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ユージーン

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Village

29.人身御供

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「助けに……?」

 きょとんとした様子で早見玲奈は柚村京を見る。疑問符をつけたその様子は心当たりがないようで、首をかしげていた。

「あんたの部下から救出要請を受けたんだけど」
「おい、口に気をつけろ」

 幸宏と名乗った髪の長い男が京を咎めるが、早見が押さえ止める。

「まあまあ、幸宏落ち着こう。えっと、柚村君だっけ? とりあえず来てくれてありがとう」

 そう言って早見は白い歯をこぼす。屈託のない表情だがそれだけに京は引っ掛かりを感じた。
 覚えている限りの早見玲奈の容姿を京は思い返す。丸みを帯びてふわっとした茶髪のボブカット、泣きぼくろにつり目。記憶の中に留まっている人物と見た通りに一致しているため、村人のような成りすましの可能性はないはず。
 念のために京は梨々香を呼びつけ、タブレット端末で確認をとる。保存されていた隊員の画像が出てきた。

 氷姫ひびめ幸宏ゆきひろ。細眉に目つきの悪い表情、長い髪の毛、細身、鼻にピアス。
 美濃原みのはらカイエ。坊主頭に三白眼、少々彫りの深い顔つき、筋肉の付いた体格。あんじゅと同じ、捜査官になったばかりの新人。

 外見の特徴は三名とも一致している。彼らは本当に早見隊の人間で間違いないだろう。

「本人みたいですね」
「えー、疑ってたの? もしかして写真より実物見て幻滅したとか?」
「いえ……」

 そういう意味ではない、と付け加えたかったが飲み込んで先に進める。

「ところで他の人は?」

 端末を梨々香に返して早見に訊ねた。隊員十八名が所属しているはずの早見隊だが、ここにいるこは六分の一の三名のみだ。

「残り十五名は……死んだり、吸血鬼になったり、捕まったり、とにかく色々ね。誰か生きてるかもしれないけど……」

 神妙な面持ちで早見は答える。

「なにがあったんです?」
「罠にハマって、鉱山のある奥里の方に連れて行かれたの。通信が遮断されて本格的にヤバいと思ったんだけど、カイエの機転でなんとか私含めて四人だけ逃げ出せたの。ありがとねカイエ」

 手を振る早見に、カイエは黙って頷く。

「四人? あのぉ、もう一人は?」
 指折り数えた梨々香は足りない一人を訊ねた。
「吸血鬼化して途中ではぐれたの。そうしたら、降って湧いたみたいに突然君たちが来たってわけ、それがここまでのお話」
「『技術班』……眼鏡かけてましたかその人?」
「ん? そうだけど? もしかして会った?」
 特徴を聞くと、その『技術班』は京が昼間に森の中で会った吸血鬼のようだった。一通りなにがあったかを説明すると早見は岩の天井を仰ぎ見る。
「そっか……まあ仕方ないわね。ところで室積隊の他の人は? まさか人員削減で二人ってことはないわよね?」
「俺たち以外は捕まった。室積隊長は吸血鬼に……一人はさっき亡くなった」
「お前らなにしに来たんだ」
「幸宏、せっかくここまで来てくれたのよ。その言い方はないでしょ」
 咎められて、氷姫幸宏はばつの悪そうな顔で座り込む。
「ゴメンね。ところで、柚村君ってどこかで会った?」
 早見はじっと、わざとらしい動作で見据えてくる。
「あー……先日のお台場の人身売買の事件で、そっちの副隊長の獅子戸ししどって人に助けられました」
「お台場……あー! 舞夜まいやちゃんが助けた子か! あの様子は私もヘリから見てたよ! 一人で乗り込むなんて度胸あるじゃん! そっか、きみか」
 親指を立てて讃える早見隊長。まるで母親のように親密に接してくる人だ、と京は思った。
「つーことは、テメェは『戦術班』か。このケバいギャルは?」
「……はぁ?」
 幸宏の物言いに、青筋をたてて詰め寄る梨々香。
「今なんて言ったぁ? その似合ってもなぁい鼻ピアス、梨々香が引き抜いてあげようか?」
 “ケバい”という単語がよほど癇に障ったのだろう。いつも通りの口調なのは変わらないが、梨々香は氷姫幸宏に敵意を見せている。
「はーい、ストップ。やめやめ」
 歪み合おうとする両者を早見が落ち着かせる。
「私の足以外に問題増やさないでよー」
「そういえば」京は視線を早見の足に向ける。「その足どうしたんですか?」
「これ? まあ、歩けなくはないんだけど運悪くね。それより、救助要請してないのによく室積隊来れわたね」
「えっ……?」
 梨々香が困惑した様子で早見と京を見比べる。
「いや、そっちの寺本凛からうちの隊が指名されて──」
 そこで氷姫幸宏が会話に割り込んでくる。
「おい、寺本なら捕まったままだぞ? 通信手段もないし助けなんて呼べるわけねえだろ」
「幸宏、お口チャーック。ゴメンね続けて」
「えっと……早見さんの部下の寺本凛から室積隊を呼べって。早見さん自身がそう言ったって………」
 それを聞かされても、早見隊の面々は腑に落ちないといった表情で京を見る。
「まさか……要請してない?」
 京が訊くと、早見はきっぱりとええ、と答えた。



