Ambivalent

ユージーン

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Village

30.失態の清算、、

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 牢檻ろうかんにあんじゅは投げ入れられた。三方をごつごつとした岩の壁が取り囲んでいる。そこに鉄格子を取り付けただけの単純な構造をしている。
「いい子で待ってろよ」そう言って広沢亜紀斗はどこかに行ってしまった。
 すぐに、あんじゅは脱出しようと行動した。だが当然ながら容易に出れるはずもない。揺らそうが押そうがビクともしない。牢は雑な造りだが、しっかりと役目だけは果たしているようである。
 次第に空虚さを感じ、鉄格子を放して座り込む。
 いろいろなことが起こった。起こったその時には、考える暇もないくらいに衝撃的な出来事ばかりが。今は違う。手暇を与えられた思考が、ネガティヴな色に染まり好き勝手に増殖していく。
 死んだと──あの時確かに殺した・・・・・・と思っていた広沢亜紀斗が生きていて、仲間の真田宗谷を殺した。あんじゅたちの目の前で、愉しそうに広沢亜紀斗は引き金を引いて。
 閉ざされた檻の中で、あんじゅは鉄格子を激しく揺らす。脱出するためではなく、怒りをぶつけていた。どうして、宗谷があんなむごたらしい死を迎えなければならなかったのか。そして、彼を守ることができなかったという自身に対する憤り。
 銃弾を避けた。
 吸血鬼にそこまでのことはできない。夜目が利き、人間よりも力が強くなるだけだ。反射神経にまで影響を与えはしない。なのに、広沢は銃弾を避けた。
 その変化が起きたのは広沢が上條真樹夫の血を摂取した直後だ。それまでは変化もなく、広沢は宗谷の放った弾丸も避けきることができなかった。やはり、血液摂取がなにか関係しているのだろうか。
 だが、そのようなことは、アカデミーで一部分たりとも触れたことはなかった。
 足音が聞こえて、あんじゅは顔を上げた。広沢が戻って来た。手枷をかけられた寺本凛を腕尽くで引き連れて。
「凛ちゃん!」
「あ……あんじゅ……」
 格子の隙間からお互いに手を握る。凛の温かな体温を感じた。
「よかった……生きてたんだ……」
 凛は見るに忍びないほどやつれていた。着ていたであろう服はボロ布のような状態に、首筋や腕には噛み傷が見られる。だが、こぼすように覗かせた歯はまだ人間のままだった。
「ゴメンね……あんじゅ……」
 震える声で謝罪した凛。
「スマホ奪われて……アドレス見られてあんじゅのこと聞かれたの。わけわかんないけど、黙ってようと。コイツが、あんじゅのこと根掘り葉掘り聞いてきて……でも私黙ってようって思ったんだよ。だけど……目の前で先輩たち殺されて……」
 涙ながらに凛は話す。起こった出来事を吐き出し、それを思い出してか、凛はむせび泣く。
「ゴメンね、私……最低だよね。脅されて情報渡して……」
「凛ちゃん……もう大丈夫だから……」
 保証のない言葉をかけてあんじゅは凛の頭を撫でた。
 最初から、なにもかもが罠だったのだ。救助要請も、この村も全て。その罠が自分をおびき寄せるためだったなんて。
「終わったかぁ?」
 不気味なほど寡黙を貫いていた広沢が、口を開く。
「……私が目的だったの? 私一人にこんなことするために……色をな人を焚きつけて……」
「やっと気がついたのか? まあ、全部偶然だけどよ。最初はここで吸血鬼や協力者を集める予定だったんだが、バカの一人が目立つ行動したせいで、【彼岸花】の連中が来やがった。俺の指示で対処は余裕だったけどな。んで、こいつのスマホにお前の名前が載ってたから、まさかと思ったら……大当たりだよ。村の擁護派も他の吸血鬼も俺には逆らえないから、全面協力してもらったぜ」
「だったら、最初から私を呼べばよかったのに……誘拐でもなんでもして! どうして大勢の人を巻き込んだの!」
「あ? 決まってんだろうが、目の前で仲間が死ぬ光景をお前に見せるためだよ」
 凛の髪を掴んだ広沢は、手荒に檻から引き離した。
「正義の味方のつもりか霧峰? 銃持って、自分だけ有利になって。一人であの旅館から逃げただろ」
 絡みつくようなねちっこい口振りだった。
「生きるために必死だったもんなあ、俺を含めて吸血鬼になったやつを何人も撃ちやがって。誰も好きで化け物になったわけじゃねえのに、なんで理不尽に狩られなきゃなんねえんだよ」
 目を開き、憎悪を込めた物言いをする広沢。
 あんじゅはなにも言えずに、黙りこむ。
「世の中ってとっても理不尽だよなぁ!? 吸血鬼になっても被害者が人生終わるんだからよぉ!」
 叫ぶようにそう言うと、広沢は凛の首筋に噛み付いた。一瞬の出来事だった。
「凛ちゃん!」
 鉄格子を握りしめ、あんじゅは声を張りあげる。すぐに広沢は凛から口を離す。
「……おーや、よほど大切なお友達なんだなあ。なら──」
 広沢がナイフを取り出す。

