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ユージーン

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apoptosis

70.Two snipers

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 出社早々、あんじゅは奇妙な光景を目の当たりにした。その舞台を整えているのは、瞳に映る四人の登場人物。
 まず一人目は、仁王立ちしている自分たちの隊の隊長、早見玲奈。早見はやってきたあんじゅに気がつくと笑顔でおはよう、と挨拶をしてきた。普段通りに見えたが、どこか棘を隠しているかのような面持ちに見えたため、余計なことを言わずに挨拶だけ返した。続いて、あんじゅは残りのメンバーに視線を移す。
 二人目と三人目は、副隊長の綾塚沙耶と、『戦術班』の美濃原カイエ。両者とも正座の姿勢で早見の前に座っていた(どちらかといえば座らされているように見える)。破顔一笑はがんいっしょうの早見に見下ろされ、沙耶もカイエも、表情には少しばかり気まずそうな色が浮かんでいる。そんな二人の表情を見て、珍しいものを見てる気がする、とあんじゅは思った。
 最後の四人目は、柚村京。京は沙耶やカイエと違って、早見の傍らに立っている。ただ、その首にはカードがぶら下がっていた。カードには文字が書かれており、『僕は吸血鬼にひょいひょい着いていったバカ者です』の字が見えた。
 あんじゅは状況を察すると、そそくさと自分のデスクに向かった。まだメンバーは出社していないため、気まずい空気が自分一人にのしかかってくるような気分になった。あの三人がなにをしたのか、早見がなぜ怒っているのか。その理由は事が起きた昨日に聞かされたため、あんじゅを含めて隊員全員が知っていた。
「昨日も言ったけど、偶然を装って……“たまたま標的と出くわした”から狩るなんて。そんなズル賢い方法、私は許可してないわよ。もっとも、許可を下さいなんて言っても当然却下だけど」
 早見の声は、いつもよりねちっこく思えた。けれど、意地の悪い物言いではない。どちらかといえば、わざとそんな言い方をしているように聞こえる。やりとりにこっそり耳を傾けようとしたあんじゅだが、机の上に一枚の用紙が置かれていることに気がついた。書かれている内容に目を通す。