 ○


 
 景観は地獄と呼ぶにふさわしかった。
 綾塚沙耶はうごめく無数の吸血鬼たちを俯瞰ふかんし、冷ややかな視線を送る。地の底には一度死を迎え、蘇った亡者が施しを求めるように手を伸ばしている。剥かれた眼は血走っており、人間離れした長い犬歯を覗かせ、呻き、叫ぶ。そんな怪物たちを照らしているのは揺らめく松明の炎のみ。
 下にいる吸血鬼たちはどう見ても飢えていた。満足に血を与えられていない状態で、理性が欲求に侵されていて、壊れかけている。
(哀れなものだ……)
 そんな吸血鬼たちを見ても、同情の念はやはり抱かなかった。吸血鬼化した室積隊長を殺めた直後はどこか虚しさを感じてはいたものの、この場所に連れてこられるまでに心はいつもの場所・・・・・・に戻ってきてしまった。やはり、吸血鬼をいたわる感情など、自分には無縁なのだろう。
 隣に跪かされている鵠美穂も、露骨な不快感を見せて吸血鬼たちを眺めていた。
「見えますか?」
 村長を名乗っていた男に声をかけられる。美穂とともに捕らえられ、造られた坑道を抜けて地下の開けた場所に来るまで彼は一言も言葉を発していない。
「生まれ変わった者たちの姿です」
 語り時を待ちわびたように口を開く男。この光景を見せるためだけに今の今まで口を紡いでいたというのか。愛しいペットを見るような視線を吸血鬼たち向け、そして次に沙耶と美穂を見る。
 どうだ、素晴らしいだろう、まさに目はそれを語っていた。
 だが、どうしてだか吸血鬼たちは地の底にいた。沙耶のいる場所からの高低差は、およそ十メートルほどだろうか。そこに出入りするような斜面や階段はない。崇め奉る物言いを男はしているものよ、自然が作り出した不自由な檻に閉じ込めているようにしか見えなかった。
「神様扱いしていた割にはずいぶんと雑に扱ってるじゃない。あの様子だと血もそんなにあげてないんでしょ」
 美穂が皮肉めいた物言いをした。
「下にいるのは村の哀れな者たちです。せっかく神聖な存在になったというのに、喜びもしない。かといって、自害する勇気もない連中ですよ。けれも、無理に殺すのは心が痛みますね、元は村の者ですから。情はありますよ私にも」
「飢えた状態にして充分な血を与え、今の自分が何者かをわからせる気か」
「ええ。幸運に気がつくには個人差というものがありますから」
 男の話を無視して沙耶は再び吸血鬼たちを見下ろす。どうも数が少ない。目視しても村の総人口の百四十名もいるようには見えなかった。
「……村人にしては少ないな」
「ええ、多くはその身を捧げてもらうことにしました」
 傍らには四角に加工された岩と文字の刻まれた柱が見える。岩には血が染み込んでいて、赤黒く変色していた。あの場所はどうやら生贄を捧げる祭壇らしい。岩が変色するほどの生贄の数など考えなくもなかった
「おや、そろそろですな。持ってきなさい」
 時計を確認した男は、仲間の一人に合図する。
「そろそろってなによ……?」
「廃棄物の処理ですよ。表の自由な吸血鬼たちには新鮮な血を捧げます、残り物は下の者たちにね」
 美穂の問いかけに、男が答え終えると同時に女性が連れてこられた。彼女の肌にはそこかしこについた痛々しい歯型が残っている。手錠をかけられ、自由を奪われたその女は、早見隊の副隊長の獅子戸舞夜だった。
「くたばれ……!」
「おやおや、あなたは最期まで口が悪いですね。」
「黙れこのイカれ野郎ッ!」
 獅子戸舞夜はがなるような罵声を浴びせる。写真で見た時の凛然とした雰囲気など、今は面影一つとして残していない。
 呆れた様子で男はため息をつく。
「やれやれそこまで口が悪いだなんて、後先を考えないのですか?」
「どうせ命乞いしようが殺すんでしょ、なら最期の最期まで罵ってやる。吸血鬼なんかね、差別されて当然の化け物よ! お前ら共々地獄に落ちろ!」
「地獄に落ちるのはお前だ! 異端だからといって恐れて差別をするお前たちこそ悪だ! 愚かな愚民め!」
 男は山刀を取り出す。山刀は薄暗い洞窟内でも、ぎらりとした光沢を放っていた。周りにいた何人かが獅子戸舞夜の身体を押さえつけ、柱の元へと運びだす。押さえつけられていてもなお、舞夜は喚き立てていた。半ば自棄になっているその様子は、彼女なりの抵抗のようにも思えた。
「哀れむほど汚れた心の持ち主だが、せめてその血は役に立ちます。望み通りにしてあげましょう」