「──吸血鬼になっても、大切だよなあ?」

 なにが起こるか、想像するのは容易かった。だからこそ、あんじゅは叫んだ。やめて、と何度も。
 あんじゅの発狂するような叫びも虚しく、無情にも凛の心臓にナイフが突き立てられた。苦痛に目を開いた凛が血を吐き出す。倒れこむのを許さないように、広沢が乱暴に髪の毛を掴んで引きずった。
 広沢は檻を開け、大きなゴミのように荒々しく凛を投げ入れた。
「凛ちゃん! 凛ちゃん!」
 すぐさま駆け寄り、名前を呼んだ。だが、凛に反応はなく痙攣して血を吐き出すのみ。
「ほら、見せてみろ。お前らの真の友情テストだ」
 広沢がなにかを言った気がするが、あんじゅの耳には入らなかった。



 ○



 凛から流れ出る血を止めることができなかった。いくら手で塞ごうとしても、隙間からどんどんこぼれ出していく。手がみるみるうちに凛の血で染まる。それでもあんじゅは傷口を抑えていた。
「凛ちゃん……凛ちゃん!」
 懸命に、あんじゅは呼びかける。ここまで来たのだ、せっかく再会できたのだ。だったら、二人共生還するべきだろう。そうでなければ報われない。こんな残酷な結末などあってたまるか。
 凛が血泡を吹く。なにかを云おうとしているが、声にならない。寺本凛は白目を剥くと、そのまま動かなくなった。
「り、んちゃん……?」
 体を揺するが反応はない。脈を計ろうとしても、鼓動を感じる部位がどこにもない。呼吸も感じない。
「や……やだ……っ」
 寺本凛の死を感じ取った。悄然としたまま、あんじゅは座り込む。自分がここに来たのは、凛を助けるためだ。
 助けることができなかった。事切れた凛が瞳に焼き付き、無力さを思い知らされる。
「おい、霧峰泣いてんのか?」
 空虚さに入りこむような不愉快な笑い声が聞こえた。悄然とした気持ちが消え去り、沸々とした怒りがこみ上げる。
 あんじゅは立ち上がると、詰め寄り広沢を睨みつける。広沢の瞳が真紅に染まっていたが、そんなことどうでもよかった。お互いを隔てている鉄格子を、忌々しく掴む。
「よくも……よくも……!」
「おいおい、安心しろよ。吸血鬼に噛まれた人間が死ぬとどうなるか・・・・・、お前だってわかんだろ?」
 広沢の顔がせせらわらう。その時、背後からの物音がした。後ろは岩肌と凛の遺体のみで、物音をたてるものなどない。ないはずだ。
 振り返ると、誰かが立っていた。仄暗い闇の中だが、あんじゅはその人物をハッキリと判別できた。
 倒れていたはずの寺本凛が起き上がっている。凛は虚ろな目でジッとあんじゅを見ていた。刺されたはずの胸元の傷は綺麗に塞がっている。
「あの……」
 恐る恐る呼びかける。だがどうしてだろう。声をかけてはいけない気がした。なにかが違う、違和感が心の中で警告音を発している。冷静に考えれば、違和感の正体などわかりきっている。それでも警告に耳を貸さないのは、認めたくないからだ。凛はもうすでに──
 たどたどしい足取りで、凛は向かってくる。
「あん……じゅ……」
 凛が口を開く。口元には牙が二つ。長く伸びた、獣のような牙が生えている。
「凛ちゃん……?」
 もう一度声をかける。その瞬間、目を剥き、口を開けた凛が襲いかかってきた。
 寸前であんじゅは身を翻す。凛が鉄格子に勢いよく頭をぶつけた。
「あんじゅ……のど……かわい……血」
 ぶつけた頭部の痛みに悶えることもなく、凛は訥々とつとつと声を詰まらせながら再びあんじゅに向かってきた。
「やめて! 凛ちゃん!」
 どうしていいのかわからなかった。吸血鬼と化した凛に言い聞かせるものの、彼女はもはや聞く耳を持っていない。吸血鬼化した直後の血の欲求により、凛は獣のように荒々しくあんじゅに襲いかかってくる。
 どうすればいいのか。今は襲い来る凛を避けるばかりで精一杯だった。活路を見出そうにも、閉じ込められたこの空間では思考も冷静に働かない。
 対処できない。いずれ力尽きればあんじゅも噛みつかれて、欲のとどまらない凛に血を吸われてしまうだろう。
 再び凛があんじゅに向かってくる。避けようとしたその時、足がもつれて、転んでしまった。
 好機と言わんばかりに、凛が首筋に狙いを定めてきた。咄嗟にあんじゅは腕を盾に差し出す。
「うっ……!」
 感じ取った痛みに、あんじゅは顔を歪める。腕に噛み付いた凛は吸いついたまま離れない。
「だめっ……!」