 吸血鬼収容所【舞首】の開所式かいしょしきの警備について

 大きなフォントの文字でそう書かれていた。
「……開所式?」
 あんじゅは怪訝な面持ちになる。これはいったいなんなのだろう。そう思っていると、オフィスの扉が開かれた。やってきたのは上條真樹夫だった。
 真樹夫は、飛びこんできた光景に目を丸くしていた。そりゃそうだ、とあんじゅは胸の内で呟く。真樹夫は早見と短く挨拶を交わすと、自分の机に向かっていった。
「おはようございます」
「おっ……おはよう……」
 真樹夫がぼそりと小さな声で返してきた。そして彼にしては珍しく、次に言う言葉が口から出てきた。
「あれ……あの、えっと、あれは?」
「……私が来たときからあんな状況でした」それ以上は言えなかった。「あの、それより上條さん。机のこの紙ってなんですか?」
 あんじゅが訊くと、真樹夫も紙に気がついたようで、手にとって見る。眼鏡をかけているのに、真樹夫は紙に顔を近づけて凝視しだした。しばらくしてぱっと顔を離すと、真樹夫はあんじゅにおそるおそる声をかけてきた。
「た……多分、多分今日の仕事……かも」
「警備の仕事がですか?」
 それなら民間の警備会社か警察に頼めばいいのではないか、とあんじゅは思った。自分たちが開所式で目を光らせなければならないほど人手が足りないのだろうか。
「……吸血鬼とは全然関係なさそうですけど」
「い、一応……大きなイベントの時には……襲撃、えっと、吸血鬼の襲撃とかも視野に入れて……るから。た、たまにあるんだ」
「そうなんですか」
 内容を読むと、早見隊全員で赴くらしい。それぞれ担当が分かれていて、あんじゅは真樹夫と警備室での業務と書かれている。どうやら銃を握る方の仕事ではないらしい。
「今日は一緒に仕事みたいですね。よろしくお願いします」
「え? あっ……うん。よ、よろしく」
 真樹夫はぺこりと頭を下げると、早足で自分の机に向かっていった。まるで逃げるように。
 避けられているように感じて、あんじゅは思わず不安になる。【彼岸花】に来て数ヶ月経つが、上條真樹夫とはあまり話したことはない。他のメンバーとも一定の距離を置いているため、彼がどんな人間か訊いても、物静かな印象くらいしか返ってこなかった。今回は一緒に行動を共にするため、少しくらいは仲良くなれるだろうか。そんなことを思いながらあんじゅはもう一度今日の業務に目を通す。
 そのうちに、残りのメンバーも出社してきた。全員が揃ったところで、早見も説教をやめて、三人を解放した。そこから簡潔に今日の業務を告げられる。
「えーっと、昨日急に決まったんだけど……今日は私たち、上からの命令で【舞首】の警備にあたることになったから。詳細は移動中に知らせるから待っててね。銃器の携帯も許可はされてるから。まあ、大雑把なことはその紙に書いてあるわ。それじゃあ、二時間後に駐車場で。遅れるのはダメだからねー」
 言い終えて、早見は各自に準備を促す。二時間は嵐のようにあっという間に過ぎ去っていった。
 準備を終えたあんじゅは、更衣室に向かった。ロッカーを開けると用意されていたスーツに着替える。今回はそれなりの場所での警備のため、きちんとした格好で行かなければならなかった。着替え終えたあんじゅは鏡を覗く。久しぶりに凛々しく見える自分と対面した。初日とその後数日以降はスーツに腕を通してなかったので、身に纏うのが一年振りのように思えてしまった。
 荷物を抱えて駐車場に向かう途中で、あんじゅは美穂に会った。当然、美穂もスーツに着替え終えた状態だ。美穂の方はスカートタイプのあんじゅと違ってパンツスーツだった。長い黒髪も後ろで束ねており、いつもとは違う印象を与えた。
「あんた……今日は『技術班』の仕事?」
 あんじゅの脇に挟まれたタブレット端末を見て美穂が言う。
「えっと……はい。警備室で上條さんと一緒です。多分そこまで仕事ないと思いますけど」
「……あいつとか」
 美穂は真樹夫の顔を思い出してか、いやそうな表情を浮かべる。
「まあ、頑張れば? あんたならあいつとお似合いだろうし」
 はい、とあんじゅは返す。美穂のこの調子にもすっかり慣れてしまっていた。
「鵠さんは、綾塚さんとですよね?」共に駐車場に向かいながら、あんじゅは美穂に話を振る。
「ええ。久しぶりにね」
 嬉しそうな物言いがわかりやすく伝わってきた。
「こういう楽な仕事で沙耶さんと一緒になれるのは、本当にいつぶりだか」
 上機嫌な表情を見せる美穂。いつも背中に背負っている重たいライフルケースも今回はない。
「今日は持っていかないんですね、ライフル」
「持っていこうとしたけど、重装備だと威圧感が出るからなしって、早見さんに言われたから」
「……たしかにそうですね」
 じろじろと見られるのは間違いないだろう。会場は祝いの場だし、空気を重々しくさせて余計な不安を煽りかねない。
「けど、ないと落ち着かないわね。私を噛んだあのクソ吸血鬼の脳みそに一発ブチこんでやりたかったのに。ホント、ムカつく」
 美穂は忌々しく吐く。無理もない。吸血鬼の力のせいで、自らの意思に反して沙耶に引き金を引いたことは、美穂にとって耐え難いことだろう。ため息をついてから、美穂は続けた。
「元仲間だかなんだか知らないけど、港で追い詰めたのに逃すなんて……柚村のクソバカ。吸血鬼に情なんか抱いて……」
 美穂の怒りの火の粉は京の方に飛んでいった。そこでふと、あんじゅの中に疑問が生まれた。
「あの……そういえば、鵠さんは永遠宮千尋と面識無いんですか?」
「ないわよ。自分のことを“僕”だのなんだの呼んでる女なんて、初めて見たわ。私が最初に配属されたとこは沙耶さんと別の隊だったの。嫌だったから三カ月くらいで異動許可もらって、それで沙耶さんと同じ隊になれたのよ」
 二人は角を曲がり、駐車場に向かうエレベーターに入りこむ。しばらく会話がなかったが、扉が目的の階で開くと美穂が唐突に口を開いた。
「私らがこの仕事をしてる間に、美堂の隊が永遠宮千尋たちを仕留めるって」
 不服そうな表情を見せる美穂。
「えっ……? そうなんですか?」
「廊下で美堂隊の人間が言ってるのが聞こえたの。私らが居ない間に、作戦を遂行するって。もう居場所は掴んでるみたいね。ついでに、今日の警備の仕事を押しつけたのはあのクソメガネ。永遠宮千尋を仕留める今日のこの日に上からの命令よ」
 美穂の言うクソメガネが誰のことを指すのか、あんじゅはすぐにわかった。矢島に対してぶつくさと文句を言う美穂をあんじゅはなだめようとした。
「別に矢島さんも意図して押しつけたわけではないんじゃ」
「あんたね、頭使いなさいよ。警備なんて民間でもできるでしょ。クソメガネは私らが余計なことすると思ってんのよ、どうせ。だから仕事押しつけて暇を与えないようにしたのよ」
「綾塚さんには言わないんですか?」
 偶然耳にした話を自分に言うなんて、とあんじゅは思った。自分よりも沙耶に言った方が美穂にとってもいいのではないか。この件に関しては、沙耶が一番執着しているはずだ。
「そんなことしたら、こんな仕事放り出して単身乗りこむに決まってるでしょ。沙耶さんがそうしたら今度は絶対に見逃してもらえなくなる。ここから去るか、捕まるか。私は……そんなの絶対に嫌。あの人が居ないなら、私もここを辞めるから」
 美穂が言い終えたと同時に、エレベーターが駐車場に着いた。二人はそのまま無言で歩く。目の前に車二台と早見たちの姿が見えた。あんじゅはそのまま乗りこんだ。
 作戦遂行、その言葉が頭に浮かぶ。自分たちが絢爛豪華けんらんごうかな会場で目を光らせている間に、永遠宮千尋は殺される。そして帰って来たとき、自分たちは全てを報されるだろう。なにもかも終わって、吸血鬼は灰になったと。そのとき、どんな顔をするのだろうか。
 あんじゅが物思いにふけていると、美穂が乗りこんできた。まだ早見と沙耶は車の外で話している。
「言っておくけど、さっきの話は沙耶さんには内緒よ、わかってるわよね?」
「え? あっ……はい」
 頼りない返事を返したあんじゅ。美穂の方も危惧するような目であんじゅを見る
「当然だけど、柚村にもよ」
 美穂は強調して言う。あんじゅは短く「はい」と答えて、車が出発するのを待った。
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