 髪を掴まれ、獅子戸舞夜は顔を上げさせられた。山刀を首にあてがわれると、舞夜は覚悟を決めたのか、目をつむった。
 男が喉を掻っ切る。柔らかな動脈に硬い刃が押し通り、赤い液体が噴き出した。噴水のように高く、間欠泉のように激しく、獅子戸舞夜の体内に流れていたもの・・・・・・・が飛び出していく。
 沙耶の眼下に映る吸血鬼たちが口を開けた。まるで荒廃した土地に降り注ぐ、恵みの雨のように。その生暖かい雫を、吸血鬼たちは身体全体で受け止めていた。
「う……うそでしょ……」
 美穂が声を震わせる。
 喉を裂かれても、獅子戸舞夜はまだ絶命してなかった。倒れこみ、短い呼吸を鳴らしている。見開いた瞳で舞夜は沙耶と美穂を焼き付け、そして、出血死した。
 美穂は放心したように、舞夜から目を離せずにいた。目の前で見せつけられた死。次に供物として身を捧げられるのは自分かもしれない、青ざめた表情はそう語っているように見えた。
 その美穂と対称的に、身の毛のよだつ光景を目の当たりにしても、沙耶は表情一つ変えない。血の臭いが漂う中で冷静に打開策を探る。しかし、この状況では第三者に頼るしかなかった。こちらには人数も武器もない。圧倒的な差がありすぎる。今あの男が指を差し示すだけで、自分もしくは美穂の人生は簡単に終わりを迎えるだろう。
「彼女は復活はするのかね?」
「いえ、最後に血を捧げてから一時間以上は経過してます。このまま死亡するでしょう」
「そうか。さて、君たちの今後の予定を教えよう。これからは神聖な吸血鬼たちに血を捧げるのが役目だ。大人しくしていれば、長く生きれるぞ」
 ふざけんな、と小さく美穂が呟いた。髪を振り乱しながら、何度も頭を横に振る。いや、いやよ、と壊れた人形のように美穂は否定の言葉を唱えていた。嗚咽を混じらせ、今にも感情を爆発させそうなほどに。
「おや、怖いのかね? 安心しなさい、これは名誉あることだ。一生をかけて神聖な──」
「私の今後の予定を教えてやる。お前をその穴蔵に突き落として、ただ眺めてやる・・・・・
 沙耶は淡々と言い放つ。男は一瞬だけ怒りの表情を見せたが、後手に縛られている沙耶を見るとすぐに嘲笑う。この状況でなにができるんだと言いたげに。
「もしかして、仲間が来るのを待っているのですか?」
「私としては不本意だがな。信じるなんて言葉を使いたくはないが、今はそうしている」
 静観な洞窟内が唐突に騒がしくなった。吸血鬼と人間の合同の捜索隊が戻ってきたらしい。強引に押されて、二人の人物が沙耶たちの前に現れた。
 霧峰あんじゅと上條真樹夫。
「あっ……」
 沙耶に気がついたあんじゅが声を漏らす。
「おら、歩けよチンタラすんな!」
 広沢亜紀斗に押され、真樹夫が転ぶ。真樹夫の腕はありえない方向に向いていた。
「あ、あんた……」
 ボロボロになった真樹夫を見て美穂が声をかける。真樹夫は恐怖と、折れた腕の痛みに呻くだけだった。
「おかえりなさいませ」
「おう。なんだ? こいつ殺したのかよ。けっこう美人だったのにもったいねえな」
「なにぶん喚き立ててやかましかったものですから。ああ、あの女・・・はまだ生かしてます。ご命令通りに」
「オッケー。おい、霧峰来いよ。友達に会わせてやる」
 広沢に髪を掴まれて、あんじゅは無理やり引きずられていく。
「おい吸血鬼」
 特に名指ししたわけでもない。だが、自分のことだとわかった広沢は振り返り沙耶を見る。
「あ?」
「残り二人はどうした?」
「あー? チビなら撃ち殺した。もう一人は知らねえけどこんな状況だ。怖気づいて逃げただろ」
 面倒そうに答えた広沢は、再びあんじゅの髪を引っ張り、奥の方の通路に消えていった。
「うそでしょ……ねえ」
 誰に言ったかもわからない美穂の声が飛んでいく。
「宗谷……死んだって……? ねえ、どうなのよ!」
 傍らで悶える真樹夫に美穂は訊く。真樹夫は何度も頷いて答えた。
「ほら、お仲間が来ましたよ? それで? どうするのですか?」
 舞夜の血を服に浴びた男は、笑いながら沙耶の顔を覗き込むと、どこかに行ってしまった。
 室積隊長に続いて、真田宗谷。半日も経たないうちに同じ隊の者二名を失った。だが、まだ終わったわけではない。
「……京」
 まだ全員ではない。まだ、一人残っている。
 


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