 力尽くであんじゅは凛を引き離した。地面に滴り落ちたわずかな血すらも、凛は狂ったように舐めとっていた。
「おーい、霧峰」
 不意に広沢が外からなにかを投げ入れた。ライフル銃だった。
「お前、『戦術班』なんだろ? だったら吸血鬼ぶっ殺すのが仕事だよな?」
 あんじゅは、この男がなにを望んでいるのか理解できた。凛を手にかけることを望んでいるのだ。あの時のように、修学旅行であんじゅがクラスメートにやったみたいに。その時の再現をさせたがっている。
 あんじゅは銃を掴みとると、構えた。檻の外に佇む広沢亜紀斗に。
「おいおい、撃ってもいいけど、弾は一発しかねえぞ? 俺を撃っても、お友達と二人きりのままだぜ? お前も仲良く吸血鬼になるか、血に飢えて狂ってるお友達を岩に頭叩きつけるしかねえぞ?」
「お前……!」
「そうとうキレてんな。じゃあ俺を撃てよ、どうぞ? その後でお友達の頭を何度も岩に叩きつけろよ? お前は助かるけど、そうなったら苦しいだろうなぁ。銃なら楽に死ねるのによ」
 指に躊躇いを与える言葉だった。
 ここで広沢を撃てば鬱憤は晴れるだろう。だがそれは、凛に苦痛を与えて殺すという選択になる。尖った岩肌に何度も何度も、頭を。
「それとも仲良く吸血鬼になるか? それも友情の形になるぞ。まあ、そんなこと、お前にできるわけねえよな霧峰。銃を持ちながらけっきょく一人で生還した自分勝手な女によ。『戦術班』として人を守りたいなら俺を撃て。予告してやるよ、お前の仲間は惨たらしく殺す。女共は男に好き勝手させて、男の一人は全身の骨を折ってやる。さあどうした? 俺を止めてみろ!」
 愉快に吼える広沢。完全に愉しんでいる。転ぶ状況がどうであれ、広沢にとってはどの結末も愉悦をもたらすものには変わりなかった。凛を撃てば彼は嗤うだろう。友より保身を選んだとして。広沢を撃てば、あんじゅは凛に苦痛を与えて殺すことになる。
 ならばもういっそのこと。
「あんじゅ……」
 凛の声が聞こえ、振り向こうとした。その瞬間に痛みと衝撃が頬に伝わる。殴られた、地面に倒れてあんじゅはそう認識した。
「ゴメン……あんじゅ……」
 血を補給した凛は、少しだけ正気を取り戻しているようだった。ハッキリとした語調に戻り──手にはライフルを持っていた。
「えっ……」
 手元にあるはずの銃を探すあんじゅ。だが広沢が投げ入れたライフルは一丁しかない。その一丁の銃は、あんじゅの手を離れて凛の手の中に収められていた。殴られた時に落としたのだろう。
「ゴメンね……あんじゅ、私のせいで……」
 謝罪の言葉を、もう一度口にする凛。
「こうするしかないの……こうするしか」
 銃を構えた凛の頬から涙が流れ落ちる。ああ、そうか。銃を手にした凛がしようとする事を、理解した。
 あんじゅを撃つ。そうすれこの悪夢のような出来事は終わりを迎えるのだ。
 そうするしかない。もしも同じ状況になったら、自分だってそうするだろう。悪くない。凛のやろうとしていることは正しい。殺しの主導権は、凛に移ったのだ。
「許して……」
 そう言うと、寺本凛は口を開けた。

 そして、銃口を自分の・・・口の中に入れて引き金を引いた。

「え……?」
 筒音つつおととともに、凛の頭が吹き飛ぶ。倒れたその身が落ちて、灰になった。
 何が起きたかあんじゅには理解できなかった。どうして凛が自分の口の中に銃を入れて撃ったのか。どうして、私を撃たなかったのだろうか。
 あの謝罪は──私を撃つためのゆるしをうためのものではなかったのか。
「なんで……なんで……」
 這うように凛の元へと駆け寄る。むくろの代わりに残された灰と、凛が身にまとっていた衣類だけがそこにあった。
「なんだよそのオチ」
 広沢は興醒めしたように言うと、どこかに行ってしまった。
「りん……ちゃん」
 あんじゅは呼びかける。灰は当然ながらなにも答えてはくれない。
「なんで……」
 捕食者がいなくなれば、均衡は保たれる。悪夢を終わらせるために、あんじゅを救うために、凛は自らを犠牲にした。それを理解していても受け入れることができなかった。
 あんじゅは呆然と灰を握りしめる。凛の血で染まっていた手に灰が固まり付く。
「なんで……どうして……」
 声を上げて慟哭する。一人きりになった檻の中で、あんじゅの声だけが響き渡った。






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