Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

71.Steadily

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 その五角形の建造物は、東京の神奈川のちょうど境目の場所に建てられていた。中央にはぽっかりと穴が空き、そこは緑生い茂る中庭がある。鳥瞰ちょうかんして見れば、アメリカ合衆国の国防総省ペンタゴンに類似しているだろう。四方全てが陸地に囲まれてはおらず一部は東京湾に面している。時折ニュースで取り上げられている吸血鬼の収容所【舞首まいくび】。
 吸血鬼の収容所は妖怪の名前から付けられており、【舞首】もその例には漏れない。とはいえ、首をねるような印象を抱かせる名前とは違い、この収容所では吸血鬼の処刑を行うことはない。そもそもこの収容所は、死んでは困るような者たちばかりのために造られたものだ。社会的成功者、経済的な影響を持つ者が吸血鬼と化したときに処刑されれば、その影響力は計り知れない。国内の混乱を招く恐れもあれば内外の経済に打撃を与える場合もある。そういった、者たちばかりを収容するために造られた特別な収容所なのだ。
 そういった場所の開所式に、どのような人間が来るのか想像するのは容易かった。
「おい、あれ見ろよ。あれ」
 エレベーターを待っていると、幸宏に声をかけられた。
「えっと……どれですか?」
「あのサングラスかけた美人だよ」
 興奮した様子の幸宏は、車から下りてきた女性見て言うが、あんじゅにはそれが誰かわからなかった。下りてきた女性は近くにいた【舞首】の職員を荷物係ポーターや駐車係へとこき使っているのが見えた。
「よくテレビに出てる美人実業家だよ。すっげえな……生で見れるとはよ」
 はあ、とあんじゅは返す。その実業家についてはよく知らなかったが、他に見知った人物ならあんじゅも目にした。政治家や経営者の人たちだ。羽振りの良さそうな格好の彼らが、どのような目的でここに集っているのかはわかっている。自分が吸血鬼になった時にどのような場所に送られるか、見学に来たのだ。
「気が早いと思うけどな」
 あんじゅの隣に立っていた京が、訪れている招待客を見ながら言う。
「まだ人間だってのに、自分が吸血鬼になった時のことを心配するなんて」
吸血鬼になっちまうんだ、仕方ねえだろ」
 幸宏の言う通りだった。吸血鬼化に例外はない。条件が揃えば誰だろうとなってしまう。金持ちだろうと、対吸血鬼の捜査官だろうと。あんじゅは、幸宏の言葉を受けた京の表情が一瞬だけ重く沈んだように見えてしまった。見間違えかと思ったが、そうじゃないかもしれない。
「柚村さんたちはどこの警備なんですか?」
「俺は開所式の第二会場だ。氷姫は会場の外とかだろ」
「おう。まあ、最初にやるやつはみんな同じ場所なんだろ?」
「ええ、そうみたいです」
 開所式は二回行われる。最初はメディア向けにカメラの前で行うもので、後に行われるのは関係者向けの、いわゆるパーティのようなものだ。
「しっかし、いいよな柚村は。パーティ会場なら美味いもん食えて、美人が見放題じゃねえか」
「手出しできねえから生殺しだ。ある意味キツイぞ」
「“手出しできねえ”ってそりゃのことだ?」
「お前な」
「あの……変なこと言ってないで早く行きましょう」
 ちょうどエレベーターが下りてきた。本当なら一つ前のエレベーターであんじゅたちも運ばれるはずだったが、職員や来客が乗りこんだため重量制限がかかってしまい、仕方なく三人は地下のじめじめした駐車場で待つことになった。
 あんじゅたちが乗りこむと、先ほど車から下りてきた女性も乗ってきた。甘いコロンの香りがエレベーターの狭い空間に充満していった。目的の階に着くと女性が先に降り去った。甘ったるい香りから逃れるように、あんじゅたちもすぐに外に出た。無味無臭の空気がおいしく感じた。
「すみません、ここで一旦別れます」
「お前は別なんだっけ?」
 エレベーターを出た京に訊かれた。
「はい。一度警備室に向かいます、それでは」
 京と幸宏と別れると、あんじゅは警備室へと急ぐ。白く綺麗な造りの廊下を何度か曲がった。横の窓からは中庭が見えた。木々が生い茂っていて、まるで小さなジャングルのようだった。猛獣が飛び出してきそうだな、なんて思いながら進む。やがて、警備室と書かれた重たい扉の前にたどり着いた。
