は前近代的な東アジアで行われるドリルトレーニング…いわゆるアナリティクストレーニング主体で、環境は凄く良かったが、指導者は熱心ながら古臭い手法しか知らない、この時代にありふれたサッカークラブであった。
期待が大きかった分だけ落胆も大きい……
小学校低学年より下の年代を指導する円堂コーチが、試合形式での練習中ピーピー口笛を吹いてゲームを止め、子供たちに「ああした方が良い」とか指導し続けるので、ボクは思わず
「コーチは試合中に必要かつ最適なプレイを、刻々と変化する試合中でも集中している選手たち全員に御指示できるほど御有能でらっしゃるんですね」
と嫌味を言ったら、
「どういう意味かね?」
と凄まれたので、こちらも負けじと気を引き締めて
「試合中見える状況は選手により違いますし、出来ることも違います。その中からどれが最適のプレイであるか? 選手自身が考えて選べるようになれなければ成長とは言えないでしょう?」
と返すと、円堂コーチは顎に手を当ててしばらく考え込み
「君の言うとおりだ、君はいつもどんなトレーニングをしているのかね?」
と尋ねてきたので、
遠くを見たまま足元でボールをコントロールする目的での、パスやドリブルなどのドリルトレーニングから、状況判断力を養うためのロンドを始めとしたグローバルトレーニングで技術の使いどころを覚え、試合形式のインテグラルトレーニングでどういうプレイが効果的だったか? 自分のプレイが最適だったか? 味方の意図はどうだったか? を確認しあい、反省会をしていると話すと、実際にどうやっているのか見せてくれと頼まれたので、ボク、おねえちゃん、サキ、シン、グレッグで軽くいつもやってることを見せる。
それを見て小学校低学年や幼稚園の年中さん離れした技術と体の使い方、戦術理解度をボク達が持っていると察したらしい円堂コーチは、
「申し訳ないが二週間時間をもらえまいか? 二週間後には君たちが納得できるトレーニング内容を充実させて見せる! もう一度二週間後に来てそれで納得できたなら我がクラブに入団してくれたまえ」
と言ってジュニア世代のアカデミーの子供たちに好きにプレイさせてみて、御自分はそれを見ながら試行錯誤を始めたようだ。
そういう事ならとボクらは、日を改めてお伺いすることにし、その日は帰るのであった。
円堂コーチは片目を眼帯で閉じた強面の男性だったが、思考能力は物凄く柔軟なようである。
ボクは年端もいかない子供の言葉を真剣に受け取り、それに理があると思うや教えを乞える彼の人柄に好ましいものを感じたので、このまま売読に入団するのもありではないか? と思うようになっていた。
その時はその程度の思いだったのだ……
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