 先に上條真樹夫がたどり着いているはずだ。あんじゅは真樹夫に連絡をとってみようとスマートフォンを出す。だが、機械の声で『圏外です』と無情な通告を受けてしまった。
「どうやって入ればいいんだろう……」
 どうやら、警備室の密閉空間が電波を遮断しているらしい。横には指紋認証と、暗証番号を入力できる装置がある。それはここの警備員を認証するためのものであり、部外者のあんじゅは弾かれてしまうはず。番号は知らないし、指紋だって登録されてないのだから。とりあえず扉をノックしてみるが、なにも返ってはこない。棒立ちしていても仕方ないので、早見に連絡をしようとしたところで、威圧的な男の声に呼ばれた。
「そこでなにをしている?」
 男は【舞首】と書かれた刑務官の服装をしていた。事情を説明しようとしたあんじゅだが、遮るように男が声を被せてきた。
「何者だ、身分証は?」
「あっ、はい! すいません! えっと……」
 ポケットの中を探すあんじゅ。だが、あるべきものがそこに
「え、うそ……えっ」
 いつも身分証を入れる場所は決めていた。あんじゅは記憶を辿る。最後に見たのは着替えるときに私服と一緒ロッカーに入れたときだ。そこから、どうしただろうか。
「おい、身分証は? 部外者なら建物内の簡易のI.D.があるだろう」
 男に言われて、あんじゅは反対のポケットに手を突っ込む。切羽詰まっていて完全に頭に浮かんでこなかった。プラスチックの小さなプレートを確認して男に手渡す。
「【彼岸花】早見隊所属の霧峰あんじゅ……それで組織の方の身分証は?」
「……もしかして、それだけだと無効……ですか?」
「当たり前だろう。お前がそのプレートに書かれた本人だという証拠がない。出せ」
 厳しい男の言葉に、あんじゅはなにも言い返せない。拘留され、説教されるであろうことを覚悟していると、警備室の扉が開いた。
「あれ? なにしてるの?」
 警備室から出てきた早見は、きょとんとした目であんじゅを見てきた。思わぬ助け船に面目なさを感じながら、あんじゅは事情を話した。一通りを聞いて困り顔を見せた早見は、あんじゅが自分の部下であることを相手に説明する。
「本当にあなたの部下ですか?」
「ええ、そうよ。【彼岸花】の方に連絡してもいいけど、手間がかかると思うわ」
「……わかりました」
 男の目には懐疑的な色がまだ少し残ってはいたが、どうにか無事に済んだみたいだ。
「あんじゅちゃん」
 早見に呼ばれたあんじゅは、バツの悪い面持ちになる。
「す、すみません」
「気をつけてね。自分に関わってくることだから」
「は、はい……」
「もう、そんなにシリアスにならないの。よしよし、元気だして」
 不意に早見に頭を撫でられた。歳が歳なのでものすごく恥ずかしかったが、あんじゅは言い出さずにされるがままでいた。
「な……なんだか、お母さんみたいです」
「んー? あんじゅちゃんのお母さんもこういうことするの?」
「えっ……あっ、いえ……」
 『お母さんみたい』と、そう言ったのは一般的な意味であって、自分の母親のことではない。母親からこういうふうに頭を撫でられた記憶は、あんじゅにはなかった。
「あっ……そうか、身分証ないんだっけ……」
 撫でるのをやめた早見は、思い出したかのように呟いた。新たな問題が発生したかのような口振りだった。
「どうしたんですか?」
「いやあ、あのね。ここの所長に頼まれてたのよ、娘の警護に一人付けてくれって」
「【舞首】の所長の娘さんってことですか?」
「そうそう。年頃の女の子なのよ。だから、同性にした方がいいでしょ? その役目をあんじゅちゃんに回そうかなって思ってたんだけど。身分証の提示を求められて、なかったら……不審な目で見られるわよね」
「うぐ……すみません」
 あんじゅはもう一度頭を下げた。
「いいのよ。美穂ちゃんに頼んどくわ。それじゃあ、お仕事頑張ってね」
 立ち去る早見の背中を見送ると、あんじゅは警備室の中に入る。すると、あんじゅに声をかけた男も後ろからついて来た。思わず振り返ると、男は胸ポケットから名刺を取り出した。
「【舞首】の主任看守の伊羽いばです。今しがたは失礼しました」
 伊羽は一礼すると、手を出してきた。あんじゅも手を出して握手を交わすと、用意された椅子に案内される。隣では上條真樹夫がすでに腰掛けて作業していた。
「すみません遅れました」
「う、うん。えっ、と……だ、だ、大丈夫?」
 心配した様子で、真樹夫が話しかけてきた。いつも通りのどもり口調で。
「ええ、大丈夫です」
 切り替えたあんじゅは、気を引き締めて作業にかかった。



 ○



 柚村京は【舞首】の外に設営された会場を見渡した。まだ誰も腰掛けていない報道関係者用の椅子、小さな壇上、そして切るところをカメラの前で披露する紅白テープも用意されている。知らない人がこれを見ても、吸血鬼の収容所の開所式とは思わないだろう。が吸血鬼化した際のというより、金をふんだんに使って建てた商業施設の完成披露宴、その方がしっくりきた。
「異常あったか?」
 退屈そうに見渡していると、スーツに身を包んだ沙耶がやってきた。
「平和そのもの。つーか、お前あれだな、正装まったく似合わねえな」
 思うがままを京は口にする。沙耶は背丈が低いのでに見えてしまう。中高生が大人の真似事でスーツを着てると言われても頷けるくらいだ。
「お前も、ネクタイの締め方間違ってるぞ」
 京は面倒だったので、パッと見て気がつかれない程度には雑に仕上げていた。だが、さすがの洞察力で沙耶にはお見通しだったらしい。
「直せ。私と早見に恥をかかせるな」
「お前は世間体とか気にしねえだろ沙耶」
 京はネクタイを解くと、言われた通りに直す。

 ひとりごちるように言った沙耶。京は一瞬だけ手を止めたが、何事もないように締め直す作業に戻った。
「お前があいつの名前出すとか……熱あるなら医務室で寝てるか」
 直し終えた京は皮肉をこめて言う。「熱などない」と真面目に返すと、沙耶はさらに続けた。
「男女の関係になったくらいで、殺せないのか?」
「それは関係ねえ」
 京は強い口調で言う。千尋を撃てない理由がだと思われていることが、京にとって一番苦痛だった。殺せないのは、そんな小さな理由なんかじゃない。
「俺だって須藤さんの件があって、最初は殺してやる気だったさ。けど……俺には無理だ。どうしてもやりたいなら、この仕事が終わってから、一人でやれ」
 沙耶は京の顔をじっと見てから立ち去った。『そうさせてもらう』とも『根性なしめ』とも言いたげな、どっちともとれる表情で。どちらかを口にされていたとしても、どうでもよかった。元仲間だろうと吸血鬼に強く執着する沙耶には呆れるし、千尋の方もなにを考えているのかさっぱりだ。
 まだ時間があるため、京は会場をぐるりと一周してから、トイレに行こうと考えていた。突如記者団が騒がしくなったのは、ちょうど半周した辺りだった。
「議員! 完成した収容所について一言!」
「息子さんが吸血鬼になって、なにを感じましたか!?」
 報道関係者の集まりができて眩いフラッシュが焚かれた。そんな中で聞こえてきた記者の言葉が、京の耳に引っかかった。人混みに近づくと、白ひげをたくわえた初老の男性をカメラやマイクが囲んでいた。胸に議員のバッジを付けたその男を、京はテレビで見たことがあった。その白ひげの男が口を開く。
「非常に残念な出来事だと思っている。大型の商業施設で吸血鬼の襲撃が起こるとは予想もつかなかっただろう。それは息子の方も同じだ。だが吸血鬼には屈しない、やつらを全て捕らえてその報いを受けさせる。そのために【彼岸花】に今まで以上の多額の予算を費やすように言うつもりだ」
 それだけ言うと、男は取り巻きを従えて【舞首】の中へと入っていく。記者の何人かが入りこもうとしたので、京は慌てて静止した。偶然にも沙耶や幸宏と一緒に。
 記者たちが諦めると、沙耶は京になにも言わずに立ち去った。残った幸宏は彼らに文句を飛ばす。
「クソ……髪引っ張りやがって、グシャグシャじゃねえか……」
「いい機会だから切れよ」
 相変わらず幸宏の髪はロングヘアの女性みたいに長ったらしい。無駄に艶が出ているので、後ろ姿だけじゃ男だと気がつかないだろう。
「それより、あのジジイってあれだろ?」
「与党の大沼おおぬま義時よしとき
 京が大沼義時議員を覚えていたのは、単にテレビに出ていたからではない。息子が吸血鬼へと変貌してしまった、ショッピングモールのあの件を間近で見てたからだ。身勝手な息子が吸血鬼化した状態でシェルターに入りこみ、結果的に入れなかった者が犠牲になった。
 あんじゅがこの場に居なくてよかった、と京は思った。少なからず動揺しただろう。シェルターとはで、あんじゅは大沼議員の息子のことを良く思ってはいない。もしかしたら、その感情は自分たち以上に強いかもしれない。
「なんでここに居るんだよ」
「息子を入れるんじゃね? 入れるために、ここが建てられたんだからな」
 そう言って京は踵を返して仕事に戻ろうとする。するとドレスを着た来客の一人にぶつかってしまった。ぶつかった衝撃で相手の眼鏡が落ちた。
「すみません」
 京は拾い上げて手渡す。しかし、相手の女性の顔を見たその瞬間、また眼鏡を落としそうになった。人違いかと思って目を凝らすが、見間違いではない。
「いやあ、私も前なんか全然見てませんでしたから全然気にしなくていいですよ。眼鏡、ありがとうござい……あれ?」
 眼鏡を掛け直した女性も、ぶつかった相手が京だと気がついたのか思わず呆然とした面持ちになる。
「……どうも」
「……柚村氏、ここでなにしてるんですか?」
 ドレスを身に纏った矢島の問いかけに、京はなにも答えなかった。
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